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BECAUSE YOU ALWAYS STAND BY ME  作者: 古蔦瑠璃
第一章 水曜日
1/63

1 看板のない喫茶店(1)

 いつのまにか、雨が降りはじめていた。あたしは、図書館の入り口の石段に腰をおろして、ぼんやりと、空を見上げていた。通りから人影は消え、植え込みの緑だけが風にさわさわと揺れていた。

 (あずさ)の最後の言葉が、くっきりと耳に焼きついていた。


鞠乃(まりの)のことは好きよ。でも、友達としか思えないの。ごめんね」


 それは半ば予期していた、けれども予期していた以上につらいセリフだった。

 梓はすまなそうに、うつむいたまま出ていった。休憩室には他に人影はなく、1人取り残されたあたしは、カバンを肩に引っ掛けて、ゆっくりと図書館を出た。頭の中は真っ白で、口の中がカラカラに乾いていた。

 渡り廊下の向こうにある別館の閲覧室でしばらく新聞をめくってみたけれども、字なんか1行だって読めなかった。気がつくと、図書館の入り口に座って、雲の垂れ込めたグレイの空を眺めていた。

 雨は見る見る土砂降りになり、アスファルトを激しく叩き始めた。ここから駅までは、少し距離がある。雨に降られて歩いているはずの梓が気になった。彼女は身体が弱い。風邪をひかなければいいけれど。

 彼女のおっとりとした、少し物憂げなか細い声が、もう一度耳をかすめ、胸がうずいた。梓は、あたしの告白を聞いても、驚きもせず、密かに怖れていた嫌悪の色も浮かべず、ただ、すまなそうな顔をした。それは、ときおり見せるさびしげな顔にも似ていた。今度はあたし、落ち込む代わりに、なんだか少し腹が立ってきた。

 そのとき、だれかが傘をさしかけてきた。


「入ってかない? 駅まで行くんだろ?」


 少しハスキーな男の声だった。聞いたことのない声だったし、あたしは、ふりむきもせずに答えた。


「けっこうです」

「けどさ、そのままだと日が暮れちまうぜ。図書館も閉まっちまったしさ」

「困ってないのでお気遣いなく」


 ああ、なんかうるさい。そう思いながらも、そんな感情はなるべく表に出さず、あくまでもそっけない声でそう返す。


「こっち見てくんないかな、まりのさん」


 そうしたら相手は突然、少し低い、まじめっぽい声になって言った。


「聞きたいことがあるんだ」

「え? どうして、あたしの名前……」


 驚いて、思わず顔をあげたあたしは、2度驚いて、今度は絶句してしまった。


「……梓」


 やっとそれだけつぶやいたあたしを見下ろしていたのは、彼女そっくりの顔をした男の子だった。


「さっきのそのあずさって子だけどさ、なんで俺と同じ顔なんだ?」

「あなた、もしかして」


 あたしは不意に思い出して、がばと立ち上がった。


(つかさ)くん?」

「なんであんた俺の名前、知ってるの? 俺たち、知り合いだったっけ?」


 彼は心底不思議そうな顔でそう聞いてきた。


「てことは、やっぱり司くん?」

「司は俺の名前だけど、どこであんたに会ったっけ?」

「会ったことあるわけじゃなくて……」


 聞かれてあたしは首を横に振る。


「あたしはあなたのこと、梓から聞いて知ってるだけだよ。ていうか似てて当たり前だよね? 双子なんだから」

「双子? 俺、そんな話、知らねー」


 梓によく似た顔が、今度は戸惑った表情になる。


「第一あんたら高校生だろ。俺、19歳だぜ」

「彼女もそうだよ。心臓の病気で2年遅れてるんだもの」


 再び疑問が頭をもたげてくる。


「そっちこそ、なんであたしの名前、知ってるの?」

「ああ、悪い。さっき休憩室で……」

「あたしたちの会話、聞いてたの?」


 あたし、ぎょっとして立ちすくむ。彼は少し言い訳めいた口調になる。


「だってさ、ふっと見ると、俺と同じ顔があるじゃん。何なんだろうってつい気になって……」

「さよならっ!」


 彼が全部を言い終わるのを待たず、あたしは逃げ出そうとしたが、彼、司くんは、傘を持っていないほうの手で、あたしの腕をむんずとつかんだ。


「待てよ」

「ちょっと! 何すんの! 離してっ!」


 反射的に腕を上げて振り払う。


「あっ、ごめん」


 彼は慌てて手を離しはしたけれども、とっさにあたしの行く手に回り込みながら大きな声で言った。


「けど頼む。頼むから、ちょっと待ってくれ! さっき立ち聞きしたことは謝る。悪かったよ。声、かけそびれちまったんだよ」


 聞かれてた。さっきあたしが告白したところ。そして、梓に断られたところ。少しうつむいて梓が出て行ったところ。引き留める言葉なんて一言も思いつかず、自動ドアが開いて閉まるのを、ただ呆然と見送ってたところ。

