6 事件の真相(3)
あたし、その言葉にびっくりして思わず梓の顔を覗き込んだ。どこでどう考えをめぐらせて、梓がそういう結論を導き出したのか見当もつかなくて、バカみたいに口をぽかんと開けたまま。司くんはというと、一瞬えっ?て顔をしたあと、はーと溜息をついて、なんでだよーと、独り言みたいにぼそりとつぶやいた。
梓は首を傾げ、違ったかしら?と聞き返す。
「アズちゃん、それさー、何ていうか、莫さんに失礼だよ」
司くんは腕組みをして、難しい顔で返した。
「ていうかありえねーって。ゼッタイありえねー」
それから司くんはまた、独り言のようにぶつぶつと続けた。
「ったくその、あずさねーちゃんが会いに行ったっつーボケ記者も、庇ってたってどういう意味だよ。どういう主観でものを言ってるんだよ。俺が説明したのは全部ほんとーのことだっつーの。ほんとのこと言ったら庇ったことになるのかよ?」
「タオ、まあ落ち着けよ」
そう言った莫さんは、険しい表情の司くんとは対照的に、ふんわりした微笑みを浮かべてる。えーと、ひょっとしておもしろがってるような顔──なのかな?
司くんは莫さんを見上げてぶっきらぼうな調子で返した。
「別に落ち着いてる」
「お姉さんと鞠乃さんがびっくりするだろう」
「びっくりしたのはこっちだよ! 大体なんであんた何を言われてもしれっとしてるんだよ」
「いろいろ言われるのには慣れてるからね」
そう、莫さんは肩をすくめてみせた。
「それにお姉さんが悪いわけじゃない。得た情報から見えてくるものを、好意的に解釈してくれたんだろう」
「好意的ってどこが? 小学生に手を出すようなやつだと思われているのに?」
「12歳は一般に思われているほど子供じゃないと私は思うよ。法的には自己決定権はないけれども、実際には十分主体的に行動できる齢だし、恋愛だって可能だろう。もちろん個人差があるとは思うがね」
「話を一般論に持っていくなよ」
「一般論のつもりはないよ。多分──これは私の推察だが、お姉さんは自分のことと引き比べて……12歳の時の自分のことを考えてみて、そう思ったのではないかな?」
そういって、莫さんは伺うように梓を見る。
「どうかな? 梓さん」
目を見開いて見上げた梓に向かって、莫さんは言った。
「僕を訪ねてきたときの君も12歳だったけど、司くんを捜すことを自分ひとりで決めて、考えて、行動したんだよね。大人が当てにならないってことも、君はもう知っていた」
梓は莫さんをじーっと見返したまま、黙っている。
「だから同じように、司くんが自分で考えて決めたことなら、それがどんなにとんでもない──思いもよらないようなことでも受け入れようと思ったんだ」
「私……」
少しの沈黙のあと、梓は視線をテーブルに落としながら、小さな声で答えた。
「そこまで言葉にして、ちゃんと考えていたわけじゃないわ」
そして、口元だけで小さく微笑む。どこかさびしそうな笑顔。
「でも、そうね、そうかもしれない。私、決めつけで物事を見ることだけはよそうと思ったんだわ」
「つーか、その前にまず事実関係を疑ってくれよ、頼むからさ」
司くんは腕組みをしたまま、梓の言葉を遮るように大きな声で言った。
「莫さんは、俺たちの──親父と俺の親子喧嘩に巻き込まれただけなんだよ。ていうか、要するに俺が巻きこんじまったんだけど」
司くんは、ぬるくなったコーヒーを一口だけ飲むと、椅子の背にもたれて、また腕組みをした。
「ちょうどクリスマスの晩だったからよく覚えてるんだけどさ、あんとき中学進学についてもめてさ……。医大付属の私立を受けろっつって親父がいうもんだから、医者にはならない、バイクの修理工になるんだって言ったら、顔面をグーで思いっきり殴られた。腹が立ったからこっちも殴り返して、あとはしっちゃかめっちゃかよ。んで、途中で頭を冷やせって言われて、2階のベランダに出された。けど、向こうが頭に血が上ってるのに、こっちだけ頭冷やせるか? 雨どいを伝って庭に下りて、そのまま逃走した。所持金ゼロだったから、とにかく歩いたんだ。ムカつきながら、ガンガン歩いた。とにかくまっすぐ道をどこまでもってやつさ」
