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二月三日(月): 本当のはじまり?

 ()()(らっ)()するような(かん)(かく)にとらわれ、(からだ)がぴくりと(はん)(のう)した。

「うお」

 (ちい)さく(はっ)した(おれ)(こえ)に、(まわ)りの(せい)()()づかなかったようで、(きょう)(だん)(えい)()(きょう)()(こえ)(みみ)(かたむ)けている。

 (いっ)(しゅん)()()ちしたのだろうか。あまりに(げん)(じつ)(てき)(らっ)()(かん)で、()(どう)(すこ)(はや)くなっている。

 ひどい(ゆめ)()たような()もするが、(おも)()せない。

 (わす)れてはいけないことを(わす)れている()がする。


 (あらた)めて、()(ぶん)()かれた(じょう)(きょう)(かく)(にん)する。(いま)(えい)()(じゅ)(ぎょう)(ちゅう)で、(おれ)(きょう)()(ばん)(しょ)した(えい)(ぶん)をノートに()(うつ)しているところだ。

 (おれ)がノートに()いていた(えい)(ぶん)()ると、(とく)()()(みだ)れはなく、()()ちしたようには()えない。

 シャープペンシルを()()(ぶん)(みぎ)()()つめる。もしこの(みぎ)()(ほね)(こな)(ごな)(くだ)けたら、さぞかし(いた)いことだろう。しかし、(いま)この(みぎ)()には(なに)()(じょう)はない。

 いやいや、(えい)()(じゅ)(ぎょう)(ちゅう)(ほね)()(じょう)()こるって、どんな(じょう)(きょう)だよ。

 もう()鹿()なことを(かんが)えるのはやめよう。


 (おれ)()(まえ)()(ばやし)(みつ)()、どこにでもいる()(つう)(こう)(こう)(せい)だ。

 ()(しん)()から(でん)(しゃ)で20(ぷん)ほどのところにある、(こう)(りつ)()(つう)(こう)(こう)()(ねん)(せい)だ。

 (こう)(りつ)()(つう)(こう)(こう)(ハス)(ツグミ)(こう)(しょう)にする、(ぶん)()(りょう)(どう)()(つう)()(つう)()(こう)(こう)だ。(いち)(がく)(ねん)(かく)クラス40(にん)でA(ぐみ)〜E(ぐみ)の5クラス。(おれ)はC(ぐみ)だ。(せい)(ふく)(だん)(じょ)ともにブレザーで、スラックスとスカートから(せん)(たく)()(のう)だが、スカートを(せん)(たく)した(だん)()(ひと)()もいないし、スラックスを(せん)(たく)した(じょ)()(かぞ)えるほどしかいないようだ。

 どこにでもいる()(つう)(こう)(こう)(せい)が、こんなふうに(のう)(ない)()()(しょう)(かい)をするのかという()(もん)もなくはないが、それはさておき、(しん)(ちょう)(たい)(じゅう)(がく)(りょく)(たい)(りょく)など、どこを()っても()(つう)(こう)(こう)()(ねん)(せい)だ。

 いや、()(つう)()いきってしまったが、()たしてそうだろうか。(しん)(ちょう)168センチメートル、(たい)(じゅう)60.5キログラムで、()(たか)くも(ひく)くもなく、(ふと)っても()せてもいないから、()(つう)だと(おも)う。

 (がく)(りょく)(かん)しては、(にゅう)(がく)()(らい)ずっと(へん)()()55くらいを()()しているから、まずまず()(つう)だと(おも)う。

 (たい)(りょく)()(ねん)になってすぐの()(がつ)(たい)(りょく)テストで、50メートル(そう)のタイムが7.5(びょう)、1500メートル(そう)は6(ぷん)38(びょう)だった。(うん)(どう)()(れん)(ちゅう)はもう(すこ)(あし)(はや)いが、()(たく)()(おれ)()(つう)くらいだと(おも)う。

 (りょう)(しん)(けん)(ざい)で、(ちち)()(つう)(かい)(しゃ)(いん)(はは)(しゅう)(さん)(かい)スーパーでパートタイム(ろう)(どう)をしている()(つう)(けん)(ぎょう)(しゅ)()だ。その(りょう)(しん)(おれ)(さん)(にん)で、()(しん)()から(でん)(しゃ)で30(ぷん)(はな)れた()()の、()(より)(えき)から()()11(ぷん)の2LDKのマンションで()らしている。

 (おれ)には(きょう)(だい)()(まい)はいないから、()(わい)(いもうと)にお(にい)ちゃんなどと()ばれることもない。(おさな)()(じみ)という(そん)(ざい)もいなかったし、(しょう)(がっ)(こう)(ちゅう)(がっ)(こう)(とも)(だち)はこの(こう)(こう)には(だれ)(かよ)っていない。

 そんな(かん)じの、どこにでもいる()(つう)(こう)(こう)(せい)だ。ちょっと(せっ)(てい)()りすぎなくらい()(つう)(こう)(こう)(せい)だ。


「ふおあ」

 (うし)ろの(せき)から、(ため)(いき)()こえる。(みや)()だ。また(しん)()アニメで()(ふか)しでもしたのだろうか。いや、(たん)(ねむ)()(おそ)われているというより、まるでこの()()わりのような()(そう)(かん)(ただよ)わせる(ため)(いき)だ。ただならぬ()(はい)に、()(かえ)って(みや)()(よう)()(うかが)うのを(ちゅう)(ちょ)するくらいだ。

