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42 女王の呪い、あるいは希望の始まり

 エディーが整えた部屋は、先ほどのパーティー会場の喧騒とは打って変わり、しんと静まり返っていた。だが、その静けさとは裏腹に、濃密な緊張の糸が張り詰めている。


 部屋の中央にはゆったりとしたソファがいくつか置かれ、ルイーズ様は一番奥のソファに、まるで玉座に座るかのように深く腰掛けていた。その隣には、先ほどまで会場で彼女を守っていたエディーが、まるで影のように寄り添い、静かに立っている。


 向かいのソファにはヘンドリック様とあたしが並んで座り、その横にはマクシム様が腕組みをして立っていた。ジルベール様はヘンドリック様の背後を守るように控え、ミシュリーヌ様は不安げに小さな椅子に身を縮めている。

 そして、アレクシス様だけが周囲の緊張とは無縁とばかりに、気楽な様子で肘掛けに腰かけていた。



 あたしの胸は、期待と不安で高鳴っていた。

 ルイーズ様が「説明の場を与える」と言ってくれた。だが、その言葉とは裏腹に、彼女の凍りつくような冷たさの奥に、一体何を隠しているのか読めない。


 この世界の、そしてあたし自身の真実が、本当に今、明かされるのだろうか。


 ルイーズ様はまるで何もなかったかのように、その深紅の瞳を静かに巡らせてから、ゆっくりと口を開き始めた。


「さて、コレット嬢。あなたには、いくつかの疑問があるのでしょう。この世界があなたにとって……」


 その言葉は冷たい氷の雫のように、張り詰めた空気に吸い込まれていく。


 しかし、その静寂は唐突に破られた。

 その静寂を打ち破ったのは、これまでも怒りを抑えきれずにいたヘンドリック様だった。彼は怒りに顔を歪ませ、ルイーズ様の言葉を遮るように、再び声を荒げた。


「待て、ルイーズ! コレットに何を吹き込むつもりだ!? 貴様のような魔女と通じる者が、コレットに近づくなど許さぬと言ったはずだ!」


 ヘンドリック様の言葉は、あまりにも唐突で、そして無礼だった。


 あたしは自分の中に湧き上がる苛立ちを感じていた。

 ようやく真実の糸を掴みかけていようとしているのに。せっかくルイーズ様が話そうとしてくれているのに、なぜ邪魔をするのだろう。


 あたしは思わず立ち上がり、ヘンドリック様を正面から見据えた。


「もういい加減にしてください、ヘンドリック様!」


 あたしの声は、自分でも驚くほど強く響いた。


「今はルイーズ様が話をされているんです! 邪魔をするなら、部屋から出ていってください!」


 あたしの剣幕に、ヘンドリック様はたじろいだ。彼の顔には驚きと、あたしに反論されたことへの屈辱が混じり合っていた。

 ぐっと言葉に詰まり、唇を噛みしめるようにして、彼は押し黙った。


 その一触即発の空気を、まるでその場に漂う緊張など感じていないかのように、アレクシス様がにこやかな笑顔で仲介しようとした。


「おっと、おっと。喧嘩はいけないよ、ヘンドリック殿、コレット嬢。仲良くしようじゃあないか」


 ルイーズ様はそんなアレクシス様の言葉を意に介することなく、ちらりとエディーへ視線を向けた。

 それは長年の主従関係で培われた、寸分の狂いもない意思疎通だった。


 エディーはルイーズ様の意図を瞬時に理解すると、変わらぬ穏やかさの内に、有無を言わせぬ厳しさを秘めた口調でアレクシス様へと言葉を向けた。


「アレクシス様。先ほどのパーティー会場では、まだ混乱されている方もいらっしゃいます。どうぞ、その方たちを落ち着かせて差し上げてください」


 これはアレクシス様を部屋から『退場させる』という、巧妙かつ確実な指示だった。彼は「おお、それは大変だ!」とあっさり納得し、笑顔のまま部屋を去っていった。


 アレクシス様が部屋を去った後、ルイーズ様は視線をあたしへと戻し、静かに問いかけてきた。


「必要であれば、他の者も同じようにエディーに追い出させるわよ?」


 あたしは、迷わず答えた。


「いいえ、ルイーズ様。その時は、あたしが自分で追い出します」


 あたしの言葉にヘンドリック様はさらに顔を歪め、マクシム様は不満げに鼻を鳴らした。そして、その場にいた誰もが、あたしの意外な強さに少なからず動揺したのが見て取れた。


