第15話 台本どっこいしょ 後編
後編です。
帰宅後、手早く台本のコピーを取り、無駄に音羽の「旦那さんに渡しといて」という台詞を思い出して若干赤くなりながらも、ささっと新に台本を手渡した私は、自室に籠って改めて音羽の台本に目を通す。
「……『むかしむかし、神様が星空を支配していたころ、天の川の西の岸に、織女という神様の娘が住んでおりました』……」
台本決めの時にざっと読んだとはいえ、隅々まで、まして織姫を自分がやるだなんて想像して読んでなどいなかったものだから、こうして改めてしっかり読み直すと、どこかむず痒いような、妙な感覚に襲われてしまう。
「……『あなたがお父様が仰ってた方なのでしょう? 真面目で優しく、仕事熱心な男がいるから一度会ってみないかって、私、お父様にそう言われて今日はここにやってきたんです』」
……うーん、織姫を私がやるのかぁ……
「当たり前だけど、別人だなぁ……」
ふと、音羽は誰をモチーフにこの役の台詞を書いたのだろうかと、そんなことを考えてしまう。
とても私とは似つかない、とても高貴で、美しく、その佇まいにすらオーラを感じられる女──。
「……私に、できるのかなぁ」
台本を読み進めるうちに、段々と不安になってきてしまう。
役者というものは、台本に書かれた台詞を読み上げさえすれば、究極それでその役になることができるのではないだろうか。
そんなことを考えて、まあなんとかなるだろうと思っていたついさっきまでの自分を急激に殴りたくなってきた。
素人ながら、それが間違っていることくらいは今の私にもわかる。
ここに書かれた台詞をそのまま私が読み上げたところで、そこに出現するのは変な言葉遣いの私であり、七夕伝説という舞台で華麗に舞う織姫ではない。
「……これ、想像以上だなぁ」
神原先輩が言っていた「読み込むの意味を考えてごらん」という言葉の意味が少しわかった気がする。
これは、ただ読むだけではだめだ。
「けど、じゃあどうするんだって言われても、それがわからないんだよなぁ……」
ひとしきり台本を読み終えた私は、台本をベッドに投げ、ため息をついて机に突っ伏す。
「…………」
さて、ここからどうしよう。
残念ながら私が日ごろ「明日の自分が何とかしてくれるさ! ハハッ!」とぶん投げている宿題やら勉強やらとは違い(いや、全然違くないのだけれど)、こればっかりは後回しにするわけにもいくまい。
「……とりあえず、台詞覚えてみるか」
何はなくとも、台詞が入ってないと稽古もクソもないような気がしたので、ひとまず演技力だとか、読み込むだとかは考えず、台詞を文字としてインプットしてしまおう。
一応そう決意し、私はベッドに横たわる台本に手を伸ばす。
「ええと……織姫の最初の登場シーンは……ここか」
織姫──あなたは? ここで何をしているの?
彦星──俺は……川の向こうで牛を飼っている彦星ってもんだ。色々あって、呼ばれてな。そちらは?
織姫──じゃあ、あなたが例の?
彦星──例の?
織姫──ええ。あなたがお父様が仰ってた方なのでしょう? 真面目で優しく、仕事熱心な男がいるから一度会ってみないかって、私お父様にそう言われて今日はここにやってきたんです。
……小学校の学芸会よろしく、これが私の出番の全てなのであればどれほど楽だろうか。
悲しいかな、当たり前だが私の出番はこれだけなはずがなく、この後台本のページ数にして約8ページにわたって織姫の出番はがっつり用意されているのだ。
「……頑張ろう」
勉強もテストも、ましてや暗記物など当然大嫌いで不得意な私だが、まあこの際仕方がない。頑張るとしよう。
せめて1ページでも覚えて明日新に目にもの見せてやろうと、特に意味もなく新をターゲットにした決意をして私は再び台本にかじりついたのだった。
*
だが、その結果たるや散々な物で、夜遅くまで台本とにらめっこを続けた結果私が得たものと言えば、授業中の異様な眠気と、寝不足による頭痛のみだった。
台詞はというと、覚えたか覚えてないかで言えば、まあギリギリ少しは覚えたの領域に入っているものの、レベルとしては演劇には程遠い、例えるならば一休さんの団子どっこいしょがごとく、頭の中で何度も繰り返しているからかろうじて記憶に残っているものの、おそらく何かの衝撃を与えたら即座に吹き飛ぶような、そんな状態である。
そして、そんな時に限って先生が「ここテストに出るから、ささっと今覚えとけー」等とのたまっていらっしゃる。
まったく悪い冗談だ。
だが、喜ぶべき事態なのか微妙なのだが、朝話した感じ、どうやら新も同じような状態らしいので、今日稽古場で私だけが台詞を覚えてなくて赤っ恥、みたいな状況だけはどうにか避けられそうだ。
……と、そう考えていた私だったのだが……
実際に部室に赴き、先に来ていた神原先輩に“なんとか最初の数ページの台詞は覚えた”という趣旨の話をしたところ、私は先輩に「え、覚えたの?」と、驚きというよりは戸惑いの声をあげられることとなる。
「え、ええ……」
「あー……うん、まあ覚えたものは無駄にはならないから、良いっちゃいいんだけど……」
「……“読み込む”の趣旨が違う、ってことですか?」
「……そう、なるかな」
言いずらそうな先輩を見て、でも内心「やっぱりな」と頷く。
何かズレているのは薄々感じていた。
「まあ、今日は新くんも来てるみたいだし、後で台本読みでもやってみようか」
「はい、わかりました」
そこまで話したところで、私は部室を一足先に出て新のいる稽古場に足を運ぶ。
やっぱり、多少なりと彼の状態も把握しておこう。
「新―? 今大丈夫―?」
ノックをすると中から「おうよー」と、どこか覇気のない返事が返ってくる。
「台本のことで少し相談なんだけど……」
「『自分では他人と比べて働き者かどうか、考えたこともありませんでしたが……でも、貴女のお父様がそうおっしゃるのならばそうなのでしょう』」
「え、ええ、ああ」
突然の台詞のフリに、やや戸惑いつつも記憶を総動員して自分の台詞を思い出す。
「『ふふっ、本当に謙虚なんですね』」
「『お世辞に繰り返してるみたいでアレですが、貴女みたいな綺麗な人の相手に選ばれるなんて、夢のような話ですからね。そういえば、貴女も相当な働き者だと聞きました。毎日布をたくさん織っているとか』」
「『ええ、その通りです。それで機ばっかり織っている私を心配して、お父様がこのような場を設けてくださったのです』」
「『なるほど、合点がいきました』」
一区切りつく箇所まで掛け合いが終わると、新はふうと大きなため息をつく。
「な、なによ、突然……」
思いの外彼のフリに応えられたことに、我ながら少し驚きながらそう尋ねると、新は「いや、台本の話だろ?」と返してきた。
「とりあえず昨晩、俺も少しは無理矢理覚えたけどさ、でも絶対何か違うんだよなぁ……」
「だよねぇ……私も同じような感じなんだけど、さっき部室で先輩にそのこと言ったら、凄いびっくりされちゃって」
「マジかぁ……」
私とほとんど同じような悩みを抱えているのだろう。再び深くため息をつく新。
「なんだかなぁ。手さぐりもいいところだよな」
「ホント、それ」
2人のため息がシンクロし、他に誰もいない稽古場に静かに広まった。
来週はちゃんと時間通りに更新できるようにします。。。
次回更新は11/16の22時です。よろしくお願いします。




