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BECAUSE YOU ALWAYS STAND BY ME  作者: 古蔦瑠璃
第一章 水曜日
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2 看板のない喫茶店(2)

「さ、そこのあなた、えーと……」

文月鞠乃ふづきまりのです」

「まりのちゃん。可愛い名前ね。イメージぴったり。あたしの名前は藤永京平ふじながきょうへい。みんなにはお京さんって呼ばれてるわ。まりのちゃんもそう呼んでね。さあさあ、早くあがってらっしゃい。さっさと着替えないと、風邪引いちゃうわ。タオ、あんたはそこで待ってなさいね」


 お京さんは、あたしの手を取って引っ張った。


「早く靴、脱いじゃいなさい。やだ、靴下もびしょびしょじゃない。白いソックス、いーわねぇ。セーラー服も可愛いなぁ。バスタオルもう1枚用意するわねえ」


 なんだか逆らえなくて、あたしは言われるままに靴を脱ぎ、靴下も脱いでお京さんの広げたバスタオルで足を拭き、新しい畳のいい匂いのする部屋に足を踏み入れた。

 後ろ手に障子戸を閉めようとするお京さんに、司くんが言った。


「ちょっと待てよ、なんでそこ、閉めるんだよ」

「あら、彼女の着替えるとこ、見たいの?」

「じゃ、なんでお京さんが一緒なんだよ」

「やーね、まりのちゃんが着替えるときは、あたしも廊下に出てるわよ。服とインナーを選んでもらうだけ。わかった?」


 お京さんは、司くんの鼻先でぴしゃりと戸を閉めた。


「お京さん」


 障子越しに司くんが言う。


「あんたは、両方いけるクチだって、莫さんから聞いてる」

「心配しないで。こう見えてもあたし、まだ喪が明けてないの。でなくてもヒトのカノジョに手を出すほどがっついちゃいないわよ。もう、そういう齢じゃないしさ」


 司くんは、お京さんの誤解を訂正しない。両方いける、っていうのは、たぶん、男も女もっていう意味だよね。あたしは司くんのカノジョでもなんでもない、今しがた会ったばかりだ……っていうのは、この際口に出さないのがいいってことなのかな。

 それより、司くんが濡れた服のまま廊下で待たされてる状態なのが気になった。あたしに傘をさしかけて、彼は雨に濡れてしまったんだもの。そうしてくれって頼んだわけじゃなくて、彼の勝手だったんだから、責任を感じるいわれはないんだけど。でも、やっぱり気になる。季節は9月の終わり。暖かい日は汗ばむぐらいだったけど、今日はわりかしひんやりしている。雨は冷たかったし、身体が濡れていると、空気ももっと寒く感じる。


「あの……」


 あたし、思いきって切り出した。


「そっちのドアの向こう、洗面所なんですよね。あたし、あっちで着替えてきます。服はなんでもかまいません。それより、司くんにも早く、何か着替えを貸してもらえませんか」

「いいわよぉ」


 お京さんは、なんだかはしゃいでいる様子で、


「なんでもいいんなら、あたしが選んじゃうわね。んーと、これと──これ」


 お京さんが取りあげてあたしに渡したのは、襟元にフェミニンな花柄のレースのついたピンクの無地のセーターに、バイアスにチェック模様の入ったプリーツスカート。


「ウエストゆるいと思うけど、ローウエストにして履いてちょうだい。セーターをオーバーにすればわかんないって。ブラだとサイズが違いすぎるから、きっと合わないわね。カップはともかくアンダーバストが全然違うもの。パットつきのキャミソールがあるから、はい、これとショーツを合わせてね」


 お京さんは、透明プラスチックのパッケージに入ったままのインナーを、あたしに手渡した。


「言っておくけど、まだ触ってないわよ」

「いえ、あたし、気にしてないです。それより、ありがとうございます」


 あたしはお京さんの渡してくれた着替えを持って、急いで洗面所に向かった。




「つかさクンかぁ……いいわねぇ」


 お京さんが、後ろでそうつぶやいた。と思うと、声を張り上げてその名前を呼ぶ。


「つかさくぅーん。もう入ってきていいわよぉ」

「だれが司くん、だよ」


 司くんが、そう答えたのが聞こえた。

 あたし、洗面所のドアを閉めたけど、壁が薄いのか、声はそのまま聞こえてくる。


「だってあんたの本名なんでしょ。あたしたちには名乗らなかったくせに、カノジョには下の名前で呼ばせてるんだ。それにしてもさ、まりのちゃん、まだ中学生でしょ。タオ、あんた犯罪者よ」

「その1、まりのちゃんは、会ったときから俺の本名を知っていた。その2、今現在、あの子は俺のカノジョじゃない。その3、あの制服は聖優学園の高等部の制服で、あの子は高校2年生。中学生じゃないよ」