梓とあたし、顔を見合わせた。司くんはさっき、暴力振るわれて育ってないって否定したけど、この話聞くだけでも結構ハードだよ。
「あ、勘違いしないでくれよ。おねーちゃんが心配してたみたいな、日常的に暴力振るわれてたとかはないからな。それに、ちづちゃん──義理のかーちゃんが殴られたのを見たとかいうこともなかったしな」
「最初会ったとき、まず私は虐待を疑ったけどね」
莫さんが横から口をはさんだ。
「道で見かけたとき、真冬だっていうのに、半そでのTシャツ一枚で、上着も着ていないし、おまけにそのTシャツも血だらけで。靴も履いていなくて裸足だったんだ。しかも警察を呼ぼうかと言ったら、警察から家に連絡が行くから警察は嫌だ。車に乗せて病院に連れて行こうとしたら、病院も通報されるから嫌だ。迷惑がかからないようにその辺で車を降りると言い張るのをなんとか言いくるめてうちまで連れて行ったんだ」
「迷惑も迷惑、結果的にすっげー大迷惑かけちまったよな」
司くんは肩を落とし、溜息をついた。
「親父が警察に届けを出しちまってさ、息子が行方不明だっつんで。そんで俺が莫さんの車に乗るとこを目撃してた人が通報して……当人たちのあずかり知らぬところで、気がついたら莫さん誘拐犯ってことになってた」
莫さんはふんわりと微笑んだ顔のまま、首を振る。
「私は君と違って、自分のしたことが原因で起こり得ることを予測できる立場だった。だから君のせいじゃないよ」
莫さんを見上げて、強い口調で言い返す司くん。
「少なくとも、あのあと俺があんたのところに居座ってなけりゃ、あんなふうに延々誤解が一人歩きして大騒ぎになることはなかったはずだ。でも……」
と、司くんはもう1つ溜息をついた。
「要するに、居心地がよかったんだよな。俺は行き詰っててしかも自分ひとりで整理整頓できないぐらい混乱してて、あんたがあれこれ意見をさしはさまずにただ話を聞いてくれるのがとにかく心地よくってさ」
「そうだったかな?」
莫さんは、少し首をかしげる。
「私はずいぶん君を引きとめたような気がするがね。それどころか、出て行くのなら警察に連れて行くといって脅してあきらめさせた記憶があるよ」
それから莫さんは、カウンターの方を振り返った。さっきからずっと、お京さんがこちらを見ているのを気にしていたみたい。お京さんは、莫さんに、こいこいと手招きをする。莫さんは頷き、京平にコーヒーを入れてサンドイッチを持ってくるから続きはあとで、と言って、カウンターに戻っていった。
司くんは、あたしたちの方に向き直った。
「俺は莫さんがゲイだってことを知らなかった。だからあとで病院に連れて行かれて、カウンセラーと称する白衣のおねーさんにいろいろ聞かれたときも何がなんだかわけわかんねーとしか思わなかったし……知ったのは……なんとか事情が呑み込めたのは、テレビの悪意のある報道でだったんだ。でも、悪意で見ていたといえば、そこらじゅうがそうだったさ。マスコミも病院も警察も、1つの見方しかしない。とにかく莫さんは極悪な誘拐犯で、俺はいたいけな犠牲者ってわけだ。俺が事実はこうだって説明しても、まともに取り合ってくれるやつはいない。なんだっけ、ストックホルム症候群だかなんだかぐちゃぐちゃわかんねー説明してさ」
少し苛立った声の司くん。
「莫さんは日本弁護士協会を除名になった。動機などのこまかい点についてはともかく、誘拐事件として立件されてしまったから、どう動かしようもなかった。迷惑かけた。ホントにすごく迷惑かけたんだ。だから──」
