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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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仮痴不癲

作者: 小城

 16世紀には、科学の発達により、錬金術は、なりを潜めた。ただ、それ以前にも、錬金術は、世間一般から見れば、現代でいうところの、賭博に手を染めるようなものであり、あの人は錬金術を生業にしているなどといえば、あの人はギャンブルで生活しているというようなものであった感は否めず、なにぶん、錬金術といえば、インチキくさいものではあった。それを端的に、表現しているものが、錬金術士を題材としたブリューゲルの絵であろう。一方で、16世紀は、大航海時代とも言われ、ユーラシア大陸のはるか東の果ての島国にも、ヨーロッパ大陸の人々が足を踏み入れていたことでも知られる。

「れんふらんと。」

 平戸にたどり着いた倭寇船に、そのような名で呼ばれていた南蛮僧が一人、紛れ込んでいた。パラケルススの弟子であるという彼は、後に、ポルトガル商船に乗り込み国を出て、当時は海禁政策をとっていた明国に潜伏し、密貿易商のもとで、『周易参同契』や『抱朴子』などの錬丹術書を手に入れ、明国人の手を借りて、それを研究したという。

栄璃希砂えりきさ

 彼が日本に来たのは、彼がそう呼んでいる物を探しに来たのである。

「明国の書物には、東海の島国に、不老不死の仙薬があると聞く。それが、えりきさのことだ。」

 それは、石とも砂ともいう。おそらく、鉱物の一種ではあるが、れんふらんとは、それがあれば、路傍の石も金銀に変えることができると言っていた。

「臨寛。」

という文字で、明国では、れんふらんとのことを呼んでいた。

「りんかんという名か。」

 ラテン語を書くような形で、れんふらんとが、紙に書いた漢字を読んで以後、日本人たちの間では、れんふらんとは、臨寛りんかんと呼ばれるようになった。

「名などなんでもいい。」

 臨寛の目的は、えりきさを見つけることであった。彼は、南蛮寺を拠り所として、明国で得た知識を使い、各種、有機物、無機物を手に入れて、混合を繰り返していた。が、本来、キリスト教の伝道が目的の、イエズス会士たちは、彼を背徳者であり、似非者であるとして、追放した。実際、彼は、イエズス会士の会員では、あったものの、それは、彼の行う目的を達成する方便でしかなかった。

 イエズス会を追放されたあとも、彼は、各地を転々としつつ、錬金術を続けていた。その目的を異にすれば、臨寛は有能な伴天連僧であった。ヨーロッパの医学、占星術などに加え、明国の薬学から火薬の製法まで掌中に収め、明国語や日本語も習得していた。そんな彼は、行き先々で、病人を見たり、火薬の製法を教えたり、時には、占いをしたりして、金穀を得た。髪は切らず、髭も伸びたまま、錬金術を行う臨寛の風貌は、天狗、仙人のようであり、妖しげな異人僧の噂として、村々の人たちに広まりつつあった。

「真田八郎。」

 元は遠江浜松の人で、そういう人間がいた。元は、というのは、やがて盗賊崩れとなり、今は、伊賀の百地家の下人になっているからである。

「五右衛門。」

と伊賀で彼は、そう呼ばれている。

「臨寛の所へ行って、これを渡して来てくれ。」

 盗賊稼業をしていたところを、逆に、百姓に追われて、伊賀に逃げ込んで、拾われた。

「名は捨てろ。これからは、五右衛門と名乗るがよい。」

 百地丹波に拾われた所が、石川村であったので、石川五右衛門と名乗った。

「石川五右衛門にござる。」

 臨寛は、伊賀里から少し離れた、草津に近い山中に住んでいる。

「百地殿から頼まれた物だ。」

 ゴトンと平包みに包まれた物を土間に置いた。中身は石であろう。この臨寛という僧は、何十年も前から、ここに住み続けているという。伊賀の服部、藤林、百地の3人は、かつて、彼から、硝石の製法を聞いたという。

「古い土の中に硝石は産する。」

という臨寛の言葉に従って、民家や寺の床下を堀り返して、灰汁で煮詰めると、その言葉通り、硝石が出た。

「糞尿や腐った草木が入っている土は、より多くの硝石を産する。」

 臨寛の教え以来、伊賀では、山野草や糞尿を土に混ぜて、腐らせた物から硝石を産するようになった。

「水銀が必要故、辰砂を持って来てはくれぬか。」

「造作もない。」

 その見返りに、伊賀者は臨寛を手伝った。彼らは、臨寛から頼まれた物を、どこからか入手してきて、彼に渡す。

「御坊は、ここでなにをしているのだ?」

 五右衛門が臨寛の小屋に来るのは、何度目かのことである。見渡す先には、岩石や植物の根やらが置かれている。五右衛門が、この問い掛けを臨寛にしたのも、何度目かである。しかし、いつも臨寛は、黙したままであった。

「栄璃希砂。」

 五右衛門の問い掛けに、臨寛が答えたのは、初めてであった。

「えりきさ?」

「不老不死の薬のことだ。」

 石臼で、何かを粉にしていた臨寛は、手を伸ばしていた。

「辰砂をくれ。」

 五右衛門は包みを持って行った。

「今は昔、支那を訪れた旅人が、じぱんぐという東の孤島のことを書物に記した。」

 臨寛は、玄翁と鑿を使って辰砂を砕きながら、話している。

「その書物には、じぱんぐの住民は、沢山の黄金を持ち、黄金の宮殿に住んでいると書いてあった。」

 玄翁が鑿を打つ音が響いていた。

「そのような国があるものなのか?」

「この国のことだ。」

「とんだ法螺吹きだな。」

 臨寛は、辰砂を半分ほど砕いたら、今度はそれを乳鉢に入れて、細かくし始めた。

「明国の書物にも、東海の神山には、不老不死の仙薬があり、建物は、金銀でできていると書いてある。」

「それがこの国だというのならば、とんだ見当違いであるぞ。」

 いつのまにか、床に腰を降ろして、座りながら、五右衛門は、臨寛の話を聞いていた。

「黙って聞くがよい。」

 相変わらず臨寛は、乳鉢で辰砂を砕いている。

「我が国では、昔から、石や鉄を黄金に変えることができると信じられている。それは、明国でも、同じであった。そして、それには、我が国では、えりきさが、明国では、仙薬が必要だという。えりきさも仙薬も、不老不死の妙薬であると言われている。これがどういうことか分かるか?」

