令和式夏目漱石解釈法~”Love”ってなんだよ~
有名な話がある。物書きなら必ず目にするものだ。
その者は夏目漱石。
彼は「I love you」という英語を「月が綺麗ですね」と訳したという。
有名な話だ。出典不明の、有名な逸話だ。
「というわけで、衝原。お前ならこの「I love you」どう訳す?」
文芸サークル、その集まり。麦秋の残暑、すなわち真夏日におよそ物置程度しかない約二十畳の部屋は熱気が満ちる。
部長のその問いに答えるは、俺の頬を伝う映画のワンカットのような汗。
「〇めオラ?」
ミンミンゼミは眠眠と泣くことを止めた。
ツクツクボウシはフクツノトウシで鳴き始めた。
「えっ。つまりそういうことじゃないんですか」
頬の汗が机に垂れる。切り開かれた一筋の汗道、次弾が額で作られるのを感じる。次の一滴はより早く落ちるだろう。
「……なるほど。pregnantという単語を漱石は知らなかった、と」
「いや、”愛する”って。つまりそういう、隠語かなって」
「——君は」
額に溜まる汗。次の言葉に、この汗は放垂れる。
「——映画をあまりみないタイプかな?」
その時の部長・甲斐姫子は――。
控えめに乗ったメイクに、小悪魔っぽいウィンクが重なり……。人差し指をピンと伸ばし、こちらの眉間を差した仕草が……。
なによりも。
一連の動作で首から流れた汗が。控えめだが”在る”——奈落に――、落ちていった事。それを確かに観測した俺の目。
「ギャルゲはいっぱい、やってきました」
「馬鹿め。その目が何を見ていたか。分かっているからな」
ふふんと笑う部長。えくぼが愛らしい。愛、らしい……? Maybe Love……?
「いいか衝原。この場合のLoveというのはな……」
部長が立ち上がる。
「この目とその目が、同じものを見た時に在るんだよ」
向かい合って座っていた俺達。部長はこちらに回り込むように――その途中、花瓶から一つ花を手折り――こちら側に来て、ふわりと甘い香り。
「見ろ」
部長が見る先に――。
「? ??」
残されたもう一人の部員、後輩の牧野小鳥がいた。
「牧野はかわいいな?」
「はぁ」
手折った花を牧野の髪に差す。
「かわいくなったな?」
「そうですか?」
部長は再び席を回って元に戻る。牧野は顔に?を浮かべたまま真っ赤になっている。
席に戻った部長は深く息を吐いて語った。
「つまりは、同じものを見て同じ事を感じる。この通い合った心を”愛”とし、日本人の奥ゆかしさ、雅さを謳ったのが”月が綺麗という事実”なんだ」
……。よくわからない。小鳥は「文学……!」と興奮しているが。
「やれやれ。衝原に文学の奥深さはまだ早かったかな?」
「そうですね、文学は……音速の世界の様で……」
「ふんふん」
「俺は――光速なので――」
フクツノトーシ。フクツノトーシ。セミは、鳴いているぞ。
「バカだ……」
小鳥が囀る。
「そんなバカな衝原には、勉強が必要だ」
先輩はまたしても小悪魔的ウィンクと指をピンと指してくる。愛の芽生やす魔性の指だぁ。
「この後、駅前に集合。な」
* * *
日が落ちようとする頃、俺たちは駅前にいた。ツクツクボウシも聞こえない。
「小鳥は?」
「置いてきた。はっきり言ってこの戦いには着いて来れない」
部長はたまに変な事を言う。戦い? ここから何をしようというのか。
「もうじき時間だ。黒塗りの高級車が迎えに来る」
「迎え・・・・・・?」
とか言ってたら本当に来た。真っ黒なワゴン車。これが高級かどうかは知らないが。
「乗れ」
「え、怖いですよ。嫌です」
「とにかく乗れ。——あとはお願いします」
いつの間にか車の横にいたドライバーの男に礼をする部長。静かにほほ笑むドライバー。
そして、なにも言わずに部長は去った。残されたドライバーと俺。
「……」
乗った。
……。
「あの、これどこに向かってるんですか?」
問いに沈黙。進む車。アスファルト、タイヤを切りつけながら。
「……」
止まった時はウィンカーが鳴っている。なんとなく、俺の時間を刻んでいるような、メトロノーム味を感じる。
コッ↑コッ↓、コッ↑コッ↓、コッ↑コッ↓、コッ↑コッ↓、コッ↑コッ↓、コッ↑コッ↓、コッ↑コッ↓、コッ↑コッ↓、コッ↑コッ↓、コッ↑コッ↓、コッ↑コッ↓、コッ↑コッ↓。
