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41 女王の覚醒

 夜会を打ち破ったヘンドリック様の憎しみに満ちた叫びが、煌びやかな会場に、まるで氷の刃のように突き刺さっていた。

 彼の瞳は狂気にも似た光を宿し、顔は紅潮し、その全身からは尋常ではない怒気が放たれている。


「貴様は再びこの世界を破滅させるつもりか! 私の、我々の努力を、すべて無に帰すつもりか! お前がどれほどの絶望と、血塗られた未来をこの国にもたらしたか、忘れたとでも言うのか! 断じて許さない。お前の勝手な振る舞いで、もう誰一人、犠牲にはさせない。この世界は、お前の玩具ではないのだと、今ここで思い知らせてやる!」


 ヘンドリック様がこれほどまでに強い言葉を浴びせているというのに、ルイーズ様はただ、飛んでいる羽虫を見るような冷淡な視線でヘンドリック様を見るだけだった。その完璧な無表情は、どんな罵倒も意に介さないと告げているかのようだ。

 意に介さない様子の彼女に、ヘンドリック様は血が滲むのではないかと思うほど、強く拳を握りしめた。


 会場は凍りつくような沈黙に支配されていたままだった。

 彼の秘密を知らない者には、何を語られているか要領を得ないだろう。誰もが事の成り行きを見守る中、その重苦しい沈黙を破ったのは、意外な人物だった。


「恐れながら……」


 ヘンドリック様の激昂に割って入ったのは、マクシム様だった。

 その声は普段の自信に満ちた様子からは想定できないほど、か細いものだった。


 彼の顔には、この状況を収めようとする焦りと、何かを見極めようとする緊張が入り混じっていた。


「ルイーズ殿下が、魔女の住む森に入るところを目撃されたというのは、本当のことなのでしょうか?」

「ああ、そうだ。信頼のおける、私の側近がその目で見たのだ。わざわざ顔を隠し、こそこそと森に入っていくその女をだ」


 ヘンドリック様の返事に、マクシム様は大きく目を見開いた。

 あたしは、彼の動揺がどこから来るのか、わからなかった。


「ジルベール……」

 マクシム様は、すぐ近くに立つジルベール様へと視線を向けた。


「あの森は確かに魔女が住んでいるのだな?  噂話ではなく、確かな情報として」


 ジルベール様はルイーズ様を一瞥し、そしてマクシム様へと視線を戻した。

 その表情は硬く、言葉を選ぶように慎重だった。


「……ええ、僕の占いでは、そのように出ています」


 ジルベール様の言葉に、マクシム様は深い溜息をついた。その溜息は諦めと、確信が入り混じったもののように聞こえた。

 彼の視線は再びルイーズ様へと向けられた。顔色は悪いままながら、彼は真正面からルイーズ様を睨みつけた。


「貴女は、結局『そう』なのか。自分の思い通りにならないと気が済まず、民の嘆きも聞こえない。正当な理由もなく、父の首を斬った時から何も変わらない」


 マクシム様の言葉が会場に響き渡った瞬間、あたしは息を呑んだ。

 「父の首を斬った」? それが何を意味するのか、あたしには理解できなかった。

 しかし、その言葉が、ヘンドリック様がルイーズ様に対して抱く深い憎しみに繋がっていることだけは理解できた。




「お前のような人間など、生まれてこなければよかったのだ」




 その呪いの言葉が吐かれた瞬間、一人の青年がすっと混乱の間に割って入った。



「口をお慎みください。我が女王への非礼、これ以上看過はできません」



 エディーは声を荒げることなく、しかしはっきりと、毅然とした声でヘンドリック様たちに向かって告げた。彼はまるで騎士のように、あたしたちの前に立ちはだかった。


(エディー? なぜ、あなたが……?)