 その時、これまで静かに事態を見守っていたミシュリーヌ様が、固く結ばれていた唇をゆっくりと開いた。

 その顔には長年の葛藤と、それでも真実を求める強い覚悟が滲んでいた。



「……無理やりにでも、私たちを追い出さないのは、この場にいる全員が『生まれ戻った者』だからなのですね?」



 ミシュリーヌ様の言葉が、静かな部屋に、まるで不可視の衝撃波が走ったかのように響き渡った。


 その瞬間、張り詰めていた緊張の糸が、音を立てて断ち切られたように感じた。

 部屋にいる全員の視線が、お互いを捉える。

 ヘンドリック様は目を見開き、マクシム様は普段の余裕を失い、ジルベール様は微かに身構えた。

 そして、あたしもまた、目の前の人物たちが全員、『生まれ戻った者』であるという衝撃的な事実に直面していた。


 全員の顔に、驚愕と、深い動揺が広がった。

「ぜ、全員……?」

 あたしは思わず、そう口に出していた。


 ルイーズ様はあたしの混乱した反応を、感情の欠片も読み取れない無表情のまま見つめ、淡々と返した。


「大方、『生まれ戻り』の話自体は、そこの男からは聞いていたのでしょう。とはいえ、この場の全員『のみ』というわけでもないけれど」

「ま、まだいるのですか?」

「あなたも魔女に会ったのでしょう? あれも、そのうちの一人よ」


 ルイーズ様の言葉と共に、あたしの脳裏には、森の中で不気味に笑うあの老婆の顔が鮮明に浮かんだ。


「魔女がなぜ『魔女』と呼ばれているか、その理由は知っている?」


 ルイーズ様の問いかけに、あたしはジルベール様から聞いた話を思い出し、ゆっくりと答えた。


「……はい。ジルベール様に説明いただきました。魔導師も魔女も、どちらも持っている力は同じなのに、女性は政に関わる魔導師になれないから


だから『魔女』なのだと」


 それは明確な差別だ。あたしは唇を嚙みしめた。

 この世界に存在する不条理の一つ、その根深さに改めて胸が締め付けられる。


「生まれだけで運命が、すべてが決まっていることは受け入れられること?」

「……いいえ、そうは決して思いません」


 あたしは迷いなく答えた。迷う理由はどこにもなかった。


「貴族の血筋に頼り切った無能な王族。責任を負わず特権だけを享受する貴族。生まれだけで全てが決まり、努力や才覚が正当に評価されない構造。この歪んだ制度が、どれほどの者の心を壊し、人生を奪うか、想像はできる?」


 ルイーズ様の問いかけはひどく重苦しく、あたしの胸に突き刺さった。


「その甘い汁を吸い、贅沢を享受してきた王族であるにも関わらず、民を苦しめたお前自身が何を言うか」


 ヘンドリック様が憤然と口を開いた。

 彼の瞳には、ルイーズへの根強い不信と怒りが燃えている。隣に座るあたしにまで、その熱が伝わってくるかのようだ。


「いいえ、それは、少し事情がちがいます」


 マクシム様が静かに、しかし明確にヘンドリック様の言葉を否定した。

 その声にはどこか割り切れぬ感情が滲んでいる。


 どういうことか、とヘンドリック様は問いかけた。


「ルイーズ様は、幼き頃は、存在しない王族として扱われておりました。隣国にいらしたヘンドリック殿下には、我が国の詳細な事情は伝わっておられなかったのでしょう。ルイーズ様は、その……」


