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23 王女の指名、甘い思案

 期末試験が近づく中、学園では座学だけでなく、実践的な実習も増えていた。

 中でも、この日の「国家統治の歴史と未来」という特別実習は、特に重要視されていた。二人一組のペアを組み、架空の国家の統治モデルを構築する。その中で王政と民主主義、それぞれの利点と課題を考察し、最適な統治方法を導き出すというものだ。

 これは、今後の成績を大きく左右する、学年トップクラスの生徒たちが腕を競い合う課題でもあった。


「では、ペアは各々で決めてもらって構わない。ただし、組む相手が見つからない、あるいは希望するペアが重複した場合は、私が調整を行う」


 担当の老教授がそう告げると、教室はざわめきに包まれた。

 誰もが自分の成績を上げるため、優秀な生徒と組もうと視線を交わしている。


 あたしは内心で、エディーと組めたらいいな、と考えていた。彼となら、庶民の視点から面白い意見が出せるかもしれないし、あたしの転生知識をどう活かすか、相談しながら進められるだろう。

 なによりエディーは特待生だ。

 あたしはちらりとエディーの方を見たが、彼も誰と組むか悩んでいる様子で、まだ動けていない。


 そんな、あたしが誰と組むべきか決めかねて、視線を泳がせている間だった。

 教室のざわめきを静めるように、一つの影があたしの机の横に立つのが見えた。


 顔を上げると、そこに立っていたのは、他でもないルイーズ様だった。

 彼女はまっすぐにあたしを見下ろしている。その冷徹な視線に、あたしは思わず息を呑んだ。


「コレット嬢」


 彼女の声は、静かでありながら、教室中のざわめきを一瞬で吸い込むような力があった。

 あたしは背筋が凍りつき、身動きが取れない。


「私のパートナーとして、あなたを指名させていただきたいのですが、よろしいかしら?」


 その言葉は、あたしの耳に直接響き、そしてあたしの頭の中を嵐のように駆け巡った。


(え……? ルイーズ様が、あたしを直接指名……!?)


 教室の空気が、凍りついたように静まり返った。

 それから、堰を切ったように一斉に、驚愕のざわめきが広がる。

「ルイーズ様が、コレット様と……!?」

「信じられない……」

 誰もが、この予期せぬ指名に驚きを隠せない。

 学年トップにして王女であるルイーズ様が、なぜあたしのような男爵令嬢を指名するのか。


 あたしが呆然としていると、ルイーズ様はあたしに向かって、微かに、しかし確かに挑戦的な笑みを浮かべた。その笑みには、あたしへの何らかの意図が込められているように見えた。


