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BECAUSE YOU ALWAYS STAND BY ME  作者: 古蔦瑠璃
第二章 日曜日
7/63

7 図書館にて(1)

 秋ってなんだかどんよりと曇った日が多い気がする。秋晴れ、なんて言葉があるわりに、ここしばらくお日様の顔をあんまり見ていない。

 雨は水木と続けて降って、金曜の朝早くには止んだ。そこから土曜、日曜と曇り空が続いている。午後からまたお天気が崩れるとかで、きょうは傘を持って出かけるようにと、ママに言われた。

 おしゃれ着洗いをしたお京さんのセーターが次の日までに乾かなかったのと、週末模試があって忙しかったので、返しにいくのがすっかり遅れてしまった。下着はきのうデパートに足を運んで、新しいものを買ってきた。


 あたしはお京さんに借りた服の入った大きな紙袋を片手に、早足で図書館に向かう。

 家を出るとき、喫茶店に電話を入れたら、まだ開店前の留守電だった。駅についたところでもう一度掛けたら、莫さんがでて、お京さんは午前中は外出しているって教えてくれた。お昼まで時間をつぶして、売店でサンドイッチか何か買って、図書館の喫茶コーナーで食べてから顔を出そう。

 またいつでもお茶を飲みにおいで、と莫さんは言ってくれたけど、大丈夫、女性客もいるから、とお京さんも言ってたけど、あの晩兄貴が迎えに来るまで女の人が来店することはなかった。友達連れならともかく、1人で行くには少し勇気がいる……よね。

 きょうは梓を誘わなかった。日曜日に誘っても出てこれるとは限らないし、どのみち明日学校で会えるもの。


 司くんとの再会をめぐってのドタバタのおかげで、あの日の気まずい雰囲気は何となくすっ飛んじゃった。あれからあたしたちは、仲良しの友達のまま。学校で会って、おしゃべりして、放課後学校の図書館で一緒に宿題やって、試験勉強して……。

 でも、あたしも梓も、あれから司くんのことはなんとなく話題にしてない。ていうか、梓は何か考えてるみたいなんだけど、話題にしないから、あたしは何も聞けないの。


 あたしが聞けなかったことの一つに、いつから梓が司くんの事件について調べ始めたのかってことがある。梓が莫さんの家をどうやってか突き止めて訪ねて行ったのは去年じゃなくて、司くんがお父さんと他県に引っ越していってしまってからそんなに時間がたってない頃だったみたい。12歳で、ひとりで調べて行動して、莫さんの家にたどり着いて、でもコンタクトを取るのを拒否されて。

 莫さんのお家のインターフォンって、モニターついてないのかな。そのとき莫さんが梓を一目でも見ていたら、あんなにそっくりな2人だもの、絶対ほんとにきょうだいなんだってわかったはずだよね。

 けど結局そのときは会えないまま、さらに何年もが過ぎ去ってしまった。梓の記憶の中の司くんと、実際に再会した司くん。梓にとって、すごくギャップがあったと思うの。離れている間の時間とか距離とか、ずしーんと実感しちゃったのかもしれない。あと、梓はまだ高校生なのに、向こうは大学行って、1人暮らししてて……っていうのもね。


 あたしはあたしで、1人でぼんやり考え込んだりしてる。あのとき、どうして告白なんてしちゃったんだろう。想っているだけでもよかったのに。黙って想っているだけだったら、梓の困った顔、見なくても済んだのに。


 日曜の図書館は込み合ってる。あたし、溜息を振り払うと、気を取り直して空いている椅子を探す。

 一番奥の窓際の席が1つ。荷物を置き、鞄からノートを出して広げる。トイレや休憩室からは一番離れているけれども、写真集や美術書の近くだったから、かえって都合がいい。美術部の友達から、校内季刊誌で紹介するビアズリーのイラストに添える紹介文を頼まれてるの。文化祭に間に合うように発行するんだって。だから9月の終わりごろまでには原稿を出してくれって言われてる。その下書きをしようと、イラスト集を二冊ほどと、すこし離れた棚から国語辞典を持ってきて、机の上に置く。

 ふと思い立って、『ゲイ』って単語を引いてみると、こう書いてあった。


ゲイ=(男の)同性愛者


 同性愛って言葉は、なにか生々しいね。

 あたしは梓を好きだけど、キスしたいのかって言われると、よくわからない。抱きしめたいのかって聞かれても、それもよくわからない。

 ただ、あたしの世界のすべてのキラキラした部分だとか、息をしている、ここにいるんだって感じられる核のようなものが、全部梓を通して、梓に繋がっているって感じるだけ。だからやっぱりこれは恋だと思う。