 マクシス様は言い淀み、その先をどうしても口にできないようだった。言葉の裏に隠された、深い闇を感じる。

 場に重い沈黙が落ちた。


「コレット嬢、私は、妾の子なのよ。身分も何もない、ただの王宮の下働きの女の腹から生まれた」

「……ひどい有様だったと、伺っております。国王陛下にはたくさんの愛人がいらっしゃいましたから、幼い頃のルイーズ様は顧みられなかった、と」


 ミシュリーヌ嬢が言葉をつないだ。彼女の瞳には、ルイーズ様への憐憫が宿っている。


「私は鼠だったのよ。暖かい寝床はなく、雨水を啜って生きた日もあった。権威にすがるしかない母は、自分の元に通わぬ父を呼び続け、ついぞ私を視界に入れることなく死んでいったわ。ひび割れた床板の隙間から吹き込む冷たい風が、幼い私の体を常に震わせた。腐った残飯の匂い、夜中に聞こえる鼠の引っ掻く音、そして、王宮の中央から聞こえてくる、私とは無縁の貴族たちの高笑い……それが、私の幼い世界の全てだったわ。陽の光など、一度として届かない場所で、私はひたすら暗闇の中を這いずり回っていた」


 ルイーズ様の口調は淡々としているのに、その言葉の端々から、筆舌に尽くしがたい苦難が滲み出ていた。まるで氷の刃で心の奥底をえぐられるような感覚。


 あたしはつい、口を手で覆ってしまった。

 恵まれなかった日々のほんの一部しか語っていないのだろう。彼女の言葉が、あたしの心を重く締め付ける。


  部屋は重い静寂に包まれていた。窓の外は漆黒の闇が広がり、かろうじて燭台の炎が揺れる。

 ルイーズ様の語る過去の暗闇は、そのわずかな光すらも呑み込み、部屋の空気が凍てついたように冷たく感じられた。


「エディーは、私がスラム街で拾ったの。およそ、私が味わったものと同じような環境の中に彼はいたわ」


 そう言われたエディーは、ルイーズ様の隣で悲し気に、しかし確かな愛情を込めて微笑んだ。その微笑みは、ルイーズ様の言葉が真実であることを雄弁に物語っていた。

 二人の間に流れる、深い絆が感じられる。


「王族や貴族として生まれた者はその責務を果たし、スラムに生まれたものはスラムでその一生を終え、その運命を享受するもの、だったかな」


 エディーからの問いかけに、あたしは、いや誰も、何も言えなかった。


 その言葉はまるで重い鎖のように、この場にいる全員の心を縛り付けた。

 ヘンドリック様は呆然とし、マクシム様は俯き、ジルベール様は沈痛な面持ちでルイーズ様を見つめている。


「だから『呪った』のよ。この腐りきった世界を変えるには、それしか道は残されていなかった。私の中にあったのは、ただ、この理不尽への底知れぬ怒りと、すべてを根底から覆すという決意だけだったから。私の行動は、多くの者たちには理解されず、あるいは憎まれたでしょう。しかし、その先にしか、真の平等と解放はないと信じて疑わなかった」


 ルイーズ様の口調はただ淡々としていて、まるで何の感情も伴っていないように聞こえた。

 だが、その瞳の奥には過去の絶望と、決して揺るがない決意の炎が揺らめいているように見えた。


 彼女の不遇を打開するには、それしか、本当にそれしか残されていなかったのだろう。彼女の行動は狂気ではなく、絶望の果ての必然と、真の施政者としての信念だったのだと、あたしは理解した。

 その深い憎悪と痛みに、あたしは言葉を失った


「さて、コレット嬢。あなたの考えをもう一度聞かせて頂戴。国に、王は必要だと思う?」


 ルイーズ様は再び、あたしに問いかけた。

 その目は、あたしが何を答えるかを冷静に見極めようとしている。


 真正面からルイーズ様を見つめ、あたしははっきりと答えた。


「王は、いても、いなくても、成り立つものだと、あたしは思います。その身分に甘える方がいるから、ルイーズ様のように王を憎み、恨む人もいらっしゃるかもしれません。ですが、エディーにとってのルイーズ様のように、そこに救いを見る人もいるのではないでしょうか」


