5 救いの友
昼食は学園内にある食堂にてなされる。
授業の後、あたしは妙にクタクタになって食堂へと足を向けた。
本当は机に突っ伏していたい。けれど、そんなことをしてしまえば外聞が悪いため、深く俯く程度に留めた。貴族というものは実に面倒くさい。
「そんなに落ち込んでどうしたんだい」
「エディー」
顔を上げると、目の前の彼はふんわりと笑った。
彼の名前はエディー。庶民ながら優秀であると聞きつけた学園が特待生として入学を認めた優等生だ。
なんと彼は攻略対象ではない。あたしが気を許せる数少ない友人だ。
「今日は何に落ち込んでいるの?」
エディーの気遣いに、あたしは図星を突かれたようにムッと眉をひそめた。
「……レポートが、また」
彼の笑みが苦いものに変わった。正面の椅子を引いて座ったエディーに対して。あたしの眉間の皺が深くなった。
「どうせあたしは特待生のエディーみたく賢くないもの」
「そんなに卑屈にならないで」
エディーは困ったように微笑んだ。その表情が、さらにあたしの不満を煽る。
「エディーはあのアレクシス殿下を討論で言い負かしたんでしょ。聞いたよ」
「なんとかね」
アレクシス殿下はこの国の第二王子だ。
あたしが述べた言葉に謙遜しているが、あの第二王子を言い負かすなんて並大抵のことではない。エディーは本当にすごいのだ。
ちなみに、第二王子ことアレクシス様は攻略対象だ。
敵は多い。そろそろ泣いてもいいだろうか。
「レポートって言うと、先週悩んでた例の?」
「そ。珍しく提出したレポートが添削されて返ってきて……でもあたしのレポートは真っ赤っか。もう嫌になっちゃう」
堪らず頬杖をついて溜め息を零した。このところ溜め息ばかりでうんざりだ。
「あの教授の授業の単位を取得するのは難しいから、そんなに気落ちしなくていいよ」
「でもエディーはちゃあんと単位を取ったんでしょう?」
「運がよかっただけだよ」
「運だけで単位が取れる授業じゃないって、あたしにだってわかるわよ」
拗ねたあたしにエディーが肩をすくめた。
聞き分けのない子供だな、やれやれとでも言いたいのか。
「ああ、もうやめやめ。大人しく教授の添削に従うわ」
くよくよし続けたところでレポートの評価が好転することはない。気を取り直して次に挑もう。
あたしの愚痴が一通り終わったところで食事が運ばれてきたのでナイフとフォークを手にする。
転生する前のあたしはマナーのマの字も知らないような小娘だったけれど、ご令嬢の体は覚えているようで、驚くほどに体が自然に動いた。ぎこちなさを感じることもなく、所作の心配はなく助かっている。
「今日のご飯も美味しそう」
今日のランチのメインはローズマリー風のチキンローストだ。豊かな薫りが空腹を刺激する。
前菜は色彩に富んだゼリー寄せ。セロリとニンジンのさっぱりとしたスープもある。
格式張ったレストランであればコースの順番できちんと給支されるのであろうが、それができるのは家から使用人を連れてくることができるお家柄の方達のみだ。
あたしのような田舎貴族やエディーのような平民の出の者は学園で総括して雇っている人間が世話を焼いてくれる。ただ人数に限りがあるので、食事のメニューは一度に提供される。
チキンを一口味わうと、絶妙な柔らかさとハーブの薫りが口いっぱいに広がる。
やはり国立の学園ということで一流の料理人を雇っているのだろうか。
あたしの家は凄腕の料理人を雇えるほど家計に余裕があったわけではないので、こんなに美味しいご飯を味わえることは幸せだ。
家で雇っている料理人の腕が悪いとは言っていない。あれはあれで暖かい料理を作ってくれる。あたしも気に入っている。
だけど学園の料理がその喜びを遥かに上回るのだ!頬っぺたが落ちるとはこのことだろう。やんごとなき方々は、ああ、皆様こんな美味な食事を毎食召し上がっていらっしゃるのだろうか。
「相変わらず美味しそうに食べるよね」
「食い意地が張ってるって言いたいの?」
「そうは言ってないよ。見ていて気持ちのいい食べようだなと思っただけさ」
それって結局同じことじゃないのか。
だが、この美味しいスープを前に、余計な反論は野暮だと思い、静かに飲み込んだ。
目の前のエディーは一応男の子だから、いつもあたしのご飯の量よりは多めを食べる。今日も変わらないようだ。
エディーもまた、まるで貴族のようにナイフとフォークを使って食事をする。彼が庶民だと知らなければ貴族とでも間違えかねないだろう。
「エディーって庶民なんだよね?」
「うん。生まれも育ちも。コレットも知ってるでしょ?」
「そうだけど……キレイに食べるなぁって思って」
あたしの感想を聞いたエディーは「ああ」と呟いた。
「昔、ある方に教えられたから」
そう言ったエディーは悲しそうに、切なそうに笑った。その表情には、複雑な影が宿っているように見えた。
ある方というのはエディーの後見人だという商家の人だろうか。それにしては表情に違和感があると、あたしは感じた。
(誰にでも、踏み込まれたくない過去があるだろう。)
彼の複雑な表情に、あたしはそれ以上聞くのをやめた。
「僕はこれからレポートのための資料を集めに図書室へ向かうけれど、コレットはどうする?」
ちょっぴり悪戯っぽい顔をしたエディーに向け、手を合わせて拝んだ。
「手伝ってください! お願いしますエディー様!」
「いい加減自分一人でレポートを仕上げられるようになった方がいいと思うよ」
その返事は了承ということらしい。流石特待生様、懐が深い!