 哲学でいうところのエロス。キリスト教でいわれている与える愛=アガペーとは相容れない感情。ただ求め、渇望する。

 梓の笑った顔、物憂げに考え込んでいる顔、首をかしげ、前髪をかきあげる仕草。ゆっくりとした歩き方。辛辣なことをいうときの、目を細めるクセ。か細い声で、おっとりとしゃべるその口調。それから梓の好きなもの。ポール・デルヴォーなんかの幻想絵画、廃墟や遺跡の写真、宵闇の空、エリック・サティの音楽。梓の見ているもの。何かの悲しみだったり、拘りだったり、諦めだったり、そういうネガティブなものに安らぎを覚えてる彼女の心。

 そういった梓のなかにあるすべてのものが、あたしは好きで、どうしようもなく惹かれてて、切なくて苦しい。キスしたら、手をつないだら、抱きしめたら、そういった苦しい気持ちが満たされるのかな? ううん、それってなんか違う。

 梓の胸を切り開いて、心臓を取り出して、それを宝箱に入れて隠してあたしだけのものにしてしまいたいのかっていうのが、なにか違うよっていうのと同じぐらい、違う。

 あたしの気持ちは、どのみち行き場がない、形にするのももどかしい、そんなもやもやとした想い。

 それでいてあたし、自分の気持ちがよくわからなかったりもするの。

 司くんを見て、おずおずと、でも安心したように柔らかく笑った梓を見て、なんていうか、きりきりと胸が痛かった。

 莫さんの、12歳の君はもう、大人が当てにならないことを知っていた、って言葉を聞いたときも、会ったばかりなのにすんなり梓を理解してるみたいに思えて、なんだか腹立たしかった。

 腹立ちと、苛立ちと、不安がないまぜになって落ち着かない。

 司くんは梓の血のつながった弟なのに。莫さんはゲイだって……それも真性の(って言い方でいいのかわかんないけど)ゲイで、女の人が恋愛対象になることは絶対ないって聞いたのに。

 兄貴が下心いっぱいで梓の周りをウロウロするのよりも(それはそれでムカつくんだけど)、もっと不安になる。


 兄貴には悪いけど、兄貴は梓のことなんて、なーんにもわかっちゃいないと思う。自分のペースに巻き込もうとして近づいてくる人を、梓は拒絶する。だから兄貴は分が悪い。

 夕べ梓を送り届けたあと、車の中で兄貴に告白の件を問いただした。そうしたら兄貴、「ま、考えてみてよ」って言ったんだ、と笑ってた。だからあたしは、ここでしつこくしたら嫌われるよ、と忠告した。そうしたら、やきもちやくなよ、とか何とか軽くいなされた。兄貴のことは別にいいんだけど。何百回告って、何百回振られようが、いい気味、としか思わないもんね。

 あのとき、梓が兄貴のことをすぐに教えてくれたのが、あたしは嬉しかった。兄貴よりもあたしの方が梓の近くにいるんだって確かめられたから。


 ビアズリーの画集を広げたまま、ぼんやりと物思いにふけっていたら、すぐ横に人の気配を感じて、あたし、顔を上げた。


「よう」


 本を数冊小脇に抱えた司くんが、こちらを見て笑っていた。この前あったときよりも、もっと髪が短くつんつんになってる。


「1人? メシでも食わね?」


 ナンパの常套句みたいなセリフに、あたし、ちらりと腕時計を見る。まだ11時少し前。司くんは机の脇にしゃがみこむと、小声で言った。


「調べ物? でも、時間があれば、あとでつきあってよ。俺もここで調べ物してるとこだから。そっちの用事が済むまで待つからさ」

「あっ、あたしの方はたいしたことじゃないの」


 あたし、広げていた画集をパタンと閉じると、慌てて言った。


「お昼から、お京さんに服返しに行こうと思って、時間つぶしてるだけだから」


 斜め向かいでレポートを広げていた男の人が、顔を上げてじろりとこちらを見た。

 静かな図書館の一角。小さな声でしゃべっても結構耳に付く。あたし、よりいっそう声をひそめて、提案した。


「喫茶エリアに移動しない? 席、いっぱいかな?」


 司くんも時計を見た。


「今すぐ移動すれば、まだ空いてるかもな。でも、その前にこれ、館外持ち出しの手続きしてきていいかな」


 司くんは抱えていた本の束をちょっとあげて見せた。


「それから戻ってくるから、ちょっと待ってて」

「じゃ、あたしも中央カウンターのところに行くよ。あたしも借りたい本、あるから」


 2冊の画集の裏表紙をひっくり返して見て、貸し出し可になっているかどうかをチェックしながら、あたしは言った。うん、大丈夫。古典絵画の美術全集のようなものだと、館内閲覧用になってて持ち出し不可なんだけど、ピアズリーとか、エッシャーとか、ギーガーなんかは意外と簡単に持ち出せるのよね。