 教室の片隅では、ヘンドリック様が、信じられないというようにただ茫然と目を見開いていた。

 そして、マクシム様やエディーは、どこか複雑な表情で、ルイーズ様とあたしを交互に見つめていた。


 ルイーズ様からの指名を断るなど、この学園ではありえないことだ。ましてや、王女である彼女の提案を拒否するなど、無礼に当たる。


 しかし、それ以上に、あたしの心を強く惹きつけたのは、ルイーズ様の言葉の裏に隠された「真実」への好奇心だった。

 あの東屋で彼女が語った言葉、そして、ヘンドリック様が必死に弁明した真意。

 この実習を通じて、ルイーズ様が何を伝えようとしているのか、彼女の真の目的は何なのか。

 ゲームのシナリオにはなかったこの予期せぬ展開が、あたしを突き動かした。


 あたしは、ルイーズ様の真意を測りかねながらも、静かに、しかしはっきりと答えた。


「……はい。喜んで、承らせていただきます」


 その一言で、あたしとルイーズ様の関係は、これまでとは全く異なる次元へと突入したのだった。



 ルイーズ様からの指名を受けてからというもの、あたしの心は、常にざわついていた。

 あの挑戦的な笑みの裏に隠された意図は何なのか。実習を通じて、あたしに何をさせようとしているのだろう。不安は尽きない。


 そんなあたしを見かねたのか。その日の放課後、寮のロビーで俯いていたあたしに、エディーが声をかけてくれた。


「コレット、元気ないね。よかったら、寮のキッチンでお菓子でも作らない? 焼きたてのお菓子は、きっと気分転換になるよ」


 隣でフィオナも「そうよ、コレット! 腕によりをかけたマドレーヌ、久しぶりに食べたいな!」と、明るく誘ってくれる。

 二人の優しい気遣いに、あたしは少しだけ気持ちが楽になった。

 彼らになら、素直な気持ちを話せる気がした。


 寮の共用キッチンには、温かく、そして甘く香ばしい匂いが満ちていた。

 あたしは慣れた手つきでマドレーヌの生地を混ぜていたけれど、どうしても集中できなかった。時折、ふと手が止まり、ぼんやりと泡立て器を見つめてしまう。


「……実は、ルイーズ様のことなんだけど」


 あたしは、ペア実習でルイーズ様から直接指名されたこと、そしてその時のルイーズ様の挑戦的な笑みのこと、それが意味するものが分からず不安な気持ちでいることを、訥々と話し始めた。

 ヘンドリック様との一件は伏せたが、ルイーズ様との間に何らかの緊張関係があることは伝わっただろう。


「そうよね。コレットに直接言うのもなんだかな、って思ったけど、よりにもよってヘンドリック殿下と噂になっているコレットを自分から指名するだなんて……コレットに対する挑戦なのかしら?『私の婚約者にちょっかい出しやがって!』って。でもそんな感じじゃなかったしなあ」


 フィオナが、あの場の光景を思い出しながら語った。

 そう、夜会での一件からヘンドリック様と懇意にしていることは、とうとう学園内の公然の秘密になった。誰もがルイーズ様を恐れ、大声で興じないが、皆が知っている話になっていた。


「意外と、ただコレットとお喋りしたいだけかもしれないよ」


 エディーはマドレーヌの焼き型にバターを塗っていた。エディーの手際は慣れたもので、先回りして準備を進めていた。


「えー! それはないって! だって、ルイーズ様から見たら、自分の婚約者を寝取ろうとしてる泥棒猫の立場よ。あ、誤解しないでね。私はコレットの恋路、応援してるから」


 フィオナの素直すぎる物言いに、あたしは思わず苦笑した。

 だが、彼女の言葉が、あたしの心に現実を突きつける。世間から見れば、あたしはそういう存在なのだ。



「ま、ルイーズ様の真意がどこにあるのかは一旦置いておいて。コレットとルイーズ様がペアを組んだって、学内は今、すごい噂で持ちきりよ。おかげでルイーズ様派とコレット派で真っ二つ、って感じ!」


 フィオナが、混ぜ終わった生地をボウルに入れながら、あたしに視線を向けた。

 あたしは思わず、持っていた泡立て器を取り落としそうになった。


「コレット派って、なあにそれ……」


 我ながら情けない声が出て、自嘲するように笑う。

 あたしに派閥ができるなんて、想像もしていなかった。


「だから! ルイーズ様がそのまま殿下と結婚すべきだって考える人たちと、ヘンドリック様がコレットの才能を認めたんだからコレットと結ばれるべきって思ってる人たち、ってことよ。当然、コレット派の方が圧倒的に少数だけどね! でも、あたしはコレット派筆頭よ!」