と、司くんは梓の顔を見て、
「あんたにまで、そんな風に思われるのはひどく不本意だっていうか……勘弁してくれっていうのが正直なところなんだ」
「……ごめんなさい」
梓は小さな声で、だけどなんだかちょっぴり嬉しそうな顔で謝った。あたし、梓の気持ちがわかった。きっと司くんの、あんたにまで、って言葉が嬉しかったんだね。
司くんは、柔らかな声の調子に戻って言った。
「いや、もちろんあんたが悪いわけじゃないってのはわかってるんだけどさ。ひどく心配かけてたみたいだし……さ」
梓は上目遣いに司くんを見た。そして、少し強い口調でこう答えた。
「ええ、そうよ。……心配していたんだから」
ちょっとためらったあとで、思い切って声に出して言った、そんな雰囲気。
「なのに、やっと見つけたあなたは全部、何もかも忘れてるんだから」
「それは……ごめん」
司くんは顔の前で両手を合わせた。
「俺、ほんとに小さい頃の記憶っていうのがとにかくおぼろなんだ。言葉も遅かったみたいだし、小学校低学年の頃は、頭も悪かったみたいでさ。学校の勉強も、家庭教師がつきっきりで教えてくれて、やっとついていけてたらしい。それで、親父が新しいかーちゃんのちづちゃん──ちづちゃんはその家庭教師の1人だったらしいんだけどさ──彼女と結婚……あーと、再婚したのがいつかも、よく覚えてないんだ。ていうか、昔のこと思い出さなくても誰も困らなかったから、そもそもあんまり考えてみたこともなかったんだけど」
「そうだったの」
今度は梓が溜息をついた。それからおもむろにストローを包装紙から取り出してグラスに差し、静かにグレープフルーツジュースを飲む。それから梓は、テーブルに目を落としたまま、ぽつんとこう言った。
「けど、あの人が再婚できていたなんて、なんだか信じられない」
「あんたの記憶にある親父は……そんなにおっかねーやつだったの?」
司くんはそう聞き返す。
「確かに親父には、気が短いところも独善的なところもあるけれどもさ。そういうところ、ずっと気に食わないとは思ってはきたけど、その……あんたの話を聞いていると、自分の力をコントロールできないっていうか、人間として許せる範囲を超えてたみたいな印象なんだけど」
「少なくとも私は、そう思ってきたわ」
物憂げな梓の声。
「覚えているかぎりでは、ママはおびえて、いつでもピリピリしてて……。あの人が帰ってくる時間になると、家中の空気が緊張するのがわかるの。あの人はちょっとしたことで腹を立てて、ママを殴ってた。間に割って入ってママを庇ったあなたも殴ってた。それでもあなたはあの人に向かっていって、しょっちゅう蹴られたり、突き飛ばされたりしてた。……私は怖くて、怖くて、ママとあなたとで、私を守るように後ろに後ろに押しやってくれるのに、一番安全なところに居たはずなのに……怖くて、いつも泣いていたわ。あの人があなたを連れて出て行ったとき、自分の片割れを無くす恐怖とは裏腹に、自分だけが助かったっていう安堵感もどこかにあって、それがすごく後ろめたかったんだわ」
梓はうつむいて目を閉じた。
「私、あなたを捜し出して、謝らなきゃと思ったの。私だけ、私だけが助かって、あなただけがひどい目に遭ってきたんじゃないかって……だったら、あなたを見つけ出して、できることなら何でも、できるかぎりの償えることをしようって……」
「アズちゃん」
司くんは低くて優しい声で、梓の言葉を遮った。
「まず、俺はなんにもひどい目に遭ってきてないから安心してよ。それから、あんたが謝ったり償ったりしなきゃならないことは、ひとつもない。謝らなきゃいけないやつがいるとしたら、そんなひどい記憶を植えつけたまま、あんたとあんたのお母さんの元から去った親父だと思うしね」
「でも……」