 辰砂を砕く手を止めて、臨寛は、五右衛門に尋ねた。

「二つは同じものだということか。」

「そういうことだ。えりきさも仙薬も、水銀、硫黄、卵を使って作ると書かれていた。」

「作り方が分かっているのならば、早いであろう。」

「そう容易いことではないのだ。」

 臨寛は、乳鉢で砕いた辰砂を石臼に入れて、挽き始めた。石臼で挽かれた辰砂は、更に、細かい粉になって、出てくる。

「この国の兵士は、かつて、蒙古が海を渡って攻めてきたとき、奇跡の石を持って、戦ったという。」

「何の話だ?」

「おそらく、それが、えりきさであり、この国が、じぱんぐと呼ばれていたとき、住民たちは、奇跡の石と言われた、えりきさで、沢山の黄金を生み出していたに違いない。」

「おぬし、まさか、それを、信じて、この国に来たのではあるまいな。」

 五右衛門は、臨寛が、海外から来た渡来僧であるということは聞いていた。しかし、黄金伝説を当てにして、黄金目当てで渡来したとは思わなかった。

「明国では、辰砂は黄金の輝きを高めるという。」

「俺は、もう行くぞ。」

 愚僧の戯言には、付き合いきれぬとばかりに、五右衛門は、立ち上がり、その場から去ろうとした。

「まあ、待て。石川五右衛門。」

 そのとき、五右衛門は、初めて、臨寛に名前を呼ばれた。今まで、何度か、御用により、名を名乗ったことはあるが、いつも臨寛は無反応であったので、己の名前など意に介してはいないのだろうと、うれしくも悲しくもなく、思っていたが、それが、突然、臨寛の口から、出て来たので、驚き、何故か、この黄金目当てに渡来した坊主に畏怖心を感じた。

「そこに座れ、石川五右衛門。」

 臨寛に言われるがまま、再び、五右衛門は、床に腰を降ろした。

「辰砂とは、水銀のことだ。我が国では、古来、岩石から黄金を取り出すのに、水銀を用いていた。」

 石臼の音は止んでいた。臨寛は、粉にした辰砂を集めて、壺に入れた。

「辰砂は熱することで、水銀が得られる。ふだん黄金は、岩石の中に隠れているが、その岩石を水銀に投じれば、岩石は残り、黄金のみが、水銀に溶ける。そして、黄金が溶け出した水銀を、熱すれば、水銀は消えて黄金だけが、残る。分かるな。五右衛門よ。」

「冶金であろうが。」

 水銀と金銀とのアマルガムを使った精錬法は、混汞こんしょう法とも言い、古代から日本では鍍金に使われており、東大寺大仏建立の時にも使われたという。日本では、1527年に発見された石見銀山で、それから6年後の1533年に、朝鮮の技術者による鉛を使った精錬法である灰吹き法が伝わり、以来、各地の金銀山で灰吹き法による金銀の精錬が行われたようである。それでは、石見銀山に灰吹き法が伝わる以前の、日本の金銀採掘は、砂金や自然金銀の採取のみであったのかというと、そういうわけでもないようで、古代にも、水銀を使った混汞法と伴に、鉛を使った灰吹き法が使われていた形跡もある。なので、奥州の金銀山や各地の鉱山では、公にならずとも、秘伝として、古代から、混汞法と伴に、灰吹き法による金銀の精錬が行われていたのかもしれない。本来、鉱山技術というのは、現在もそうであるが、一般に浸透するものではないらしい。その、特殊性が、錬金術や錬丹術という形で、半ば一般化されて、民間に伝わったのかもしれない。ちなみに、当時、日本で、多く産出して、輸出もされていた銅鉱石にも、金銀が含まれており、鉛を使った灰吹き法により、金銀を精錬できるのだが、人々はそのことには、気づかなかったようで、1590年頃、南蛮人により、南蛮吹きという名称で、銅鉱石からの金銀の精錬技術が輸入される。そして、これが、後の、豊臣秀吉の黄金時代を作るのに、寄与したのだと思われる。

「明国では、辰砂が不老不死の仙薬とも言われている。そして、不老不死の仙薬とは、えりきさのことである。すなわち、えりきさとは、辰砂のことであり、水銀のことなのだ。古来、人々は、岩石から、黄金を、あたかも作り出し、更に、黄金の輝きを高める水銀というものに、何らかの力が宿っていると思い、それを人間に用いたならば、黄金が輝きを増すが如く、生命も輝きを増すであろうと思ったのだよ。分かるな。五右衛門。」

「ああ。」

仮痴不癲かちふてん

 りて、くるわず。と読む。中国の兵法書『兵法三十六計』の第二十七計である。大概は、愚者の振りをして、敵味方を欺くことである。字義としては、痴(愚者)の姿を借りるが、癲(発狂)はしない。あくまで、振りをしているだけであるということだろう。五右衛門が、この言葉を知る由もないが、この臨寛という南蛮僧は、本当は、とてつもない賢人なのではないだろうかと五右衛門は思った。

「しかし、水銀は、不老不死の仙薬でも、何でもないのだ。五右衛門よ。人間にとって、水銀は毒なのだ。」

「毒だと?」

「よく聞くのだ。五右衛門。まさしく、水銀は、人間にとって、毒だ。我が父は、国で、水銀を採る山で働いていた。しかし、やがて、父は、痩せて、歯が抜け落ち、手足が震え、血を吐き、死んだのだ。我が知る所では、水銀を採ることを生業としている者の中には、父のように死んでいく者が多い。」

 自然に存在する自然水銀や精錬の過程で起こる蒸気を吸うことで、水銀中毒は起こる。体内に入り込んだ無機水銀の一部は、有機水銀となり、神経症状を引き起こすこともある。

「よく聞け。五右衛門。自然の中で、美しく、煌びやかな物というのは、毒なのだ。鴆鳥も、身は孔雀のように美しいが、その羽は人を殺す。附子も烏頭も、綺麗な花を咲かせるし、冶葛もそうだ。しかし、附子も烏頭も人を殺し、冶葛も一欠片で、人を殺す。明国にある夾竹桃という花は、綺麗な花を咲かせるが、その昔、王の兵士たちを、その枝が口に触れただけで殺し、燃やした煙を吸った人を殺すのだ。それと、同じくして、金銀財宝という物も人を殺す。水銀が人を殺すのと同じく、黄金も人を殺すのだよ。分かるな。五右衛門よ。」

