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扉が開く音だろうか。木が軋む音が聞こえてきて目が覚めた。
見慣れない天井に見慣れない家具。目で見える範囲だけの情報だが、生活に必要最低限のものしか置いていない部屋のよう。民家ではなく宿だろうか?
「トオル!」
「わっ!」
大きな声が聞こえ、反射的に体を勢いよく起こし、自分でもびっくりな大きな声が出る。
目に映ったのは夢で会った少年だった。ということはまた夢の中で兄の小説に入り込んだのだろうか。
親そうに呼ぶ声から、私と少年は仲良くなれているようで安心した。
「よかった。目覚めないかと思った」
少年は安堵のため息を吐き、私の額に乗せていたのであろうタオルを水の入った桶に浸した。
――体験した覚えのない記憶が蘇る。
私は村で少年と再会する。そして少年と一緒に知恵を出し合って村の危機を救った。
しかし、まだ後遺症が残っている村人がおり、その人たちの治療を私が行なって倒れてしまったようだ。
「トオルは力を使いすぎなんだよ。原因は取り除けたんだから、あとは村人自身の力でいいだろ」
「でも、やっぱり放っておけないよ」
本心ではあるが、すでに用意されていた言葉かのように自然と口から出ていく。まるで私なのに私ではないかのよう。
「少年は心配しすぎだよ」
「お前なぁ〜! 甘やかしすぎなんだよ。俺と世界を救うって約束しただろ? なのにここで倒れてるようじゃ、世界を救う前にトオルが死んじまうよ」
シロとは少年のことか……と思うと同時にふと自分の立場を考える。
もしかして今は自分が少女の目線で見ているのだろうか、と。
だが、兄の小説には名前がついている人間は誰一人としていなかった。それなのに私のことをトオルと呼び、少年のことはシロと呼んだ。
「トオル様。どうかうちの子を助けてください!」
考え込んでいると、慌ただしく部屋の扉を開けた男性が目に入る。抱えられている子は、その男性の腕の中で少し疲れた様子を見せていた。
「……2日ほど安静にしていれば大丈夫ですよ」
「なぜ他の人は助けたのに、うちの子は助けてくださらないのですか!?」
「危険な奴だけに絞って治療したって昨日も言っただろ! 安静にしてればいいんだから、あんまりコイツに無茶させんな」
まだベッドにいる私を気遣ってか、シロは感情的に怒鳴った。突然のことで男性はたじろいだが、すぐにシロを睨む。
「苦しんでいる人々を治療する気がなければ、今すぐにでも村から出て行ってくれよ!」
「は? 倒れた奴を連れて村から出ろと? 助けてもらっといて薄情すぎるだろ!」
今にも襲いかかりそうなシロの腕を引っ張り、男性との距離を取る。
「シロ、落ち着いて。……すみません。まだ疲れているので今日までこの村で休ませていただけませんか」
男性が何か言おうとしたところで、老人が男性を押し退け部屋に入ってくる。
「それは村長であるワシが決めること。もちろん構いませんよ。貴女は恩人様なのですから。……今日までと言わずいつまでも」
「……お心遣い感謝します」
私はベッドから降り深くお辞儀をする。隣にいたシロの脇腹を肘でつくと不服そうにしながらも浅く礼をした。
「……ありがとう、ございます」
「いえいえ。むしろ先程の無礼をお許しください。男手ひとつで育てている子ゆえ、心配なのでしょう」
村長はチラリと男性を見た。すると男性は不服そうな表情を浮かべながらも、黙って子を連れて部屋を出た。その様子を見送った後、村長は何事もなかったかのように、こちらに一礼した後、部屋を出て行った。
今日はあまり行動せず部屋でゆっくりさせてもらおう。
シロと一緒に部屋で静かに余暇を過ごした。
◇
「トオル、起きてるか?」
「うん。……もう少し寝なくて大丈夫?」
外の薄暗さから、まだ朝ではないのだろう。何か話したいことでもあるのだろうか。
シロは、私のベッドに近づき小声で話す。身体を起こしシロを見れば、すでに身支度を済ませており、いつでも出ていける格好だった。
「さっさとこの村を出よう。村長の言い方からして、絶対引き止める気だ。これ以上情けをかける必要もないだろ」
「それはそうだけど……挨拶ぐらいしておきたいかな」
「……そんなんだから、助ける必要のない奴らまで助けるハメになったんだぞ」
ほら。とベッドから離され、ヘアブラシやタオル等を持たされる。
装飾品もどんどんテーブルに並べられ、身なりを整えたらすぐに装着されそうだ。
「……シロは魔王を倒したら、世界がいい方向に変わると思う?」
「正直わかんねぇ。俺はじいちゃんに、小さい頃から"魔王を倒すのが勇者の役目"だって言われて育っただけだからな」
小説の通りであれば、負の元凶は魔王で間違いはないのだろう。
勇者の祖父は魔王との戦争で敗れたという話が少し書かれていた。だが、戦争が起きた理由は書かれていなかった。どのような理由かは不要と判断されたのだろう。
兄は悪役は嫌われて当然。とことん悪であることを良しとしていた。
『悪は悪として散るのが良い。可哀想なシーンなんか書いてみろ。読者に悪を殺すなんて酷い! と言われかねない』
同情してほしくて、悪の死を惜しんでほしくてこの描写を書いたわけではなかったのに、そのように解釈された時に嘆いていた言葉。
悪に従ってたやつのために書いていただけなのに。と兄は言っていた。
『悪にも良いところがあるとかで悪を推す奴なんてたかが知れてる。悪の生き方を否定している時点で推しでもなんでもない』
思い出すたびに私とは正反対だなと痛感する。
身なりを整えた私はすでに外で待機していたシロに声をかけた。
「……手紙を置いてから、出発しようか」
「おう」
物音を極力立てないようにして、まだ暗い森の中へ歩みを進めた。