36 その瞳が追うもの
学園での日々は、期待していたよりも面白くはなかった。
学園の授業はペーパーテストではなく討論が主だと聞いていたが、その実、議題は退屈で、貴族の子弟たちが自家の教えや常識の範囲内で意見を述べるに過ぎない。
才気あふれる市井の学生たちも、初めは意欲的だったが、やがて既存の権力構造をなぞるような発言に終始していった。
(腐った貴族社会は、学園という形に変えても変わらない。くだらない)
そんなある日、貧困者対策を議題とした討論の授業が始まった。
進行役の教授が、一人の男爵令嬢を指名した。
「本日の議題は、国からどのようにして貧困者をなくすか、です。ではコレットさん、今日はあなたからどうぞ」
コレットという男爵令嬢は、戸惑った様子で立ち上がり、どもりながら意見を述べ始めた。
「えっと、国から補助金を出してみてはどうでしょうか? 安定した生活を送れるようになるまで、国が支援を続けるのです」
拙いながらも、その言葉には、どこか独創的な響きがあった。
前世で私が知っていた社会の常識とは異なる、奇妙な提案だ。
彼女は生まれ戻った者ではないと私は見抜いている。ならば、この発想はどこから来るのか。
私の興味を惹きつけ始めた。
彼女の独創的な発想をきっかけに、教室内では議論が始まった。この学園の、議会のような授業の「売り」の瞬間だ。
退屈だった授業に、ようやく微かな動きが見え始めた。
目もくれなかった田舎の男爵令嬢風情が、ステレオタイプの常識に新しい風を吹き込む。
これまで私の前に現れた者で、それをした者は誰一人いなかった。
そして私は沈黙を破り、口を開いた。
「非現実的ね」
教室中の視線が一斉に私に集まる。
その中には、驚愕と畏怖が入り混じった、生まれ戻った者たちの視線もあった。
コレット嬢は私の威圧感に怯えているようだった。彼女の理論の穴を突けば、彼女は答えに窮した。
彼女の主張は、まだまだ机上の空論で止まるお話にすぎなかった。この世界で、弱者から力ずくで財を奪う輩がいないはずがない。
コレット嬢の発想は、根本的な社会の闇を見過ごしているのだ。
(だけど、ええ、彼女は面白い)
彼女の甘さの中にこそ、前世では誰一人として持ち得なかった、世界を根底から変えうる歪んだ可能性を私は感じていた。
私はコレット嬢に、静かに目を向けた。
彼女の存在が、この退屈な学園生活に、そして私の歪んだ未来に、どのような変革をもたらすのか。楽しみでならなかった。
退屈だった学園の授業に、私は以前より集中するようになっていた。
議題そのものに興味があったわけではない。私の視線は常に、コレットという男爵令嬢に向けられていた。
彼女の言葉は相変わらず拙く、時には支離滅裂に聞こえることもあった。しかしその発想の根底には、この世界の常識では説明のつかない、奇妙な着眼点が見え隠れしていた。
そして、私はコレット嬢の視線の先に気づいた。
彼女が発言を終えるたび、あるいは他の生徒の意見を聞く時、その瞳は決まってヘンドリックの方へと向けられる。
男爵令嬢が、隣国の王子に淡い憧れを抱く。学園ではよくある光景だ。
しかし私の興味を引いたのは、その単純な恋心とは裏腹に、ヘンドリックの視線がより深く、そして計算高くコレットを捉えていることだった。
ヘンドリックの瞳の奥には、コレット嬢に対する表面的な関心とは異なる、より冷徹な光が宿っているのが見て取れた。
私がコレット嬢に興味津々であることに、彼は理由を素人探りを入れている――私はそう確信した。
この新たな変数に、彼ら『生まれ戻った者たち』がどう反応し、どう操ろうとするのか。学園の舞台は、一層面白くなってきた。
ヘンドリックのその視線と動きに気づいているのは、私だけではない。
マクシムはその表情をより硬くし、ミシュリーヌの瞳には明確な不快の色が浮かんでいた。
彼らもまた、この新たな関係性の兆候に気づき、それぞれが前世の記憶をなぞるかのように、あるいは抗うかのように、水面下で動き始めているのが見て取れた。
昼食後、私は喧騒を避けるように一人、学園の中庭を散策していた。
色とりどりの花々が咲き誇るその場所は、わずかな平穏を与えてくれた。
しかし、その静寂は長くは続かなかった。背後から馴染みのある、しかしどこか固い声が聞こえた。
「ルイーズ様」
振り返ると、そこに立っていたのはミシュリーヌ伯爵令嬢だった。その顔には苛立ちが、瞳には探るような色がありありと浮かんでいた。
彼女は周囲を一度見回し、私にだけ聞こえるように声を潜めた。
「あの男爵令嬢の狼藉を、このまま見過ごすおつもりですか?」
その言葉は、私に同意を求めるようでもあり、私の出方を試すようでもあった。
私は返答の代わりに、わずかに肩をすくめた。
「狼藉? 何のことかしら」
「あの令嬢は、あなた様の婚約者と知りつつ、ヘンドリック殿下と二人きりで街に降りたというのですよ」
「あら、そう。それで?」
私は興味の欠片もない声で問い返した。
「いずれにせよ、そんな瑣末なこと、私にはどうでもいいことだわ」
私の言葉に、ミシュリーヌ嬢の表情がわずかに歪む。
彼女は、私が彼女と同じようにヘンドリックをめぐる争いに加わるとでも思っていたのだろうか。浅はかだ。
ミシュリーヌ嬢が何か言葉を続けようとした、その時だった。
私の視線は中庭の端、教室へと移動する生徒たちの群れの中に、吸い寄せられるように、ある一人の青年を捉えた。エディー。彼は、周囲の喧騒とは無縁のように、静かに足を進めている。
ミシュリーヌ嬢のつまらない探りなど、どうでもいい。
私の視線が遠くを見つめていることに気づいたのだろう、ミシュリーヌは戸惑ったように私とエディーの方を交互に見た。
そして、何かを言いかけ、結局は言葉を飲み込んだ。
彼女には、私の真意など、理解できるはずもない。