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11 王子からの甘い罠

 マクシム様との出会いから数日後、学園では試験の結果発表があった。


 結果は、教授室での個別評論という形で生徒一人ひとりに伝えられる。生徒たちは皆、緊張した面持ちで自分の番を待っている。

 あたしもまた、胃がキリキリと痛むような思いで自分の名前が呼ばれるのを待っていた。


 ここ最近は授業の度にヘンドリック様がさりげなく要点を示してくれるもあって、苦手な科目の成績が予想以上に伸びていたことは確信していた。けれど教授から直接、自分の成績について評論を受けるというのは、いつもながらに胃に響くものだ。


「コレット・エヴァンス男爵令嬢、入室しなさい」


 固唾を飲んで待っていると、教授の威厳ある声が聞こえた。

 あたしは小さく息を吸い込み、重い扉をゆっくりと開けた。


 教授室の中は、想像よりも広く、重厚な書棚が壁一面を覆っている。中央の大きな机には、様々な教科書や書類が山積みにされ、その奥に座る教授が、鋭い眼差しであたしを見据えていた。


「コレット男爵令嬢。今回の試験、見事な成績を収められましたな」


 教授は、淡々とした口調でそう告げた。その言葉に、あたしは安堵の息を漏らした。

 留年の危機を乗り越え、一旦学業面での不安は解消されたと言えるだろう。


「特に、貴族の義務と税制学の分野では、目覚ましい進歩を見せました。これまでの成績を鑑みれば、まさに驚くべき成長と言えましょう」


 教授の言葉は続き、あたしの苦手分野での好成績を褒め称えた。

 それは、ヘンドリック様が教えてくれたことの成果が如実に表れた証だった。


「これは偏に、教授のご指導と、日々の努力の賜物です」


 あたしは、謙虚にそう答えた。

 しかし、その内心では、ヘンドリック様への感謝でいっぱいだった。彼がいなければ、これほどの成果は出せなかっただろう。


 教授は満足げに頷くと、一枚の書類をあたしに差し出した。それは、今回の試験の詳細な成績表だった。

 自分の名前の横に記された高得点を見て、あたしは再び安堵した。


「今後もこの調子で研鑽に励みなさい。期待しておりますぞ」


 教授の言葉に深々と頭を下げ、あたしは教授室を後にした。



 教授室を出ると、廊下で数名の生徒が結果発表を待っていた。その中に、見慣れた金色の髪を見つける。


「コレット嬢。結果は見たか?」


 ヘンドリック様は自信に満ちた笑みを浮かべていた。あたしの成績が伸びたことを、確信しているかのようだった。


「ヘンドリック様! はい、おかげさまで、なんとか……。日頃のご指導の賜物です」


 あたしは、感謝の気持ちを伝えた。

 彼がいなければ、真実、もっとひどい結果になっていたに違いないのだから。


「さて、コレット嬢。試験も終わった。たまには息抜きも必要だろう。週末にでも、街へ出かけないか?」


 彼の口から出た言葉に、あたしは思わず耳を疑った。


「え……街へ、ですか?」

「ああ。この国の中心街は、この時期、美しい花の装飾で彩られ、普段よりも一層賑わう。学園の外で、二人でゆっくり話をしたい」


 ヘンドリック様は、あくまで穏やかに、しかしその言葉の端々からは、あたしへの個人的な、有無を言わせないような誘いが滲み出ているように感じられた。

 彼の揺るぎない視線が、あたしを捉えて離さない。


(街歩きデート!? しかも、私と二人きりで、って……! ま、まさか、ゲームの『個別イベント』が始まるの!? あの、主人公と攻略対象が二人きりになる、甘い会話が繰り広げられるあのイベントが!?)


 あたしの心臓は、激しく鼓動した。


 確かに最近ヘンドリック様との接触は極端に多かった。だけどそこまでシナリオが進んでいるとは思っていなかった。

 ざまぁ回避のためにも、これ以上攻略対象と深く関わるのは避けるべきだ。そう、避けるべきなのだ。


 しかし、同時にあたしの胸には、抗いがたい誘惑が湧き上がっていた。


(でも……ヘンドリック様との街歩きなんて、この機会を逃せば絶対にもう訪れない……。少しだけなら、きっと大丈夫……!)


 理性と本能が綱引きをする。

 目の前のヘンドリック様の魅力的な提案は、試験や緊張で張り詰めた毎日で疲弊していたあたしの心に、甘い毒のように沁み込んだ。


 特に、あの旧校舎の図書室での彼の言葉が、耳の奥で、そして胸の奥で、まだ反響している。

 彼が一方的に進めようとしている関係性に、あたしはまだ答えを出していない。このまま、彼のペースに乗せられてしまってもいいのだろうか?


 だけど、この誘いを断る勇気も、あたしにはなかった。

 彼の瞳に吸い込まれるように、あたしはゆっくりと口を開いた。


「……っ、ヘンドリック様。その、お誘い、大変嬉しいのですが……あ、あたしと二人きり、というのは、その、少しばかり人目が……」


 あたしは、必死に言葉を紡いだ。

 欲望に負けた。けれど、『ざまあ回避』のためだ。断固として、二人きりのデートは避けなければならない。

 そして、彼にこれ以上、踏み込ませてはならない。一抹に残った理性が、あたしに最後のブレーキをかけさせた。


「ああ、なるほど。心配することはない。では、友人として、純粋に街の散策を楽しむ、という体で出かけよう。学園の友人を何人か誘うのはどうだ? それならば、問題ないだろう」


 ヘンドリック様は、あたしの言葉を遮るように、しかしあくまで優しい口調で提案してきた。まるで、コレットの内心を見透かしているかのように、彼女が最も受け入れやすい形を示したのだ。


(友人として……なら、大丈夫、かも……?)


 ずるい、とあたしは思った。

 彼は、あたしの警戒心を逆手に取っている。


 けれど、この条件であれば、表向きは健全な友人同士の外出。これなら、ルイーズ様や周囲からの目を気にすることなく、ゲームイベントを体験できる。


 それに何より、ヘンドリック様との時間を過ごせる誘惑に、もう抗えなかった。


「……はい。っ、では、あくまで友人として、ご一緒させていただければ、光栄です。私も、友人を誘ってもよろしいでしょうか?」

「もちろん。それならば、より多くの友人と楽しい時間を過ごせるだろう。週末に、学園の正門で待っている。楽しみにしているぞ、コレット。」


 ヘンドリック様は、満足げに微笑んだ。その笑みは、あたしが甘い誘惑に、まんまと引っかかったことを示す、勝利の笑顔に見えた。

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