第十話 最終日の始まり
ツアー最終日の朝が来た。
今日の予定は、最後の観光地である湖の観光。
それが終われば、夕方にはお土産物売り場併設の帰還ゲートへ向かうことになっている。
最終日だ。
気合いを入れていかないと。
幸い、肩の傷の痛みはかなり引いていた。
今朝、王宮から来てくれた治癒師のエルフの女性が、もう一度治癒を施してくれたおかげだ。
さすがエルフ、というべきか。
肩に触れるだけでほんわりと温かさを感じ、残っていた痛みが一気に引いた。
とても綺麗で優雅で、例えは違うかもしれないけれど、お人形みたいに完璧な美しさだった。
長い銀色の髪に、透き通るような肌。
微笑むだけで、こちらまで背筋が伸びてしまうような気品があった。
リウさんも普段、あんな綺麗な人たちに囲まれて仕事してるんだろうな……。
なんとなく、そんなことを考えてしまった。
「おはようございます、篠原さん」
「ひゃあっ!」
「……驚かせてしまいましたか、申し訳ありません」
振り向くとリウさんが眼鏡の位置を直しながら私の後ろにいた。
しまった、すごく失礼だよ、今の私。
「お、おはようございます、リウさん。私のほうこそ変な声を出してしまってすみません」
「いいえ、地球の方は私たち獣人と違って気配を察知するのは得意ではないことを失念していました、私のほうこそ配慮が足りず申し訳ありません。ところで肩の具合はいかがですか」
「もう大丈夫です。エルフの治癒魔法すごいですね」
ぐるぐる肩を回して見せると、リウさんが小さく微笑んでくれた。
「……そうですか。無理はなさらないでください」
「はい。ご心配おかけしてすみませんでした」
「心配?……ああ、なるほど」
何か納得したように、リウさんが眼鏡を指で押し上げる。
「私は、あなたを心配していたのですね」
「え?」
「だから昨夜は、なかなか眠れなかったのか」
まるで今、研究結果を発見した人みたいな口調だった。
私は一瞬、言葉に詰まる。
「そ、そうなんですか……」
「はい。理由が分かって安心しました」
真面目な顔で頷くリウさん。
……いや、安心するところそこ?
「そろそろ出発の時間ですね」
リウさんがホテルの前を見た。
石畳の道の向こうで、ツアー用の幌馬車が待機している。
「皆さんも集まってきてます」
「そうですね。最終日ですから、気を引き締めていきましょう」
私はパンと両手を軽く叩いた。
――このときは、まだ知らなかった。
最終日の今日が、このツアーで一番危険な日になるなんて。
ホテルを出た幌馬車は、ゆっくりと王都の石畳を自動運転で進んでいた。
朝の空気は澄んでいて、街はまだ完全には目覚めていない。
通りの店は半分ほどしか開いておらず、パンを焼く香ばしい匂いが漂ってくる。
「皆さま、本日はツアー最終日となります。まずは王国で最も美しいと言われているフォルナ湖へと参ります。そちらでは水中遊覧船での観光を楽しんでいただきます。地球では見られない水中の世界の美しさをお楽しみください」
私はいつもの営業用の声でそう案内した。
実は湖での水中遊覧船の観光は、私も楽しみだったのだ。
写真で見た、水中の中に住む民の街があり、遊覧船の中から見学できるコース。
幌馬車の移動中、ツアー客の皆さんは、これから行く湖と昨夜の星空の話で盛り上がっている。
「いやぁ、あんな星空見たことないよ」
「本当にきれいな星空だったよねえ!」
「昨日の写真、めちゃくちゃ綺麗に撮れたんです!これから行く湖も遊覧船の中からなら写真は撮れるんですよね?篠原さん」
「ええ。どうぞよいお写真を撮ってください」
一眼レフを持った青年がカメラロールを見せると、周囲から感嘆の声が上がる。