 行く手を遮られ、逃げ場のなくなったあたしは、精一杯言い返した。


「そんなの別にもういいよ。けどもう放っといて」


 声がうわずって泣きそうになっているのが自分でわかって、くやしかった。


「あたしのことはもう放っておいて。お願いだから」

「まりのさん……」


 あたしは、もう一度その場にしゃがみこむと、両手に顔をうずめたまま言った。


「行って。もうあたしに構わないで」


 彼はしかし、沈黙したままその場を動かずにいた。石畳を叩く雨の細かい粒が飛び散って、黒いブーツを履いた彼の足元に跳ねかかっている。さしかけた傘に降りかかる土砂降りの音が、大きく頭の上で響いてくる。

 あたしたち。どれぐらいの間そうしてたんだろう。まるで土砂降りの雨の中に閉じ込められてしまったみたいに。

 やがて、あたしは妥協した。のろのろと顔をあげ、傘をさしかけた少年の、女の子みたいな綺麗な顔を見上げた。あたしに傘を差し出していたせいで、彼自身もすでにずぶぬれになってしまっている。


「梓の何が聞きたいの?」

「それよりどこかで服を乾かさなきゃ。このままじゃ、風邪引くよ。俺も、あんたも」


 彼は、にこっと笑うと手をさしだした。まじまじと見ても、区別がつかないぐらい梓に似ている。いくら双子でも、男と女で、こんなに似た2人はちょっといない。司くんのほうがいくぶん背が高かったし、梓は髪を長く伸ばしていたけど、そんな些細な違いは、2人が驚くほど似ていることになんの影響も持っていないみたいだった。血が通っていないみたいな、透き通った綺麗な顔から、生身の人間に見えないぐらい華奢なところまで、そっくりだった。

 けれど、差し伸べられたその手は、梓の手よりだいぶ骨ばっていて、大きくはなかったけれど、暖かだった。それに、梓はこんなに屈託のない顔で笑わないもの。




 石段に座っていたあたしを引っ張り起こした司くんは、そのままあたしの手を引いて雨の中を早足で歩き始めた。あたしは黙って手を引かれるままに歩いた。口をきくのが億劫だった。あとで考えるとこの男、とんでもなく馴れ馴れしいやつだったかもしれない。けれども、そのときのあたしには、そんなことを考える気持ちの余裕が、まるでなかった。

 2つめの角を左に曲がってすぐのレンガ色の建物に入ると、彼は傘を閉じ、2階に続く狭くて急な階段を上り始めた。

 階段の下で立ち止まって、あたしは尋ねる。


「ここどこ?」

「知り合いがやっている喫茶店があるんだ。ドライヤーを借りて、服を乾かそうぜ」


 彼は、とって返すと、あたしの手を取って引っ張った。


「ほら、まりのちゃん、早く。」

「表に看板なんてあった?」

「いいから急ごう、ほら」


 階段をのぼりきると、ちょっと凝った木のドアがあって、看板がかかっていた。『TEA ROOM 獏』とある。司くんは、あたしの手をとらえたまま、ドアを押して店の中に入った。

 カウンターの奥でカップを拭いていたマスターが、顔をあげる。


「いらっしゃい、タオ。久しぶりだね」


 司くんを見て、その男の人は、口元に笑みらしきものを浮かべた。30過ぎぐらいの背の高い、ハンサムな男の人。やや細おもての顔に口ひげをたくわえている。ぱりっとした白いシャツに、ダークグレイのツイードのベストを着ていて、喫茶店のマスターというよりも、バーテンダーみたいな雰囲気。

 店内には見たところ他に客らしき人影はない。

「奥、借りていいかな?」


 司くんは、挨拶は省略して、尋ねる。


「ドライヤー、置いてたよね」


 それから司くん、返事を待たずにカウンターわきのPRIVATEと書いた札のかかったドアを開け、振り返ってあたしを呼んだ。


「まりのちゃん、こっち」

「でも……」


 少し気後れして、マスターをちらりと見る。けれども彼はもう、そ知らぬ顔で、タンブラーを磨いている。

 司くんが引き返してきて、あたしの腕をつかんで、ずんずん引っ張っていく。


「早くしないと風邪引いちまうだろ」


 すると、マスターは、視線を手元に落としたまま、口を開いた。


「タオ、きょうは奥に先客がいるよ」

「何?」


 司くんは、立ち止まる。

 マスターは、磨かれたタンブラーを明かりにかざして曇りを確かめてみながら答える。


「京平が来てる」

「お京さんが?」


 司くんは振り返って、聞き返す。


「じゃ、インドから戻ってきたんだ」

「みたいだね」

「話、聞いてないの?」

「写真を整理するんだとか言って、来るなり奥にこもりっきりだよ」


 それからマスターは、あたしを目で指して、こうも言った。


「彼女が驚くんじゃないのかな」

「あたし……?」


 突っ立ったまま司くんとマスターを見比べるあたしを、司くんはもう一度引っ張る。


「いいさ、別に。行こうぜ」



 ドアの向こうには短い廊下があって、段差のある板張りのスペースになっていて、その向こうには障子を張った引き戸があった。段差の脇に簡単なつくりの靴箱が置いてあり、靴箱の中には、ヒールのついた紫色のブーツが入っていた。え? ヒール……?