(みや)()くん、(しゅう)(がく)(りょ)(こう)(ちか)いからって、()()きすぎです」

 ()(むら)(せん)(せい)(みや)()(ちゅう)()し、(きょう)(しつ)(わら)いが()こる。

 そうは()っても、(しゅう)(がく)(りょ)(こう)(みっ)()(まえ)ともなれば、(だれ)だって()(ゆる)むってもんだ。()(むら)(せん)(せい)だって、(せい)()(いん)(そつ)する()()(せき)(にん)はあるものの、いつもより(すこ)(たの)しそうに()える。

 いや、(しゅう)(がく)(りょ)(こう)(みっ)()(まえ)(ただ)しかっただろうか。(おれ)(かん)(かく)ではもう明日(あした)くらいのような()がするのだが。(うで)()(けい)()ると、今日(きょう)()(がつ)(みっ)()(げつ)(よう)()だ。()(がつ)(むい)()(もく)(よう)()から(しゅう)(がく)(りょ)(こう)だから、(みっ)()(まえ)(ただ)しいはずだ。そうは(おも)うものの、そんなに(さき)だっただろうか。

 ()(むら)(せん)(せい)(わか)(じょ)(せい)(えい)()(きょう)()で、この(こう)(こう)(しん)(にん)(きょう)()として()(にん)したのは(さん)(ねん)(まえ)らしい。()(むら)(せん)(せい)は、このクラスの(たん)(にん)でもある。(みや)()()わせれば「お(ねえ)さんくらいの(きょ)()(かん)のお(ねえ)さんキャラ」だとか。そりゃ、お(ねえ)さんの(きょ)()はお(ねえ)さんくらいだろう。お(ねえ)さんキャラかどうかはともかく、(した)しみやすい(ひと)(がら)で、(だん)()だけでなく(じょ)()からも(にん)()がある。(きょう)()になって(さん)(ねん)()(しゅう)(がく)(りょ)(こう)ということで、()(つう)(りょ)(こう)として(たの)しみな()(ぶん)もあるんだろう。A(ぐみ)(たん)(にん)(こく)()(くま)()(せん)(せい)は「(きょう)(いん)(せい)(かつ)30(ねん)ともなると、(しゅう)(がく)(りょ)(こう)なんて(おな)じところに()くばかりで、ただの(せい)(しん)(しゅ)(ぎょう)です」と()っていたが。

 さておき、(みや)()は、()(むら)(せん)(せい)がお()()りなのが()(ゆう)かどうかは()からないが、(えい)()(じゅ)(ぎょう)だけはいつも()()()()いていて、ほかの(きょう)()(あか)(てん)スレスレでも、(えい)()だけは(まん)(てん)(ちか)(てん)(すう)()ったりする。そんな(みや)()が、(えい)()(じゅ)(ぎょう)(ちゅう)()()くなどあっていいものだろうか。

 ()(むら)(せん)(せい)は、(みや)()()(だん)(たい)()()()()だからこそ、(すこ)()(ゆる)んだだけだろうと(かる)(なが)したのかも()れない。しかし、(はい)()(みや)()()(はい)は、()(ゆる)んでいるという(ふん)()()ではない。(なに)()(せま)った(くう)()(かん)じる。そして、ほかの(だれ)にも()こえないような(ちい)さな(こえ)(なに)(つぶや)いている。

「くそ、またかよ。もう(のこ)ってねえじゃねえか」

 ちょっと(こわ)いんですけど。


 (みや)()(こう)(こう)(はい)ってからの(とも)(だち)だ。(いち)(ねん)のときに(おな)じクラスになり、たまたま()ていた(しん)()アニメの()(だい)()ったことをきっかけに(なか)()くなり、それ()(らい)(なに)かとつるんでる。

 (みや)()()(まえ)は、いわゆるキラキラネームとかいうやつで、()(まえ)()ぶと()()(げん)になるので、(みょう)()()ぶようにしている。

 ()(ばやし)(みつ)()という()(つう)()(まえ)(おれ)にはキラキラネームをつけられた()(ろう)はよく()からないが、(みや)()()わせれば(おれ)()(まえ)は「()ぬほど(うらや)ましい」らしい。(たし)かに、(ちゅう)(がく)のときに()(ゆう)(たい)(しょう)だと()われた()(がい)()(まえ)(かん)して(こま)るようなことはなかった。

 (みや)()(こう)(こう)(そつ)(ぎょう)したら(かい)(めい)するつもりらしい。()(ほん)()()(まえ)(あた)えられた()(あい)(かん)()はそのままで()(かた)()えるという()もあるらしいが、()(かた)()えてもどうにもならないので(かい)(めい)するらしい。ただ、(こう)(こう)(そつ)(ぎょう)して(だい)(がく)(せい)になって(ひと)()()らしを(はじ)めるまでは(おや)(かお)()てて()(まえ)はそのままにしておくそうだ。