 あたしの言葉は、この世界では異端な考え方だろう。

 しかし、ルイーズ様はあたしの言葉に満足そうに微かな笑みを浮かべた。その表情は、まるで固く閉ざされた氷の塊に、一瞬の陽光が差したかのようだった。


「あなたの考えは本当に面白い。私にも、この場の誰もが仮定でその話を語れても、あなたのように純粋に、それが至極当然と思えはしないでしょう。あなたのような方がいれば、私の復讐もまた、別の形で果たされるでしょう」


 ルイーズ様の言葉に、あたしの胸が熱く高鳴る。

 彼女はあたしに、この世界の変革の可能性を託そうとしているのだ。その重みに、あたしの心は震えた。



「コレットには、少し嫉妬してしまうね。女王様がこんなに穏やかに笑われたのを、僕は随分と久しぶりに見た」


 エディーが、そんなルイーズ様を愛おしむように見つめながら、苦笑い混じりに言った。彼の声には長年の忠誠と、深い喜びが滲んでいる。


「エディー。私はもはや王ではないのだから、その名で呼ぶのは止めなさい。『女王』はあの日、断頭台で死んだのよ」


 ルイーズ様はエディーを咎めつつ、どこか晴れやかな、そして過去から解放されたような表情に見えた。その瞳には、もはや憎しみだけではない、新たな光が宿っているようだった。

 彼女が本当に求めていたのは、ただの復讐ではなく、苦しみの連鎖を断ち切る未来だったのだろう。



「もう一つ聞かせてほしいわ。ヘンドリックのことはどう思っているの?」


 ルイーズ様は唐突に、しかし揺るぎない声で問いかけた。

 その言葉は、あたしの心を直接掴んだかのようだった。


 この部屋の人間が皆息を呑む。あたしはいつぞやもその質問を聞いたけれど、公然の場で問うにはあまりにも禁忌の質問だった。

 場の空気が、再び張り詰める。


 あたしはヘンドリック様をちらりと見た。

 彼の顔はルイーズ様の言葉への衝撃と、あたしへの期待と不安がないまぜになっている。まるで、あたしの返答一つで、彼の運命が決まるかのような眼差しだ。


 あたしは迷いなく、はっきりと答えた。


「はい。心より、お慕い申し上げています」

「コレット……!」


 ヘンドリック様が、感激と安堵の混じった声色で、あたしの名前を呼んだ。

 彼の瞳はあたしを真っ直ぐに捉え、感謝と喜びで輝いている。その輝きが、あたしの心を温かく包み込んだ。


「見ての通り、その男は感情的であるし、私が憎む、身分への考えが染みついている。気弱で御しやすいあなたのことを、思い通りにしたがるかもしれないわ。それでもいいの?」

「それでも、あたしはヘンドリック様の寄り添ってくださる優しさを、信じたいと思います。あたしを気弱と仰るなら、それは、あたしが自らの足で立てるよう、変わっていかなければならないということです」


 あたしは、自分自身の言葉に力が宿るのを感じた。

 ヘンドリック様への想いは、あたしを弱くするものではなく、むしろ強くしてくれるものだ。彼と共に、この世界で生きていくための原動力となる。


 ルイーズ様はまたも満足そうだった。あたしの答えが、彼女の期待に沿ったものだったのだろう。


「お待ちください」


 これまで静かに聞いていたミシュリーヌ様が、意を決したように口を開いた。


「いくらルイーズ様が良しとしようと、お二人の関係がこの国の外交に関わることに変わりはないのです。国王陛下が決められた婚約を横から掠め取るとは、陛下がなんと仰るか……最悪、処罰も……」


 ミシュリーヌ様の言葉は、この世界の厳然たる現実を突きつけた。場に、再び重苦しい空気が流れる。 彼女の顔には、真実を知った上での責任感が宿っている。

 しかし、ルイーズ様はそんなミシュリーヌ様の不安をまるで意に介さない。彼女の顔には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。



「構うことはないわ。その時は、『また呪われますよ』、とでも言ってやればいいのよ」



 楽し気に、挑発的に、歌うようにルイーズ様は言った。

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