二月五日(水)23: バッカじゃないの
結局、白蕗さんがちょっとジャンプできるようになるまでに、白蕗さんは能力を三回使うことになった。
「すみません。もう筋肉痛はなくなって、本当に普段の状態になってますから」
白蕗さんが泣き言のようにそう言うまで、日向さんは容赦がなかった。白蕗さんが筋肉痛ではなくなっているかを確認するために、日向さんはそのつど白蕗さんの二の腕を掴んだりしていたから、白蕗さんとしては愉快な時間ではなかっただろう。
それはそうと、白蕗さんが立ち上がれないくらいの筋肉痛を引き受けてしまった日向さんは大丈夫なんだろうか。
「日向さんは大丈夫なの?」
俺がそう訊くと、日向さんは柔軟体操をしながら答えた。
「うん。特に問題ないかな。たぶんだけど私は筋肉が多いから、多少の筋肉痛は平気だと思う」
いや、そんな無茶な。
白蕗さんが日向さんをじっと見つめる。
「はい。日向さんを甘く見積もりすぎていました。先程までの私を包む風は筋肉痛のために全身が真っ赤だったのですが、日向さんはほんのりと赤くなっている程度です。筋肉量は性別と年代でおよそ概算できます。女性の筋肉量は私達の年代ですと体重の四割くらいが平均値です。日向さんと私の体格差からすると、日向さんが筋肉質だとしてもそれほど筋肉量は変わらないと見積もっていたのですが、大きな間違いだったようです」
あっ、体格差と言われて、日向さんがちょっと膨れてる。身長じゃなくて体格差だから。いや、同じようなものか。
「おそらくですが、日向さんは平均的な女性の二倍ほどの筋肉量を持っていると思われます。いったい、どれだけの鍛錬をなさればこれほどまでに鍛えられるのか」
白蕗さんは、日向さんが膨れていることなどお構いなしに日向さんを褒める。日向さんの表情がふっと緩んだ。
「だから私は剣道で鍛えているから大丈夫って言ったでしょ」
「はい。お見逸れしました。ちなみに私の体重は、あら、小林さんの前でする話ではありませんね」
おっと、女子トークで体重の話になりそうだったが、思い留まってもらえたようだ。科学者の白蕗さんとしては、白蕗さんと日向さんの筋肉量を概算して比較したかったのかも知れないけど。
そんなことをしていると、院長先生がこちらに歩いてきた。
「白蕗さん、御学友の病室が落ち着きましたので、お見舞いをしていただいて大丈夫ですよ」
「はい。それでは宮田さんにご挨拶をして、私達はお暇いたしましょう」
というわけで、俺達は宮田の病室に向かった。
宮田になんて声を掛ければいいだろうか。あまり深刻じゃない感じがいいだろうか。あんまり変なことを言うと雲川さんに怒られそうな気もするけど。
考えているうちに宮田の病室に着いてしまった。そもそもそんなに距離もないしな。
宮田の病室には集中治療室と書かれている。それだけ宮田の症状が重かったということだ。先程まで開放されていたスライド式のドアは閉じられていて、すりガラスの向こうは見えない。よく見ると、スライド式のドアは二重になっていて、透明なガラスのドアと、すりガラスのドアがあるようだ。
なるほど、患者の容態が緊急を要するようなときには透明なガラスで室内の様子がいつでも見れるようにして、患者の容態がある程度落ち着いたらすりガラスでプライバシーを守るということなんだろうな。
少しばかり覚悟してドアの前に立つと、ドアは自動的に開いた。病室に入ると、思ったよりずっと穏やかな雰囲気で、拍子抜けするほどだった。病室にいるのはベッドに寝かされた宮田と、宮田のお母さん、そして雲川さんの三人だ。
宮田の全身は掛け布団で覆われているが、掛け布団の外に出された腕にはいろいろなチューブが繋がったままだし、それ以外にも掛け布団の中から出ているチューブがあって痛々しい。とは言え、特に呼吸を補助するような装置もなく、なんなら宮田は普通に談笑しているようだ。さっきまで生死の境を彷徨っていたようにはとても見えない。白蕗さんの能力によって回復したことを知らなければ、燃え尽きる前の最後の輝きなんじゃないかと疑ってしまうかも知れない。
「お、生きてるみたいだな」
俺は昨日宮田に言われた台詞をそのまま言った。
「おい、それ、俺の台詞じゃねーか」
宮田の声はずいぶん掠れているが、言い返せるくらいなら大丈夫かな。
「宮田くんが急に倒れるから、C組は大騒ぎだったんだよ」
日向さんの言葉に、宮田は申し訳なさそうな顔をした。
「いや、すまん。まさかこんなことになるとは」
おっと、宮田が口を滑らせて能力のこととか口走ってしまわないようにしないと。
「ああ、宮田が倒れたあと、先生が一酸化炭素や二酸化炭素の濃度を測ったり、いろいろ大騒ぎだったぞ。原因は分かってないみたいだけど」
宮田はしばらくきょとんとしたあと、何かを納得したように言った。
「そうか、原因は分かってないか、そうか、そうだよな」
よし、俺の意図は通じたようだ。院長先生や宮田のお母さんの前で能力の話とかされても困るしな。
白蕗さんが前に進み出て宮田に言う。
「宮田さん、今はとにかく回復に努めてください。修学旅行に参加できないのはさぞ心残りかとは思いますが、お土産話を持って来ますから」
なるほど、「今は」というのは「今周は」という意味だろうな。きっと宮田にも伝わっているだろう。
「そうか、分かった。じゃあ、今のうちに言っておいたほうがいいな」
ん?
宮田の言葉が一瞬理解できなくて、頭の上に疑問符が浮かんだ。その一瞬のうちに、宮田は次の言葉を発してしまった。
「みんな、覚えていてくれ」
病室に沈黙が訪れた。
沈黙を破ったのは、宮田のお母さんだった。両手で顔を覆って、わっと泣き始めてしまった。
「えっ?」
宮田は自分の母の様子に驚いたようだ。
「宮田さん、何をおっしゃるんですか!」
白蕗さんが慌てて宮田を止めようとするが、正直言ってもう手遅れな感じではある。
宮田はおそらく、明日の修学旅行に行けないことを悟り、記憶の固定を今のうちにやっておこうと思ったのだろう。
気持ちは分からなくもないが、だがそれは今じゃない。
「宮田、お前は死んだりしないよ、ちゃんと体を治して、退院しろよ。何を最期のお別れみたいなことを言ってるんだよ」
俺がそう言うと、宮田は自分の台詞が「俺が死んでも忘れないでくれ」という意味に受け取れることに気づいたようだ。
そりゃ、宮田のお母さん、泣いちゃうよ。
俺は雲川さんに怒られるのを覚悟で、いつもの台詞を言おうとした。
その前に、雲川さんが言った。先を越された。
「バッカじゃないの!」