「じゃ、俺も席に置いてる荷物を取って、中央カウンターに行くから」


 そういうと、司くんは早足で本棚の陰に消えた。




 鞄にノートとペンケースを詰めて、借りたい本を抱えてカウンターへ行くと、もう司くんは来ていて、なにやら大きくて分厚い雑誌のようなものを係のお姉さんに返しているところだった。


『新聞ダイジェスト 76年版』


 全部で6冊積み上げたその一番上の雑誌の表紙に、そう書かれていた。

 あたしはその隣の受付で、カードを出して、貸し出しの手続きをした。3日前に借りた本はまだ家にあるけど、この図書館では、1枚のカードで合計5冊まで借りられる。

 手続きを済ませたら、閲覧室から休憩室に続く廊下に出て、司くんを待った。

 待つってほどでもなく、すぐに司くんも出てくる。大きめの黒い鞄を肩から下げている。司くんは、にこりと笑うと言った。


「つきあわせちまって悪いな」

「別にいいよ、ヒマだもん」


 あたしはこう答えながら、多分梓のことだろうな、と考えた。この間は、なんか司くんの話ばっかりになっちゃって、梓の話に全然ならなかったもんね。でも、本人に了解とってからでないと話せないこともあるかもよ。っていっても、梓のおうちの事情なんてあたし、よく知らないんだけど。


「昔の新聞読んで、勉強してたの?」


 廊下を歩きだしながら、あたしはさっきお姉さんに返していた新聞ダイジェストが気になって、そう訊ねた。


「ん、ちょっと調べ物」


 それから司くんは、こう説明してくれた。


「この図書館へは、最近通いだしたんだ。大学の図書館だと新聞のバックナンバー5年分しか置いてなくってさ。ここ来たらずっと昔の資料まで辿れるって聞いたから」


 梓とあたしがここの図書館に来るようになったきっかけも、昔の資料だった。確か週刊誌のバックナンバーが豊富にあったからだったと思う。他にも本がいっぱいで、高校の図書館なんかと全然規模が違う。だから、一度来だしたらはまっちゃうのよ。コミックのコーナーまであるんだから。


「そっかー」


 あたし、納得して頷いた。


「それで、これまで出会わなかったんだね。会えば一目でわかるもんね。おんなじ顔だから」

「世界のどこかには自分そっくりな人が必ずいる、とかいうだろ。俺、それに会っちまったかと思ったよ。血が繋がってるって考えたほうが、全然自然なのに、思いつかなかったもんな。冷静に考えれば、ズレまくってるよな」

「ねえ、司くんちには、お母さんの写真とかなかったわけ? ていうか、お父さんに聞いたりしなかったわけ? 亡くなってるなら亡くなってるで、お墓はどこにあるのかだとか、どうしてお墓参りしないのかだとか……」


 あたし、疑問に思ってたことを、そう口に出してみる。


「うーん、そうだなあ」


 司くんは考え込む様子で、


「そういえば、俺、墓参りってほとんど行ったことないや」

「おじいさんや、おばあさんはどうしてるの? おじいさんとか元気でも、ひいおじいさんとか、ひいひいおじいさんとかもいるじゃない。それに、親戚の中で、亡くなったりした人っていないの?」

「うん。親戚にも会ったことないんだ」

「ないの? 親戚に?」


 司くんのお父さんって、一切親戚づきあいがない人なんだ。そういうことも、あるのかもしれないけど、なんだか信じがたい。事情があるのかな? 孤児だったとか、親戚がいなくて天涯孤独だとか。


「そういえば……」


 考え込む声で、司くん。


「ちづちゃんの両親ってのに、一度だけ会ったことあるな。多分俺は小学校の低学年だったと思うんだけど、手を引かれて、どこかの家に連れて行かれて、お父さんとお母さんよとかいって紹介されて、でも、そのあとなんか喧嘩になって、その家の人たちとちづちゃんが大声でどなりあった挙げ句に、ちづちゃんが怒って俺の手を引いて、そこを飛び出して……」


 喫茶エリアのある休憩室に入る自動ドアの手前で司くん、いったん立ち止まった。


「あれ? あのときって、親父と彼女……もう一緒になってたっけ?」


 司くんは立ち止まったまま、おでこに手をやって、ドアの端っこによけて壁にもたれた。しばらくそのまま動かない。

 あたし、心配になって聞いた。


「どうしたの司くん? 大丈夫? 気分、悪いの?」

「ああ、いや」


 司くんは顔を上げて、ちょっと首を振る。


「わりぃ。行こうか」

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