第十二話 帰還
私はリウさんを支えようとして、足に力を入れた。
「……篠原さん。ダメです、立たないで……」
「でも、ここから降りないと」
階下では、まだ爆発音が続いている。
もしゲートが爆破されたら?
私たちは地球へ還れなくなってしまう。
その時、私の上着のポケットから何かが転げ落ちた。
「あ……」
湖に向かっている時にリウさんが馬車避けのスペースにばらまいていた小石だ。
そうだ、拾っていたのを忘れていた……。
「あのリウさん、これ……」
彼の目の前に小石を差し出すと、彼が訝し気な顔をする。
「これは……」
「さっき、馬車避けのところにリウさんがばらまいてたものですよね?きれいだなと思って一つ拾ってしまいました、すみません」
「いえ……。これが一つあればいけるかもしれません」
リウさんは私から小石を受け取ると、ぎゅう、と握りしめた。
「いけるかもしれませんって……?」
私が聞き返すと、リウさんは小石を見つめたまま言った。
「これはただの石ではありません」
「え?」
「簡易転移の魔導石です」
……はい?なんですって?
「転移……?」
「本来は護衛が緊急時に退避するための道具です。ただし――」
リウさんは一瞬だけ言葉を切った。
「本来は複数必要なんです」
「えっ」
「先ほど馬車避けのスペースにばらまいたのは、結界を展開するためでした。私が馬車を点検している間、皆さんを守るために」
私は小石を見つめた。
さっきまで、ただ綺麗な石だと思っていたのに。
「でも一つだけでも、短距離なら転移できます」
リウさんはそう言って、私を見た。
「ゲートの近くまで飛べるはずです」
「じゃあ早く――」
そう言いかけて、私は気づいた。
「……リウさん?」
リウさんは首を振った。
「この石で転移できるのは、一人だけです」
「……」
一瞬、言葉が出なかった。
階下では、また爆発音が響いた。
建物がわずかに揺れる。
「篠原さん」
リウさんの声は、驚くほど落ち着いていた。
「あなたが使ってください」
「そんなのダメです!」
思わず叫んでいた。
「リウさんが怪我してるのに!それに私にはツアー客の皆さんを無事に連れて帰る義務があります!」
「私は護衛です」
きっぱりと言い切る。
「あなたを無事に帰すのが仕事です」
「そんなの――」
胸が苦しくなる。
言葉がうまく出てこない。
その時だった。
外から、鋭い魔術の光が走った。
足元の床が砕け散る。
「――っ!」
リウさんが私の前に立った。
その背中が、はっきりと震えているのがわかる。
「時間がありません」
リウさんは小石を私の手に押し込んだ。
「ゲートの前に出たら、すぐに通ってください」
「でも……!」
私はその手を強く握り返した。
「一人では帰れません。ツアー客の皆さんと一緒でないと。何より、今のリウさんをおいては帰れません」
「ですが……」
「リウさん!」
自分でも驚くくらい大きな声だった。
リウさんが目を見開く。
「だって……」
胸の奥が熱くなる。
「私を守ってくれた人を、このまま怪我させたまま、置いて帰れません」
しばらく沈黙が落ちた。
爆発音だけが響いている。
リウさんはゆっくり目を閉じた。
そして――小さく息を吐いた。
「……本当に」
少しだけ困ったように笑う。
「あなたは、無茶を言う人ですね」
そう言って、私の手の上に自分の手を重ねた。
小石が、淡く光り始める。
「なら――」
リウさんは静かに言った。
「一緒に行きましょう。一階に転移します。ツアー客の皆さんは幸い固まっているようなので、ツアー客の皆さんの前に下ります。そのまま、皆さんと一緒に帰還ゲートに走ってください。皆さんの荷物をまとめてある移動ケースは私が押し込みます。向こうで受け取ってください」
「……分かりました」
「私の怪我のことはご心配なさらず。すぐに王宮に戻って手当てをしてもらいますので」
「……」
彼のケガに私ができることはない。
そう言われた気がして、ぎゅう、と胸の奥が痛くなる。
でも、それでも。
私を守ってくれた人に何もできないなんて嫌だ。
ポケットに手を入れると、そこにはハンカチがあった。
それを出して、リウさんのケガをした肩にそっと押し付ける。
「篠原さん、ハンカチが汚れて……」
「使ってください。私のハンカチくらい」
「……」
「私にできるのはこれくらいです。だから、私にできることを否定しないで、リウさん」
リウさんは、しばらく何も言わなかった。
私が押し当てたハンカチを、ただ静かに見ている。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……あなたは」