 ()(まえ)のことはさておき、(みや)()()(たか)くて(かお)(わる)くない。(だま)っていれば(じょ)()にモテそうなのだが、(げん)(どう)がチャラく、(じょ)()からの()けはよくないようだ。(とく)(なん)(とく)(ちょう)もない(おれ)()うことでもないけどな。

 ただ、その(けい)(はく)なキャラは、(みや)()()(あく)というキラキラネームの(いん)(しょう)()()すために()()けたものなのかも()れないと(かんが)えると、(すこ)()(どく)()もするが。おっと、()(まえ)()ぶと()()(げん)になるんだった。

 (はい)()(みや)()からは、()(だん)(けい)(はく)なキャラからは(そう)(ぞう)もできない、(やみ)そのものの()(はい)すら(かん)じられる。まさにダークだ。

 って、(やみ)()(はい)とか、(おれ)(なに)(かんが)えているんだ。


 ふと(まど)(そと)()ると、(となり)のB(ぐみ)(せい)()がグラウンドで(たい)(いく)をやっているところだった。

 ()(がつ)だというのに(そと)(たい)(いく)、しかもグラウンドを(はし)らせるとか、うちの(がっ)(こう)(たい)(いく)(きょう)()(おに)だろうか。いや、(おに)よりももっと(おそ)ろしい、(あん)(どう)(せん)(せい)姿(すがた)()えた。ホイッスルを()()らして(せい)()()()している。いわゆる(ねっ)(けつ)(きょう)()というやつだ。(しょう)()()(だい)からタイムスリップしてきたという(うわさ)もあるが、さすがにそれはないだろう。(きん)(こつ)(りゅう)(りゅう)という(こと)()相応(ふさわ)しいその(にく)(たい)()(ごと)だとは(おも)うが、まるで()せびらかすように(はん)(そで)シャツと(たん)パンという(うす)()なのはどうかと(おも)う。()ているこっちのほうが(さむ)くなる。

 (はし)らされている()(わい)(そう)(せい)()たちを()ると、400メートルトラックを(いっ)(しゅう)もせずにふらふらになって、ほかの(せい)()(しゅう)(かい)(おく)れにされている(じょ)()がいる。

 (しら)(ふき)(そら)さんだ。()(がく)()(じん)(こう)()(のう)(なに)かの(けん)(きゅう)をしていて、(もん)()()(がく)(しょう)から(ひょう)(しょう)されたらしい。(おれ)には(なに)がすごいのかすらよく()からないが。

 そんな(しら)(ふき)さんも、(うん)(どう)(にが)()ということか。そりゃ(だれ)にだって()()()()()というものがあるよな。

 (しら)(ふき)さんは()()まって(りょう)()(ひざ)について(すこ)(やす)んでいたが、()(すじ)()ばして、(なに)(いの)りでも(ささ)げるように(むね)(まえ)()()わせ、(ふたた)(はし)(はじ)めた。さっきはかなりふらふらしていたが、()(がい)(げん)()(はし)りだ。

 ()()(ちが)いだろうか。いや、きっと()()(ちが)いだろうと(おも)うが、(むね)(まえ)()()わせた(しら)(ふき)さんの(からだ)が、(なん)となく、ぼんやりと(ひか)ったような()がする。いや、()()(ちが)いだろうとは(おも)うのだが。


     ☆


 (けっ)(きょく)(まった)(しゅう)(ちゅう)できないまま(じゅ)(ぎょう)()わり、(ひる)(やす)みになった。(みや)()(はい)()(せき)から(こえ)をかけてくる。

(みつ)()、おはよう」

「おはよう。って、おはようじゃねーよ、もう(ひる)だ」

 (あい)()わらずマイペースなやつだと(おも)いつつ、()()いて(みや)()(かお)()て、ぎょっとした。

 さっきの(じゅ)(ぎょう)(ちゅう)(はい)()から(かん)じたただならぬ(ふん)()()(かん)(ちが)いではなかった。(みや)()()(めい)(せん)(こく)された(まっ)()(かん)(じゃ)みたいな()にそうな(かお)をしている。

 (おれ)(おも)わず()()から(こし)()げた。(みや)()()(けん)(しつ)()れて()かなければ。()(むら)(せん)(せい)(そう)(だん)しよう。しかし、(きょう)(だん)のほうを()ると、()(むら)(せん)(せい)はすでに(きょう)(しつ)()ていったあとだ。

 (みや)()()(せん)(もど)し、(だい)(じょう)()かと(こえ)をかけようとしたところで、(おれ)()づく。そこにいるのは、いつもと()わらない(みや)()だ。

 もしかして、(つか)れているのは(おれ)のほうだろうか。

「さて、まずは()きそばパンの(きゅう)(じょ)からだな」

「あ、ああ、(はや)()ってこいよ」

 いつものことではあるが、(おれ)(ちゅう)(しょく)(はは)(つく)ってくれた(べん)(とう)で、(みや)()(ちゅう)(しょく)(こう)(ばい)()ってくるパンだ。これはもはや(しゅう)(かん)()しており、(なん)(ねん)()わっていない。いや、(なん)(ねん)もってことはないな。さすがに(はなし)()りすぎだ。

