幻想の創造者
目が覚めた時、私は人ではなかった。
外見上では人と呼べるのかもしれない。西洋に生きる金髪碧眼の少女そのものと言えるか。
それはそうだ。元々持っていた身体となんら変わりはないのだから。
外見や精神が人であったとて、内面が人であるなどという理由はない。
地球上の天才や一部の富豪たちは人間の皮を被ったエイリアンであることに、殆どの人間は気付けていない。それは認知度があるが故にそれを察する、もしくは認識できる者がいるからである。
私が人間でないことは、若者ばかりのこの学校というコミュニティに属している以上は悟られることなどない。
私は名の知れていない唯の中学一年生なのだから、周囲に察する者などいないのだ。
しかしだ、私はエイリアンや地底人のような存在ではない。
ある存在となることで、私はこの世界を完結させる。
それが私に課せられた使命。
今日も今日とて、学生の真似事をする。
「スズカ?」
「ああ、ごめんなさい。考え事をしていた」
「机に突っ伏して考え事……。もしかして、悩みでもあるの?」
「いいえ。気にする必要はない。話さずにいた方がいいこともあるから」
「ふぅん。スズカって隠し事多いよね」
「あなた達姉妹がオープンすぎるだけよ。トモリ」
この少女はよく私に話しかけてくる。
気配りが上手いようだが、彼女の姉が厄介なので極力話したくはない。
「姉さんは今校庭で練習してる。しばらくは戻って来ないよ」
姉に対する懸念が透けて見えたのだろうか。
「チア部だったかしら?」
「そうそう。元気なのはいいことだよね」
「元気すぎるのも考えものだけどね」
何気ない会話をして昼休みの時間を潰す。
私とてこの時間が嫌いなわけではない。その昔、平凡が存在しなかった頃と比べれば寧ろ安心と言える。例えそれが繰り返した日常であったとしても。
「そういえば、スズカってどうして夜天くんの家に住んでるの?」
「そんなに気になるの?」
「そりゃあ気になるよ。だってある日突然夜天家に押しかけたんでしょう? 赤髪の子は家庭の事情らしいけど、スズカがどうしてかは聞いたことないし」
正確には住んでいない。だがその方が話が面倒ではないと感じたから流されるままに乗っかっている。
対象の二人は話を合わせてくれている。有難いことだ。
ただし、この世界で生きるにあたって、協力者が必要という訳ではない。
だが、この世界にはお人好しが多い。そう設定した創造神—ということにしておこう—もまたお人好しが過ぎるからだろうか。
神が知る範囲の世界がここだ。
神にとっての全てはここだ。
そして、その神と契約したのが私だ。
その契約を遂行することで、私は再び人間になる一歩を手に入れるのだ。
だから私はこう答える。
「未来を探すために、ここにきた」
「将来を探すためかあ。なるほどなあ。自分探しみたいなもので幼馴染の家に来たってわけね」
そういうことにしておく。虚言を発するよりはマシであるだろうか。
大方間違ったことは言っていない。自分自身の未来のためにこの世界へ来ている。人間であったはずが、呪いによって永遠と呼べる時間を生き続けたモンスターとでも言おう。仙女であったり、妖精であったりなどと言われることはあったが、それほど高尚なものであってなるものか。
「私なんかと話すより、彼らと話してきたら?」
「なんかって……そんな自分を下に見ない。そんなにちまっこくて可愛いのに」
「行って」
「え?」
「今は、話す気にならないから、行って」
「? 調子悪いのね。またね」
いずれかに去ってくれた。
想定通り、彼女は別の者たちと話を始めた様子。
私には、私のすべきことがあるのだ。
なるべく私には干渉してほしくない。私から彼らに干渉することはあっても、こちらに対してアプローチはかけてほしくはない。今はそういうシーンなのだ。
「ちまっこいは余計」
「えー褒め言葉だよー。じゃあ、向こう行ってくるから、機嫌直してね」
物語の一登場人物として配役されている以上はその立場を全うせざるを得ない。