一人で我武者羅に頑張ったところで今回と同じ失敗に終わるに違いない。
そもそもこの学園のレポートの難しさが問題だと思う。これは負け惜しみじゃなく、留年生が続出すると思うんだ。
食後のお茶もそこそこにあたし達は席を立ち上がった。
食べ終わった食器類の片付けは食事の提供と同じく、学園の人間が行ってくれる。
食堂から図書館は渡り廊下でつながった別館に位置する。静かで、勉強に集中するにはうってつけだ。
喧騒を避けてか、火を避けてか、理由は様々だろうがそういう位置関係だ。
「今度の課題の内容はどういうものなの?」
「えーと、自分で考案した税と内容、あと税率について」
(ああ、また想像力が試される課題か……)
想像力が試される課題は苦手だ。一問一答方式であるなら得意かと問われるとそうではないが、まだ答えを調べることができるという点で気が重くない。
「授業で代表例を取り上げてて、解説を聞くとその時はへーって思うんだけど、いざ自分で考えるってなるとどうしても」
いや、理由は想像力のなさだけではない。
「領地経営は父に任せっきりで何もわからないから、あたし」
「馴染みない話は難しくて当たり前だよ。奇抜なものだと窓税なんてものもあるんだけど、知ってた?」
「窓税?知らないわ。授業でも出なかった」
「昔ある国のある領地で採用されていて。名前の通り家屋に一定数以上の窓を作ると税を取られていたんだ」
「窓を作っただけで?窓があるだけでお金を取られるなんてあたしなら思いたくないわ。反対されなかったの?」
「窓を潰して税金を免れた人もいるとは聞いているけれど。逆に窓をたくさん作って富裕の証明をした人もいるらしいよ。税を取られても贅沢な暮らしができるほど余裕があります、ってね」
エディーの博識具合に感心した。
「でも、それってなんだか……」
上手く言い表せられなくて言葉に詰まった。
「なんだか最初から恵まれない人をもっと苦しくさせるような……こうやって正義感ぶってるからあたしの家は貧乏なんだろうけどね」
うちの領土が決して恵まれているわけではないというのも一因だろうが、この甘い考えを父も持っているのだろう。
「そうかな。僕は大事なことだと思うけど」
「そう思ってくれる?」
図書館への道すがら不意に背筋が伸びるような感覚に襲われた。
向こうから歩いてくるのは、隣国の王弟ヘンドリック殿下だ。
先ほどの討論でのルイーズ様とのやり取りで初めてその存在をはっきりと認識したが、近くで見ると、やはり、その威厳は並外れている。
「ルイーズ王女殿下とご婚約されていらっしゃるから、殿下はこの学園を留学先に選んだって話よね」
エディーは、あたしの隣でまるで気にせず、いつもの調子でそう言った。
「僕はそう聞いてるよ」
「学園を卒業されたら王女殿下と一緒に自国へお帰りになるのかな」
「よくある話だと姫君が輿入れするものだけど、どうだろうね。かの国では人望が厚い方とお聞きしているから、覇権争いを危惧してこちらの国でお暮しになるのかもしれない」
ヘンドリック殿下の背中が遠ざかっていく。威風堂々とした佇まいだ。自身に満ち溢れる人というのはあの人のようなことを指すのだろう。
「(それに比べてあたしは……)」
ゲームの主人公の『コレット』と違って、いつも背を丸めて華がない。知恵もなく品格もない。
こんな、理想とかけ離れた自分に、あたしはまた深く落ち込んだ。
こんな自己嫌悪に塗れて生きたくなんてなかった。