二月五日(水)26: 体内時計があったんだな
家に帰り、夕食を済ませて、俺は自室のベッドに寝転がって今日の振り返り会を行う。
今日は長かった。本当に長かった。まるで一か月くらいにも感じる一日だった。
宮田が能力の過剰使用によって倒れ、思いも寄らない暗い展開に突入してしまった。予想外だった。本当に予想外だった。
そして、時間が巻き戻るのだから、目の前で人が死んでも大したことはないだろうという思い込みが誤りであることを思い知らされた。
宮田がもしあのまま命を落としていたら、そう想像するだけで胸が痛む。もしそれを目の当たりにしてしまったら、時間が巻き戻って元気に時差ボケで復活した宮田を見ても、その衝撃と悲しみはずっと心の底に澱のように残り続けるのだろう。
逆の立場で言えば、宮田は俺が原因で時間の巻き戻りが起こることを確認するために、俺を召喚の門に突き飛ばして、俺が死ぬところを見てしまった。そして今もそのことを悔やんで苦しんでいるらしい。
そうだよな。親友が死ぬ記憶なんて、何よりも苦しいよな。
白蕗さんが宮田を回復したときのことを思い出す。
白蕗さんの能力は、言ってしまえば『等価交換』で、疲労物質を糖分などに交換することで回復しているらしい。俺の能力、体内時計を調整する能力は、宮田の「バシッと目が覚める感じ」という感想でエナジードリンクみたいな効果かと思ったものだが、実際には白蕗さんの能力こそエナジードリンクみたいな効果だったわけだ。
白蕗さんは最初、ちょっと長めに能力を使って、宮田の疲労物質を取り除き、自分自身の血糖値を上げた。その影響で倒れそうになり、日向さんに支えてもらっていた。俺は傍観者だった。
そのあと白蕗さんは再び能力を使って自分自身を回復させていたが、あれは何と何を等価交換したのだろうか。
血糖値が急激に上がると大量のインスリンが分泌されて一気に血糖値が下がって体調を崩すことがあるらしい。白蕗さんがその状態に陥っていたとすると、血糖値を上げても回復するどころか逆効果のはずだ。じゃあ、白蕗さんが回復したように見えたあれは、何をしたんだろうか。
さらにそのあと、白蕗さんはしばらく考えてから、宮田の傷ついた身体の『結果』だけを自分の身体に差し替えるという、とんでもないことをやった。自己犠牲という言葉があるのは知っているが、自分の身を削りながら人を助ける人がこんな身近にいるとは思わなかった。
『御学友のみなさんも、白蕗さんというすばらしい人格者に巡り合うことができたことをさぞかし光栄に思っていらっしゃるでしょうな。はっはっは』
院長先生の言葉を思い出す。白蕗さんの毒のある態度は、もしかすると医療に関しては誰よりも真摯に取り組んでいるということを隠すための照れ隠しなんじゃないだろうか。
白蕗さんは宮田と自分を交互に回復しているように見えたが、『結果』の差し替えによって壊れていく白蕗さんの身体は白蕗さんの能力では回復できなかったはずだ。じゃあ、白蕗さんは自分の体に対して何をやっていたんだろうか。
ううむ、結局のところ、白蕗さんが何をやっていたのかは、俺には分からないな。白蕗さんは嘘はついてないにしても説明してないことがあったんだろうということは分かるんだけど。
白蕗さんに対する最初の印象は不思議ちゃんだったが、思っていた不思議ちゃんとはぜんぜん違う不思議ちゃんだった。しかし、それをさらに上書きするレベルで、全く違う不思議ちゃんだった。
白蕗さんがすばらしい人格者なのかどうかは今のところ俺には判断できかねるが、白蕗さんに巡り合うことができたのは光栄なのかも知れないな。
さて、白蕗さんのことばかり考えていてもいけない。明日の修学旅行で召喚の門に対してやるべきことを考えておこう。
と言っても、召喚の門に対して、俺の能力を使ってみる、それだけのことではあるが。いや、それだけのことを、俺は前周ではやらなかったんだよな。俺のバカ、俺のバカ。
いや、反省会において、やってはいけないのは個人攻撃だ。失敗を繰り返さないための反省会であって、失敗した人を責めてはいけないのだ。俺は悪くない、俺は悪くない。
体内時計を調整する能力は、あの召喚の門に効くのだろうか。試さないことには始まらない。どうせ「おはよう」とか「こんにちは」と言うのなんて大した苦労でもないのだから。
明日までにできることは何があるだろうか。部屋の時計を見ると、まだ20時を回ったところだ。考える時間はまだまだある。