 司くんは板の間に腰を下ろして手を伸ばし、引き戸を開ける。畳の部屋だった。部屋いっぱいに、現像済みの写真が並べられている。


「うわ、壮観!」


 司くんの声に、部屋の隅で写真を眺めていた男の人が、顔をあげる。年のころはマスターと同じぐらいか、マスターよりも、少し若いぐらい。やや長めの髪は金色っぽい明るい茶色に染めている。黒のタートルネックのシャツに、モカ・ブラウンのコーデュロイのパンツ。ほっそりしていて粋な感じだけと、黒いマニキュアを塗った指と、大きめの石でできたピアスが、妙な違和感。


「タオ……?」


 この人も、司くんのことをタオと呼ぶ。変に甲高い声だと思っていたら、彼は立ちあがり、金切り声を上げた。


「きゃー! ダメ、入ってこないで。滴が落ちちゃうじゃないの。そこで待ってなさいよ。今、バスタオル出してきてあげるから」


 彼はばたばたとあちこちの引出しを開けて、タオルを捜し始めた。


「お京さん、そこじゃないよ」


 司くんは靴も脱がず、板張りの上に座ったまま、言った。


「多分洗面所の籐の籠の中。でも、俺たちドライヤーを借りにきただけだから、ここでいいよ。延長コードさえこっちまで伸ばしてもらえれば」

「ああ、これね。わかったわ……」


 お京さんは、ぶつぶつ言いながら部屋の奥の引き戸を開けてのぞき、バスタオルを持ってやってくる。


「延長コードなんかどこにあるんだかわかんないわよ。それよりあんた、びしょびしょじゃないの。傘持ってなかったの?」


 言いながら、お京さんの目があたしに止まった。


「あら、とっても可愛いお連れさんだわ」


 お京さんは、バスタオルをあたしのほうに差し出す。


「まず、あんたが先に拭きなさい」

「え?」


 戸惑っているあたしに向けて、お京さんはバスタオルを広げ、そのままふわりとかぶせてきた。柔軟剤のいい匂いがしたかと思うと、頭をくしゃくしゃっとされた。強い力でなくて、優しい感じ。美容師さんみたいな力加減。


「ドライヤーもいいけど、着替えたほうが早くない?」


 髪の毛を拭いたタオルをあたしの肩にかけながら、彼?……彼女?……彼だよね? は司くんの方を向いて聞いてきた。


「この子もあんたも服までずぶ濡れじゃないの」


 あたしがバスタオルで一通り服を拭きおわると、お京さんはそれを受け取って、今度は司くんに渡す。司くんは、それを受け取りながら聞いた。


「着替えなんて、ないだろ」

「あら、今日は偶然」


 お京さんはそう言って、部屋に散乱した写真を壁際に寄せ始める。


「ちょっと待ってて。新しい服、買ったばっかなのよね。まだ袖を通していないのもあるから……え、と、紙袋っと……やーね、一人旅が長かったせいで、独り言のクセがついちゃって、もう」


 お京さんはぶつぶつ言いながら、紙袋を四つばかり引っつかんで持ってきた。


「この中から着られそうなの、選んでちょうだい。ちなみにブラやパンティもあるわよ。男物の下着は悪いけどないわ」

「待った、お京さん」


 パンツやブラウスやセーターやスカート(スカート?)を次々と広げた上から、女物の下着を並べようと取り出しかけるお京さんを、司くんは慌てて止める。


「いくら新品だからって、変態の男が選んで触った下着を着けるの、女の子は嫌じゃないかと思うんだけど」

「失礼ね、変態だなんて。トランスジェンダーって言ってちょうだい」


 お京さんは、司くんの言葉を聞きとがめて、抗議した。


「変態っていうのはね、幼い子供にどうしようもなく欲情しちゃうとか、嫌がる相手と無理やりするのに燃えるだとか、でなければ逆に、ぶたれたり足蹴にされたりヒールで踏んづけられるのが快感だとか……」

「待った、待ーった。ストップ!!」

「あーらごめんなさい。おほほほほ」


 お京さんは口を押さえて笑った。


「品がなくてごめんなさいね。ついでに言い加えさせてもらえば、快楽殺人者なんかも変態だわね」

「変態の定義はもういい。俺が悪かった。口が滑ったんだ」

「口のきき方に気をつけないと、お店蹴り出されるわよ。ここに出入りしているのでノンケの男って、あんたぐらいのものなんだから」


 にっこり笑って、お京さんは言った。笑顔は優雅だけど、その分迫力があって、なんだか怖い。

 けど、ここに出入りしている人って、つまり、えーと、お京さんみたいな人ばっかり……トランスジェンダーって言うの?……ってことになるのかな? 表に看板出していないのって、ひょっとすると、そういう意味?

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