「むしろ俺にはあんたの方がひどい目に遭ってきたように見えるよ。苦しむ必要のないことで苦しんできた。俺が何も考えずにのほほんと生きてきた間にさ」
梓が顔を上げ、司くんを見る。泣き出しそうなぐらい目を見張った梓に、司くんは笑いかける。すっごく優しい顔。梓のことが大事だよって、そんな感じの表情。さっきは全然覚えてないって言ってたくせに、ちょっと調子よすぎじゃない? 双子だから気持ちが通じやすいのかな? それとも梓に、そういった何か庇護欲をかきたてるようなものがあるのかも。
そんなこと考えながら司くんの顔をぼんやり見ていて、はたと我に返る。やだ、あたし、梓の兄弟にまで嫉妬しても仕方がないのにね。でも、張りつめた細い糸のような梓の緊張を解きほぐしてしまうこんな笑顔は、あたしにはあげられないもの。安堵したように表情を緩める梓を見ながらあたし、またすこーし心が沈んでいくのを感じてた。ゆらゆら揺れる自分の気持ち。今は黙って向き合ってるしかない。
司くんは、少し考えてからこういい加えた。
「今度帰省したとき、それとなく親父に聞いてみるよ。ガキの頃を思い出したとか何とか言ってさ。あんたの名は出さないほうがいいよな。今でも怖いんだろ、親父のこと」
「司は、怖くないの? あの人のこと」
「怖くないよ。親だもん。俺にとってはずっと親だしね」
そう、司くんは笑った。
「それに、あんたの記憶の中の、妻を殴っていた男ってイメージが、どうも俺の中で親父とつながらないんだ。親父とちづちゃんは、まあまあ仲のよい夫婦やってるように、傍目には見えるしな」
それでも梓は、まだ腑に落ちないって顔で聞く。
「けど、司、さっきの話は?」
「何?」
「さっき小宮山さんが言ってた……」
「ああ、殴り合いの親子喧嘩したってこと?」
梓は頷いた。
「最初会ったとき、あなたは怪我をしてたって言っていたわよね」
「んなオオゲサなもんじゃなかったと思うんだけどな」
司くんは両手の指を組み合わせてでテーブルの上に置くと、ひじを伸ばし、軽く伸びをするような姿勢で椅子に背もたれた。
「でも、そうだな。あんなにむちゃくちゃやりあったのは最初で最後だったかもな。その、覚えてねーようなチビの頃に、全然叶わない親父に向かっていったとかは別としてさ。莫さんも間が悪いっつーか、運が悪かったんだよな。よっぽど俺が深刻そうに見えたのかもしれないや」
「莫の場合はね……」
と、後ろから声がして、振り向くとお京さんがサンドイッチを持ってやってくるところだった。
「1つには普段からの素行が悪すぎたのよ」
トン、と音を立てて、お京さんは梓の前にサンドイッチの皿を置いた。
「タオ、あんたさ、内密の話があるとか言ってたくせに、声がでかいからまる聞こえなんだけど」
「いや別に内密の話はもう終わってるし……」
答える司くん。そうね。司くんの言った内密の話って、あたしが気まずい別れ方をした梓と会う前緊張していたのを気遣っての、短い会話のことだったと思うもの。
「ふーん? じゃ、あたしもまぜてもらっていーい?」
言いながらお京さん、司くんの隣の椅子を引き寄せて、もう座ってる。
そしたらカウンターの莫さんがこっちを向いて、声をかけてきた。
「おい、京平がそっちに座るんなら、こっちにコーヒー出した意味がないじゃないか」
「カップをこっちに持ってきて!」
澄ました顔で、お京さんは答える。
「お願いね、マスター」
「なら最初から自分で運んでいけよ」
莫さんはぶつぶつ言いながらも、コーヒーを運んできて、お京さんの前に置いた。
そのままきびすを返してカウンターに戻ろうとする莫さんを、お京さんは呼び止める。
「あら、あんたもここ来て座んなさいよ」
「4人がけのテーブルじゃないか」
「椅子を持ってくればいいでしょ、ほら」
と、お京さんは、隣のテーブルから椅子を移動して、テーブルの横に置いた。
