宮田の失言のせいで、和やかな雰囲気だった病室が大混乱である。
能力の話をするなと暗に釘を刺して、どうやらそれは伝わっているだろうと油断していたところで、まさか「覚えていてくれ」と能力を発動してしまうとは予想してなかった。
おかげで、宮田のお母さんは、宮田が最期のお別れの挨拶をしたと受け取って号泣するし、雲川さんはそんな様子を見て宮田をめっちゃ怒ってる。
白蕗さんのコンディションが万全だったら、宮田が能力を発動するのを事前に止めることはできただろうか。俺には分からない。
結局、宮田のお母さんが落ち着くまでに、院長先生は宮田がどれだけ劇的に回復したのか、おそらくすでにやったであろう説明を再び繰り返す羽目になってしまった。
こういう不測の事態こそ、俺は無意識に時間を巻き戻してくれればいいのに、どうやらそんな気配もないようだ。アイスの当たりを引くために時間を巻き戻してしまうくせに、なんで今はそうしないんだよ。
いや、それで思い出したけど、白蕗さんは以前俺の能力について「体内時計を調整する能力」とだけ言っていたっけ。白蕗さんがなぜ時間を巻き戻す能力のことを言わなかったのか、確認しようと思っていて忘れていた。
あれは前の周の火曜日だが、ずいぶん前のような気がする。科学部の部室で日向さんの能力の実験をして、そのあと白蕗さんが言ったのだ。
『こちらの小林さんと宮田さんも、それぞれ能力を持っています。小林さんは体内時計を調整する能力で、宮田さんは他人の記憶や認識を操作する能力です』
そのあと宮田の能力について説明する流れになって、俺が「女子を巻き込む」と考えると偏頭痛がする原因が宮田の能力によるものだと分かった。さらに、本人も理解していない能力を知る白蕗さんの能力や、五合のご飯を一人で食べ尽くす日向さんに驚いて、すっかり忘れていた。
そして翌日の水曜日、雲川さんの『明鏡止水』を確認に行って、そのあといろいろ話す時間があったのに、すっかり忘れていた。
そんなことを考えて現実逃避していたら、斜め前にいる白蕗さんのほうから細く吐き出すような溜息が聞こえた。あっ、白蕗さんがブチ切れている。怖い。白蕗さんの背中が怖い。
その白蕗さんのほうから、ぽんと手を打つ音が聞こえた。白蕗さんがくるりと向きを変えてこちらを向く。
「はい。それでは、いつまでも病室にお邪魔をしていては、宮田さんの負担になってしまいます。私達はそろそろお暇いたしましょう」
白蕗さんは胸の前で手を合わせて満面の笑みである。むしろそれが怖い。それに、白蕗さんの体がぼんやりと光ったのも怖い。
「うおっ」
急に宮田が声を上げた。
「宮田くん、大丈夫、どこか痛いの?」
雲川さんが心配そうに声を掛ける。
宮田は目を見開いて天井を見つめて固まっている。俺も宮田の視線の先の天井を見てみたが、白い天井には特に何か気になるものがあるとも思えない。
「い、いや、大丈夫、なんともない」
しばらくして宮田がそう言ったので、俺は胸を撫で下ろす。
「何だよ、驚かすなよ」
「いや、ちょっとトイレに行きたいかなって思ったけど、気のせいだった」
白蕗さんじゃないけど、俺もちょっと呆れて溜息が出そうだ。
院長先生が言う。
「導尿カテーテルを入れているのでお手洗いに行く必要はないはずですが、大きい方だったり、どこか痛いとか気になるところがあったら遠慮せずに言ってください。すぐに看護師が対応しますから」
「それ、何ですか?」
うむ、何でも素直に質問できるのが宮田のいいところだな。
「尿道にチューブを入れて、常に排尿ができるようにしています。正直なところ長期の入院が必要だと判断していたのですが、今の症状を見るだけなら一般病室でもいいくらいで、長年医者をやっている私にもさっぱりですよ」
院長先生としても、白蕗さんの能力は想定外だろうな。
「俺って今、そんな状態なのか。うお、体が痛ってえ」
宮田は掛け布団をめくって自分の様子を見ようとしたのだろうか。しかし筋肉痛で動けなかったようだ。
「おい宮田、女子もいるんだから、変なものを見せようとするんじゃない」
「バカ光夫、笑わせるな、痛ってえ」