「えーっ、うっそー」


 お京さんの素っ頓狂な叫び声が聞こえた。


「高校生? おっさなーい」


 そんな大声で言うことないじゃない。あたしそれ、普段から気にしてるんだよ。どっちかっていうと背も低いし、顔も幼いから、なかなか年相応にみてもらえないってこと。下手をすると中学生どころか、小学生に見られかねないってこと。だから、私服ではなるべくアダルトな感じを意識して、こんな可愛いピンクのセーターなんて、絶対着ない。でもこれ……襟のレース模様なんてさりげなく繊細なつくりになってて、かなりものがいいみたい。それと、ちょっと大きめで、袖も長すぎる。スカートのウエストも、かなりぶかぶかっぽい。これってやっぱり……お京さんが自分で着るために買ってきたの?

 できれば下着は替えたくなかったけど、やっぱり全部びしょびしょになってたから、結局お京さんの好意に甘えさせてもらうことにした。でも、あとで買って返したほうがいいよね。パッケージを丁寧にたたんで、脱いだ服と一緒にカバンに入れた。図書館で借りた本と携帯は、カバンから出した。濡れると大変だもの。ほんの一時前、図書館の入り口の石段に座ってたときは、借りた本も、携帯も、何もかもどうでもいいと思ってたけど、やっぱりどうでもよくはないよね。

 2人の会話は、あたしに聞こえてることなんかまるで気にしていない様子。


「……ていうか、お京さんさー、高校の制服ぐらい区別つけろよ。市内に幾つもないんだからさ。確か女子高生の知り合いが、何人かいただろ?」

「黎成高校の女の子たちのこと? あそこのブレザーもいいわよねぇ、スカートと同色のツートンのネクタイがいかにもアイビーウェアって感じで……」


 そして、うっとりとした声で、お京さんはいい加える。


「一度でいいから着てみたぁい」

「言ってろよ」

「聖優の制服、見たことはあったのよ。けど、最初まりのちゃんを一目見て、中学生だと思っちゃったから、もうこれは先入観ってやつよね。ところでタオ、あんた着替えないの?」


 司くんにそう尋ねたお京さんの声は独特の甲高さで、壁越しでもとてもよく聞こえる。

 対する司くんの声は、ぼそぼそとしていて、少し聞き取りづらい。


「洗面所が空くのを待ってんだ。それか、お京さん、あんたが後ろ向いててくれてもいいんだけどさ」

「あらん、男同士なんだから、気にしなくていいでしょ。それとも、意識してくれてるのかしら?」

「あのなー」


 困惑したような司くんの声に、きゃらきゃらと甲高い笑い声がかぶさった。


「やーね、困った顔して……。冗談だって、冗談。あたし、お店の方に行ってるわね。着替えたら出てきなさい。写真に触るんじゃないわよ。順番変えたら整頓手伝わせるからね」


 障子が開いて閉まる音がして、お京さんは部屋から出て行ったみたいだった。あたし、ちょうどセーターに袖を通したところだったけど、司くんが着替え始めているのだったら、着替え終わっても出て行かないほうがいいよね。ちょっと困ったシチュエーション。手持ち無沙汰で、洗面台の下にあった椅子を引っ張り出してきて座る。

 と、そのとき携帯が鳴る。メールだ。

 鉛を飲みこんだような重苦しい気分と、めまいと、ほんの少しの期待。あたしはのろのろと携帯に手を伸ばし、アドレスを確認する。梓からだった。


『鞠乃のキモチには応えられないけど、トモダチでいて欲しい。ダメでなければ返信ください』


 いつも通り、シンプルでちょっと他人行儀なメール。梓らしい。でも、こういうときは何かもう少しフォロー入れて欲しいと思うあたし、甘えてる? 

 ダメだなんて、言えるわけがない。梓のいない世界なんて、あたし、考えられない。これまでと同じヘビの生殺しっていう状態が、たとえこの先もずっと続くとしても。

 あたし、少し考えて、返信はいつものような他愛のない調子で打った。


『(┰_┰)雨に降られちゃったー。最悪だよ~~!!! あずさは大丈夫だった?』


 たくさん言いたいことあったけど、さっきは、うまく伝えられなかった。梓は迷惑そうな顔はしなかったけど、済まなそうな顔をしてたから、これからあたしは、自分の気持ちを言い表すのが、きっと怖くなる。それでも、梓のそばにいて、声を聞いて、あのどこかさびしげな横顔を間近に見て、梓の持っている世界に触れていることができなくなったら、あたしの世界は色あせて、永遠に降り続く灰色の雨の中に閉じ込められてしまう。

 メールを送ったあと、あたしは回転椅子に腰を下ろしたまま、白い天井をぼんやりと見上げた。

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