二月六日(木)1: その言葉が聞きたかった
二月六日(木)――
修学旅行の朝である。俺にとっては五周目の修学旅行だ。
いつもより早く起き、いつもより早く朝食を済ませ、いつもの制服に着替えて、準備しておいた旅行鞄を持って高校に向かう。
昨夜、体内時計を調整する能力が時計にも効果があると分かって、それからいろいろ調べていたから、少し寝不足だ。鏡越しには俺の能力は効果がないため、自分を使って実験や練習をすることができなかったが、時計という被験者を得た俺は、つい夢中になっていろいろ試してしまった。
俺の能力的には「おはよう」は8時らしい。ただし、6時から10時のときに「おはよう」と言っても時計はそのままの時刻だったから、6時から10時が「おはよう」の範囲らしい。「こんばんは」も同様で20時に設定することができるが、範囲は18時から22時のようだった。「こんにちは」は正午12時に設定することができ、範囲は10時から14時だった。
ただ、さらにいろいろ試してみたものの、時刻を一時間単位で設定するような言葉は見つからなかった。「一時まして」とか「二時よう」とか、聞いたことがない日本語だから、時計に通じなくてもしょうがないのかも知れない。
集合時刻は7時半だが、7時に学校に到着した。
俺は日向茜さんを見つけ、声をかけた。
「日向さん、おはよう」
「おはよう」
日向さんはそう言って、くすくすと笑った。俺は何か面白いことを言っただろうか。ああそうだ、前周では「おはよう」って言うときにいつも能力を使っているってことを笑われたんだっけか。
「前の周では6時半に来てたのに、今日は少し遅いんだね」
あっ、違った。
日向さんに何度も学校の屋上に呼び出されたときもそうだったけど、やっぱり日向さんっていつも前回とは違う行動や反応をする。おかげでずいぶん振り回されたような気がするなあ。
「昨日、俺の能力も別の使い方ができないかと思って、いろいろ試していたから、少し寝不足で」
「じゃあ私と同じだね」
日向さんがいたずらっぽく笑う。
えっと、ゴム風船を膨らませる以外に、何か新しいマジックを思いついたのだろうか。
日向さんがバッグを開けて中を探りながら言う。
「今度は風船と違ってすごいんだよ。小林くんもきっと驚くと思う」
おっといかん、俺の考えていることが顔に出ていたわけじゃないよな。いや、変に意識すると、どういう表情をしていいのか分からなくなるが。
日向さんは、バッグの中からみかんを取り出した。
「みかん?」
みかんを温めるのだろうか。えっと、みかん一個に含まれる水分の量はどれくらいだろうか。みかんが100グラムだとして、それが全部水だったとして、1リットルの水を約80℃熱することができるんだから、みかんなら800℃くらい熱することができてしまうのではないだろうか。
「ちょっと持っててね」
日向さんにみかんを手渡された。つまり、俺が持っている状態で、日向さんが能力を使うってこと?
すみません、本校生徒の中に、火傷を治せる能力者さんはいませんか!
俺が「無理無理、絶対に無理」とみかんを返す前に、日向さんが能力を使ってしまった。
「精霊えいっ」
「うわっ、熱っ!」
俺は反射的に手を引っ込めてみかんを放り出した。それを日向さんが空中でキャッチする。えっ、日向さんは熱いのが平気なタイプの能力者なのかな。
というか、熱くはなかった気がする。
「熱くはないよ、ほら」
日向さんは改めてみかんを手渡してきた。俺は恐る恐る受け取る。
冷たい。
「えっ、これ、凍ってる?」
日向さんの能力で、なぜみかんが凍っているんだろう。その瞬間、俺は白蕗さんの能力のことを思い出していた。そうだ、等価交換だ。
「あっ」
「お父さんが前に、昔は電車で冷凍みかんってのを売っていたらしいって言っていて、それを思い出してみかんを凍らせてみようって思ったの」
いやいや日向さん、そっちのヒントの話じゃなくて!
「面白い実験をなさっていますね」
背後から声を掛けられて、俺の口から心臓が飛び出していった。
「あっ、白蕗さん、雲川さん、おはよう」
日向さんの挨拶を聞いて、俺は振り返る。白蕗さんと雲川さんも登校してきたのだった。
「白蕗さん、おはよう。雲川さん、おはよう」
俺は日向さんと同じように、白蕗さんと雲川さんに挨拶をした。これで白蕗さんと雲川さんの体内時計もリセットされたはずだ。能力の多重使用が怖い俺は、思わず一人ずつ挨拶してしまったが、たぶん四人くらいまでは問題ないんだよな。いや、何人から問題があるのか、ちゃんと調べてなかった。これも白蕗さんに叱られる感じのミスだな。
「日向さん、小林さん、おはようございます」
白蕗さんが丁寧にお辞儀をする。やはり、振る舞いを見ていると、どこかのお嬢様っぽい感じなんだよな。いつもより肌が白くて深窓の令嬢みたいな感じだが、肌が白いというよりは体調がよくないんだな。宮田の多臓器不全を三割ずつ引き取ってしまったから、体調がいいわけもないか。
「おはよう」
雲川さんの挨拶は、そっけない感じだ。雲川さんも修学旅行に来たんだな。宮田のために、頑張ろうぜ。
「別に、宮田くんのために、今日来たわけじゃないんだからね」
うわっ、雲川さんに否定された。そういうツンデレな台詞は、宮田に言ってあげたほうが喜ぶと思うけど。いや、それより、やっぱり俺の考えていることは顔に出ていたのだろうか。俺は両手を顔に当てて、ぐりぐりとマッサージする。そんなことをしても、何の効果も得られないことは分かっているのだが。
「日向さんは、面白い実験をなさっていましたね」
雲川さんの言葉で、俺は我に返った。そうだ、日向さんの能力で、みかんが凍ったのだ。
「白蕗さんの能力で、元気や筋肉痛を与えたり取り除いたりすることができるんだから、私の能力で熱を与えるだけじゃなくて、取り除くこともできるかなって思ったの」
日向さんが実験の目的を説明する。それだよ、その言葉が聞きたかった。
「はい。実に興味深いですね。日向さんの加熱の能力は、対象の水分子を直接回転・振動させることにより、その摩擦熱によって加熱しているわけですが、逆に水分子の熱振動を抑えることで、対象を冷却することが可能ということだと思われます」
「熱振動?」
日向さんが聞き返す。
「はい。固体中の分子や原子は、熱エネルギーによって振動しており、熱エネルギーを与えれば振動が激しくなり、熱エネルギーを奪うと、つまり温度を下げると振動が鈍くなります。なので、熱振動を抑えるということは、すなわち冷却するということになるのです。要するに、日向さんの温める能力も冷やす能力も、別々の能力ではなく同じ能力ということになりますね」
「じゃあ、氷の精霊だと思ってたけど、違うんだ」
日向さんがちょっとがっかりしたように言う。
そうか、ファンタジー作品で炎属性とか氷属性の魔法なんてのがあるが、物理学で考えると、それらに区別はないってことか。確かにちょっとがっかりする気持ちも分かる。
いや、そうは言っても、日向さんの能力は、温めるも冷やすも自在なわけで、むしろ魔法としてはすごいと思う。
時計の時刻を触れることなく変えることができる俺の能力は、まあその、何の役に立つんだろうね。
白蕗さんが手首内側の腕時計を見て言う。
「そろそろ集合時刻ですね。雲川さんと小林さんの新しい能力の使い方は、現地で見せていただきましょう」
えっ、ちょっと、白蕗さんには全てお見通しか。
じゃなくて、えっ、雲川さんの新しい能力の使い方ですって?