うん、この様子だと宮田は大丈夫みたいだな。
「宮田くんを笑わせても可哀想だから、そろそろ帰ろっか」
日向さんの言う通りだな。これ以上ここにいても、宮田の負担にしかならない気がする。
白蕗さんを見ると、院長先生と何やら話しているところだった。
「挫滅症候群の可能性はないのですよね?」
「ないとは断言できませんが、血中カリウムも正常範囲内ですし、今のところは安心してよいかと」
よく分からないが、宮田は本当にいろいろ危ない状態だったんだな。
宮田と宮田のお母さん、そして院長先生に挨拶をして、俺達四人は宮田の病室を出た。
四人というのは、白蕗さん、日向さん、雲川さん、俺だ。
白蕗さんは俺達の先頭をずんずん歩いていく。さっきまで筋肉痛で立ち上がれないと言っていたとは思えない元気さだ。白蕗さんというと、いつもふらふら歩いているような気がしたが、あれは時間の巻き戻りで極度に疲労していたせいなのかも知れないな。
病院から出たところで、白蕗さんが立ち止まって振り返った。
「まったく、あのような場所で、あのような時点で、記憶を固定するとは、驚きですよ。私も頭の中が真っ白になるという貴重な経験をさせていただきましたよ」
個人的には、白蕗さんが怒りを顕にしているのが驚きだけど。
「あれって、どうなるのかな」
日向さんが呟くように言う。
あのとき病室にいたのは、俺達五人を除けば、宮田のお母さんと、院長先生だ。俺達は宮田の能力で記憶を固定されても困らない、というか記憶を固定してもらわないと困る立場だが、宮田のお母さんと院長先生はどうなるのだろう。
「分かりません。宮田さんの状態も万全には程遠いので、能力の効果が薄ければ、あまり今回の記憶を持ち越さずに済むかも知れません。ですが、今回の記憶を持ち越してしまった場合、たとえば宮田さんの御母堂は、息子が緊急入院して命の危険に陥っているという記憶に苛まれるかも知れません」
それは辛すぎる。
「そして院長先生は、謎の回復を見せた入院患者や、小林さんの奇行を思い出しては、この記憶は何なんだろうと悩むでしょうね」
お願いします、やめていただけますかね。
「まさか、小林さんを上回るほどの愚かな行為をするとは、私も想定外でした」
もしかして、俺ってば八つ当たりされているんですかね。
それに、あんまり宮田のことを悪く言うと、雲川さんがご立腹なのではないだろうか。雲川さんを見ると、不機嫌そうに俺を睨んでいる。俺、何かやっちゃっただろうか。宮田が入院する羽目になったのは、俺が全体魔法をけしかけたからだってのはあるけど。
「ところで、宮田くんが何か驚いていたみたいだったけど、白蕗さん、あれは何をやったの?」
日向さんが話題を変えてくれた。助かる。
「はい。宮田さんがあれ以上の愚行を重ねる前に、能力の使用は次の周回で私の指示を待つように伝えました」
えっと、伝えたとは?
白蕗さんが能力を使ったのは気づいたけど、何かを伝えるような能力だったっけ?
宮田を包む風に何かを書き込んだところで、宮田にはそれは視えないよね。
日向さん、雲川さんを見ると、頭の上に疑問符が浮かんでいるようだ。
「宮田さんには悪いと思いましたが、緊急事態と判断しましたので、宮田さんの目の角膜と網膜を少しばかり弱らせて、伝言を記しました。白い壁や天井を見れば読めると思います」
怖いんですけど!
「ちょっと待って、宮田くんに何をしたの?」
雲川さんが顔面蒼白になりながら訊く。さすがの雲川さんも、怒りが湧く以前に恐怖を感じているようだ。
「はい。宮田さんの病室で私達と宮田さんだけになる好機があるか不明でしたので、伝言を伝える方法を待合椅子に座りながら考えたのですが、宮田さんにだけ見える形で伝えればよいと気づいたのです。メモなどを渡す方法も考えましたが、全身筋肉痛の宮田さんは受け取っても読むのが困難でしょうし、第三者に知られるところとなる可能性もあります。そこで、目の角膜と網膜に直接伝言を記すことを思いついたのです。私自身の目で三度ほど練習しましたが、少しばかり視界が遮られるだけですので特に生命維持の支障になることはないはずです」
自分の体を何だと思ってるんですか!