「通路に椅子を置くと、邪魔になる」
「別にいいじゃない。混んでるわけじゃなし」
「これから混む時間帯だよ」
「あら、混んでないじゃない」
「これからっていっているだろう」
「だって今、あんたの話をしてるのよ、莫。例えば自動車教習所の教官がスピード違反で捕まったら洒落になんないじゃない。彼らは普通のドライバーが普段走る程度のスピードだって出さずに、法定速度を守って生活してるのよ。あんたが資格を剥奪されたのだって、似たような理由だわ。自分で自分の身を守る手立てはいくらでもあったのに、それを怠っていたの。だからあたしは同情しないっていう話」
お京さんは、テーブルのそばに立っている莫さんに、それだけ一気にまくし立てた。
莫さんは、別に腹を立てた様子もなく、苦笑して言った。
「手厳しいね、京平は」
「そーお? でも、これ、特に辛辣な見方とかじゃなくて、普通の感想だと思うわよ。莫みたいなのはね、プロ意識に欠けるっていうのよ」
莫さんは肩を竦めた。
「面と向かって言うところが、手厳しいのさ」
「ふふ、陰であれこれ言うよりはマシでしょ?」
お京さん、司くんの方を振り返る。
「でもタオは責任感じてるみたいなのよね。挙げ句、あんたの代わりに弁護士になるだなんて、泣かせるじゃない」
「だからお京さん、そうじゃない、それは誤解だってさっき言ったじゃないか」
すかさず司くん。
「そりゃ、影響受けたと思うし、きっかけにもなったところはあるけれど、それだけだ。俺が法学を勉強してるのは、自分が納得するためだし、要は自分のためだから」
そして司くん、独り言のように、ぼそぼそといい加える。
「それとこれとは別……ってやつでさ」
カラン、と、ドアのベルが鳴る。今度の客は3人連れ? と思ったら、1人はカウンターに、2人はあたしたちの横を通ってすぐ隣のボックス席に座る。そのすぐ後からまた1人、ドアを開けて入ってきて、それぞれの濡れた傘をドアの脇の傘立てに突っ込んで、カウンターの端っこに腰掛ける。
時計を見ると、6時半を少し回っている。定時に仕事が終わった人がやってくる時間なのかな?
女性はいない。お京さんみたいな性別不詳な空気をまとっている人もいない。見た感じ、普通のサラリーマン風だとか、自由業風だとか、学生風だとか。
と思ったら、2人連れの片割れの、少し太ったサラリーマン風の人が、甲高いさえずるような声で、言った。
「莫ちゃん、ホットお願いねえ」
「あっ、あたしはアイスオレね」
もう片方のやせた方もそう言った。2人ともスーツを着て髪を短く刈っているのに、口を開けば女言葉。見た目と口調の落差に、ちょっとびっくり。
莫さんは2人の注文を復唱すると、失礼、と言ってお京さんが通路に出してきた椅子を、2人が座っているテーブルに戻すと、カウンターに戻っていった。
お京さんが梓の方を向いて、にっこりと笑った。
「初めまして。タオのお姉さん? あたしはタオの友人の藤永京平。お京さんって呼んでね」
「司のお友達」
大きな目を丸くして、おっかなびっくり反復する梓に、司くんがおっかぶせるように言った。
「だな。ていってもこっちがいろいろアドバイスとか受ける一方で、なかなかギブ&テイクって関係じゃないけどな」
「あらぁ? あたし何かアドバイスとかしたっけ?」
「ツッコミいれるとも混ぜっ返すともいうけどな」
司くんはそう返した。
「それで目からウロコってこともあるってこと」
司くんは、お京さんに梓を紹介する。
「お京さん、ここに居るおねーちゃんは森園梓。俺の生き別れの双子のねーちゃん。俺はぜんっぜん知らなかったんだけど、梓ちゃんは、ずっと捜しててくれたらしい。きょう聞いたばっかで俺自身も驚いちゃってるとこ」
それから司くんは梓に向かって言った。