 いつもの(みや)()なら、()きそばパンを(かく)()するため、(ひる)(やす)みになった(しゅん)(かん)(きょう)(しつ)()()していくのだが、今日(きょう)もやけにのんびりしているようだ。

 いや()て、いつも(きょう)(しつ)()()していくのに、今日(きょう)ものんびりしているとか、()(ぶん)でも(なに)()っているのか()からない。ただ、(みや)()がのんびりしているように()えるのは(たし)かだ。(みや)()(きょう)(しつ)()(けい)(なが)めて、「そろそろ()くか」と()って(きょう)(しつ)()ていった。

 (みや)()(きょう)(しつ)()()ったのを()(とど)け、(おれ)()(ぶん)(べん)(とう)()()す。(おれ)(べん)(とう)は、おかずとご(はん)(べつ)(べつ)になっており、(しん)(くう)(そう)によって(がい)()(おん)から(かく)()することによって()(おん)されている。()(おん)(べん)(とう)(ばこ)とかランチジャーなどと()ばれるものだ。

 (みや)()(おれ)(べん)(とう)()て「なんかおっさんっぽい」などと()うのだが、やはり(あたた)かい(べん)(とう)(なに)(もの)にも()えがたいし、(しょう)(じき)()ってうちの(はは)(りょう)()はかなり()()しいほうだと(おも)う。今日(きょう)のおかずは、またいつものソーセージに(たまご)()き、ブロッコリー、ポテトサラダ、ミニトマト。どれも()()しそうだ。


 (せい)()(ちゅう)(しょく)をとる()(しょ)(さま)(ざま)だ。()(がつ)という(いま)(さむ)()()(こう)(てい)(おく)(じょう)()(せい)()はあまりいない。(おも)使(つか)われるのは(きょう)(しつ)(せい)()ホールだ。(せい)()ホールには(しょく)(どう)もあるし、(こう)(ばい)もあるので、(せい)()ホールで(ちゅう)(しょく)をとる(せい)()のほうがやや(おお)いだろうか。

 (きょう)(しつ)では、(じょ)()のグループが(つくえ)(うご)かして()かい()わせに(なら)べて、そこに(かく)()(べん)(とう)(ひろ)げている。()(だい)(つくえ)()かい()わせにくっつけて、そこに()(にん)(じょ)()(あつ)まっている。(じょ)()(べん)(とう)(ばこ)(おお)きさなら、(つくえ)()(だい)(じゅう)(ぶん)(ひろ)さなのだろう。あるいは、(たん)(つくえ)(うご)かす(ろう)(りょく)()しんだだけかも()れない。

 その(じょ)()グループの(ひと)()は、(けん)(どう)()日向(ひゅうが)(あかね)さんだ。(しょう)(がっ)(こう)のころから(けん)(どう)をやっていて、(きょ)(ねん)(ふゆ)(さん)(だん)(ごう)(かく)したらしい。(こう)(こう)(せい)では(さん)(だん)(さい)(こう)(だん)()らしいから、かなり(つよ)いってことだろう。(だん)()(つよ)さは(かん)(けい)ないと(はな)していたのを()いたことがあるが、(じょ)()(けん)(どう)()(だん)(たい)(せん)(しゅ)(しょう)(つと)める(かの)(じょ)(よわ)いってことはないはずだ。

 ちなみに、(こう)(こう)(せい)(さい)(こう)(だん)()(さん)(だん)なのは、(しょう)(だん)()(けん)(じゅ)(しん)(じょう)(けん)があるからだ。(さい)(しょ)(だん)()(しょ)(だん)()ることができるのは(じゅう)(さん)(さい)からで、そこから(さい)(そく)()(だん)()れるのは(いち)(ねん)()(じょう)(しゅ)(ぎょう)()んだ(じゅう)(よん)(さい)からだ。(さん)(だん)()れるのはさらに()(ねん)()(じょう)(しゅ)(ぎょう)()んだ(じゅう)(ろく)(さい)からで、その(つぎ)()(だん)は、ご(そう)(ぞう)のとおり、さらに(さん)(ねん)()(じょう)(しゅ)(ぎょう)()(ひつ)(よう)があり、(じゅう)(きゅう)(さい)になる(ころ)には(こう)(こう)(そつ)(ぎょう)してしまうのだ。つまり、(こう)(こう)(いち)(ねん)(じゅう)(ろく)(さい)(さん)(だん)()るというのは、(さい)(そく)(けん)(どう)(おさ)めているとも()える。

 そんな日向(ひゅうが)さんが、ランチョンマットの(うえ)にパンダの(えが)かれた()(わい)らしい(ちい)さなプラスチック(せい)(べん)(とう)(ばこ)()()す。(ちい)さな(からだ)()()わぬ()けず(ぎら)いな(せい)(かく)だが、パンダが()きというギャップもあって、ファンも(おお)いらしい。(ちい)さいという(こと)()(きん)()だが。

 日向(ひゅうが)さんが(べん)(とう)(ばこ)(ふた)()けると、()()()ったように()えた。いや、日向(ひゅうが)さんが(なに)かを(おも)()したかのように(ふたた)(べん)(とう)(ばこ)(ふた)()じたので、()()()()(ちが)いかも()れない。

