5
食器などを片付けた後、私は兄に用意してもらった部屋に籠ることにした。
部屋にはデスクとベッド、クローゼットが一つずつ。また、本棚もあるが、何も飾られておらず空っぽだ。
これなら何かに誘惑され作業が捗らない、なんてことはないだろう。
PCをデスクに置き、オフィスチェアに腰掛ける。
兄はあまり物にこだわらないタイプだが、執筆のために座り心地は重視しているようだ。クッションが柔らかくとても良い。
「少しでも進めないと」
そう口にしながらPCを立ち上げて、続きから執筆を始める。
――PCに文字を打ち込んでは消し、打ち込んでは消しを繰り返す。プロットや完成した小説を何度も読み返すが、どこから改変していくか悩ましい。
私は大きく伸びをし、目頭を揉む。文字ばかりで目が疲れてしまったようだ。
オフィスチェアを傾けられるだけ傾けて、天井をぼんやりと眺める。
勇者が最初から強ければこんなことにはならなかった。と言う気持ちはあるが、強すぎれば話がすぐに終わってしまうし、面白みに欠けるだろう。というか私が上手く扱える気がしない。
また、最強にしてしまえば、少女の存在が不要になってしまうし……。
前に思いついていた、途中から合流して二人で旅をして最後にはお付き合い、または結婚が無難か?
「私、無難な話しか書けないな」
兄の小説の評価と私の小説の評価の差があまりにも酷いため、追いつく追い越すなんてことは思わない。だが、劣等感を抱くには十分すぎる。
スマートフォンで時刻を確認するが、まだ10時。時間は沢山ある。
上体を起こしてPCに打ち込んだ文字を読む。唸りながら思いついたものをすべて書き出していく。
再度集中力が切れてきた頃、ドアをノックする音が聞こえた。
「休憩しない? トマトパスタ作ったんだ」
今何時!? そう思いスマートフォンの画面をつけると、14時を回っていた。確か起きたのが7時ごろだったはず。パンケーキを食べてその後はずっと部屋に籠っていたので6時間くらい部屋で頭を悩ませていたことになる。
私は慌てて扉を開け、黝さんと顔を合わせた。
「すみません。ありがとうございます」
「テンション低いね。あ、もしかしてトマト嫌いだった?」
「いえ! トマトは好きです。ただ、小説の方がなかなか思うように進まなくて……」
「なるほど。……まぁ、焦っても仕方ないよ。ほら、リビングに行こう」
私の顔を見て黝さんは微笑んだ後、私の服の袖を軽く摘んで歩き出す。
リビングに着くと、パスタが二つテーブルに置かれている。
一緒に食べるために待っていてくれていたのだろうか。
「先に食べててよかったんですよ?」
「いやぁ、頑張ってる人がいるのに先に食べるのもなぁ、と思って。……因みに隣の部屋は片付けたよ。特に君が求めているようなモノはなかったけどね」
黝さんは、残念。と言いながら少し冷えてしまっているパスタを食べ始める。その様子を眺めていた私のお腹が物欲しそうに鳴る。
「召し上がれ。食べてからまた頑張って。俺は掃除でもしてるからさ」
促されて食べたトマトパスタは、トマトのせいかとても甘かった。
かなり空腹だったのだろう。少し多いかなと思っていたパスタは、すぐに私の胃の中に全て収まってしまった。
少しゆっくりしていると、そこでやっと気づいたのが、リビングの輝きだ。
私が簡易ではあるが、掃除した時よりも遥かに綺麗になっている。気づいていなかっただけで廊下も階段ももしかしたら綺麗になっていたのかもしれない。
「掃除、ありがとうございます。今更気づいたんですが、私がした時よりも綺麗になってますね……」
食器を洗っている黝さんはそれを聞いてにっこりと笑う。
「でしょう? 検索したら掃除のやり方が沢山出てきて、試していってたらすごく綺麗になったんだ。俺、ここまで家中綺麗にしたの初めてだよ」
黝さんは、食器を食洗機に入れてからすぐにコーヒーメーカーに手を伸ばす。
そう言えば、コーヒーメーカーも綺麗になってる。
「コーヒー飲むでしょ? カフェインの摂りすぎは良くないけど、まだ今日は二杯目だしセーフセーフ」
豆を測って入れ、慣れた手つきでスイッチを押していく。黝さんが頻繁にここに来ていたことがよくわかる動作に、本当にここで過ごしていたんだなと腑に落ちる。
「兄は海外に行くと手紙だけ寄越して行ってしまったみたいですけど、どこにいるんですかね。黝さんは行き先を聞いていますか?」
「え? …………聞いてなかったんだね。どこ、だったかな。皓は話し始めると長いから、半分くらいしか聞いてなくて……ごめん」
考え込む黝さんに、もしかして兄は何処に行くとは言わずに出発したのかもしれない。と思わずにはいられない。
「気にしないでください! 兄は確かに話が長いですし、明確なことを言わないこともあるので……」
兄がすみません。と頭を下げると黝さんはすぐに否定した。
「いやいや! 透さんのせいじゃないから! 俺も皓だからって適当に聞き流してたのが悪いし、ね?」
あ、コーヒーできたよ。黝さんが話を逸らすようにコーヒーメーカーのスイッチを切って手早くコーヒーカップに注ぐ。
「大変だと思うけど、また執筆頑張ってね。おやつが欲しければ作るし、市販のが良ければ買ってくるし」
はい。そう微笑みながら、黝さんはトレイにコーヒーとシュガースティック、ポーションミルクを添えてくれた。
受け取ろうと手を伸ばすと、部屋まで持っていくよと歩き出す。
その後ろ姿に、何故か既視感を覚えた。