「お京さんは莫さんの旧友なんだ。高校生の頃からの付き合いなんだってよ。俺とは7年越し。職業は美容師さん。腕は確かだって聞く。俺は切ってもらったことないけど」
「和服の着付けもできるわよ」
そう、お京さんは付け足した。
「今、失業中だけどね」
「お京さんは半年ぶりにインドから帰ってきたところなんだ。普段はもっとこう……」
司くんは、言葉を捜しながら説明する。
「普通に女の人に見える格好をしてるんだけど……変な言い方だな」
「旅行するのに髪を切っちゃったからねえ。また、おいおい伸ばすことにするわ」
そう言ってお京さんは笑った。性別不詳の、ずいぶんアヤシイ雰囲気の、司くんのお友達。普通に高校生だとか大学生やってて、あんまり知り合いになれるタイプじゃない。きっかけがあって知り合ったとしても、友達になるのにちょっと尻込みするようなタイプかもしれない。
そこであたし、さっき奥の座敷から出てきたときの、お京さんに向けて言った司くんの言葉を思い出す。
司くんは気にしないんだね。莫さんがゲイでも、お京さんが性別不詳でも、そんなこと気にする人の方が嫌なんだね。
うん、そうだね、お京さん。いつか機会があったら、一緒に司くんのアパートに遊びに行こう。声には出さないけど、お京さんの顔を見ながら、あたし、そう考えた。
「それでさ……」
司くんが続けた。
「鞠乃ちゃんは梓ちゃんのガッコのクラスメートで友人なんだよな」
と、あたしたちに確認するようにして、お京さんに説明する。
「あっ、違います」
どうでもいいことなんだけど、あたし、思わず訂正を入れる。
「いまのクラスは別なの。学年は一緒なんだけど。高1のときに同じクラスだったの」
「なんだぁ」
あたしたちのやり取りを聞いたお京さんは、そう溜息をついた。
「じゃ、やっぱり鞠乃ちゃん、あんたのカノジョじゃなかったの。2人して濡れ鼠で入ってきたのを見たときは、いーい雰囲気だと思ったんだけどなぁ」
「だからお京さん、違うってさっきも言っただろ?」
司くんはあきれたように言った。
「ちゃんと人の話、聞いてる?」
「つーまんないのぉ」
「何でだよ」
「オクテだと思ってた子に、やっと春が来たかと期待したのになぁ」
「大きなお世話だよ」
「だってあんた、勉強バカでしょ? 莫があんたぐらいの頃は、もっと遊んでたわよ」
「勉強バカで悪かったな。それに、ここで莫さんを引き合いに出しても意味ないだろ?」
司くんの言葉が聞こえているのかいないのか、お京さんは、莫の場合は男遊びだけどねーといい加えた。
それからお京さんの話は、莫さんの普段の品行の悪さとやらに及ぶ。
昔っから男の子引っ掛けてマンションに連れ込むのがお得意だとか、だからどっからかタオ連れてきたときもとうとう年端の行かない子にまで手を出したのかと、よく知ってるあたしですら一瞬血の気が引いたぐらいだから、周りがどういう目で見ようがどうにもフォローのしようがなかっただとか……。
「お京さん、それって当人抜きの陰口っていわねーか」
司くんが軽口をたたくと、お京さんはにっこりと笑った。
「あら、陰口なんかじゃないわよお。だっておんなじこと、莫の目の前でも言ってるのですもの」
お京さんと司くんのやりとりを横目に、梓が小さな声で、あたしの耳元にそっと聞いてきた。
「そういえば、鞠乃、制服は? その服どうしたの?」
「ああ、これ、お京さんが貸してくれたの。ずぶぬれになっちゃって。制服は奥の部屋にハンガーで吊るしてる。乾くのに二時間ぐらいかかるって。それはそうと……」
あたしも雨のことを思い出して、急いで訊ね返す。
「ねえ、梓、傘は? 買って来てくれた?」
「買ってないわ」
梓は首を振った。
「え? どうして?」
「ケータイ切ったすぐあと、偶然お兄さんに会ったの」
「え? お兄さん?」