「あの、どこに向かってるんですか?」
再び問う。ドライバーが息を吸った。俺は息を飲んだ。
同時に、車が曲がる。行く道は明かりが少なかった。
「——お風呂屋さん。ですよ」
※※※※※!!!!WARNING!!!!※※※※※
この先”アレ”な描写が入るのですが、
上手い事ごまかす為に”ロボットもの”として表現します。
あとは、そう、なんか……。
想像力に、お任せします。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
——バシュウウウ……。スラスターを吹かしながら”移動用コンテナー”から降りる。
「ここが”洗機屋さん”。先輩は何をさせようとしているんだ?」
スラスターを吹かしながらソファ、じゃない”格納庫”へ進んだ。
ここで待つらしい。待つ? 何を? その答えはすぐに出た。
「——こんにちわぁ」
現れたのは見るも美しいカラーリングの施されたボディフレーム。愛嬌を感じるメインカメラ。こだわりぬかれたアセンブル。——美人といっていいだろう。
美しいと、そう感じる。
「あっ、はじめまし、——あっ」
次の瞬間にはこちらのレフトアームフィンガーが相手機体の両アームに包まれた。
とてもやわらかい。——いやロボットだから硬くって。
「ちょっと……緊張してる?」
その美人は俺の心を読んだようで。向かい合ったメインカメラはしばらく動かなかった。
「——”お部屋”、いこっか?」
アームに掴まれたまま、俺はついていくことにした。
……。
少しの移動後、”お部屋”についた。
「お履き物どうぞ~」
言われるがまま俺はフットパーツをパージ。”お部屋”にあがる。
「なんだこれは……」
その空間は異様ですらあった。片方には巨大な、二機は同時に”積載”できるだろう巨大な”ハンガー”が。もう片方にはこれまた巨大な”洗機室”が。
この二つの空間に隔たりはない。スムーズな行き来が可能となっている。
「お召し物、お預かりします~……」
「え、あっ、はい」
拡張外装をいともたやすく奪い取っていった。やはり手練れか。
……しかし。
巨大”ハンガー”がある部屋に”男性機”と”女性機”の”二機”のみ。これは、もしかしなくてもあれなのか。そういうあれが始まろうというのか(←鈍感)。
「緊張、されてます?」
完全に意識外から、まるで一瞬のようにこちらの懐に入りこまれていた。そしてその手はゆっくりと、優しく、胸部装甲を撫でていく。その奥にある”リアクターコア”が稼働率をあげていくのが分かる。
「エ……アッ……」
こちらの後手後手をいいことに敵機は侵攻を進めて行く。その手はやがて胸部装甲の内側へ。下腹部から侵入したフィンガーユニットは、やがてこちらの”リアクターコア”へ近づいていき――。
「!!」
胸部装甲の一角、”TKB突角区”に触れられる。
しかし敵機は一撃で落とすようなことはせず、弄ぶように蹂躙する。
”リアクターコア”は激しく脈打つ。危険を知らせる。
「失礼しますね」
あっという間に上部装甲は剥がされ、そのボディフレームを晒すこととなった。
そこに恥じはなく、ただその手腕に感心していた。この俺が成すすべなくやられ放題しているということに。
やがてその手は下へ、下へ下がっていき――。
「!!」
その手はこちらの主兵装でもある”伸縮型ブレード”に触れていた。まだ”鞘”に収まったままだが、出力は70%を維持している。
すっかり粘度が高まった唾をどろりと呑み込む。それはじっくりと時間をかけて喉を降りていき、やがて腹のどこかへその熱は消えた。
その熱が、下腹部に火を灯す。
「こちらも、もう、ね?」
「ェ……ァァ……」
”第一装甲””安全弁”をいともたやすく解き、そして、頼みの”鞘”はほぼ意味を成さずに身から離れていった。
この”部屋”に入ってどれくらいだろうか。体感時間にして――一瞬。またたきの間に”装甲”の全てを失っていた。
——唯、出力80%に上がったブレードを携えて。
「あの……」
敵機、転換。こちらに背を向ける形になる。
”有機頭蓋保護ユニット”をアームで掻き、後頸部……うなじがよく見える様な体勢になる。
「ァ……、ァァ……」
「——解いて、くださる?」
