しばらくして、白蕗さんが小さな溜息をついた。
「そうですね。どこから話すべきでしょうか。最初から全てお話したほうがよさそうですね」
白蕗さんの話がいつも以上に長くなるようなので、地の文を使って俺の考えを挟んでいこうと思う。
いわゆる説明回なので、なんなら読み飛ばしてもらってもいいかも知れない。
「まず、私の能力ですが、風の力を借りて、汗を乾かしたり、ちょっとした疲れを癒やすことができるというものでした。この能力に付随して、大気の流れを視覚的に捉えることができたのですが、この周回が始まった当初は本当に視るだけでした。集中して目を凝らせば何かが視えるといった感じです。そもそも、ちょっとした疲れを癒やすというのも、後の研究で分かったことですが、疲労の原因である余剰の活性酸素を取り除いたり血糖値を上げたりという効果で、疲労自体がどこかに消えてしまうものでもないのですよ。当初は私も周回を超えて記憶や情報を持ち越すことはできませんでしたので、周回のたびに興味深く能力について調べていたことが記録に残っていて私ながら微笑ましいです」
なるほど。白蕗さんの能力は俺が勝手に『機械仕掛けの神』と呼ぶほど万能な感じだが、元々はそういう能力だったのか。体内時計のリセットほど地味ではないが、そんなにとんでもない能力ではないな。
「私達の能力が、周回を重ねるごとに強化されていることはお気づきと思います。私の能力も徐々に性能が向上し、当初は風の流れが視えることがあるという程度だったのですが、周回が300回を超えたあたりから風の流れが常時視えるようになっていました。そうなりますと、月曜日の体育の授業に戻った時点でこの能力を自覚することができ、木曜日に周回するまでの三日間に能力について研究する時間が得られました」
そうか、俺は自分の能力について無自覚だったから考察も何もなかったけど、白蕗さんは風が視えることによって否応なしに能力に気づかされたってことか。
「もちろん当時は研究しても次の周回に持ち越すことはできませんでしたので、同じことを何度も繰り返していたわけですが、600周目あたりから人や物を包む風が視えることに気づき始めました。最初は大気中に物体が存在すれば境界において微小な乱気流が発生するのは当然だろうと考えたのですが、私自身の体を包む風を観察していくうちに、大気の状態とは関係なく、私自身の状態によって視え方が変わることに気づきました。また、他の生徒を観察するうち、通常は緑色に視える風が、怪我や病気をしている部分だけ赤色などに視えることにも気づきました」
600周目ってどれくらいだろう。宮田がいろんな部活動を見て回ったり、家に引き篭もって録り溜めてたアニメを見ていた頃だろうか。
「人や物を包む風ですが、以後の説明を簡素化するため『殻』と呼称します。私がこの呼称を始めたのはもっとずっと後ではありますが。さておき、殻によって状態を視ることができるようになってからさらに200回ほどの間は、怪我や病気が分かるのなら、それを治すことはできないものかと試行を続けていました。結果としましては、先ほども言ったように風の力を借りて怪我や病気を治すことはできなかったのですが」
なるほど。白蕗さんの能力では怪我や病気を治すことはできない。ようやく話がここにたどり着いた。でも、この時点では治せなかったとしても、能力が向上して治せるようになったとかいう話はないのだろうか。
「そもそも怪我と申しましても、切り傷、擦り傷、熱傷、火傷などを負った生徒が都合よくいらっしゃるわけもなかったので、私はやむを得ず、自らの腕などを傷つけることで被検体としていたわけですが」
ぎゃあ!