「ちょっと(こう)(ばい)()って()(もの)()ってくるね。(さき)()べてて」

 日向(ひゅうが)さんは(じょ)()グループの(なか)()にそう()って()()がると、パタパタと(きょう)(しつ)()()していく。

 (きょう)(しつ)のドアを()けて()ていく日向(ひゅうが)さんと、(いっ)(しゅん)()()った。(あき)らかに(おれ)のほうを()ていた。

 いや、(おれ)日向(ひゅうが)さんを()ていたわけだから、お(たが)(さま)というべきか。

 そうじゃない、(もん)(だい)はそこじゃない、それと、(べん)(とう)(ばこ)()()()になったが、(ほん)(とう)()になったのはそのことじゃない。

 (べん)(とう)(ばこ)()ける(ちょく)(ぜん)日向(ひゅうが)さんの(からだ)がぼんやりと(ひか)ったように()えた()がするのだが、やはりあれも()のせいだろうか。


 日向(ひゅうが)さんと()()わるように、(みや)()(せん)()(ひん)()きそばパンとコーヒー(ぎゅう)(にゅう)()って(もど)ってきた。(きょう)(しつ)()ていく日向(ひゅうが)さんを、まるで(とう)(ぎゅう)()のように()(れい)にかわして(きょう)(しつ)(はい)ってくる。そして、日向(ひゅうが)さんをかわした(いきお)いのままくるりと(いっ)(かい)(てん)して(きょう)(しつ)のドアを()めた。()(よう)なやつだ。

 (みや)()日向(ひゅうが)さんの()ていったドアをしばらく()つめていたが、(おれ)(まえ)(せき)(うし)()きに(すわ)った。

 (みや)()(もど)ってきたので、(おれ)は「いただきます」と()()わせて(べん)(とう)()(はじ)める。(みや)()()きそばパンを()べずに、(おれ)(かお)をじっと()てくる。

(なん)だよ」

「いや、(なん)でも」

 (みや)()はまるで(がい)(こく)(じん)のように(おお)げさに(かた)をすくめて()せると、()きそばパンを(つつ)んでいるラップを(はず)して、()きそばパンを(ほお)()った。グイグイと(くち)()()んでハムスターのように(ほお)(ふく)らませ、コーヒー(ぎゅう)(にゅう)(なが)()むという(だい)(たん)()(かた)だ。(くち)(なか)()きそばとコーヒー(ぎゅう)(にゅう)(あじ)()ざっていると(おも)うのだが、(みや)()はちゃんと(あじ)わっているのだろうか。

 それに、いつも(おも)うのだが、(こう)(こう)()(ねん)(そだ)(ざか)りが、よく()きそばパンだけで()りるものだ。(ほう)()()には(おれ)(いっ)(しょ)()()いをしたりするわけだが、それでも(ひつ)(よう)(えい)(よう)()れているのか()になる。

 まあ、(おれ)(みや)()(はは)(おや)でもないから()にしてもしょうがない。(じっ)(さい)のところ、(みや)()()()()(てい)で、(はは)(おや)はかなり(そう)(ちょう)から()(ごと)()かけるため(べん)(とう)(よう)()できないらしい。(ゆう)(しょく)(はは)(おや)(つく)()きした()(りょう)()()べているそうだが、(みや)()もこのあたりのことはあまり(はな)さないし、()(にん)()(てい)()(じょう)(せん)(さく)するものでもないから、(くわ)しくは()らない。

「どうかしたのか?」

 (みや)()()かれて(われ)(かえ)る。(みや)()()にしすぎて()(ぶん)(しょく)()()()まっていたようだ。

 そういえば、いつもの(みや)()なら、(たまご)()きをくれとかソーセージをくれとか()って(ごう)(だつ)していくはずだが、今日(きょう)はちらりと(いち)(べつ)しただけで()()してこない。ちなみに、(たまご)()きとソーセージが(ねら)われるのは、(みや)()()(さい)(ぎら)いでブロッコリーやミニトマトは(ろん)(がい)なのと、ポテトサラダは()(づか)みで()べるにはちょっと(なん)()()(たか)いというのが()(ゆう)だ。

 (おれ)(たまご)()きを(くち)(ほう)()む。(あま)(あじ)()けが(くち)(なか)(ひろ)がる。(おれ)()(ぶん)のことを()(つう)(こう)(こう)(せい)だと()ったが、こうして(はは)(つく)ってくれた(べん)(とう)(まい)(にち)()べられるのだから、ずいぶんと(めぐ)まれた()(つう)(こう)(こう)(せい)ではあるよな。

 ただ、この(たまご)()きもソーセージも、ずっと()(つづ)けていると、ありがたみが(うす)れてくるような()もする。

 いや、なんてことを(かんが)えるんだ。(おれ)はちょっと(はは)(もう)(わけ)ない()()ちがして、その(かんが)えを()(はら)った。


     ☆


 ホームルームで(たん)(にん)()(むら)(せん)(せい)から(みっ)()()(しゅう)(がく)(りょ)(こう)()かれて()()(びょう)()のないように(ちゅう)()され、(きょう)(しつ)(せい)(そう)()ませて、(ほう)()となった。