「ああ。肝に銘じておこう。」

「分かればよいのだ。」

 そう言って、臨寛は、辰砂の粉が入った壺を炉に置き、炭を並べ始めた。臨寛は、いつも、これを炉で熱して、水銀を精製するのである。臨寛は、水銀は毒だという。ならば、その原料である辰砂も、また毒ということだろう。それでも、臨寛は、それらを自ら扱っている。それは、一見すると、五右衛門には、矛盾することのように見えた。それとも、ただ、先ほどの訓戒は、それらを扱う上で、注意をしろという意味だったのだろうか。いずれにしても、臨寛が、今日、言ったことは、ただの注意事項ではなく、何か人間の存在に関する重要な教えのように、五右衛門には思えたのである。

 火が付いた炉は、臨寛の操作する箱型の差しふいごによって、温度を上げていく。赤々と燃える炎は、辰砂の入った壺を包み込んだまま、鞴から、風が送られて来る度に、更に、赤く揺らめいた。

「五右衛門よ。お前は物わかりがよいな。」

 どのくらい炉の炎を見ていたのだろう。気がつくと、臨寛は炉の前から移動し、五右衛門の横に立っていた。

「お前にこれをやろう。」

 臨寛が差し出した掌の上には、豆粒程度の黄金粒が乗っていた。臨寛は、その場にしゃがみ込むと、五右衛門の腕を取り、黄金粒を、その掌にぎゅっと包み込んだ。

「それが、我の人世だ。」

「こんな豆粒のような黄金が、己の人世なのか。」

 臨寛が、どのくらい錬金術の研究に、人生を費やしてきたのかを、五右衛門は知らない。しかし、彼の風貌と彼が持っている知恵の豊かさを見る限り、それは、膨大な年月のように思われる。家族と離れ、このような辺境の山奥に暮らしながらも、研究し続けた結果が、この豆粒程度の黄金の粒に他ならないというのは、哀れなことだと思った。

「この国はよい。静かで、人の心も優しい。」

「俺は、そうは思わぬがな。」

 巷では、戦と盗賊と死人が頻発していた。伊賀里にも、昨年とその前年に、軍勢が侵入してきた。織田家の武士だというが、古来、守護や地頭に、支配されることを拒み、国一揆を立てて、自治を貫き通してきた伊賀の地侍たちは、山や谷に兵を伏せ置き、林に紛れて、敵の陣地に近づき、火を放った。それには、伊賀里で製造した火薬が使われた。兵士と食糧を焼かれた織田家の武士は、伊賀里への侵攻を諦めて、軍を退いた。

「本願寺が織田と和睦しおったわ。顕如は、紀伊に隠遁するというぞ。」

 百地の屋敷では、伊賀里の地侍たちが、集まり、談合していた。里では、織田家に恭順をしめすべきだという者たちと、抗戦を主張する者たちとで、意見が分かれていた。

「織田に降ったところで、向こうは許す気はあるまいて。」

 伊賀国は、山深く、所々に転々と、地侍たちが居を構えているに過ぎない。それ故、なかなかに国外の権力の目が行き届きづらく、伊賀国を支配する上で、その力は実権を伴うことはなかった。それは、地侍たちの自治独立の機運を高めるという点においてはよかったのだが、逆に言えば、地侍の誰かが、国外の権力の庇護を得ようにも、実権が伴わない分、空手形となりやすい。そうした国外の微弱な権力に頼るくらいならば、同じ伊賀国内の地侍たちと連合を結んだ方が良いはずである。そのような、半ば、群雄割拠している状態が、伊賀国では、鎌倉時代以降、ずっと続いていたといえる。その特殊性が、独自の兵法とそれを生業とする傭兵稼業を、伊賀国に発展させたのであるが、戦国の世を越えて、現在、そんな伊賀国をも、支配下に置き得ることが可能な、強大な権力というものが出来上がりつつあり、先日起きた、石山本願寺の降伏により、完成した。織田政権である。そのような強大な権力からすると、小規模な土豪が混在して根付いている伊賀里というものは、魑魅魍魎の巣窟のような得体の知れない存在であり、その魑魅魍魎たちが、悪意のない恭順の態度を示したところで、権力がその存在を容認して、保護するとは、思えなかった。伊賀地侍たちの談合は、結局、織田に降るという案を是とすることはなかった。

 織田家という迫り来る脅威の中、伊賀里は割れた。地侍の中の一部の者は、織田家の伊賀攻めが、始まる前に、里を裏切り、その結果として、織田家に容認されることを獲得した。彼らは、道案内として、織田家の軍勢を引き連れて、里にやって来た。

「伊賀の者共、悉く、撫で斬りにせよ。」

 織田家は、五万の兵士で、伊賀国から他国へ通じる道を全て封じた。兵士たちは、逃げ道を失った伊賀の地侍と住民たちが籠もる砦を包囲し、周辺の民家や寺は放火された。陥落した砦からは、中にいた者は、誰であれ、容赦なく、首を刎ねられた。無人となった砦もまた、火が付けられて、破壊された。十日も経たずして、伊賀里は、無人の焦土となった。その後も、織田の兵士たちは、伊賀に留まり、山林へ分け入り、伊賀の者共を、尋ね探して、数多、撫で斬りにした。

「(伊賀者たちには、悪いが、俺は命が惜しいのでな…。)」

 織田の兵士が、里に迫る直前に、五右衛門は、百地の下を、離れ、山林に逃散していた。己の罪悪感と惨めさを噛みしめながらも、生命という即物的な物を求めて、五右衛門は、山林に隠れ、追っ手から逃れていた。といっても、追って来るのは、伊賀者ではなく、織田の兵士であった。

