16 魔女と呪い<前編>
昼食時、食堂は生徒たちの賑やかな声で溢れていた。各自が好きな料理を手に取り、友人たちとの会話に花を咲かせている。
あたしもトレーを手に席を探していると、見慣れた顔が手招きしているのが見えた。
フィオナだ。彼女の周りには数人の女生徒が集まっていて、何やら熱心に話している。
「コレット、こっちこっち!」
フィオナの明るい声に誘われ、あたしは彼女たちのテーブルに合流した。
皆、各々食事をしながらも、フィオナの話に夢中になっている様子だった。
「ねぇねぇ、聞いた? 最近、街で変な噂が流れてるのよ。うちの実家でも専らの話題になってて!」
フィオナは、人目をはばかるように声を潜めながらも、瞳は好奇心と興奮で輝かせている。
彼女の言う「噂」とやらに、あたしは自然と耳を傾けた。
「なんでも、『人の不幸を呼ぶ魔女』ってのがいるらしいのよ! 最近、街で不幸が続いてるって話、知ってる? 例えば、うちの屋敷の執事の知り合いが、大事な商談をすっぽかされたり、隣町のパン屋さんが焼いたパンが全部焦げ付いちゃったり、あとは市場で買った魚が急に腐っちゃったりとか!」
フィオナは、身振り手振りも交えながら、いかにも信じられないといった様子で語る。周りの女生徒たちも、「えー、怖い!」「本当にそんなことってあるの?」と騒ぎ立てる。
市井に広がる、他愛ないような、しかし確かに不運な出来事。それが「魔女の仕業」だというのだ。
「それでね、その魔女、街の外れにある『嘆きの森』に住んでるらしいのよ。ほら、立ち入り禁止になってるところ。昔から、あそこには呪われた魔女が住んでるって噂はあったけど、最近また不幸が続いてるからって、みんな怖がってるの」
『嘆きの森』。あたしは聞いたことがある。街の外れ、誰も近づかない薄暗い森だ。ゲームの中では、ただの風景の一部でしかなかった場所。
(魔女……? それって、ゲームに出てこなかった設定よね……?)
あたしは内心で困惑した。
ゲームの世界では、魔女なんて言葉は登場しなかった。あるのは、国に囲われる吉兆を占う「魔導師」だけ。彼らは国の秩序を重んじ、闇の力とは一線を画す存在だったはずだ。
フィオナの話を聞きながら、あたしの胸にじわじわと疑念が広がっていく。
最近、この学園で起こる出来事が、どうにもゲームのシナリオとかけ離れていく。マクシム様とミシュリーヌ様の冷戦、そしてアレクシス殿下の奇妙な言動……。これらは単なる偶然なのだろうか? それとも、あたしが知らない「何か」が、この世界には潜んでいるのだろうか?
この未知の「魔女」の存在は、あたしにとって、この「現実」の世界の謎を解き明かす鍵になるかもしれない。
しかし、誰に聞けば正確な情報を得られるだろう?