配役に徹しながらも少しずつ軌道を修正し、自分と神の理想とする結末を迎えられるようにする。
それが私が成すべきことであり、神との契約。もし話しかけられたのなら、正しく進むよう調整する他ない。
「ちまっこい? 気に入らないかも」
「あんまり良く捉えてもらえなかったかー。ごめんね」
「気にしてない」
「そっかー。じゃ、二人のところ行ってくるね」
本当は些細な動揺も気付かれるべきではない。そうしたキャラクターの感情一つで物語が大きく動いてしまう可能性もある。
そんな中で文句や恥ずかしさといった感情の変化が僅かにでも出てしまうあたり、まだ人間らしさが残っていたのだと自分に感心したくもなるが、いいや違う。それは錯覚だ。
これはあくまで言葉を変えてロールプレイングをしているだけ。
「ちまっこいって、ちょっと嬉しい」
「でしょ? チャームポイントみたいな。折角可愛いんだからもっと髪型整えないと」
「それは面倒」
「そんなこと言わずに。セットしてあげる」
「…………」
同じ時間を、理想の状況が来るまで何度も繰り返し続ける。
人間ならば「気が遠くなる」と言うだろう。事実私もそう思ったことはある。だが、気付けばそう感じることも無くなった。擦れてしまったのかもしれない。
「ちまっこくても器は大きいつもり」
「本当にー?」
「意地張っただけ」
分岐とは数多。言葉の数だけ存在する無数の枝分かれ。
その微細な違いで未来が大きく変わってしまう。理想からは程遠い結末を迎える。
何度も何度も言葉を変えて試していく。
慣れていた筈のことも次第に気が滅入ってくる。神の使いと言えど、体力が無尽蔵という訳ではない。
そんな何千周目のある時。
「ちまっこ……はあ……もう、疲れた」
「え、なんかごめん……あれ?」
「……うん?」
「今、初めてスズカの素が見れたかも」
弱音を吐いた時、違った。
何かが決定的に違った。
「素? どういうこと?」
「スズカさ、今までずっと、同じ表情で声のトーンも無機質で。感情がないような感じだったんだよ」
「そうかしら」
「そうそれ。そのトーン」
この場面ではどのようにしていても必ず他所に去っていた彼女が、今回は私に注目している。
本来ならば正しいとは言い難い道へと進んでしまうからと、注目は避けていたつもりだった。
だが、この何千周として理想を得られなかった自分にとっては、これはある意味成果のように感じられた。
そして、この周だけの特別な出来事を、折角ならば楽しもうと意識したのだ。
感情にて操作された世界な以上、この世界は理想を歩むことはできない。それでも、自分自身が楽しむことはできる。
トモリが感情について口に出してくれたことで、自身の楽しみに割くリソースを思い出させてくれた。
この世界では、これまでよりトモリと親しくなれた。
不思議だった。心が楽で、忘れていた「楽しい」を思い出させてくれているような気がした。
☆★☆
終わりが近づいたある日、私はトモリをある場所へ誘った。
星が良く見える、とても広い公園のような場所。
秘境とも呼べる場所で、街に住む人の殆どが知らない。
少し夜も更けた時間であったが、無理を言って来てもらった。
草木生い茂る樹海を抜けると現れる、一面の野原。
澄んだ小川のせせらぎと、満天の星空が私たちを迎え入れる。
「綺麗……」
「トモリに見せたかったんだ、ここ」
「来てよかった……。これまで無理強いなんてしてこなかったスズを、信じてよかった」
「ふふ……」
良く笑うようになったねと、そう言われるようになった。
トモリとは、本音を打ち明け合えるような仲になった。
だからこそ、世界の始まりであるこの場所で、私は、私のことを話したい。
受け入れてもらえるだろうか。
胸が高鳴る。
久々に味わう緊張は、とても心地がいい。
「——私の話、したくて」
「スズの? これまた珍しいね」
「うん。今だからこそ話したい」
これまで何千周と隠し通してきた自分の秘密を話す。
それは、どうしようもなく罪深いことのような気がして、発せられない。