「どこに逃げたか…。」

 腹当一枚だけを着けた雑兵二人が、五右衛門を追っていた。五右衛門は、本来、伊賀者ではないが、百地から、囓る程度の兵法は教えてもらっていた。

「(このまま夜になるのを待つか…。)」

 雑兵の傍にある椎の大樹の樹上で、緑の葉と葉の間にうまく隠れるようにして、五右衛門はいた。辺りは、静かで、時折、烏の鳴き声がするくらいである。五右衛門は、手近な枝を折り、遠くへ投げた。

「あの方か…。」

 雑兵たちは、木々を分け入り、五右衛門から離れて行った。五右衛門は、近江を目指している。山林の中を歩く道程は、思うようにいかず、既に、二、三日は、山林を彷徨っている。樹上の五右衛門は、どんぐりをひとつ採って、食べた。

「(百地らも、逃げたのだろうか…。)」

 五右衛門は、彼らの行方は知らない。百地たちの進退が決する以前に、五右衛門は、屋敷から姿を消した。それは、己の身の危険を案じての故であるが、先にも述べたように、そのことに、五右衛門が、全くの無感情であったわけではない。しかし、里を逃散した今となっては、その事を考えたところで、どうともならないし、百地らとて、五右衛門の逃散という些事など、このような窮迫した最中、気にも止めないだろうと思い、やり過ごしていた。それでも、椎の樹上で、里人たちの安否を気遣うのは、憐れみというよりも、己の不安からきたことであった。

 夜になり、梟が動き始めるのと、時を同じくして、五右衛門も活動を始めた。夜間の移動が、危険を伴わないわけではないが、この場合、昼間に動くよりも、安全だろうと思われた。月を頼りに、五右衛門は、伊賀の山林を踏みしめて行った。

「(ずいぶん遠回りしてしまったな…。)」

 五右衛門の目の前に現れたのは、臨寛の小屋であった。普通ならば、伊賀里から臨寛の小屋までは、一日と掛からなかった。

「(あやつは中にいるのだろうか…。)」

 小屋の中は、薄暗かった。今、五右衛門が、臨寛を尋ねる理由は、何ひとつない。伊賀里を抜けようとしている五右衛門にとって、もはや、臨寛は、赤の他人以外の何者でもないのである。

「(誰か来る…。)」

 落ち葉を踏む音がした。

「(二人…。)」

 足音の具合から、一人ではなさそうである。五右衛門は、静かに、小屋の物陰に潜んだ。足音の主は、昼間の雑兵であった。

「(まだ、うろついていたのか…。)」

 てっきり、五右衛門は、彼らを織田家の雑兵かと思っていたが、実は、そうではなく、盗賊か野伏せりの類なのかもしれなかった。雑兵たちは、五右衛門に気がつくことはなく、彼らもまた、静かに、小屋の中へ、入って行った。五右衛門は、その様子を、小屋の隙間から、そっと覗いていた。

「坊主か…。」

 内には、臨寛がいた。臨寛は、薬研で何かを粉にしていた。雑兵たちは、既に、白刃を抜いていた。彼らは、異種異様な小屋の様子を窺っているようであり、金目の物を探していたのだと思う。

「それに触るな!」

 棚の上の薬壺に、一人が触れようとしたとき、臨寛の声が響き渡った。次の瞬間には、雑兵たちの刀は、臨寛の胸を貫いていた。五右衛門は、その一部始終を、小屋の壁の隙間から覗いていた。床には、臨寛の赤黒い血が流れ出ていた。その血が、床の隙間を伝わって、五右衛門のいる壁の向こう側に到達したとき、隙間から覗く目の前に、雑兵の泥で汚れた背中が、大きく見えた。その瞬間、いつの間にか抜いていた五右衛門の刀の先端は、隙間を通って、雑兵の背中を、ぶすっ、と突き刺していた。その刃は、真っ直ぐ、心臓を突き、五右衛門が、刀を抜くと、向こう側で、倒れる音がした。

「ぎやあ!?」

 突然、息を絶やした仲間の姿を見て、もう一人は恐れ慄いた。壁に空いた隙間からは、赤い目が、こちらを覗いていた。

「物の怪か…!?」

 伊賀には、化生が住むとは、聞いていた。この坊主は、化生だったのかもしれない。そう思い、今、すぐ、この場を離れようとして、後ろを振り返った瞬間、それはいた。

「がはっ…。」

 黒い布の間からは、白刃が飛び出して、自分の口の中へと入り、頭の後ろから、出ていた。その異様な光景を最期に、その者は倒れた。返り血で汚れた布の中から、顔を出したのは、化生でも物の怪でも、何でもなく、ただの石川五右衛門であった。

「(死んだ…。)」

 それは何ら不思議なことではなかった。五右衛門が不思議に思ったのは、己の心であった。五右衛門の見つめる先には、臨寛が倒れていた。

「(俺は、何をした…?)」

 本来、五右衛門が臨寛に会う必要はなかった。臨寛が雑兵に殺されたからといって、五右衛門が雑兵たちを殺す必要もなかった。それなのに、目の前に横たわる三人の亡骸は、五右衛門の心とは、裏腹な何かを表していた。その後、五右衛門は、臨寛の小屋に、火を放ち、その場を去った。

 信長によって、伊賀は滅んだ。そして、翌年、信長は、光秀によって滅んだ。その光秀も、後に豊臣秀吉と呼ばれる男によって、滅んだ。その間、石川五右衛門は、各地を転々としながら、盗賊と盗人を生業として、日々の糧を得ていた。

「羽柴は、『豊臣』と姓を改め、大相国の位に就いたというわ。」

 宇治の山中の小屋で、男たちが、数人、乾し肉を喰らいながら、談笑している。男たちの傍らには、梅図の茶壺や桜蒔絵の硯箱といった、この小屋には、分不相応な調度や小物が、無沙汰に転がっていた。

