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BECAUSE YOU ALWAYS STAND BY ME  作者: 古蔦瑠璃
第二章 日曜日
8/63

8 図書館にて(2)

 喫茶エリアはわりかし込み合っていたけど、中央の大テーブルには幾つか空席が残っている。あたしと司くんは、それぞれに自動販売機で飲み物を買って、大テーブルの端っこの席に陣取った。

 司くんがジュースおごるよって言ってくれたけど、断った。結局この間は梓もあたしも喫茶店での飲食代を受け取ってもらえなかったし、そんなに何度もおごってもらういわれはないものね。

 司くんは大きな黒い鞄をどさりと無造作にテーブルに置いて、その手前にホットの缶コーヒーを置くと、安物のビニールを張ったスチールの椅子を引いて腰を下ろした。あたしはその隣の椅子に座って、膝の上に荷物を置いた。

 ふう、と息をつき、司くん、缶コーヒーの蓋を開ける。梓によく似た横顔が、うんと短い髪のせいで、妙に幼く見える。これだと大学生のお兄ちゃんじゃなくて、高校生の梓の弟だって言っても不自然じゃないかも。

 横からあたしがまじまじと見ていたせいか、振り向いて、問い返すような仕草でかすかに首をかしげる。似てる──似てない──どっちだろう。顔の造作、表情、仕草、ちょっとしたクセ、言葉づかい、しゃべっている内容……。

 司くんを見ているあたしの中に、いつもいつも梓を思い出して、見比べているあたしがいる。そっくりだと思っていたら、全然似ていない。でも、似てないと思ってたら、今度は案外似てるような気がしてくる。

 あたし、梓によく似た黒目がちの司くんの目を覗き込んで、もう一度聞く。


「司くん、大丈夫? 立ちくらみとかした?」

「いや」


 司くんは笑って首を振る。


「さっきは、なんか思い出せそうな気がしてさ。なんか引っかかってんだよな……。そういえば俺、どうして母親が死んだとばかり思ってたのかな、とかさ。ちづちゃんの両親のことにしたってさ、3人がどなりあってる情景は目に浮かんでも、いさかいの内容についてはさっぱりなんだよな。で、思うに、その場にいた俺自身なんだけど、何を言われても口もきかずにただ、ぼけーっとそこに突っ立ってただけのような気がするんだよな。ま、でもいいよ俺のことは別にさ」

「そうかなあ? どうでもよくはないと思うんだけど」


 あたし、そう口に出して言ってみた。


「だって、司くんが梓のこと思い出せたら、離れていた間の梓との距離だって埋まると思わない? あ、でも、距離を埋めたいと思ってるのが梓の方だけなら、それはそれでしょうがないと思うけどね。今の司くんには今の生活とか人間関係とかがあって、それは全然梓抜きでこれまでやってきたものだから、いくら梓の方だけがそうでなくたって、それはもう仕方のないことだし」

「うーん」


と、司くんはテーブルにひじを突いて、


「いやさー、実を言うとさ、俺、やっぱ気になってるよあれから。あのおねーちゃん、なんか放っとけない感じじゃん。実の母親に会いたいとかは全然ないんだけどさ。いまさらって気もするし」

「あのさ……」


 あたしはその綺麗な横顔を見ながら、ずっと気になっていたことを思い切って聞いた。


「水曜日の話だけど、暴力振るわれて育ってないって、あれ、ウソだよね?」

「へ?」


と、司くんは怪訝そうな顔になる。


「なんで?」

「だって、子供の顔面グーで殴るのって、立派な暴力だよ。それも、口が切れるぐらい殴られたんでしょ?」


 それだけ言って、あたし、司くんの様子を少しうかがった。ほんとは多分、人ごみの中でする話じゃない。けど、閲覧室と違ってここはたくさんの人がおしゃべりしててざわついているから、小さな声だと周りには聞こえない。それと、あたしが思うに、司くんは多分、周囲の目とかあんまり気にしないタイプじゃないかという気がする。でなきゃ、一見普通に見える莫さんはともかく、お京さんとかとはつきあえないと思うし。


「うーん……」


 司くんは少し考えて、こう返事をしてきた。


「説明するのが少し難しいんだけどさ、俺にとっては親父の暴力は暴力じゃないんだよ。つまり、よくニュースなんかでとりあげられてる虐待って意味のだけどさ。なんか悪さしたときなんかに、ガツンと頭をゲンコツでやられたこととかはあるよ。でも、それってアズちゃんの言ってた暴力とつながらないよね。少なくとも俺は、身の危険を感じたことはないし。確かアズちゃん、殺されるかもしれないと思ったとか言ってなかったっけ? ただ事じゃないって感じがすごく伝わってきて、聞いてるだけでびびったんだけど」