白蕗さんの能力みたいに、何か考え方を変えるだけで、悪用、もとい、便利な使い方ができないものだろうか。
俺は再び時計を見る。壁掛けのアナログ式の電波時計だ。秒針が一秒ごとに一目盛り進む、ステップ秒針というタイプだ。静かな部屋では秒針が進む音がカチコチと聞こえるので、寝室に置くなら秒針が連続で動くスイープ秒針というタイプを選ぶのが無難だ。ただし俺の部屋の時計は就寝時、夜の22時から朝の6時までは秒針が停止する機能があるため、睡眠が妨げられることはない。
「時計か」
俺は独り言を呟きつつ、体を起こしてベッドの縁に座った。
自分でもバカなことを考えているとは思うのだが、召喚の門に体内時計を調整する能力を使おうっていうくらいだから、その前に試してみてもいいんじゃないだろうか。いや、時計に体内時計があるのかなんて、バカらしい考えだということは分かっているのだが。
しかし、いざ時計に向かって「おはよう」と言ってみようとすると、自分でも驚くぐらい躊躇ってしまう。誰が見ているわけでもないが、とても気恥ずかしいと感じてしまう。中二病のときは「エグゾースト・バースト」などと気軽に口走っていたのだが。
こんなところで恥ずかしがっているようじゃ、明日あの召喚の門に能力を使うなんてできやしないな。
「おはよう」
俺は意を決して時計に向かって言ってみた。
カチコチ、カチコチ。時計はそう応えるだけだ。そりゃそうですよねぇ。時計は時計だけど、体内時計なんてものがあるわけないよねぇ。
なんだか猛烈に恥ずかしくなってきた。今この瞬間に母がこの部屋に入ってきて「あなた何をやってるの」なんて言われたら、俺は恥ずかしすぎて爆裂四散してしまうだろう。
しかし一応、他のものも試しておこう。「おはよう」とか「こんにちは」と言うなんて大した苦労でもないと言いつつ、そんなのを躊躇っているなんて、自分でも笑っちゃうじゃないか。
「おはよう、こんにちは、こんばんは」
カチコチ、カチコチ。時計の反応は相変わらずだ。冷静に考えると、時計がもし時差ボケしたとして、「時差ボケしました」と教えてくれるはずもない。
分かったよ、俺がバカだったよ。明日は早起きしなきゃいけないから、もう寝るよ。
「おやすみ」
俺は時計に向かって言い捨てて、ベッドに寝転がった。
ベッドから時計を見上げると、すでに時刻は22時だ。明日は早起きしなきゃいけないのに、ずいぶん時間が経ってしまった。
「そんなバカな」
俺はベッドから跳ね起きる。さっき時計を見たときはまだ20時だったはずだ。「おはよう、こんにちは、こんばんは」と言っている間に二時間も経過するはずがない。
机の上で充電しているスマートフォンのロックを解除する。時刻は20時を回ったところだ。さっきから五分も経っていない。
俺は改めて壁の時計を見る。22時ぴったりを指していて、秒針は止まっている。しばらく見ていると、分針が一目盛り進んだ。電池切れで止まっているということではなく、22時を回って秒針が停止する状態になっているようだ。
俺は「おはよう、こんにちは、こんばんは」と連続で言ってしまった自分の迂闊さを呪った。
「こんにちは」
時計に向かって言ってみる。何も起きない。と思いきや、時計の針はぐるぐると動き始め、12時ぴったりを指した。そして秒針はカチコチと元気に動いている。
「マジか。お前、体内時計があったんだな」
いや、そうじゃないだろうという気もするが、まあいいとしよう。
「おはよう」
時計にそう言って、しばらく待つ。すると時計の針がぐるぐると動き始め、8時ぴったりを指した。どうやらこの能力的には「おはよう」は8時らしい。
「こんばんは」
今度は時計は無反応だ。カチコチとさっきの8時の続きの時刻を刻んでいる。
俺は「こんにちは」で時計を12時ぴったり、おそらく正午にしてから、「こんばんは」と言ってみた。すると時計の針はぐるぐると動き始め、8時ぴったりを指した。どうやら午後8時、20時になったらしい。電波時計なのでこの時計は午前なのか午後なのかを知っているのだろうが、長針、短針、秒針しかないから、午前8時なのか午後8時なのかは見ている俺には分からないだけだった。
これは面白い。時計に触れることなく時刻を変えられるとか、超能力者じゃん。
でも、一言いいだろうか。
く、くだらねー。