「頭。」

 一枚だけ敷かれた畳の上に、頬に火傷の痕がある束ね髪の男が座っていた。頭と呼ばれたその男は、小柄だが、四肢は伸び、肉が付いている。五右衛門である。

「頭。羽柴は、砂粒から砂金を、石ころから黄金を作る業を知っとるらしいというぞ。」

「黄金を作るだと?」

 この年の正月、秀吉が御所に、黄金の茶室を持ち込んで、帝に茶を立てたという噂は、その翌日には、都中に広がっていた。

「何でも、南蛮渡来の方術らしいのう。」

 五右衛門にとって、羽柴が豊臣になろうが、大臣になろうが、どうでもよい。彼にとって、武士の人世など、別の世界のものであり、彼らの権力争いなど陣取り遊びと同じでしかない。信長がいたところに、光秀が座り、今度は、秀吉が座る。そこに、誰が座ろうと、五右衛門の関心は向かない。ただ、かつて、五右衛門の近くに、不老不死の仙薬を求めて、海の向こうから、やってきた風変わりな男がいた。

「栄璃希砂。」

 その男は、そう呼ばれる物を求めていた。それは、不老不死の仙薬でありながらも、黄金でない物から、黄金を生み出す秘薬でもあった。

「羽柴は、その妙術の秘宝を、大坂の城の奥で、夜、寝るときも、傍らに置いているという。」

 秀吉は、信長の遺志を継ぎ、本願寺が退去した後の、大坂に、城を築き、彼の居城としていた。秀吉は、諸大名や京都、堺の豪商らを、城に招き、黄金で塗られた瓦や金銀に彩られた御殿、更には、天守に納められた財宝の山を見せて、人々を驚かせていた。その数は、金銀合わせて、250万両とも言われる。そうした噂は、市中にも届き、豊臣秀吉の黄金伝説として語られていた。それらの黄金は、日本中の金銀銅山から出た鉱石を、吹き溶かして作られた物であり、灰吹き、南蛮吹きと呼ばれる技術が、秀吉が権力の座に居座り始めた時期と、時を同じくして、勃興期を迎えていた所以であり、同じく勃興期を迎えていた町人商人資本や、全国に散らばる直轄地と、その相場を利用した利鞘稼ぎの結果である。しかし、多くの黄金が手元にあるからと言って、それを、そのまま市場に出すと、その分、価値が下がるので、代わりに、黄金を原料として、黄金瓦や茶室を作り、権力の象徴とする一方で、大坂城に蓄えて、それを見せびらかした。それまでのこの国の歴史上最大の黄金保有者となった秀吉は、その富を背景にして、天下人の椅子に座っていたといえる。彼の経歴は、百姓であり、商人であり、天下人であった。

 九州に次ぎ、関東、奥州を従えた豊臣政権は、本格的な日本を統治する政治権力となり、更なる矛先を、海外へ向けようとしていた。

「太閤は、富を独り蓄え積もうとしている。」

 日本の唐入りが、本格化してきた頃、京では、そのようなことを言う者もいた。それらは、主に、唐入りに際して、多額の軍役を負わされた西国、九州や各地の外様大名やその周辺の人々が言い始めた讒訴ではあったが、ある意味、真実でもあった。彼らは、日本の唐入りは、成功せず、見返りもないと確信し、それらは、豊臣家が、外様大名を疲弊させる陰謀であるとも言った。それだけに、海外侵略というものは、弊あって益なしと言われるほどに、不実なものが多い。この頃より、豊臣政権というものは、秀吉の私物と化してきた。というのも、それまでは、弟の秀長や千利休といった、天下人と庶人との橋渡し役とも言える存在がいたことにより、秀吉の独善的とも言えるアイディアと行動は、何分、中和されて、庶人にも、口にできる程度の物に仕立てられていたが、秀長と利休が相次いで死没すると、天下飯の調製役ともいえる人間が、誰もおらず、庶人は、嫌々ながら、それを喰らうか、天下飯という物、そのものを尊いものとして、噛まずに飲み込む連中の、いずれかになってしまったのである。結局、それは、後に、豊臣政権内部の二分化と日本全国の大名の二分化を生み、東西両軍の関ヶ原へと向かう。しかし、今は、その序曲が始まった所であった。

「(大坂の城に、忍び込むことはできないだろうか…。)」

 五右衛門は、そう考えていた。五右衛門とその一味は、今は、京、伏見を足場としている。というのも、秀吉が、京都内野に、聚楽第を建設してからというもの、その周辺には、諸大名が屋敷を構えるようになり、宝物には、事欠くことがなくなったのである。一味の中には、屋敷に忍び込む盗人ではなく、路上で人を襲う強盗を好んで働く者も多かったが、頭である五右衛門は、忍び込む方を好んだ。それも、この頃には、自ら、警戒の厳重な大名屋敷に、進んで忍び込んでいた。いつからそうなったかと言うと、それは定かではない。伊賀里に織田の兵士たちが攻めてくる直前、百地の屋敷を抜けて、山林を彷徨い、臨寛の小屋で、雑兵を刺し殺したときから、矛盾していることではあるが、五右衛門は、この世の命の価値や人間の価値というのを、意識せざるを得なくなった。本来、そのような物があるのかは、分からないが、それ以来、五右衛門は、虫を一匹殺すことにまで、命という目に見えない物に、気を配るようになった。彼は、黄金という物に、全く興味がないわけではないが、今は、天下人が持つ不老不死の仙薬というものに関心を抱いていた。巷の噂では、秀吉の唐入りは、それを求めてのことであるとも言うし、『長生不老の楽をあつむるものなり』と言われた聚楽第の一室に、それがあるとも言われた。本当に、噂という物には、多種多様な噂があったと言ってよい。

「(そのようなものが、真にあるとは思わぬが…。)」

 天下人の居城に忍び込むというのは、命を賭すということである。

「(不老不死と云えども、首を刎ねられれば、一溜まりもあるまい。)」

 それでも、なお、秀吉の下にある不老不死の仙薬という物に、五右衛門は、強い魅力を感じていた。

 唐入りが終わる頃には、五右衛門は、京、伏見の大小名屋敷から、めぼしい物は、ほとんど盗み出していた。

「市中で盗賊が横行しているらしい。」

 京都所司代、前田玄以は、部下の与力からの報告を受けて、朝鮮から戻ってきたばかりの、増田長盛と話していた。らしい、というのは、大名の中には、人目をはばかり、所司代に届け出ない所もあったからだった。

