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コルセット事件

 ━━ほどほどで済ませろと言われたって困るんだよな。


 ぎゅっと締められたコルセットで息を詰まらせ、ソフィーは内心で毒づいた。見合いに行く娘にかける言葉としては(れい)点である。しかも久しぶりの外出がよりによって見合いというのは、大幅な減点対象だ。


 とはいえ相手は天下のオブライエン公爵家。婚約に至って欲しくはないがさりとて不興を買いたくもない、という、今世の父の気持ちはソフィーにもよく分かる。前世で日本人だった記憶があっても、白い世界に生を受けてもう十七年。いい加減、魔法と階級社会の世界にだって慣れるというものである。


 たとえ魔力そのものがない、下らない希少種に生まれたとしても。


 しかしコルセットを着けるとなると、話は変わる。


「ねえ……今時こんなに、締める必要、あるかしら?」

「お見合い、ですもの」


 メイドは力んでいるのが分かる、歯の間から出したような声で言った。人力でコルセットを締める作業は七面倒なものである。どんな淑女でも愚痴を言わずにはいられない。メイドもメイドで内心は非難轟々(ひなんごうごう)である。


「さ、終わりましたわ。いかがですか?」

「ありがとう。何とか息はできるみたい。魔法仕掛けのコルセットを使えたら━━」


 ━━もっと楽に済んだのに悪いわね、と言おうとしてソフィーはやめた。場の空気が凍り付くのが分かったからだ。


 昨年のこと。魔法仕掛けのコルセットが誤作動を起こし、令嬢の肋骨が折られるという事態が起きた。内臓も損傷してしまったという。


 とても有名な事件で、当然ながらメーカーは自主回収に追われることとなった。幸いにも専属魔法士がコルセットを破壊し、速やかに怪我を治療したことにより、被害者である令嬢は回復したというが。


 “対処が遅れれば、哀れな令嬢は上半身と下半身に分かれていたに違いない。”


 有識者(ゆうしきしゃ)によるその意見は、刺激のない社交界にもゴシップ好きの平民たちにも素晴らしい話題を提供した。


 “優秀な魔法士を雇っていたのは不幸中の幸いだったという他ない。”


 件の有識者は個人的見解としてそんなことまで述べた。結果、魔法士たちの地位は更に向上することとなった。


「━━ほら新商品が出たじゃない? アイリーン嬢が便利だと言ってたのよね。羨ましいわ」


 ソフィーは慌てて誤魔化しにかかった。あまりに明らかなので微妙な空気が流れたが、最悪の空気になることは免れた。


 コルセットに誤作動が起きたのがソフィーなら、きっと上下に分かれて死んでいただろう。事件の報道に触れたとき、誰も口に出してそうとは言わなかったし、魔道具を軒並(のきな)み受け付けないソフィーには起こり得ない事態だと知っていたが、オルドリッチ伯爵邸の全員がそう思った。


 回想しつつ、ソフィーは朗らかに付け足した。


「コルセット自体が柔らかくて薄いんですって」


 (もっと)もソフィーとしては、事件の日に運悪く専属魔法士ピアソンが休暇だったのが、伯爵邸の者たちの不安を煽っただけのことだと理解していた。


「ねえジョイス。ほどほどって、随分難しい注文だと思わない? どうしたら良いものかしら」


 話題を変えつつ、ソフィーは鏡に映っているウエストを締め上げるそれを睨んだ。コルセットの件に関しては貴族が時代遅れだ。ある新進気鋭のデザイナーの影響で、平民の若い娘たちはコルセットを捨てている。


「失神なさらなきゃよろしいんじゃないでしょうか。あたし、オブライエン公爵家から何処かのご令嬢が担ぎ出されたって、聞いたことがございます」


 愚痴ってやろうと思っていたのに、にっこりと愛嬌たっぷりに笑われて、ソフィーもつられて笑った。特に笑える状況でなくとも、ジョイスの笑顔はつられ笑いを引き起こす妙な魅力があるのだ。


「失神なさるなんて、一体何をご覧になったのかしらね、そのご令嬢」

「さあ……お顔が真っ青だったのは確かだそうですので、お怒りになった訳ではなさそうですが」

「怒って失神だなんてそうそうないでしょう。お年寄りじゃないんだから」

「そうでしょうか。結婚なさらない限りいつまでだってご令嬢ですわ」


 ソフィーの部屋中、ソフィーはもちろんのことメイドたちも皆、くすくすと笑った。ドアを閉めてはいるが室外にも()れ聞こえていることだろう。


「ねえ。イザベラは何か聞いていて?」


 ソフィーがイザベラに水を向けると、くすくす笑いが少しずつ静かになった。ただソフィーの長いブルネットを梳る音と、ドレスの衣擦(きぬず)れの音、そして暖炉で(まき)がはじけるパチパチという音だけがする。だが、それは嫌な沈黙ではなかった。


「いつ聞いてくださるかしらとお待ちしておりました」


 沈黙を破ってイザベラが答えた。鏡越しに、ソフィーの深い栗色の目とイザベラの鮮やかな緑色の目が合う。


「流石だわ」

「と、申しましても、公爵家様ともなるとなかなか情報が出て参りませんのが世の常ですが」

「仕方がないわ。社交界にも滅多に……いいえ、全くおいでにならない方だもの。私が言えた義理ではないけど」


 珍しく自信なさげなイザベラをソフィーは励ました。


「どんなことでも是非教えて欲しいわ。心の準備がしたいの。もし失神して頭の打ち所が(まず)かったら、貴方たちとのお茶だってできなくなるかもしれないじゃない?」

「それは一大事ですわね」


 ちゃんと乗っかってくれるジョイスの優しさがありがたい。一人が乗ってくれたお陰でメイドたちがあれが美味しかったと会話に花を咲かせ出した。


「さて……」


 止まるところを知らぬ会話を、ソフィーはそっと止めた。お喋りが止む。


「イザベラ。貴方が聞いたことを聞かせて。ここだけの秘密にするし、どんな内容でも決して貴方を責めないと誓うわ」


 イザベラが利発そうな緑の目でソフィーを見つめ返す。不意に、その虹彩に怯えが過ぎった。ソフィーは、イザベラが自分の持つ情報に自信がないのではという気がした。


「やっぱり支度が終わってから聞かせてくれるかしら。まだ心の準備ができていないみたいなの」

「未来の旦那様候補ですものねえ」


 間延びした相槌をジョイスが打つ。それをしみじみありがたく思いながら、ソフィーは頷いた。


 漸くイザベラがソフィーに忠告したのは、二人きりになった瞬間のことだった。

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