 今まで接点がないと思っていたルイーズ様とエディー様の間に、こんなにも深い繋がりがあったなんて。あたしの知る「ゲーム」の物語とは全く違う。


 エディーの声が響いた瞬間、ルイーズ様の完璧な無表情が、一瞬だけ、本当にごく微かに揺らいだように見えた。

 それは周囲の混乱の中で、まるで彼女の仮面が剥がれ落ちたかのような、ごく個人的な感情の兆候だった。その深紅の瞳の奥に、あたしは言葉にはできない、しかし確実に「何か」が動いた気配を感じ取った。

 エディーの登場が、ルイーズ様にとって予想外の出来事であり、その介入に彼女の内側で複雑な感情が渦巻いていることを、あたしは漠然と察した。

 その表情はすぐに元の無へと戻ったが、あたしの目には、そのわずかな揺らぎが焼き付いて離れなかった。



 そして、そのエディーの介入が、ヘンドリック様の怒りをさらに煽った。

 彼はまるで目の前の光景が信じられないとでも言うように、血走った目でエディーを睨みつけた。ヘンドリック様の顔は激しく歪み、その口から隠しきれないほどの侮蔑が吐き出された。


「腐った忠誠を捧げるか! 犬め!」


 ルイーズ様の完璧な均衡を、一瞬で、打ち破った。

 これまでの無表情が、まるで氷の仮面が灼熱の炎に触れたかのように、燃えるような怒りに染まる。


 あたしの目には、突然目の前で紅蓮の炎が燃え上がったような幻覚が見えた。


 自分自身への苛烈な非難には微動だにしなかった彼女が、初めて、人間らしい感情のほとばしりを露わにした瞬間だった。



 その次の瞬間だった。

「きゃあああ!!」

 あたしたちのすぐ近くにいた貴族が持っていたグラスが、何の予兆もなく甲高い音を立ててパリン、と砕け散った。ガラスの破片が床に飛び散り、場は一気に悲鳴と、さらなる混乱に包まれた。


 あのグラスが砕け散ったことで、 その力の片鱗に怯えすくんだミシュリーヌ様が、まるで憑かれたように、震える足取りでルイーズ様の前に進み出た。

 彼女はがくがくと全身を震わせ、今にも倒れそうになりながらも、必死にその場に踏みとどまる。胸の前で固く手を組み、祈るように顔を伏せた。


「どうか、どうかお許しください、陛下……私のこれまでの非礼と、マクシムの無礼を、この命をもって償わせていただきます。で、ですから、どうか、彼だけは……!」


 彼女の震える声は、マクシム様を守るという一途な思いと、あの不可解な現象、目の前で起こった出来事への、混じり気のない恐怖から来ているのが見て取れた。


(でも、『陛下』、って……)


 ルイーズ様はガタガタと震えるミシュリーヌ様を、まるで興味を失ったかのように一瞥した。

 そして、その視線をゆっくりと、会場全体へと巡らせる。


 先ほどまで燃え上がっていた怒りの炎は跡形もなく消え失せ、瞳の奥には再び完璧なまでの冷徹さが宿っていた。あたしには、先ほどグラスを砕いた不可視の力が、まるで潮が引くように収束していくのが、皮膚で感じ取れるようだった。

 場を支配していた異様な緊張感も、ルイーズ様の静けさに引きずられるように、ほんのわずかだが和らいだ気がした。


 ルイーズ様はミシュリーヌ様を見下ろしながら、冷徹な声で言い放った。


「私を『陛下』と呼ぶとは、ミシュリーヌ嬢、最近随分と気が滅入ってそうだったものね。相当精神が参っているようだわ。もっとも、乱心しているのはあなただけではないようだけれども……」