「伏見の城も出来つつあるというのに、城下を荒らし回るとは片腹痛いな。」

「全く左様。」

 秀吉は、甥の秀次に、関白の位と伴に、聚楽第も譲ったため、新しい隠居所として、伏見に城を築いていた。

「市中では、唐で得た不老不死の仙薬を伏見の城に運び込んだなどという根も葉もない噂が、罷り通っておるそうで。」

「よもや、その噂を信じて、夜盗を働くわけではあるまいな。」

「種々の者の考えることなどは、分かりませぬ故。」

「何れにしても、警固を万端にするに越したことはあるまい。」

「全く左様。」

 その翌年には、側室の淀殿に、拾丸が生まれた。後の、秀頼である。そうすると、大坂城は、後々、秀頼の居城となるため、伏見城は、本格的に、秀吉の隠居城となるべく、改修に次ぐ改修が行われていった。外側は、淀川から水を引き入れて、濠としている。元々は、指月の丘に築かれた指月屋敷と呼ばれる秀吉の隠居所を改修して、城郭にしているわけで、秀吉の寝所は、その本丸となる指月屋敷にある。

「(さてと…。)」

 月のない新月の夜。紺装束に身を包んだ影が指月の森を歩いていた。森の奥には、今、ちょうど作事途中である空堀がある。いずれは、水に満たされるであろう空間を、闇夜に紛れた影は、すたすたと歩いて行く。堀の深さは、一丈程度はあるだろうか。いつのまにか影は、その底に降りていた。

「(ここが良い。)」

 若干、堀が浅くなり、石垣が丈夫に築かれている所を選び、影は、両手に持った鉤を、石垣に挟みながら、登って行った。地面に、たどり着くと、今度は、高くもない塀を、鉤を使い昇った。

「(案外、造作もない。)」

 影の正体は五右衛門である。五右衛門は、この侵入に及び、何ヵ月も前から準備をしてきた。もとは、大坂城に忍び込む算段ではあったが、秀吉の居城が、伏見に変わるに及んで、計画を変更した。

「(本丸は向こうか…。)」

 遠くに見える櫓が目印である。とは、言っても、暗闇の中で、普通は見えない。五右衛門は、以前にも、下人に変装して、城内に入り込み、また、出入りの商人や僧たちから、内部の縄張りを聞いていた。指月屋敷は、指月櫓の北西にあり、秀吉の寝所は、屋敷の奥にある。屋敷は丘の上に建っており、辺りには、林もあるので、侵入は、容易であった。注意すべきは、時折、篝火を焚いて番をしている番兵と、森の中にいる野犬である。犬は、故意に、放たれているものは少なく、勝手に住み着いているものが、ほとんどである。それらは、先だって、侵入したときに、馬銭まちんを混ぜた餌をばら撒いて、一掃しているはずである。

「(一匹…。)」

 獣に喰われた野犬の骸が転がっていた。五右衛門は、骸の状態を見てから、地面に耳を付けて、辺りの様子を探った。物音はしない。再び、五右衛門は、闇の中を進んだ。

「(灯り…。)」

 野犬に比べれば、篝火を焚いた番兵など、容易いものである。五右衛門は、灯りを避けつつ、指月櫓へと進んだ。途中、塀があり、刀を足場にして飛んだ。もう鉤は、必要ないので、森に埋めてある。塀を越えた辺りは、内庭になっており、遠くに、灯りが見える。この辺は、遮蔽物もないので、闇夜に紛れて、身を屈めながら、こそこそと進む。櫓には、灯りは見えなかった。

「(誰もおらぬな…。)」

 櫓の陰で、五右衛門は装束を変えて、家士に変装した。屋敷内は、暗く、宿直の部屋には、灯明の灯りが襖を照らしているだけである。

「夜回りにござる。」

「御苦労。」

 手に持った灯明を低く構えて、膝行しながら、順々に、部屋を回って、探索して行く。

「(あそこか…。)」

 書院の廊下の先に、灯りが見えて、宿直の小姓がいる。その奥が、秀吉の私室の間となっており、その中に、御寝の間がある。しかし、奥の間には、夜間は、誰も入ることは出来ない。廊下の襖を隔てた向こうにも、宿直の小姓がいて、二人は、交代で、小用を済ませつつ、警固に当たっているはずである。

「(なるほどな…。)」

 五右衛門は、灯りを消し、音もなく、元来た廊下を、風のように消えて行った。櫓の下へ戻ると、紺装束に着替えた。闇に紛れて、建物の周りをぐるりと回った。

「(あった。)」

 先ほどの、奥の間と思しき屋根の隙間に格子が見える。建物のその部分だけは、屋根が高く、二階になっているようだった。五右衛門は、一度、屋敷の玄関まで戻った。玄関脇には、塀がある。五右衛門は、刀を足場に、塀に登り、そこから、更に、建物の屋根へと上った。するすると、瓦を伝い、奥の間の格子がある場所まで来た。

「(人がいるか…。)」

 五右衛門の予想では、おそらく、中二階になっているその内から、微かな灯りが、格子を挟んで漏れている。

「(まあよいか…。)」

 五右衛門は、星の位置で、大概の刻を測った。明け方には、まだ、二刻程度はあるだろう。五右衛門は、背に負っていた袋から、麻の小袋を出し、その中に入っていた塵芥のような物を、穴の開いた、一、二寸程度の竹筒の中に入れて、格子の間から、そっと内へ入れた。竹筒の中には、火種が入っていたらしく、薄い煙が、竹筒に開いた穴から、昇った。見た所、内の人間は、格子を背にしている。

「(しばらく待つか…。)」

 五右衛門は、手拭いで、格子を覆い、そのまま、うずくまり浅い睡眠に入った。

「ふああ…。」

 格子の内から聞こえた生欠伸の音で、五右衛門は、目を覚ました。半刻程度が経ったと思われた。

「(頃合か…。)」

 五右衛門は、袋から錣を取り出して、手拭いの上から格子を素早く切った。一ヶ所切るごとに、錣に油を塗る。手拭いと格子には、寝る前に、油を含ませていた。五右衛門は、格子を切り終わると、その間から、するりと、内へ入った。

「うっ…!?」

 声を出せぬように、縄で首を縊り、失神させた。猿轡を施し、動けないように手足を縛り、隅に片付けた後、五右衛門は、錐で、床板に、一ヶ所一ヶ所、穴を開けて、下の階の様子を窺った。