 フィオナが胸を叩いてみせ、あたしは少しだけ、おかしくなった。

 そんな風に見られているのか、と。


「あたし、何度もミシュリーヌ様から咎められているのよ」

「そんなの、愛の力で跳ね返さなきゃ! 玉の輿物語って、やっぱり人気なのよねえ。コレットのおかげでうちの商会から小説が売れて売れて、助かってるわ」

「貴族のしがらみとか、もちろん色々あるかもしれないけれど、案外コレットの杞憂で終わるかもしれないしね」


 クスクスと、フィオナとエディーが顔を見合わせて笑った。


「ねえ、コレット。それでさ、期末試験が終わったら、恒例の学内パーティーがあるじゃない? あれ、やっぱりヘンドリック殿下と一緒に行くの?」


 フィオナが、焼けてきたマドレーヌの甘い香りに誘われるように、身を乗り出して尋ねた。

 彼女の目は、好奇心でキラキラと輝いている。


 あたしは、思わず手が止まった。パーティーのことなど、すっかり頭から抜け落ちていた。

 あの夜会の一件以来、ヘンドリック様とは学園の帰り道で抱きしめられたきり、まだ正式な話は何もしていない。

 そして、ルイーズ様とのペア実習が始まれば、この関係はどうなってしまうのだろう。


「それは……まだ、何も決まってないよ……」


 あたしは曖昧に答えた。

 学園中が知っている公然の秘密でありながら、あたし自身は、この関係がどこへ向かうのか、全く見えていなかった。


「もし、ヘンドリック殿下と行くなら、ぜひうちの商会をご贔屓にね! ドレスの仕立てから、会場装飾、贈り物まで、なんでも承りますわよ!」


 フィオナが、まるで商売人である父親にそっくりな顔で、にこやかに営業をかけてくる。

 あたしは、そんなフィオナを見て、少しだけ笑みがこぼれた。

 フィオナも腕を組み、納得したような、そうでないような顔で頷いた。


「でも、やっぱり不安だよね、コレット。もし何かあったら、すぐに言ってね。私、いつでも飛んでいくから!」


 フィオナが力強く言ってくれ、あたしの不安な気持ちは少しだけ和らいだ。


「ありがとう、二人とも」


 エディーがオーブンの様子を見ていた。そして、カチャリと音を立ててその扉を開くと、熱気をはらんだ甘い香りが、一気にキッチンに溢れ出した。焦がしバターと小麦粉の芳醇な香りに、嗅ぎ慣れない爽やかな香りが混じっている。


「エディーが焼いたマドレーヌ、私たちが作ったものとちょっと違う?」


 フィオナが、焼きたてのマドレーヌが並べられた天板を覗き込んだ。


「本当だ。これは、紅茶の香り?」


 あたしも鼻をひくつかせ、その独特な香りを確かめた。


 エディーは私たちの問いに微笑みながら、焼きあがったマドレーヌを一つ一つ丁寧に型から外していく。

 焼きたてならではの、膨らんだ貝殻の形が可愛らしい。熱を帯びた表面はほんのりきつね色で、見ているだけで食欲をそそられる。


「アールグレイの茶葉を細かく砕いて練り混ぜたんだ。それにオレンジピールも入れている」


 網に並べられていくマドレーヌの甘い香りにクラクラ来た。

 「美味しそう!」とフィオナが感嘆の声を上げた。彼女はもう待ちきれないとばかりに、目を輝かせている。


「せっかく焼いたんだもの。コレットはヘンドリック様に差し上げるの?」

 フィオナが、悪戯っぽくあたしに尋ねる。


「え?いや、それはどうかな……」

 あたしは戸惑って答えた。ヘンドリック様にあげたら、きっと彼は喜ぶだろう。


「えー!差し上げたらいいのに!ね、エディーもそう思うよね?」


 フィオナが、エディーに同意を求めるように視線を送った。エディーは苦笑いしただけだった。


「僕が焼き上げたものは、今度のペア実習に持って行ってよ」


 エディーは、フィオナの言葉を遮るように、焼きたてのマドレーヌを指差した。

 その瞳の奥には、何か意味ありげな光が宿っているように見えた。


「いいの?」


 あたしは驚いて尋ねた。

 彼が丹精込めて作った特別なマドレーヌだ。


「うん。誰かに食べてもらった方が嬉しいからね。特に、このマドレーヌがどんな風に評価されるか、僕も興味があるんだ」


 エディーは、あたしとルイーズ様が組む実習の行方を見据えているかのようだった。

 彼の言葉に、あたしは漠然とした期待と、また少しの緊張を覚えた。ルイーズ様は、このマドレーヌをどんな風に受け止めるのだろう。

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