二月五日(水)22: ちょっとジャンプしてみてよ
白蕗さんは、宮田の多臓器不全のダメージを、三割くらい自分の体で引き受けたらしい。
いつも宮田に言っている「バカじゃねーの」という言葉が喉まで出かかったが、俺はそれを無理矢理飲み込んだ。ついさっき、この台詞のせいで雲川さんに胸ぐらを掴まれたからな。それに、なんてバカなことを、とは思うものの、他に方法なんて思いつかない。
改めて白蕗さんを見る。顔色が薄い。顔色が悪いというより、何かが薄れているように見える。
「なんて無茶を」
俺はその一言をなんとか絞り出した。
「はい。何しろ初めての試みでしたので、どれくらい回復すればよいのか、どれくらい交換しても私の生命に支障がないのか分かりませんでしたので、これでも手加減はしたつもりだったのですが」
俺は再び目眩に襲われる。下手すれば白蕗さんが死んでしまうところだったんじゃないだろうか。
「私がこの能力の設計者なら、使用者が死に至ることのないように安全装置を設けると思いますが、そもそも結果を交換するという変則的な使用方法を想定していないのなら安全装置もないでしょうね」
ちょっと何を言っているのか分からないのですけど。
「白蕗さん、内臓だけじゃないよね?」
日向さんが心配そうに言う。
「はい。実は全身が筋肉痛で、腕を上げるのも、立ち上がるのも、ちょっと難しいです」
なんてこった!
つまり、白蕗さんは宮田の全身の筋肉のダメージもいくらか自分で引き受けてしまったということか。
さっき日向さんに血糖値を分けたとき、白蕗さんは胸の前で両手を合わせながら表情を歪めていた。もしかして、そんな動作でも苦痛を感じるほどの筋肉痛なのだろうか。
「白蕗さん、その筋肉痛も、私に分けてよ。私は剣道で鍛えているから、筋肉痛くらい平気だから」
「いいえ。お断りします」
日向さんの申し出を、白蕗さんは即座に断った。
「どうして?」
「血糖を譲るのは、百歩譲って元気になるということで許容できるのですが、筋組織の断裂という損害を他人に押し付けるなど、私の方針に反するのですよ」
白蕗さんは梃子でも動かないみたいな表情をしている。
日向さんはそれを聞いて、腰に手を当てて怒りを顕にした。
「じゃあ、そんな立ち上がるのも難しい状態で、どうやって家に帰って、どうやって明日の修学旅行に参加するの?」
「それは」
白蕗さんは言い淀んだ。マジか。白蕗さんが言い淀むなんてことがあるのか。
いや、白蕗さんはついさっき、自分の口で腕を上げるのも立ち上がるのも難しいって言っちゃったもんな。
「この程度の筋肉痛、立ち上がるのがちょっと難しいだけです。難しいというのは困難であるという意味で、不可能という意味ではないのですよ」
白蕗さんはそう言って、両膝に両手を乗せて、上半身を前方に傾けて、待合椅子から立ち上がろうとした。
立ち上がろうとして、そのまま動かなくなった。
日向さんが小さな溜息をついた。なんか白蕗さんっぽいな。
「白蕗さんは宮田くんの病室から出てここまで来たあと、ずっとこの椅子に座ったままだよね。白蕗さんは科学部だからあまり運動に慣れてないかも知れないけど、筋肉痛って、ある程度は体を動かさないと、筋肉が固まって動かなくなっちゃうよ。私達が帰ったあとも白蕗さんがここに座っていて、病院の人に見つけてもらったら、宮田くんほどじゃないにしても内臓がずいぶん弱っていることが分かって、そのまま入院させられちゃうんじゃないの?」
日向さんが一気にまくし立てた。うん、なんか白蕗さんっぽい。
しばらく沈黙が流れたあと、白蕗さんが折れた。
「分かりました。正直なところ、私自身、ちょっとこれは無茶だったかなとは思っていたのです。お言葉に甘えさせていただいて、日向さんにこの筋肉痛をいくらか引き取っていただけますと助かります」
「うん。がつんと来ちゃっても大丈夫だよ」
さすが日向さん、頼もしい。
白蕗さんは苦痛に表情を歪めつつ胸の前で両手を合わせた。白蕗さんの体がぼんやりと光る。今、俺の目の前で、原因と結果のうち結果だけを差し替えるという、奇跡のような能力が発動している。
白蕗さんが構えを解いた。
「いかがでしょうか?」
白蕗さんが尋ねると、日向さんはその場で屈伸運動や柔軟体操をした。
「うん、ぜんぜん問題ないよ。っていうか白蕗さん、ほんとに自分が動けるくらい私に筋肉痛を分けてくれたの?」
「えっ」
白蕗さんが返答に詰まる。それを見た日向さんは、再び腰に手を当てて怒りを顕にした。
「白蕗さん、そこに立って、ちょっとジャンプしてみてよ」
なんか、カツアゲをしているヤンキーが、相手が小銭を持っていることを確認するみたいなことを言ってるぞ。
再び沈黙が流れ、そして再び白蕗さんが折れた。