そんな時、あたしの脳裏に、いつも静かに水晶玉に向かい合う彼の顔が浮かんだ。
放課後、あたしは空き教室の片隅で、いつものように水晶玉に目を落としているジルベールを見つけた。
彼はあたしが近づいても微動だにせず、ただ静かに水晶玉の奥を覗き込んでいる。
彼の隣にそっと近づき、深呼吸をしてから、意を決して声をかけた。
「ジルベール様、お邪魔してすみません。少し、お尋ねしたいことがあるのですが……」
ジルベール様はゆっくりと顔を上げ、琥珀色の瞳をあたしに向けた。
その表情には驚きもなく、まるで最初からあたしが来ることを予期していたかのようだった。
「構わない。何か?」
彼の落ち着いた声に、あたしは少しだけ緊張を解いた。
「あの……『魔女』について、ご存知ですか?」
あたしの質問に、ジルベールは小さく息を吐いた。
それは呆れや軽蔑ではなく、深い思索のようだった。彼はもう一度水晶玉に視線を落とし、それから再びあたしを見据えた。
「フィオナ君あたりから、くだらない市井の噂話を聞かされたか。食堂ではずいぶんとはしゃいでいたからな。……結論から言えば、魔女は存在する。だが、それは君が想像するような、人を呪う力を持つ悪しき存在ではない」
ジルベール様は、冷静かつ淡々と語り始めた。
「魔導師がどういう存在か、君はどこまで理解している?」
(魔導師?今尋ねていることは魔女についてなのに)
疑問符を浮かべるあたしに、ジルベール様は「いいから答えろ」、と視線で促した。
「一般的なことまで……未来を占える、としか」
「そうだ。それは一部正しい。そして一部不足している。我々魔導士は、もはや占い『しか』できないのだ」
ジルベール様ははっきりと断言なさった。
「もはや……ということは、呪いの力を持っている方もいらっしゃるのではないですか?」
あたしの問いに、ジルベール様は静かに首を振った。
「太古の時代の話だ。今や呪いの方法など、古い文献の中にしか存在しない」
ジルベール様はきっぱりと言い切った。
魔導師には人を呪う力がない。それは、あたしがゲームで学んだ知識と合致する。ゲームの中では火球を撃ったり、雷を落としたり。そんなことをしている場面は存在しなかった。
「しかし、魔導師と魔女にどんな関係が?」
あたしは焦る気持ちを抑えきれずに尋ねた。
彼の言葉の端々から、あたしの知らない真実が顔を覗かせている。
「結論を急ぐタイプなんだな、君は。まあいい。君は、僕以外の魔導師を知っているか?」
思い当たる節はない。
学園で魔導師の授業があるわけでもなく、ジルベール様以外に接点を持ったことは一度もなかった。
ゲームの中にもジルベール様以外に魔導師のキャラクターは登場しなかった。
「ジルベール様以外の?いいえ、そのような知り合いはおりませんが……」
「カイル殿、グレアム殿、ジェフリー殿、オーウェン殿……すぐに思いつくのはこのあたりだが、彼らの共通点はわかるか?」
あたしは首を傾げた。名前だけでは何も判断できない。ジルベール様は、まるで解答を促すかのように、あたしの目をじっと見つめている。
「……魔導士は、男しか名乗れない」
その言葉に、あたしはハッと息を呑んだ。
「え?それでは男性の方にしか占いはできない、というわけですか?」
「いや。占いの力を持つ女性もいる。それが……」
彼の言葉の続きを、あたしは無意識に呟いていた。
「……魔女」
ぽつりとあたしの言葉が落ちた瞬間、ジルベール様の琥珀色の瞳が、一瞬だけ鋭く光ったように見えた。
彼は何も言わず、ただ静かにあたしを見つめている。その沈黙が、あたしの言葉が正解であることを物語っていた。
「政に関わる者はいつの世も男ばかりだ。だから、占いの力は男しか授からないと早合点する者がいたのだろう。異端と判ずるものにはそれにふさわしい名前をつけるのが、人間というものだ」
いつも言葉少ないジルベール様が、こんなにも丁寧に、そして感情を込めて説明をしてくれた。
その声の響きは、まるで遠い過去の出来事を憂うようでもあった。
ジルベール様は再び水晶玉に視線を戻した。
占いの力がないあたしには、彼の目に何が見えているのかはわからない。水晶玉が暗く濁っているようにも見えたが、それは気のせいだろうか。
「また、呪いの気配が濃くなった」
「え、でも、今、魔導師や魔女は呪いなんてできない、って……」
あたしの慌てた声に、ジルベール様は水晶玉から顔を上げず、氷のように冷たく言い放った。
「呪いが『存在しない』とは言っていない」
魔導師や魔女は占いだけできる。誰かを呪うことはできない。でも、呪いは存在する。それはつまり……。
思案するあたしを尻目に、ジルベール様は眉を顰めながら水晶玉とあたしを見比べた。
「なぜ、君は呪われていないんだろう」
意味深な言葉だった。まるで、あたし自身が、既にその「呪い」と無関係ではないかのように響いたのだ。
この世界の「現実」は、あたしが知る全てを遥かに超えている。