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39 識る者たちの接触

 数日間を置いて、私が学園を後にしたのは夕刻だった。昼下がりが終わり、少しずつ夕方に差し掛かる頃だった。

 空はまだ青さを残しつつも、太陽の光はわずかに傾き始め、建物の影がゆるやかに伸びていた。


 学園の門をくぐり、人気のない道をひたすら進む。

 人通りが途絶え、街の喧騒が遠のくにつれて、空気が次第にひんやりとしてくるのを感じた。


 向かう先は、街外れに鬱蒼と広がる『嘆きの森』。陰鬱な樹木が天を覆い、昼間でも薄暗いその場所は、地元の人々から恐れられ、決して近づくことのない禁忌の地として知られている。

 だが、私にとっては、前世で何度か訪れたことのある、あの魔女の住処だ。

 森の入り口に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌を刺し、微かな腐葉土の匂いが鼻腔をくすぐった。


 慣れた道を歩み、入り組んだ木々の間を縫うように進む。傾き始めた日差しが、木々の隙間からわずかに差し込み、森の奥へと続く道を細く照らしていた。道中、奇妙な形をした木々や、地面から突き出る不気味な根が、影絵のように視界を横切る。

 しかし、私の心は一点の迷いもなく、森の奥の小屋へは簡単にたどり着いた。

 苔むした壁と傾いた屋根。見るからに朽ちたそのぼろ小屋の扉を、私は躊躇なく叩いた。木が軋む音が静かな森に妙に響いた。


 数拍の後、重い音がして扉がゆっくりと開き、中から老婆が顔を出した。


「誰だい」


 くぐもった声が聞こえた。顔を隠していたフードを無言で取り外せば、魔女の目は大きく見開かれた。

 その瞳の奥に驚きと、どこか諦めのような光が宿るのが見えた。



「やはり、お前も『そう』なのね」



 私の言葉に、魔女ははくはくと口を動かした。


「とりあえず中に入れなさい」


 私は何の躊躇もなく、当たり前のようにそう要求した。

 魔女は相変わらず身勝手な、と言いたげにぶすくれた表情で、私を中に通した。


 小屋の中は薬草や得体の知れない香りが混じり合い、薄暗い空間に雑然と物が散らばっていた。


 玄関口ではなく、中心にある粗末な木製のテーブルと椅子に腰を下ろしたことで、私が腰を据えて話すつもりであることを察したのだろう。魔女はちょうど煮詰めていたらしい土の匂いのする液体を、欠けたカップに注いで私に差し出した。

 欠けたカップの中のお茶を口に含めば、独特の苦味が口の中いっぱいに広がった。舌の奥に絡みつくような、薬草特有のえぐみ。


「相変わらず美味しくないわね、ここのお茶は」

「薬草茶だよ。そりゃあ、王宮でお上品な紅茶ばかり飲んでいる王女様の口には合わないだろうさ」


 魔女は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 これ以上口にする気にもなれず、私はカップをテーブルの端にそっと避けた。


「さて、本題に入ろうじゃないか。わざわざこんなところにまで来るとは、用があってのことだろう? ああ、秘薬は渡せないよ。こちらに来てから作ってないし、レシピは燃やしたからね」

「そう。それは残念だわ。とはいえ、用件はそれとは別。呪いはどうなっているのか、それを確かめに来たのよ」


 私の言葉に、魔女は眉をひそめ、険しい目つきになった。彼女の顔に明確な警戒の色が浮かぶ。


「一体全体、ここ数ヶ月で私に呪いについてを尋ねるやつが多すぎないかい?」


 魔女の返答に、私の唇の端が微かに上がる。


「それはもしや、芋臭い令嬢のことを言っているのかしら?」

「なんでもお見通しってかい。ああ、やだやだ」


 魔女は嫌悪感を露わにするように、自身の腕をぞくりと擦った。


「呪いに必要な怒りも、憎しみも、まだこの身に燻っている。呪いの炎もまだ残り火があることを感じる。けれど、こちらに来てからというもの、私はまだ炎に薪を焚べてはいないの」