「司くんの話だって充分怖かったよ」


 あたし、そう言い返した。


「だって進路について話してただけだったんでしょ? 何も悪いことしたわけじゃないのに殴られたってことじゃない。理不尽な目に遭ったと思ったから家出したんでしょ?」

「……まあな」


 司くんがそう答えるまでに、少し間があった。


「確かにあのときは、めちゃくちゃ納得がいかねーと思って、飛び出したんだけどさ……」


 司くんは、語尾を濁して黙り込む。考え込んでいるようなシリアスな表情は、ホントに梓とそっくりで、なにかこう、思わずあたし、ぼーっと見とれてしまう。少し俯いて、司くんはゆっくりと言葉をつなぐ。


「あのときだけについて言えば、確かに親父の様子は常軌を逸してたのかもしれない。けど、人間誰だって、いつも変わらず冷静でいるわけじゃないだろ。親父にとってみれば、当然息子の俺は医学への道を選んで、いずれ親父が開業したらそれを手伝ったりあとを継いだりっていう青写真を持っててさ、だから子どもが思ってもみない違う道を望むっていうのは寝耳に水でだったわけでさ。だから子供を殴っていいのかとか、薄着で外に放り出してもいいのかっていわれたら、そりゃ、やっぱり駄目だろう。そこのところは俺にもわかるんだ。客観的事実って観点からみたらまあ、アウトだよな。だから、うーん……アズちゃんにその話をすると、めちゃくちゃややこしくなると思ったんだよな」


 司くんはうーん、ともう一度うなると、腕組みをした。


「それが俺たちの日常だったのかっていうと、やっぱ違うわけでさ。そこんところが説明しづらいんだけど」

「うん……」


 頷いたあたしに、司くんは言った。


「あのときは俺、本当に煮詰まってたんだよな。親父は親父でテンパってたしさ。お京さんは莫さんをプロ意識に欠けるとか言ってたけど、言われた莫さんもへらへら笑って何も反論しなかったけど、俺が思うに本当はそうじゃない。逆だと思うんだ。問題意識があったからこそ莫さんは俺をかくまってくれた。法に触れることがわかっていながらだ。もし虐待が本当なら、警察や行政が介入しても、親の方が強いんだ。日本の現状ではね。専門家が必死で走り回れば、たとえば命が危険に曝された子供を合法的に助けることはできるだろう。命は助けられる。だが、子供の精神的ケアは後回しだ。特に俺の場合は命に別状があったわけじゃないし、良識的な大人なら、俺がなんと言おうと警察に連絡して病院に連れていってそれで終わりだったと思うよ。それが自分の身を守る賢いやり方っていうもんだろう。でもな」


 司くんはいったん言葉を切って、それから少し言葉の調子を強める。


「もしあのとき、親身になってくれる大人が1人もいなかったら、とにかく家に帰れと皆から言われていたら、家出してみんなに迷惑かけて、そんなワガママを通すんじゃないと周り中から否定されていたら、今の俺はいない。あのとき俺は親父の態度はまるで話になんねーと思って見切りをつけたんだ。だから家を飛び出した。周りの大人が、それはそれ、これはこれと切り離して俺を家に戻していたら、俺は理不尽を理不尽だと認識できなく……えい、言葉が硬いな、感じられなくなってたかもしれないんだ」


 それだけ一気にしゃべってから、司くんははたと気づいたように笑って言った。


「なんか俺、おねーちゃんの話を聞こうと思って声かけたのに、さっきから自分のことばっか言ってるよな」


 それ、あたしが聞いたからだよ、司くん。

 司くんの話に出たお父さん、梓がずっとこだわってきたお父さん。梓と司くんが離れ離れになってしまった原因で、そして多分2人をつなぐ鍵にもなってる人。

 司くんが莫さんと出会った、そして莫さんが犯罪者にされてしまった事件は、単なる親子喧嘩というよりは、やっぱり虐待のようなものだったんじゃないかとあたし、思う。

 誰だって余裕のないとき、切羽詰るときってある。それでも、誰もが暴力って形でそれを相手にぶつけるわけじゃない。司くんは梓の昔の記憶の中のお父さんが、自分のお父さんとつながらないっていうけど、なんか、あたしが聞いた感じだと、そんなに遠いものじゃないような気がする。


「ほんとはアズちゃんにこの話をするのは嫌だったんだけどさ、心配させるから」


 そう、司くんは言い加えた。


「事件のこと知ってるんじゃ、ちゃんと説明しないわけにはいかねーもんな。なんかすげー誤解されてたみたいだし」

「あ、あれ、あたしもびっくりした」


 梓の言葉。司くんと莫さんが恋人同士だったのじゃないかと、彼女は言った。

 それで司くんは思いっきりムッとしてたけど、そういえば莫さん全然動じてなかったっけ。場合によってはそれもありだったんじゃないかって返事して、梓をけむに巻いた。ヘンな人。達観してるのかな?