自然の音だけが強調され、耳を抜けていく。
それはきっと、トモリも同じだろう。
「……信じてもらえなくても、いい」
そう言うと、彼女の表情も緊張を持つが、それと同時に心配にもなったのか。
「声、震えてる……」
「あ、うぅ……」
本当のことを言われてしまうとこうも恥ずかしいものなのか。
頭がグルグルとして、正常な思考が働かない。
そんな私を見かねてか、トモリは私の両手をぎゅっと握る。
「そんなになるぐらい緊張してるんだよね。信じるよ、大丈夫」
「……あ、ありがとう」
それでも、話すまでには少々抵抗があった。
その後に意を決して打ち明けた言葉を、彼女は真剣に、一言一句逃さないように聞いてくれた。
私は、何度もこの世界を繰り返して生きている。
そして、今回初めて「脇役」ではない世界を歩いているということ。
もちろん、トモリと仲良くなれたのも初めてだということ。
普通の人が聞いたら「頭がおかしいのでは」と思うであろう私の現状だが、聞き終えたトモリは納得した表情をする。
「仲良くなる前に、会話がまるで作業みたいだったのもそういう……」
「そう。でもまさか、トモリとこんなに仲良くなれるなんて……」
「ね。これもきっと、運命なんじゃないかな」
「……運命」
そんなもの、無いと思っていた。
「これから先、ここを理想の終わり方にできなかったらさ、また何周もするんでしょう?」
「ええ。想像できないぐらい、永遠に繰り返す」
「そんな時に、今回得た経験が生きることがあるのかもしれないよ」
これまでにない道すじを辿った、今回の世界。
けれどそれでも、理想に大幅に近い終わりを迎えようとしている。
もしかすれば、今回が最後の周になるかもしれない。創造神の願いを叶えられるかもしれない。
だから。
だからこそ私は、この場にトモリを呼んだ。
「……私の、本当の名前も知ってほしい」
スズカ。それは私の、この世界での名。
だが、もちろんそれは偽りの名前で、本当の名前は別にある。
「本当の名前?」
「そう。本当は——べルルって言うんだ」
べルル=ローグイスハイム。それが、私の本当の名前。
だが、この現実でない世界の住人である彼女が、その意味を理解することはない。それでも、似たようなものに当て嵌めることはできるだろうが、それを知る必要はない。
——この世界はただの物語。
現実とは離れた、次元の異なる世界。
だけど、物語といえど、命は栄えている。
一人一人が感情を持っていて、現実と同じように皆が生きている。
「べルル。そっか、ベルって呼ぶね」
「なんだかくすぐったいなあ」
「秘密にするよ。この周だけじゃなくて、ずっと先もね」
その朗らかな笑みにつられて、私もつい笑ってしまう。
「立ちっぱだったし、座ろっか」
そう言って今度は片手を握られて、地面に座る。
芝になっているため、衣類が汚れる心配は無さそうだ。
「ねえトモリ」
「うん?」
「……好きだよ」
思ったことを口走る。
嘘偽りのない、ただの本音だった。
「忘れたく、ないなあ」
恐らく、トモリの言葉も本音だろう。
ぴたりと、肩を寄せてきてくれる。手とはまた違う温かさに、私は少し震える。
「ねえ、ベル」
「どうしたの、トモリ」
「私も、好き」
自然の音が優しく私たちを包み込む。
星々は私たちを暖かく照らす。
月もこちらを笑顔で見つめているように思う。
永遠にこの時間が続けばいいのに。
叶わない願いであることが、何よりも悔しかった。
☆★☆
「スズカ?」
「ああ、ごめんなさい。考え事をしていた」
「机に突っ伏して考え事……。もしかして、悩みでもあるの?」
「……無いって言うと、嘘になっちゃうかな」
「あれ、珍しく正直だね。本音を言ってくれるのも初めて……」
残り少ないであろう周回。
『好きだよ』
『私も、好き』
永遠でないこの時を繰り返す。
「……ううん。違う」
「え……?」
運命に、その残された時間を大切にせよと言われているような気がした。
「……思い、出したよ」
「トモリ……?」
彼女は、笑顔で涙を流していた。
「ベル、大好きだよ」