これは夢か幻か……後編。
気が付くと既に草むらに身を潜めて一時間は経ただろうか。
アルティは辺りの様子を見に行って今は一人だ……この嫌な緊張感の中一人だと悪い想像ばかり浮かんでくるのだけど、これはどうしようもないと思う……これから初めて、正面からモンスターと対峙するのだから。
いくら良い装備を身に付けているからって、使いこなせなければただのガラクタだ。
現世でも、モノは高性能で便利なのに使い手がダメなら事故が起きる……だからこの作戦を聞いてからの三週間は防具を付けて刀を振る事だけに集中してきた。垂直・斜め・水平これを上下左右満遍なく繰り返した……
この練習をみてアルティは大丈夫だとは言うけれど……
ここに来る前に賢者様から古流剣術の知識をもらったが、モンスター相手の実戦で役立つとは期待していなかった。
刀を武器に選んだ時点で刀での斬り方を知らなかった、そこで実戦の剣術知識として古流がカッコいい程度の気持ちだった……
しかし昨日、細い丸太を切った時に、その凄さを実感した。村正自体が凄いのかもしれないが、まるで豆腐を包丁で切った時の様な……丸太がスパッと切れるあの感覚が……なんとも……エヘヘ
「ど、どうしたの? そんなだらしない顔して……それより来たよ」
おっと、どうやら緊張から逃れる為に少しトリップしていたらしい。
『誰でもご存じ妖刀で有名な古刀「村正」が「賢者様」から貰った自分の愛刀である……ん? 賢者様ってなんだっけ?』
偵察から戻ってきたアルティの言葉に我に返り、酒樽の方に目をやると奥の森の中から黒い
塊が近づいて来るのが見えた。
見えたのだけど……
「なぁ、アルティ? 大爪熊って四足歩行のはずだよな?」
「そうだよ。見ての通りだけど?」
「……それにしては既に三メートル越えてないかアレ?」
「そりゃそうだよ。だって大爪熊の巨体種だもん」
「……」
恨めしい表情でアルティを見るが、当の本人は涼やかな表情である……
現世の熊なら大きくても立ち上がった状態で三メートル位だったはずだ。
巨体種だとは聞いていたけど、アレは立ち上がれば六メートルはあるように思えた。しかも名前の通り見た目は熊その物だが爪の大きさは半端ない、熊の爪と言うよりオオアリクイの爪じゃないのか……軽く撫でられただけで死ねるなアレは……
森の中から堂々と現れた大爪熊は、多分こちらに気が付いているんだろう……こちらを気にしながらも蜜酒の誘惑に勝てないのか酒樽に近づいて来た。
そして、もっとこちらを警戒しながら行動を起こすのだろうと思いきやアッサリと蜜酒を舐め始めたのだった。
「あんな怪しいモノをすんなり飲んだ……しかも想像と違い舌が細長いな」
目の前に現れた巨体に唖然としながらそんな感想を口にすると
「変なとこに興味持つんだね。あの細長い舌を器用に使って岩の間の蜂蜜なんかを食べるんだけど、骨から肉を削ぎ取るのにも使うよ」
「こっちの熊も蜂蜜が好きなんだ」
「蜂蜜は栄養があるからね。いろんな動物やモンスターが食べるよ」
「モンスターまで⁉」
「そうだよ。しかも何故かモンスターの方は蜜酒を好むらしいんだよね」
「……大爪熊って猛獣じゃなくてモンスターなのか?」
「どうだろう? 気にした事無かったけど、確かにモンスターと呼んでもおかしくないね」
……あれ? 猛獣を追い払うだけの話が、今モンスター退治に変わったんじゃないのか?これ……
「まぁ、何者だろうとあの極上の甘露蜜の蜜酒には抗えないよ。ほら見てよ。もう酔い始めたから」
そう言われて再び大爪熊に目をやると
さっきまでは四つん這いで悠然と蜜酒を舐めていたのが、今はフラフラと酒樽を中心に回りながら舐めている……
えっ⁉ 早過ぎないか⁉
そんなに度数が高いのか、もしくはネコ科に対するマタタビの様な作用があるのかもしれないと思い見ていると、やたら大爪熊の周りを小鳥らしきモノが飛び回っているのに気が付いた。
今からあれと対峙しないといけないのに、自分でも変な事に興味が湧くものだなっと思ったけどこれは自身の性なのかもしれない……
「なぁ、あの周りを飛んでいるのは、鳥?」
「そうだよ。蜜酒につられてハチドリが寄ってきたんだね。あの鳥は他の動物がハチの巣を襲撃した時のおこぼれが目当てなんだ。でも、ハチドリは気が強くて横取りする相手を追い払おうとして尾羽の毒針で刺してくるから気を付けてね」
何それ⁉ 怖い!