 ()(たく)()である(おれ)(みや)()は、いつものように()()いをして(かえ)る。(れい)のごとく、(みや)()(こえ)をかけてきた。

(みつ)()、アイス()って(かえ)ろうぜ」

「ん、ああ、(さむ)いからこそアイスだな」


 (こう)(しゃ)()てグラウンド(よこ)(みち)(とお)り、(きゅう)(どう)(じょう)()かう。()()いをする(まえ)(きゅう)(どう)()(れん)(しゅう)()()くのも(おれ)(みや)()(にっ)()だ。

 グラウンドでは、(うん)(どう)()(かつ)(どう)(はじ)めている。(しゅう)(がく)(りょ)(こう)(もく)(ぜん)なのに、()(ねん)(せい)姿(すがた)もある。(さん)(ねん)(せい)はすでに(いん)退(たい)しているので、(れん)(しゅう)しているのは()(ねん)(せい)(いち)(ねん)(せい)だけだ。

 ()(きゅう)()やサッカー()はユニフォームで(はし)っているが、(けん)(どう)()(きゅう)(どう)()(どう)()でグラウンドを(はし)っている。(どう)()(はし)()(ゆう)は、(せい)(ふく)から(うん)(どう)()()()えて(はし)り、そのあと(どう)()()()えるのは()(かん)()()であり、(せん)(たく)(もの)()やすだけだからだろう。

 (おれ)(みや)()も、(きょう)(しつ)(せい)(そう)()わらせてけっこう(はや)()てきたつもりだったが、(うん)(どう)()(れん)(ちゅう)はすでに()()えて(はし)っている。(しゅん)(かん)()(どう)できる(のう)(りょく)でも()っているのかと(うたが)っていたが、そうではなく、(うん)(どう)()(れん)(ちゅう)(せい)(そう)()わった(しゅん)(かん)()(しつ)(はし)っているようだ。(ねっ)(しん)なことだ。

「お、(くも)(かわ)だ。(あい)()わらずクールビューティーだな」

「ああ、そうだな」

 (きゅう)(どう)()(じょ)()(せん)(とう)は、(おな)(がく)(ねん)(くも)(かわ)(じゅん)さんだ。(ちょう)(しん)(ほそ)()()(じん)で、モデルとしてもやっていけそうだ。(じっ)(さい)(まち)でスカウトされたこともあり、(きゅう)(どう)()(がい)には(きょう)()がないと(ことわ)ったらしい。(こし)まで(とど)きそうな(ちょう)(はつ)は、(うん)(どう)をするときは(あたま)(うし)ろで(だん)()にしているようだ。

 (くも)(かわ)さんは、(きょ)(ねん)(けん)(たい)(かい)(だん)(たい)(せん)のメンバーに(えら)ばれ、()(こう)(こう)(ぜん)(こく)(たい)(かい)(しゅつ)(じょう)(のが)したものの、かなりいいところまで()ったらしい。(ぎゃく)()えば、いいところ()まりだったわけだが、(はい)(いん)(くも)(かわ)さんの(こう)(はん)(しゅう)(ちゅう)(りょく)(みだ)れだったらしい。(じっ)(さい)にそれだけが(はい)(いん)だったのかは()からないが、(せん)(ぱい)(あし)()()ってしまったと()いた(くも)(かわ)さんは(れん)(しゅう)(かさ)ねて(うで)()げ、(いま)では(じょ)()(きゅう)(どう)()のキャプテンである。

 (みや)()(くも)(かわ)さんを()るたびにクールビューティーだと()っているが、そのエピソードからすると、クールというよりは、けっこう(あつ)いものを(かん)じる。(だん)()にも(じょ)()にもファンがいるのは(なっ)(とく)だ。

 そういえば(おれ)(たち)(ほう)()()(きゅう)(どう)()(れん)(しゅう)を、いや、(くも)(かわ)さんの(れん)(しゅう)()()くようになったのは、いつからだっただろうか。


 (けん)(どう)()(だん)()(じょ)()()かれずにごちゃ()ぜで(はし)()みをしているが、その(せん)(とう)日向(ひゅうが)(あかね)さんが(はし)っている。()けず(ぎら)いだから(せん)(とう)(はし)っているのか、(ちい)さいから(しゅう)(だん)(まぎ)れると(まわ)りが()えなくなるから(せん)(とう)(はし)っているのか。いや、(ちい)さいは(きん)()だったな。

 その日向(ひゅうが)さんがこちらを()て、すぐにぷいっと()(せん)()らせた。これは()()(しき)()(じょう)とかじゃなくて、(おれ)()たよな。ただ、(こう)()()せられているとかいうことは(まった)くないようだ。(たん)(おれ)()ただけという(かん)じか。まさか、(ちい)さいって(かんが)えた(こころ)()まれたんじゃないだろうな。