「ェァ……?」
後頸部から下。”上下一体型優美装甲”の縫い留めているであろうファスナーを見つける。この”弱点”をつけば、相手の”装甲”にも同様の効果が見込めるだろう。
恐る恐るそのファスナーを下す。少し噛んでスムーズにはいかなかったが、なんとか下すことに成功する。
「ん……」
そこからが一瞬の出来事だった。”敵機”は一度立ち上がったかと思えば、その拍子に”上下一体型優美装甲”はストンと落ち、一瞬で”非常時防衛ライナー”のみの体躯となった。
「ワ……!」
さらに”非常時防衛ライナー”、二枚を、自らの手でパージしていく。こちらがオールリリースフォームに掛かった時間の数割に満たない時間でこうなった。恐ろしい。
”装甲”のパージを終え、再び彼我の距離が詰まると――。
「——いこっか」
密着した機体、こちらの機体の腰に添えられたアーム。
誘われる先は――”巨大ハンガー”。
——ドシャァアアアアン!!(誇大SE)
こちらの機体はハンガーに倒れた。その上にまたがる形で敵機がいる。敵機の機体美をまじまじと見る。
「ア……、ァ……」
脳裏にフラッシュバックする数時間前の出来事。それは大学サークルでの他愛ないやりとりの事。
”Love”を、どう訳すか――。
俺は答えた。答えを持っていた。
その答え合わせが、今、始まろうというのか――。と。
敵機が何かを取り出した。
「♡」
可愛い仕草。その手に在るのは……——。
「”急式ブレードカバー・0.01エディション”……!(←IQが戻った)」
慣れた手で”ブレードカバー”が取り付けられていく。これでは”ブレード”が秘める”真の力”は解放出来ない!
「ら、”Love”とは……、〇ませなければ……、いや、しかし……」
「——いくよ」
——ブッピガァン!!
「お……。お、お、お」
——俺は。
”Love”の、その中心にいる。なのに、——届かない。
足りない。というのか。——そういうことなのか。
偉大なる先人はこう言った。
『1ミリ。なにか、足りない。愛のすれ違い』
そうなのかキャロル。だとすれば100倍の誤差があるように感じるが。
「く……」
愛に届かない。0.01ミリが、遥か遠く――。
「あ……、あああ。ンアーッ(首 )!」
俺は、間違っていたのか。
* * *
「もっとドラマチックなのを想像してた?」
「……」
「あるいは、映画みたいな?」
「……。俺——」
そうか。そういう、事だったのか。
「——映画、見ない人間、なので」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
日常に戻ります。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
次の日。ツクツクボウシは鳴いていなかった。
激しい陽の光に、やられてしまったのだろうか。
「おはようございます」
サークル部屋に入る。相変わらずの蒸し暑さが嫌になるが、先人が一人。
「小鳥……」
「……」
じーっ。本を読む小鳥を見つめ続ける。
「……。なんだよぅ」
「小鳥は、かわいいな」
「————」
本を持ったまま固まってしまった。読んでいるわけではない。
「いや、答える必要はない――」
「な、なんだこいつ……」
「なぁ小鳥。お前なら、”Love”をどう訳す?」
「え……、愛する、ですかね」
「では夏目漱石の答えはどう思う?」
最初は意味わからん、といった顔だったが、昨日の事を思い出したのか少し考える姿勢を取った。そして答える。
「あれは”I Love You”全体の意訳なので……」
「どちらでもいい。どう思う?」
しばらくの時間が経ち、かなりの時間が経ち――。
部室にさらに一人加わった。
「部長」
「おう衝原。——で、どうだった?」
「そう、ですね」
少し間をおいて、答える。小鳥はピヨピヨしていた。
「部長。——映画を見に行きましょう」
「……ほう」
部長は一瞬関心したようで、次には呆れたようだった。
「ふ。まぁ、部員がやる気を出したと思えばそれで――」
「違います」
俺は遮った。
「——”I Love You”の答えです」
「え、どういうこと?」
「先輩が言ったことですよ」
「一緒に、同じものを見て下さい」