「(いた。)」

 中央に開けた穴の下に、一段高い場所で、唐絹の衾を被って、寝ている人物がいる。五右衛門は、それが、秀吉であろうと思った。五右衛門が、錐を梃子にして、持ち上げると、床板は、容易に外れた。下の覗くと、そこだけ、天井が一段高くなっており、そこに中二階があるようだった。五右衛門は、天井板を外したところから、鉤梯を下ろし、すらすらと、音もなく、床に降りた。

「(これが太閤か…。)」

 頬が痩せた老人の顔が、そこにあった。一階の御寝の間は、意外に狭かった。五右衛門は、覆面を開けて、新鮮な空気を吸った。

「(香か…?)」

 大きく呼吸をした瞬間、何かの匂いが、体に入って来た。

「(はて…?)」

 おかしなことに、その瞬間、五右衛門は、何をしに、ここへ来たのか、忘れてしまった。

「(深更刻か…。)」

 五右衛門といえども、深更を過ぎれば、自ずと、眠気も出て来る。そのようなときは、気付けの丸薬を飲むのだが、今、この場では、必要なかった。

「(太閤は、寝る間も、傍らに置いているというが…。)」

 不老不死の仙薬のことである。もとより、五右衛門は、そのような物があるとは思っていない。それでも、なお、この場へ来たのには、訳があった。

「(栄璃希砂。)」

 もし、それがあるのならば、一目、この目で見ておきたかった。それは、命を賭してさえも、そう思う。五右衛門には、何故、自分が、そのように思うのかは、分からない。石ころを黄金にし、人を不老不死にするという物が、本当に、あるのだとすれば、それは、人間が人世と命を賭けてまで、求めるに値する価値がある物なのかどうかを知りたかった。そして、ないのならば、それを求めて、人世と命を賭けた者たちの、その人世と命の価値とは、何なのかを知りたかった。かくいう、五右衛門は、そのことに、己の命を賭したのである。

「(やはりないか…。)」

 人間は、半刻程で、眠りが浅くなったり、深くなったりするという。今、秀吉は、静かな呼吸をしている。静かな呼吸の時は、深く眠り、寝言を言ったり、体が動いたりして、夢を見ているときは、眠りが浅く、目を覚ましやすい。余り、長く、居座ると、秀吉が目を覚ます可能性がある。

「(それにしても、この匂いは何なのだ…。)」

 室内には、香の匂いが、満ちていた。

「(あれか…。)」

 秀吉の枕元から、少し離れた所に香炉が置いてあり、煙が立ち上っている。その香炉は、青磁でできており、蓋のつまみが、千鳥の形をしていた。

「(はて…。)」

 五右衛門が、もしかしたら、あれの中身が、えりきさであり、もし、違っても、太閤の寝所に忍び込んだ証に、あの青磁の香炉を頂いて行こうと思ったとき、声が聞こえた。

「(それに触れるな!)」

 その声は、かつて、どこかで聞いたことのある声であった。しかし、五右衛門は、何故か、朦朧とする意識の中で、その忠告に、耳を傾けることなく、青磁の香炉に触れた。

「チィチィチィ。」

「何…!?」

 青磁の千鳥が鳴いた。五右衛門は、そう思った。そして、振り返ると、小男が立っていた。

「曲者か。誰に頼まれた?」

 嗄れた声を出して言うのは、秀吉であった。

「己が太閤か?」

 天下人の声は、このような物なのかと思うのと同時に、五右衛門は、刀を抜き、秀吉の喉元に突き立てた。

「声を上げれば、可愛い赤子を残して、己は、一人で、三途川を渡ることになろう。」

「死ぬ前に、名を教えよ。そして、誰に頼まれたのかも。」

 五右衛門は、思案した。もとより、秀吉の命を取るつもりはない。しかし、それは、身の安全が確かめられていればの話である。

「(大人しく、縛り上げるのが、最上か…。)」

 そう思ったとき、ふと、自分が今、覆面を開けていることに気が付き、片手で覆面をずらし、口元を覆った。

「顔は見ておらぬ故、安心せい。」

 室内に灯明はない。

「ならば、何故、俺が、今、顔を隠したことを知ったのだ。」

 秀吉は、その質問には答えなかった。代わりに、先程と同じことを、五右衛門に尋ねた。

「早う。己と雇主の名を教えよ。」

 五右衛門の頬には、火傷の痕があり、それを見られていたとしたら、秀吉は、殺す他ない。

「ならば、まず俺の問いに答えよ。」

 この老人の命を奪うにせよ、留めるにせよ、その前に、聞いておきたいことがあった。

「己は、栄璃希砂、という物を知っているか?」

「えりきさ、なんだそれは…?」

「石ころを黄金にし、人を不老不死にする仙薬のことだ。」

「それが、ここにあると思うのか?」

「あるのか、ないのかを知りたい。」

「そのような物は、ないな。」

 はっきりと秀吉は言った。

「(やはり、ないか…。)」

 五右衛門は、老人の言葉を信じた。そして、それほど、落胆することもなかった。

「おぬしの目当てはそれか?」

 秀吉の表情と声音は、若干、明るくなったように感じた。

「まだ、己を殺さぬと決まったわけではないぞ。」

 五右衛門は、そう言い、更に、刃を、老人の喉元に近づけた。

「そのような物を近づけられると、話しづらいわ。」

「声を立てるな。」

 二人しかいないこの暗闇の空間は、そこにいる二人にとって、もはや、若干、居心地の良い場所になりつつあった。

「さあ。答えたでな。早う。名を教えよ。」

「待て太閤、ならば己は、どこから黄金を持って来るのだ。」

「そのような知れたことを。」

「答えよ。」

「答えれば、名を教えるか?」

「ああ。」

「よう言うた。おぬしが、何故、そのような事を尋ねるのかは知らぬが、黄金など、天下人であればこそ、自ずと、人々が、我が下へ、納めに来るのだ。」

「それだけか?」

「ああ。他に何がある?わしが、その仙薬から、黄金を作り出しているとでも思ったのか?」

 秀吉は、声を押し殺して、笑っているようであった。もし、この場に、秀吉一人だけであったならば、彼は、きっと、転げ回りながら、大声を上げて、笑っていたであろう。

「わしも、若い折は、人や黄金を手にするのに、懸命になったものであるが、天下人になれば、そのような物は、向こうから、やって来るものなのだ。そう言うのは、かつて、わしが、そうしていたからよ。町人や商人に儲けさせた見返りに得た黄金を、わしは、せっせと、信長公に献上し、帝に献上した。そうした果報が、今、わしの下に、巡ってきているだけよ。さあ、答えたぞ。早う。名を教えい。」