「実は昔懐かしいフィルムカメラも一台持ってきてるんです。それを湖では使おうと思ってて……」
「え、私、フィルムカメラって初めて見る!ちょっと見せてもらっていいですか?」
「はい、どうぞ」
「へえ、スマホと違って結構重いんだ……」
彼がバッグから出したのは、今では骨とう品と言われているフィルムのカメラだ。フィルム自体がもう作っているメーカーも希少だと聞いたことがある。ただ、デジタルにはない味があるのだということで、根強い人気がある。
木下さんは珍しそうにカメラを触ってから彼に返した。
「フィルムカメラ触ったことも帰ったら配信で話すんだー」
木下さんも楽しそうだ。
「良かったら、写真のデータ送るよ?配信に使ってくれていいから」
「わ、いいの!?ぜひ!自分で撮ったのだけじゃ味気ないなって思ってたの。嬉しい!」
その様子を見て、私は小さく息を吐いた。
よかった。
みんな、笑っている。
大聖堂の事件のあとも、このツアーが嫌な思い出にならずに済みそうだ。
あとは――。
最後の最後に無事に帰還ゲートを全員で通るだけ。
ツアーコンダクターとしての仕事も、そこで終わる。
揺れる幌馬車の窓から、王都の城壁がゆっくり遠ざかっていくのが見えた。
そのときだった。
がたん、と大きく馬車が揺れる。
「きゃっ」
誰かが小さく声を上げる。
「大丈夫ですか?道が少し荒れているみたいですね」
私はそう言って笑ってみせる。
だが――。
リウさんは笑っていなかった。
馬車の運転台が見える場所に立っていた彼が、わずかに眉をひそめている。
視線は床のほうへ向いていた。
馬車は再び揺れる。
ごとん、と不自然な振動。
リウさんの耳が、わずかに動いた。
石畳の揺れとは違う。
一定の間隔で、微かに震えている。
まるで――何かが、動いているように。
リウさんはゆっくりと視線を落とす。
客席の下。
荷物置きの影。
布の隙間から、ほんのわずかに光が漏れていた。
紫色の、淡い光。
昨日、大聖堂で見たものと――同じ色だった。
リウさんの瞳が、わずかに細くなる。
「篠原さん」
低い声で、彼が私を呼んだ。
「は、はい。どうかしましたか、リウさん」
「馬車をここで一度止めます。皆さん、一度この馬車から降りて、少し離れてください」
リウさんの厳しい声に私は息をのんで、一度運転台に戻り停止させた。
ガタン、と音を立てて幌馬車が止まると、周辺を厳しい目で警戒したリウさんが幌馬車から少し離れた街道の馬車避けのスペースへ足早に向かい、そこに何かをばらまいて戻ってきた。
「皆さん、申し訳ありませんが、私が馬車の点検を終えるまであそこの馬車避けで待っていてください」
「は、はい、分かりました。皆さん、貴重品だけ持ってあちらへ」
私の誘導に、それぞれバッグを抱えて幌馬車を降りると、少し離れた馬車避けのスペースに向かう。
そこにばらまかれていたのは、透明な小石のような、水晶にも似たものだった。
さっきリウさんがばらまいてたもの……?
しゃがんで手に取って見つめてみると、中に何か文字のようなものが見えた。
なんだろう、これ。あとで聞いてみよう。そう思って、一つポケットに入れる。
その時、リウさんが私たちを呼び戻す声がした。
「戻りましょう、皆さん」
幌馬車に戻るとリウさんから報告があった。
「馬車をすべて魔導スキャンしましたが、特に危険なものを仕掛けられていることはなさそうなので、このまま予定通りで問題ありません」
「分かりました、ありがとうございます」
そのまま運転席で到着地への運転再開を指示して、私たちは何事もなくフォルナ湖へ到着したのだった。
これで最終話にするつもりだったけど、思ったよりプロットが伸びたのでもう少し続きます。