「そういえば(みつ)()(えい)()のとき、(となり)(じょ)()(はし)ってんの()てたろ」

「ん、ああ、(しら)(ふき)さんか。なんか(がん)()って(はし)ってたな」

 (みや)()()われてそう(こた)えたが、(みや)()はどうも(おれ)(こた)えが()()らなかったようだ。

「そうじゃなくて、(しら)(ふき)()て、(なに)()づいたこととかないのかよ」

 (おれ)(いっ)(しゅん)ぎくりとする。(しら)(ふき)さんの(からだ)がぼんやりと(ひか)ったような()がするなんて()えるだろうか。

 (おれ)(こた)えあぐねていると、(みや)()(あき)れたように(くび)()った。

()づいてないのか(みつ)()(しら)(ふき)(かく)(きょ)(にゅう)だってことに」

「バカじゃねーの」

 (みや)()も、こんなことばかり()ってなければ、(じょ)()にモテそうな()がするんだけどな。


 (みや)()とバカな(はなし)をしながら(きゅう)(どう)(じょう)()くと、(はし)()みを()えた(きゅう)(どう)()(いん)(れん)(しゅう)(はじ)めるところだった。

 (きゅう)(どう)(じょう)は、()(そと)()()してしまわないよう、(ぜん)(たい)(てき)にネットで(おお)われていて(そと)から()ることはほとんど()()(のう)だが、(けん)(がく)(よう)()(まど)があって、(ぎょう)(しゃ)(うし)ろから()ることができる。(おれ)(みや)()はいつもの(けん)(がく)(まど)(じん)()った。

 今日(きょう)(きゅう)(どう)()は、()(あい)(そう)(てい)して(えん)(てき)(まと)(まえ)(げい)()をするということで、(けん)(がく)している(せい)()(かず)(おお)い。(きゅう)(どう)()(れん)(しゅう)(ない)(よう)()(あく)して(けん)(がく)()るとか、どれだけマニアックなんだ。

 (きゅう)(どう)()は、(げつ)(よう)()()(よう)()(もく)(よう)()(きん)(よう)()(つう)(じょう)(れん)(しゅう)で、(すい)(よう)()()(あい)のない(しゅう)(やす)み、()(あい)のある(しゅう)()(しゅ)(れん)(しゅう)だ。()(よう)()()(あい)(けい)(しき)(れん)(しゅう)(にち)(よう)()(れん)(しゅう)()(あい)(やす)みだ。(こん)(しゅう)(まつ)()(ねん)(せい)(しゅう)(がく)(りょ)(こう)()くため、(へい)(じつ)()(あい)(けい)(しき)(れん)(しゅう)をするらしい。()(がつ)(まつ)(しゅん)()(えん)(てき)(たい)(かい)があるので、なるべく()(あい)(けい)(しき)(れん)(しゅう)(かさ)ねておきたいということらしい。

 (れん)(しゅう)(はじ)まった。()(ねん)(せい)()(にん)ずつ(なら)び、(じゅん)()()ていく。なお、(けん)(がく)(とく)(きん)()されていないが、(かい)()(せい)(えん)(きん)()で、()(まと)(あた)ったときに(はく)(しゅ)することだけが(ゆる)される。

 (くも)(かわ)さんの(くみ)()てきた。()()(ほん)()っている。(ぜん)()(あし)(ひら)き、(ゆか)()みしめるように()つ。(りん)とした()姿(すがた)(うつく)しい。(くも)(かわ)さんが()(がま)えすると、(あた)りはまさに(みず)()ったように(しず)まった。(くも)(かわ)さんの()()が60メートル(さき)にある(まと)(ちゅう)(しん)(あた)って、(はく)(しゅ)()()こった。

 しかし、(さい)(しょ)のうちは(はく)(しゅ)していた(せい)()たちも、(くも)(かわ)さんが()()るたびに、(なに)かがおかしいと()づき(はじ)めて、ただ()(ぜん)()(まも)るだけになっていった。

 (よん)(しゃ)して(すべ)(せい)(こく)()る。それがすでに()(かい)である。(しゅう)(ちゅう)(りょく)()(だい)とか、そんな()(げん)(はなし)だろうか。

 そして、(くも)(かわ)さんが()(がま)えするときに、その(からだ)がぼんやりと(ひか)っているように()えるのは、(おれ)だけなのだろうか。


     ☆


 (きゅう)(どう)()(けん)(がく)()えて、(おれ)(みや)()はいつものように(えき)()かう。いつも()(ちゅう)のコンビニで()()いするのだが、(おれ)(あたま)には()()いのことなどなく、今日(きょう)()たことがぐるぐると(うず)()いている。

 今日(きょう)()たことを、(みや)()(はな)してみるべきだろうか。(はな)したところで、(しん)じてもらえるだろうか。そう(かんが)えているうちに、コンビニに()いてしまった。とりあえず、(いっ)(たん)()()ちを()()えて、アイスを()べてから(かんが)えよう。

 やたらと()ごたえのある、()たり()きのアイスを()うわけだが、いつものようにアイスの(れい)(とう)()()かった(みや)()が、()(かえ)って(しん)(みょう)(ひょう)(じょう)(おれ)()った。