 そしてその言葉の後に、ヘンドリック様、マクシム様、ジルベール様を一人ひとり、じっくりと見つめた。


 その深紅の視線は、まるで彼らの魂の奥底、前世の記憶まで見透かすかのようだった。

 その強い眼差しを受けた瞬間、ヘンドリック様は顔をさらに歪ませ、マクシム様とジルベール様もまた、ぞっと背筋に冷たい汗を流しているのが見て取れた。

 彼らが、ルイーズ様の視線に何か決定的なものを見抜かれたかのように動揺しているのが、あたしにもひしひしと伝わってきた。



 ルイーズ様は混乱する会場と動揺するヘンドリック様たちを無視し、まるで状況の全てが自分の管理下にあるかのように、学園長を探し、静かに、しかし明確な声で進言した。


「学園長。このような混乱が起きているならば、パーティーは後日仕切り直すべきではないかしら。せっかく皆が心待ちにしていたパーティーが台無しでないの」

「いや、しかし……」


 学園長はルイーズ様の提案に戸惑い、言い淀んだ。

 その時、ルイーズ様の深紅の瞳が僅かに、しかし有無を言わせない力で学園長を捉えた。まるでその視線だけで、彼の言葉を飲み込ませたかのようだった。


 学園長は顔を青ざめさせ、ルイーズ様の圧倒的な圧力に完全に気圧されていた。

 彼は震える手で眼鏡を押し上げると、逆らえるはずもなく、大きく頷いた。


 そして、まるで当然のことのように、学園長は会場全体に向かって、パーティーの中止と後日の仕切り直しを告げた。

 騒然としていた貴族たちは学園長の言葉に戸惑いつつも、静かに指示に従い始めた。


 ルイーズ様はその様子を満足げに見届けると、今度は隣に立つエディーへと視線を向けた。


「エディー、私の僕。部屋を整えなさい」


 この言葉を受けたエディーは顔を輝かせ、ルイーズ様から奉仕を命じられたことに心から喜んでいるようだった。誇らしげな笑みを浮かべ、一礼して準備のために先に会場を去った。彼の足取りは、まるで新たな任務に赴く騎士のようだった。


「それから」

 ルイーズ様は、次にあたしの方へ視線を向けた。

 その瞳には、一瞬、底知れない興味のようなものが宿ったように感じられた。

 そして、まるで当たり前のように言った。


「これまで愉しませてくれた礼に、お気に入りのあなたには説明の場を与えましょう。ついてらっしゃい」


 ルイーズ様が放ったその言葉に、あたしは思わず息を呑んだ。お気に入り?


(え? 私って、ルイーズ様のお気に入りだったの?)


 その言葉は、あたしが知る「ゲーム」の筋書きにも、これまでのルイーズ様の不可思議な態度にも、あまりにもかけ離れていて、混乱で頭が真っ白になった。

 何かの罠なのか、それともこの状況全体が、あたしには理解できない大きな企みの一部なのだろうか。


 当然、ヘンドリック様は激しく抵抗した。彼はルイーズ様との間に割って入った。


「させるものか! 貴様と二人きりにさせるなど……!」


 彼の叫びは、あたしを守ろうとする焦りから来ていた。その声には、先ほどまでの激しい憎悪とは異なる、純粋な警戒と、あたしへの気遣いが混じっていた。


 ルイーズ様はその抵抗に対し、一切の言葉を発することなく、ヘンドリック様に冷たい拒絶と軽蔑を含んだ視線を返した。その視線だけでヘンドリック様の体が硬直し、それ以上動くことができない。

 まるで、彼の存在そのものを凍てつかせようとするかのような、圧倒的な圧力を感じた。


 しかし、その凍り付くような空気の中、場違いなほど明るい声が響いた。空気の読めないアレクシス様が、にこやかに割って入ったのだ。


「事情はよくわからないが、皆で移動すれば良いのではないか? 混乱している会場に長居するよりは、その方が建設的だろう。」


 ルイーズ様はアレクシス様の思わぬ提案に、微かに(本当に微かに)目を細めた。

 反論しないまま、アレクシス様に促される形で、あたしたち全員は、連れ立って会場を去った。

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