「莫さんは自分がゲイだって周囲にカムアウトしてるから、ま、莫さんとつきあいがあるってだけで、俺なんかもゲイだろうと思われたり言われたりはしてるんだけどさ──それは気にしだしたらきりがないし、別にどうでもいいんだけど、それとこれとは全然話が別じゃん?」


と、司くん。


「確かに12歳が主体的に恋愛できる齢だっていうのも間違いじゃないし、同じ大学には、女子中学生──15歳って言ってたかな?──とつきあってるやつもいるって聞いた。そいつを犯罪者だとか言って訴えるっていうのも……ま、彼女のオヤが知ったら騒ぐとは思うが……俺たちにとっては当事者を差し置いて騒ぐほどのこともないっていうか、まあそういうこともあるだろうなってぐらいの認識なんだけどさ。なんつーか、莫さんはそういった人じゃないよ。対等になりえない相手を恋愛対象として見るタイプじゃないっつーの? ああ、やっぱ言葉が硬いかな」


 あたし、頷いた。司くんが言いたいこと、多分わかったと思う。司くんは、莫さんがいろんな人に誤解を受けるのが嫌なんだね。

 司くん、梓に聞いた話で、新聞記者の人が言ってた庇ったって言葉に腹を立ててたけど、今の司くんの様子を見てると、庇うって表現も、そんなに見当違いじゃないって気がするよ。

 司くんが振り向いたので、目が合った。

 あたし、笑ってこう言った。


「司くんは、莫さんのことが好きなんだね」

「へ?」


 一瞬きょとんとした顔をした司くんだったけど、次の瞬間にはふっと笑顔になる。


「そうだな。そうかもな。こう、いろんな意味で魅力的な人だと思うよ。知識が豊富だし、それでいて偉ぶったところが全然なくて、助けてくれたけど押し付けがましいわけでもなくてさ。いつだって、なんでもないよって顔をしてるんだ。事件の直後なんて、失業するわ記者は押しかけるわ私生活はネタにされるわで、ほんとは相当キツい思いをしてたと思うんだけど、なるようになるから大丈夫、とか言うしね」


 笑うと司くんの印象は梓とすごくかけ離れてしまう。陰がなくて、明るくて、屈託がない。短い髪のせいもあって、あたし、柴犬とかの普通っぽい中型犬を連想してしまった。アンニュイな猫みたいな梓とは、ホントに対照的だよね。


「尊敬してる?」


 あたし、そう聞いた。どうしてそんな言葉が口をついて出てきたのか自分でもわかんなかったけど、なーんとなく。

 そうしたら、即座に否定する答えが返ってきた。


「違うよ。尊敬ってのと、ちょっと違う。影響は受けてると思うけど。尊敬っていうと、相手に対する信仰っていうか、まるごと持ち上げてるような気持ちの悪いとこあるだろ。いや、ナポレオンを尊敬するだとか、徳川家康を尊敬するとかいうやつらを否定する気はないけどさ。そういうんじゃなくて、ただ……好きなんだと思う」


 そう言って司くん、ちょっと困惑顔になって、短髪の頭に手をやった。


「……ってこの場合、相手がいわゆるホンモノのゲイだから、こういうこと言うのは状況的にややこしいわけか」

「ううん」


 あたし、首を振った。


「ややこしくないよ。とってもわかりやすいよ」


 相手が男でも女でも小さな子供でもおじいさんでも、きっとその好きは関係ない、ただ純粋に好きなだけ。相手といて、ことんと心が動く。そのことについて司くんは言ってるのだと思う。

 梓に対するあたしの気持ちの中にはもう少し、やましい何かがある。執着心のようなもの。情念のようなもの。梓を傷つけてしまうような何か。あたし自身も傷ついてしまうような、おさまりのつかない何か。

 とりとめもなくそんなことを考えてるあたしに、司くんは、サンキュ、と言って笑った。


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