一瞬何のことかわからず、おうむ返しに聞き返したあたしに、梓は説明する。
「鞠乃のお兄さんの和也さん。お店の前の道に車を停めて、雑誌を買ってたの。それで送ってくれるっていうから、ここまで送ってもらったの。傘、買おうと思ったんだけど、帰りも迎えに来るから要らないって」
「ええーっ、兄貴がここ来るのおー?」
あたし、思わず声のトーンが1オクターブ下がる。
梓は頷いて言った。
「ええ、だから用事が終わったら、鞠乃から電話するようにって伝えてくれって」
「やだなーもうサイアク。大体なんだって兄貴は、駅の周りをウロウロしてんのよ」
あたしは兄貴がうっとうしい。いちいち口うるさいし、過干渉で過保護だし、兄貴がここ来るなんて、行動を見張られているようですっごく面白くない。ここがあたしの好きな図書館の近くで、図書館の周りに兄貴が出張ってくることになるのも気に入らない。
帰りも迎えに来るから傘は買うなって……大きなお世話っていうのよ。クルマの免許とったばっかで運転ゲロ下手なくせに、あたしの大事な梓を乗せて、事故にでも遭ったらどうすんのよ。
むかっ腹を立てながら梓を見ると、少し困ったような表情の彼女と目が合った。
「あのね、鞠乃……」
梓は、司くんとお京さんの方を気にしながら、そっと小声で耳打ちしてきた。
「さっき和也さんに……言われたの。その……つき合ってくれないか、って」
え?
ええええええええーっ?????
アタマの中に吹き出しが噴出しただけでなく、あたし、実際に思い切り声に出して叫んでたみたい。
びっくりしたようにこっちを見る司くんとお京さんの顔の間で、隣の席に腰掛けた2人組の男の人も、目を丸くして振り向いた。
あたし、思わず両手で口を押さえ、それでも何とか気を取り直して、小声で聞き返す。
「で、梓、何て答えたの?」
梓の性格だと、もし兄貴に脈があったとしても、イエスって即答したとは考えにくい。それでもこう聞いたあと、あたしはドキドキしながら彼女の答えを待った。
「断ったわ。悪いけど、友達のお兄さんとしか思えないって」
「うん」
多分そうだと思ってたけど、少しホッとする。……けど、梓、さっき図書館であたしに言った言葉といい、兄貴に対しての返事といい、振り方に芸がなさすぎ。
それにしても、兄貴ときたら、そんなのってあり? 妹のあたしに黙って、知らないうちに妹の友人に……親友に……想い人にモーションかける? そう思うと、またムカついてきた。
「電話なんてしてやらない。雨、止むまでここで粘って、歩いて帰ってやる」
腹立ち紛れにそう言ったけれども、居場所がわかっている以上、連絡がなくても遅いぞとか言って勝手に迎えに来そうだ。
仕方がないので、あたし、携帯を出して、兄貴に連絡入れる。
8時に梓を降ろした場所で待っててと告げる。
「8時は遅すぎだ。7時半にしろよ」
電話の向こうの兄貴の声。それだと制服乾かないなー、なんて思いながら、じゃ、7時半、と訂正する。
「このあと、どこかで飯でも食おうよ。梓ちゃんも一緒にさ」
どこかで飯でも……って、交際申し込んで断られたばっかだってのに、めげてないっていうか図太いっていうか……。
「あたし、軽く食べちゃったよ。梓も今食べてるとこ」
「そうか。じゃ、またの機会でいいよ。7時半にな」
あたし、上にはあがってこないで下で待っててよ、と念を押してから、電話を切った。
兄貴がゲイの人たちのことをどう思っているのかあたしにはわからない。あたしたちはそういう話をしたことがない。ゲイの人のことに限ってでなくて、そういう……お互いの頭の中身を見せっこするような話を……って意味だけど。
司くんの立場は、とってもわかりやすいね。単純な言い方をすれば、司くんは莫さんやお京さんの味方だ。あたし、司くんともっといろいろな話がしてみたいな。ふと、そんなことを考えた。