コウさんのことなど――ニッポンジンパカヤロヨ
初出:カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/16816700426809476053/episodes/16818093080457274534
コウさんは、コウ=シカという名前だったらしい。
どういう字を書いたのかは知らない。
というより、コウさんにかかる記憶自体がはっきりしない。もう半世紀近くも前のことである。
ただ、あいまいな記憶であるにしても、印象が強いので決して忘れることはできない。
子供の頃、年寄たちの集まりで耳にした話を、おぼろげながらに思い出す。
「シュウさんは好い人だったけどね。
他の支那人は性根が悪いこと悪いこと。
中でもコウ=シカが一番悪かったね」
僕の田舎は小さな町だった。
そこに三人だか四人だかの〝支那人〟がいたらしい。
戦争に負けた日本で、コウさんたちは、靑天白日滿地紅旗をマントにして、
「ニッポンジン馬鹿野郎ヨ」と町を練り歩いたのだそうだ。
そのマントが、何時の間にかに、五星紅旗に替わったらしいが、やっぱり、
「ニッポンジン馬鹿野郎ヨ」と町を練り歩いたらしい。
しかし、僕の頭に残っているのは、コウさんの記憶だけで、他の中国人のことはまったく知らない。
何となれば、コウさん以外の人たちは、僕が子供の時分にはすでに町からいなくなっていたのである。
亡くなったのか、どこか別の土地に移ったのか。
僕の記憶の中にあるコウさんは、ごま塩頭の短髪に、頬に刻まれた深い皺。年の割りには大柄な人だったように思う。
にこやかに破顔しているさまはまったく思い浮かばず、どちらかと言えば、いつも苦虫を嚙み潰したかのような様子だった印象。
もはや五星紅旗をマントに練り歩くような元気はなかったものの、言葉の端々にも顔を覗かせる狡猾そうで狷介なそぶりに、困惑と不快の眉を顰めていた大人たちの表情を今でも覚えている。
子供にとってもコウさんは近付きがたい存在であった。
それでも僕はコウさんに何か怒られたような記憶はない。
まあ、もとより、コウさんとは日常の挨拶以外の会話など、交わしたことがなかったのではあるけれども。
<続>
※ 固有名詞などについては、現実のものから変更している。