この世界のハチドリは本当に蜂の様な毒針持ちなんだ……緑や青に赤とカラフルな羽が光にきらきらと輝いて綺麗なのは現世と同じなのに……
そう言えばどこか外国には羽に毒を持つ鳥がいた気がするな。
「じゃ、レン兄。予定通りお願い。くれぐれも合図するまで近づき過ぎないでね、死んじゃうから」
「……了解した」
そう顔を引きつらせて答えた自分を置いて、アルティは移動していった。
もうここまで来たら腹をくくるしかない……目標が猛獣だろうがモンスターだろうが、相手に集中しなければどちらも洒落にならないのは同じだ。
既に大爪熊が酔い始めているのを確認して、自分はバッと立ち上がり草むらを駆け抜け相手の前に出る……当然、十分な距離は取ってである。
そして村正を構える。
そんな自分の姿を認識した大爪熊は、蜜酒が取られると思ったのか酒樽を腹の下に隠す様に覆いかぶさり咆哮した。
が、何となくその咆哮に迫力が感じられない。口元からはだらしなく舌が垂れ下がり、後ろ足では既に立てない状態だ……
これなら楽勝かも知れないと一瞬頭をそんな事がよぎったが、酔っ払いでも一撃食らえば即死だろから気は抜けない。
ここで死亡フラグを立てる様な愚行はしないさ!
『あれ? 死亡フラグ……? そう言えは……何か危険な目に合っていた様な気が……』
村正を構えて威嚇するこちらに、時折咆哮してくるが襲い掛かってくる気配はない。
一度立ち上がり両手を振り被った時にはその想像以上の迫力に思わず逃げ出そうかと思ったが、すぐにふらふらと尻餅をついていた。それ以来その場でコチラを威嚇する以外は、周りを飛び回るハチドリをたまに追い払うだけだった。
それから十数分対峙しただろうか? 今まで四つん這いでコチラを睨んでいた熊がいきなり前のめりに倒れ込みそうなほど体勢を崩した。
相当酔いが回ってきている感じだと思った瞬間、大爪熊を黄色い煙が包んだ。
「今だよ!」
その声に用意していたゴーグルとマスクをはめて、右から大きく回り込んで熊の背後目がけて走り出した。
大爪熊は完全に混乱している様で、その場に尻餅をつく形で座り込み、大きな鳴き声をあげながら両手でしきりに顔を撫でまわしている。
そして背後に近づき尻尾を確認した。
間近で見る大爪熊は半端なくデカかったが……
「大丈夫、恐怖はない! 体は動く!」
と心の中で確認して村正を振り上げた、その時……左から何か気配を感じた。
『そうだ! 思い出した! あの時、自分は大爪熊と……』
その時は、何となくの気配に、振り上げた村正を持つ右手を回転させ切っ先を下に向けて刀の背を自身の左の二の腕に押し当てて重心をかけて踏ん張った。
と、次の瞬間、体全体に左から少し衝撃があったがこれならイケる! と思っていたらいつの間にか目の前に獣の手があった。
えっ⁉ と思う間に『これはマズイ!』と反射的体が動いていた。
刀を振り下ろす事無くそのままの体制で後ろに飛び退いたのだった。しかし、運悪く着地の時に丸太を踏んでしまいそのまま背中から地面に倒れ込んでしまった。
「これは死んだかも……」
昔、自転車で吹っ飛んだ時と同じ様に倒れ込みながら走馬燈が頭の中をよぎる……
失敗した……思考が、周りが超スローモーションの様に見えていた。そして手に握られた村正もなんか淡く光って見えた……あぁ、死ぬのか……短い異世界生活だったな……
そんな事を思いながらようやく意識がリンクした。
『ああぁ……そうだ……全て思い出した……』