少しだけ困ったように笑う。
「本当に、変わった人ですね」
「そうですか?」
「ええ」
彼は小さく頷いた。
「普通の人なら、とっくに私の提案に頷いて帰還ゲートに飛び込んでいますよ」
「私はツアーコンダクターですから」
私は言った。
「お客様を置いて逃げるわけにはいきません。私は皆さんの旅を最後まで守る義務があります」
そして、少しだけ間を置いてから付け加える。
「……護衛さんを置いても」
リウさんが一瞬、驚いたように目を見開いた。
その直後だった。
外から再び、魔術の光が走る。
建物が大きく揺れた。
石の破片がぱらぱらと落ちてくる。
「――時間がありませんね」
リウさんが低く言った。
彼は私の手を握る。
その手の中で、小石が強く光り始めた。
「転移します」
「はい」
「着地したらすぐに皆さんを誘導してください」
「分かりました」
光が、強くなる。
砕けた床のかけらがパラパラと転がる。
体が浮くような感覚。
そして――
景色が、一瞬で切り替わった。
次の瞬間。
私は一階のホールに立っていた。
目の前には――不安そうに固まっているツアー客の皆さん。
「篠原さん!」
木下さんが叫ぶ。
「無事だった!?」
「皆さん落ち着いてください!」
私はすぐに声を張り上げた。
「今から帰還ゲートへ向かいます!皆さん走って!」
幌馬車の付近ではまだ爆発音が続いている。
でも。
帰還ゲートの青い光が、夕暮れの広場で揺れていた。
「荷物はそのままで大丈夫です!」
スーツケースを乗せたワゴンをリウさんが押しているのが見えた。
皆さんが動き始める。
リウさんはワゴンの陰にうまく隠れながら、肩から血を滲ませながらも、周囲を警戒している。
その姿を見て、私は強く思った。
――絶対に帰る。
みんなで。
そして。
この人をただ置いてはいかない。
手のひらにある小石を握りしめたまま、私は走った。
「皆さん、このままゲートへ!」
夕焼けに染まる広場へ走る。
青く光る帰還ゲートへ向かって。
「急いでください!」
私は振り返りながら叫ぶ。
ツアー客の皆さんが必死に走ってくる。
木下さんが、年配の女性の手を引いていた。
彼女の旦那さんであろう年配の男性は、カメラ好きの青年が背負っていた。
「あと少しです!」
帰還ゲートはすぐそこだ。
青い光が大きく揺れている。
先頭の人が、光の中へ飛び込んだ。
その姿が、ふっと消える。
一人、また一人。
皆さんがゲートを通っていく。
私は数を数えながら、最後尾を確認する。
6名が全員ゲートを通ったのを確認してほう、と息を漏らす。
――大丈夫。
全員帰った。私が最後だ。
その時だった。
背後から鋭い魔術の光が飛んできた。
「伏せて!」
リウさんの声が響く。
次の瞬間、彼が私の前に出た。
青白い光が弾ける。
魔術が地面に叩きつけられ、石が砕け散った。
「走ってください!」
リウさんが叫ぶ。
「止まらないで!」
「……はい!」
私は頷いた。
そしてゲートの前で振り向く。
リウさんがワゴンを推して、そこに立っていた。
肩から血を流しながら、それでも敵の魔術を防いでいる。
「リウさん!」
思わず声が出た。
リウさんは一瞬だけこちらを見た。
そして、静かに言った。
「あなたも行ってください」
「……!」
「それが、あなたの仕事でしょう」
その言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。
でも。
私は、頷いた。
「……ありがとうございました!」
叫ぶように言う。
「この旅を守ってくれて!」
リウさんは、ほんの少しだけ目を細めた。
「良い旅でしたか?」
胸がぎゅっと締め付けられる。
私は大きく頷いた。
「はい!あの、リウさん……!また、私、また必ず来ます!また会いましょう!」
私の言葉に彼がどう答えたのかは聞こえなかった。
そして。
私は帰還ゲートの光の中へ飛び込んだ。
世界が白く染まる。
音が消える。
体がふっと軽くなる。
そして――
次の瞬間。
見慣れた空が広がっていた。
日本の空だった。
その直後、ゲートからツアー客の皆さんのスーツケースを乗せたワゴンが転がり出て来た。
「戻ってきた……」
私はその場に座り込みそうになる足をこらえた。
胸の奥が、じんわり熱い。
手のひらでぎゅう、と握りしめていた小石を手を開いて見つめる。
もうそこに光はない、ただの綺麗な小石だ。
私はそれを、そっと握りしめた。
――また、あの世界に行く時には。
その時もきっと。
私の導く旅を彼に守ってもらいたい。
そう思いながら、私は空を見上げた。
この後22時にエピローグを投稿して完結です。