「なあ(みつ)()(へん)なことを()うが、お(まえ)ちょっとこのアイスの()たり()いてくんね?」

「バカじゃねーの」

 (なに)()ってんだこいつ。アイスの()たりを(ねら)って()けるわけがないだろ。

 もしかして、(くも)(かわ)さんが(せい)(こく)(かい)(ちゅう)させていたのと(なに)(かん)(けい)があるのだろうか。

 (じょう)(だん)()っているのかと(おも)ったが、(みや)()()()ると(わら)っていない。

(たの)む、できるかどうかはともかく、()てるつもりで(えら)んでみてくれ」

()(ちゃ)()うなよ」

 (しん)(けん)(みや)()(うなが)されて、(おれ)はアイスを(えら)ぶ。こういうときって、(いち)(ばん)(うえ)から()るといいのか、(いち)(ばん)(した)から()るといいのか。それとも(べつ)のところから()るといいのか。(おれ)がアイスを(えら)ぶところを、(みや)()(ぎょう)()していた。


 コンビニを()て、(おれ)()ったアイスを()べる。(みや)()(おな)じアイスを()ったが、(なに)(かんが)(ごと)をしているようで、()べていないようだ。

 (おれ)はアイスを()()えて、(しん)(ぼう)(かく)(にん)する。ハズレだ。そりゃそうだよな。(ねら)って()たりを()けるわけがない。

(なん)でだよ!」

(なに)がだよ?」

 (みや)()(すこ)(おこ)ったように()うが、(おれ)にしてみれば(みや)()(なに)(おこ)っているのか()からない。

(なん)でハズレを()くんだよ、(しん)じらんねー」

「バカじゃねーの」

 (みや)()はいつもバカなことを()っているが、(みや)()をバカだと(おも)ったことはなかった。しかし、今日(きょう)(みや)()はバカだ。どう(かんが)えてもバカだ。まさか、(ほん)()(おれ)()たりを()くと(おも)っていたばかりか、わざとハズレを()いたと(おも)うほどバカだとは(おも)わなかった。


「ところで、このアイスの()たりを()けってのは、(くも)(かわ)さんと(なに)(かん)(けい)があるのか?」

 (みや)()はしばらくぽかんとしていたが、(きゅう)(わら)(はじ)めた。

(きゅう)(どう)の『(あた)る』ってのは(しか)るべくして(あた)るんだよ。アイスみたいにたまたま『()たる』ってのは(かん)(けい)ねーよ」

「バカじゃねーの」

 だったら、(なん)(おも)わせぶりに()たりを()いてみろなんて()ったんだ。

 (なに)かはぐらかされたような()がしないでもないが、(えき)()いたので、そこで(みや)()(わか)れた。


     ☆


 (でん)(しゃ)で20(ぷん)ほど()られ、(えき)から15(ふん)ほど(ある)き、マンション6(かい)(いえ)(かえ)()いた。

「ただいま」

「お(かえ)(みつ)()

 (ゆう)(しょく)()(たく)をしている(はは)(あい)(さつ)し、()(おん)(べん)(とう)(ばこ)(かばん)から()して、(だい)(どころ)(あら)()()く。ご(はん)(よう)()には(みず)(そそ)ぐ。ちゃんとやらないと、うちの(はは)はちょっとへそを()げてしまう。

 それから(おれ)は、いつも()(わす)れていたことを(はは)(つた)えた。

「あ、(べん)(とう)ごちそうさま」

「あら、どういたしまして」

 今日(きょう)(ひる)(やす)み、なぜか(はは)(べん)(とう)のありがたみが(うす)れてくるなどと(かんが)えてしまったので、ちょっと(うし)ろめたい()()ちで()ったのだが、(はは)(うれ)しそうなのでよしとしておこう。

(しゅう)(がく)(りょ)(こう)(じゅん)()はできてるの?」

「ん、だいたい()わってる」

 (しゅう)(がく)(りょ)(こう)(ひつ)(よう)なものといっても、(よっ)()(ぶん)()(ふく)(した)()()()()(がっ)(こう)ジャージ、(せん)(めん)(よう)()、タオル、(あま)()はもう(りょ)(こう)(かばん)()()んである。(せい)(ふく)(しゅう)(ごう)だし、(うん)(どう)(ぐつ)はいつも()いているやつでいい。あとは(ひつ)(よう)ないものをどれだけ()って()くかだろうか。

 (ゆう)(しょく)()(たく)をしている(はは)今日(きょう)()たことを(はな)そうかと(おも)ったが、どう(はな)していいかもわからず、(こえ)をかけることはできなかった。


 ()(しつ)(はい)り、(かばん)(ほう)()して、ベッドに()(ころ)がる。そして、今日(きょう)()たことを(あらた)めて(おも)(かえ)す。

 (おな)(がっ)(こう)に、(なに)()()()(ちから)()った(せい)()がいる。(すく)なくとも(さん)(にん)だ。(ちょう)(のう)(りょく)()んでいいのか、()(ほう)()んでいいのか、よく()からない。(からだ)がぼんやりと(ひか)って、(なに)かが()こっているのか、(なに)かを()こしているのか。

 こういうことに()づいてしまった()(あい)、どうすればいいんだろう。()()()りをすればいいんだろうか。それとも、(じん)(るい)(てき)(たい)するなら()()したりしなければならないのだろうか。

 おかしい。(おれ)はただの()(つう)(こう)(こう)(せい)なのに、()(つう)(こう)(こう)(せい)(かつ)(おく)ろうと(おも)っていたのに、どうしてこうなるんだ。


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