そうだ、白蕗さんは、日向さんの『炎の精霊』を自分の身で受けたりする、ちょっと行きすぎた感のある科学者なんだった。
「転機となったのが765周目のときでした。月曜日の体育の時間、私はいつものように風の流れを視ることができることに気づき、いつものように私自身や他の生徒を包む風すなわち殻を視ることができることに気づき、さらに私の殻の左前腕の一部が赤くなっていることに気づいたのです。もっとも、その色の違いは数秒ほどで消えてしまいましたが」
「えっ、それって」
「はい。私は前の周回の情報を初めて次の周回に持ち越したのです。もちろんその時点では私の殻の色が変わっていることの意味も分かっていませんでした。その後、火曜日、水曜日と研究を進めることで怪我や病気の部分の色が変わることに気づくのはいつも通りでしたが、月曜日の体育の時間に怪我も病気もしていない私の殻の色が違っていたことに私は疑問を抱いたのです。そして疑問が確信に変わったのは、水曜日の夜に、怪我が治せないものかと私の腕に傷をつけようとしたときです。右手に刃物を持って、左前腕を切りつけようとした位置が、月曜日の体育の時間に私の殻が変色していた位置と同じだと気づいたのです。私は確信いたしました。同じことを繰り返していると」
何と言っていいやら、俺は言葉を失った。しかし、本当に絶句する内容はこのあとだった。
「同じことを繰り返していることが分かれば、話は簡単です。次の私に向けて伝言を残せばいいわけですから。刃物で長文の伝言を残すのはなかなか大変でしたが、興奮していた私は痛みを感じているどころではありませんでした」
なんてことを。話を聞くだけでも腕が痛い。
「とはいえ、そのような自傷行為で伝言を残したのは三回だけでした。そんなことをせずとも、私の殻に、伝言を直接書き込めるようになったからです。人差し指でなぞって書き込むような感じなのですが、普通に書き込むだけだと数秒で消えてしまいます。人差し指が刃物であると想像して、皮膚を切り裂くくらいの強い想像で書き込むと、伝言が消えないことに気づきました」
何だか怖い話になってきたな。
「これでなぜ私の殻に伝言が書き込めるのかを説明いたしましょう。先程、催眠術によって水膨れができるという話に対して私は懐疑的であると私見を述べさせていただきましたが、その理由は催眠術によって細胞レベルにまで影響を与えることは考えられないということです。では私の能力ではいかにして伝言を記しているのかと申しますと、簡単に言えば風の力を借りて私の皮下組織の生命力を奪い取っていたということです。細胞組織に損害を与えれば、私の殻の色はそこだけ変わるという仕組みです」
白蕗さんの能力、疲れを癒やすだけじゃなくて、生命力を奪うとかいう恐ろしい能力だったよ。
「実際のところ、風を視る能力がその後さらに向上し、強い想いがあれば殻に投影された痕跡が視えるようになったことで、わざわざ体組織に損害を与えて伝言を残す必要はなくなったため、私自身、このような機能があったことも失念していたわけですが。今思えば、私はこの機能について、もっと研究しておくべきでした」
そんな恐ろしい能力を研究して、どういう使い道があるんだろうか。
「はい。小林さんは何て恐ろしいという表情をなさっていますが、恐ろしい能力でも、使いようによっては役立てることができるのですよ。たとえば癌細胞だけを選択的に殺すことができれば、どれだけすばらしいことか。ただ、私個人にそのような能力があっても、世界では毎年二千万人が新たに癌と診断されていますので、無力に等しいのですよ。そんなものより、普遍的な治療方法の研究に労力を注ぐべきです」
確かに、どんなにすごい能力でも、個人の能力である以上は、できることには限りがあるか。
「時間の巻き戻りと私達の能力の初期化が数秒ずれているのが仕様なのか不具合なのかは不明ですが、そこに私が気づけたのは僥倖でした。そして、その周のうちに次の周回に向けて伝言を残せたのも幸運でした。もしこの機構に設計者がいらっしゃるのでしたら、同期系の処理でこのような同期ずれが起こって変則的な利用をされてしまうのは不幸としか言いようがありませんが。ともあれ、私はこの好機を逃さず、受け取った伝言にその周に起こった差分を追加して次の周回に送るということを繰り返し始めました。このやり方は差分情報量が増えていきますので、なかなか大変でした。何しろ周回して数秒以内に伝言を読み取らないと、最新の殻で覆われてしまうわけですから。ずっと後の1920周目に私の殻が一層ではなく何層も重なったものに視え、その層を透かして視ることで過去の伝言を辿る、つまり記録を読み取ることができるようになるまでは、数秒で読み取れる伝言でいかに多くの情報を伝えるかという、時間との勝負でした」
前の周で、白蕗さんに「ご自分の能力については、もう少し真摯に研究していただけると助かります」と言われたことを思い出す。これだけのことをやってきた白蕗さんから見れば、俺は何もやってこなかったに等しいのかも知れない。
「そろそろ私の能力について説明することも尽きてきたわけですが、800回を超えた頃から、他人の殻であっても、強い想いを発していれば殻にその想いが投影され、その痕跡が視えるようになりました。これはつまり、殻を視れば、その人の能力や経験をある程度知ることができるということです。当時は最新の殻しか視ることはできませんでしたが、誰がどんな能力を持っているかを伝言で事前に知っていれば、観察によって情報を積み重ねることで、能力についてかなり詳細に知ることができました」
そういえば、いつだったかの水曜日の放課後に、白蕗さんが宮田に「あなたが固定すれば、次も覚えているでしょうね」と言っていたのを思い出す。
「私が小林さんや宮田さんに助言したことを小林さんが記憶なさっているとすれば、それは1356周目のことですね。当時は記録を読み取ることはまだできませんでしたが、宮田さんや小林さんの能力についてはある程度把握できていました。その周の木曜日から小林さんは周回の記憶を保持するようになりましたから、小林さんの認識ではそれが一周目なのでしょうけど」
あれを「ある程度把握」と表現することに関しては異議を唱えたいところではあるが。
そうか、俺が認識する以前、宮田だけでなく、白蕗さんにもいろいろあったんだな。
白蕗さんは一旦話を切ると、再び小さな溜息をついた。
「風の力を借りて怪我や病気を治すことができなことは今の説明でご理解いただけたと思います。それでは、私が宮田さんに何をしたのかをお話ししましょう」
すみません白蕗先生、次回に続いてもいいですか!