 既に、老人は、刺客の名と雇主の名を聞くこと、そのものに、愉悦と期待を感じているようであった。

「俺は、石川五右衛門。盗人で雇主はおらぬ。」

 五右衛門は、素直に名乗った。例え、名乗ったところで、名など、どうとでもなる。今は、忘れてしまったが、五右衛門も、昔は、そう呼ばれてはいなかった。

「ならば、おぬしは、真に、不老不死の仙薬とやらを求めに、ここへ来たのか?」

「そうだ。」

「おぬし、痴者しれものか?」

 期待した結果が得られなかった腹癒せなのだろうか、秀吉は、悪意を込めて、五右衛門に、そう言った。

「己の命と不老不死とどちらが大事か、考えてみよ。不老不死といえど、首を刎ねられれば、おしまいぞ。」

 その通りだと、五右衛門は思った。

「黄金など、欲しければ、くれてやろうぞ。」

「何…?」

「その代わりに、わしのことは、見逃せ。」

 時が過ぎていた。秀吉と五右衛門が話し始めて、もうすぐ、四半刻は経つ頃だろうか。

「(黄金…。)」

 五右衛門は、かつて、伊賀里で知り合った渡来僧のことを思い出した。

「(そういえば、臨寛と言うたな…。)」

 もとはと言えば、栄璃希砂のことも、臨寛から聞いた。

「(すっかり忘れておった。)」

 栄璃希砂と不老不死の仙薬と黄金のことのみが、朧気ながら、輪郭として、幻のように、五右衛門の胸中に残っていたに過ぎなかった。

「(あの者は、確か…。)」

 臨寛は死んだ。何十年という人世を、栄璃希砂と黄金という幻の中で生きてきた者は、小屋に迷い込んできた雑兵の刃に貫かれて、その人世を終えた。五右衛門は、装束のかくしを探り、中から、黄金の粒を取り出した。その大きさは、豆粒程度である。

「あいにく、黄金ならば、持っている。」

「豆粒ではないか。」

 くすくすと秀吉の笑声が聞こえた。相変わらず、白刃は、喉元に突き立てられたままである。

 五右衛門の取り出した黄金の豆粒は、臨寛が五右衛門に渡したものである。

「それが、我の人世だ。」

 臨寛が、そう言って、渡した黄金粒は、おそらく、彼が、古今東西の知恵と技術を駆使して、作り出した努力の結晶であろう。本来、この程度の黄金の豆粒は、金の精錬過程における塵芥でしかない。臨寛がどのようにして、この黄金を作り出したのかは、知る由もないが、彼が半生を賭けて、作り出した物が、単なる塵芥でしかないとは、哀れという他ない。

「真にそう見えるか?」

「他に何に見える?」

 五右衛門は、彼が、青磁の香炉に触れようとした時に、聞こえた声が、何物であったのかを理解した。それは、記憶の中に残る臨寛の声であった。彼は、五右衛門に、黄金は、人を殺すということを教え諭し、黄金粒を手渡した。

「太閤よ。よく聞くが良い。」

「何だ?」

 秀吉と五右衛門は、もはや、この暗闇の中だけに置いては、対等な友人であった。中身は、天下人と泥棒ではあるが、お互いの姿が、ぼんやりとしか見えない室内では、二人は、闇夜に浮かぶ、朧月でしかない。

「おおよそ、自然の内で、美しく、煌びやかな物というのは、毒なのだ。毒が人を殺すのと、同じように、黄金も、人を殺すのだ。この黄金の豆粒に比べれば、太閤よ。己の命など、塵芥でしかない。」

「下郎!」

 秀吉は、そう叫ぶと、いつのまにか、足下にあった衾を蹴り上げ、自分の身は、畳の上に転がり、落ちた。

「曲者ぞ!誰ぞおらぬか。出会え!!」

 五右衛門の刀は、衾の上から、畳を突き刺した。その刃は、畳の上に転がっている秀吉の、頬の横を通って行った。

「曲者め!!」

 石川五右衛門は、駆け付けた小姓以下、仙石秀久らによって、捕縛された。秀吉は、一命を取り留め、警固の武士たちが、幾人か、不手際を責められて、切腹を申し付けられた。

「市中を騒がせし、盗人、石川五右衛門と、その一族郎党。斬罪。頭目、石川五右衛門と、その他、数人は、釜茹で。」

 京都所司代の手により、石川五右衛門一味は、文禄3年(1594)。京都、三条河原で、処刑された。その翌年には、同じ、三条河原で、豊臣秀次の一族郎党四十人余りが、処刑された。かつての信長を、真似たのであろうか、女、子ども、悉く、殺されたその光景は、市中の人々の心に、つらく、悲しい出来事として、残された。

 五右衛門が、豆粒程度の黄金よりも、価値がないと言った秀吉の生命も、五右衛門の処刑から、四年後に、役目を終えた。死に際して、秀吉は、諸大名に、最愛の我が子、秀頼のことを、幾度となく、念を押して、頼んでいる。これから三途川を渡るであろう自分を尻目に、我が子の行く末を、他人に任せるしかできなかった秀吉は、哀れという他ない。その子、秀頼も、遂には、側室、淀殿と伴に、かつての大老、徳川家康の手により、滅ぼされる。

『露と落ち、露と消えにし我が身かな、浪速のことも、 夢のまた夢。』

 そう辞世を認める秀吉は、我が身のことも、我が子のことも、どうすることもできない、己の憐れさを感じていた。彼の持ち城である大坂城には、未だ多くの黄金が積まれている。それらの黄金は、我が子に託されるはずである。しかし、彼は、できるのならば、その黄金の半分を使って、なんとかして、不老不死の仙薬を得ることができないかと思ったのであり、そして、そのような物を作り出せる者が、本当に、この世にいるのならば、その黄金の大半を与えてまでも、己の身近に仕えさせておきたいと思ったのである。

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