 テーブルの上に散らばっていた薬草を指でいじった。魔女は私の言葉をただじっと聞いている。

 どうなっている、と視線で魔女に促した。


 魔女は深くため息をついた。


「私も、ルイーズ、お前の呪いの炎が弱まっていることを感じる。だけど私にも見えないんだよ。お前の言う、あの芋臭い令嬢にも同じことを言ったさ」

「それだけかしら?」


 私の問いに、魔女はさらに眉間の皺を深くした。

 彼女が私に隠している情報があることを、私は知っていた。


「占いでは糸が見えた。雁字搦めになった糸で、その一本はあの令嬢にも繋がっていた。だけど、あの娘は呪いの対象ではなかった。違う何かが呪われていて、あの娘は巻き込まれたように見えた」


 魔女は過去に占った内容を思い出すよう、ぐるりと目を回した。その瞳は、深遠な謎を覗き込むように虚ろだった。


「娘はあの議員の、マクシムだったか。その男も呪われているようだとも言っていたよ。だが、ヒヒッ、あの男の方はお前の呪いの残り火によるものかねえ?」


 私は薄ら笑った。その笑みには、魔女の言葉が私にとって有利に働いていることへの満足と、どこか悪戯めいた皮肉が滲んでいた。


「さあ。それはわからないわ」


 私たちは不気味に笑いあった。


「呪いの矛先もわからないと言うの?」

「やれやれ。一回死んでおとなしくなったと思ったのに、人使いの粗さは変わらないね」

「できるの? できないの?」


 彼女はそうぶつぶつと文句を言いながらも、私の要求に応じる準備を始めた。その手の動きには、長年の経験が染みついている。


 魔女は古びた棚から、濁った水晶玉を持ってきた。それをテーブルの中央に置き、その周りに再び薬草を並べ始める。

 彼女の顔つきは真剣そのものだった。


「久々に本気を出すとしようか」


 魔女は水晶玉の上に手をかざし、目を閉じ、集中力を高めていく。額には脂汗がじわりと浮かび、顔色が蒼白になっていく。

 彼女の身体から異様な気配が放出され、小屋の空気が重くなった。水晶玉の内部がゆっくりと黒い靄で満たされていく。


「お前が、ルイーズが見える……小娘よりは強い気配だ。でも、お前も矛先にはいないね……物か? いや、もっと大きな、何か……」


 魔女の言葉が途切れた。彼女の集中力はそこで切れた。

 水晶玉に注がれていた視線がふと逸れ、焦点の定まらない瞳が虚空をさまよう。


 ふるふると首を振り、大きく息を吐き出す。その表情には極度の疲労と、何を見ても理解できないというような、深い困惑が混じっていた。


「大した進展はないね。もっと深いところまで見えると思ったが。私も衰えたか」


 魔女はそう言って、がっかりしたように肩を落とした。

 だが、私にとっては十分だった。


(呪いの原料は深い憎悪と、絶対的な執着心)


 私が前世で抱いた、あの憎悪と執着。それが、この世界に呪いとして形を成した。

 そして、その呪いが「物」か、あるいは「もっと大きな何か」を対象としているという魔女の言葉。

 コレットやマクシムが巻き込まれていることも含め、私の頭の中で点と点が繋がり始めた。


 呪いの根幹を思い出し、思考を巡らせた。


「いいえ、もう十分。答えは得た」


 魔女は私の言葉に困惑しているが、懇切丁寧に説明したところで、彼女にとってこの答えは何の意味も持たない。


 そうとなれば、もうここには用事はない。私は立ち上がり、朽ちた小屋の扉へと向かった。

 森の奥から、柔らかな風が吹き込んできた。森の木々の間からは、わずかに夕焼けの色が差し込み始めていた。

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