二月四日(火)1: 俺、やってみるよ
二月四日(火)――
昇降口の下駄箱の前で日向茜さんに話しかけられ、昼休みに屋上に呼び出される日である。
そんなわけで、俺は今、学校の屋上に来ている。
本日は快晴で、二月にしては暖かいが、風は冷たい。時刻は12時45分。12時40分から昼休みが始まり、昼休みが終わる13時15分までは、あと30分といったところだ。
「見たよね?」
日向さんはまん丸な目をキラキラさせながら、そう言った。
宮田の能力によって、日向さんも前の周回の記憶を持ち越すようになった。だから、日向さんに屋上に呼び出されることももうないだろうと思っていたのだが、そんなことはなかった。
日向さんと俺の間の床には、膨らんだ赤いゴム風船が転がってる。二月の冷たい風に吹かれて、ゴム風船はだんだんとしぼんでいった。
俺が言葉を失っているのを見て、日向さんは再び言った。
「見たよね?」
「えっ、ああ、うん、見た」
俺はどう反応していいのかよく分からなかったが、とりあえず見たということを認めた。
昼休みになったら屋上に来るように日向さんに言われた俺が見せられたのは、ちょっとした手品のようなものだった。ただし、手品ではなく、ちゃんと種も仕掛けもある。
先刻、屋上に来た日向さんはポケットからゴム風船を取り出し、市販の弁当に付いているような小さな醤油差しに入れてあった水をゴム風船に流し込んだ。そして、ゴム風船の口を縛って床に置くと、「精霊えいっ」と唱えたのだ。その結果、ゴム風船は一瞬にして膨らんで、そして先程の状況になった、というわけだ。
日向さんは俺の困惑をよそに、満面の笑みを浮かべた。
「私、能力の向上を考えるようにって言われて、いろいろ考えたんだけど、水って温めたら蒸気が出るでしょ、それで風船を膨らませられるんじゃないかなって思って」
なるほど、能力の違う使い方を研究してたのか。
うっ、日向さんがいろいろと考えているというのに、俺ときたら、俺ときたら。
自己嫌悪を再発して浮かない顔をしてしまったのだろう、日向さんが俺の顔を心配そうに見つめる。
「えっと、やっぱり、こんなんじゃ能力が向上したって言えないかな」
「あ、いや、日向さんの工夫を否定したいわけじゃなくて。すごい、すごいと思うよ」
俺の反応が思わぬ方向に受け止められてしまったようなので、俺は慌てて取り繕った。
とはいえ、ゴム風船を一瞬にして膨らませるというのは、どういったふうに活用できるだろうか。風船売りのバイトをするにしても、水蒸気で膨らんでいるだけだから、冷めればすぐにしぼんでしまうわけで。
俺が言えたことではないけど、喉まで出かかった「すごいけど、だから何だ」という言葉を飲み込む。
「うん、やっぱりそうだよね」
日向さんが後頭部をぽりぽり掻きながら言った。
「実を言うと、私もこれを思いついたときは、ちょっとすごいかなと思ったんだけど、冷静に考えると、だから何だろうって思うのよね」
「でも、結果はともあれ、能力の新しい使い方を思いつくのって、やっぱりすごいと思うよ」
そう言いながら、さっきから逆張りばかりしている自分にツッコミを入れたくなる。
だが、そうだ、俺も考えなくては。俺の能力を向上させることを。しかし、俺の能力をどうやって向上させればいいのだろう。
「俺なんて、体内時計をリセットする能力を、どうやって向上させればいいのか、まったく思いつかないから」
今度は俺が後頭部をぽりぽり掻く。
そんな俺を見て、日向さんの表情が怖いくらい真剣になった。
「剣道だったらアドバイスできるんだけど」
うっ、見た目は可愛らしい日向さんだけど、剣道に関しては、何というか、ちょっと怖い。あまり威圧しないでいただけますかね。
日向さんは高校一年の十六歳のときに剣道三段を取っている。つまり年齢的には最速で剣道を修めていると言える。道を修めるという意味では、自称普通の高校生である俺よりもずっと詳しいはずだ。
「剣道の達人である日向さんに聞きたいんだけど、一般的に能力ってのはどうすれば上達するかな?」
日向さんは一瞬きょとんとしたあと、お腹を抱えるようにしてころころと笑った。
「あはは、私はぜんぜん達人じゃないよ。あはは」
日向さんはひとしきり笑ったあと、再び真剣な表情に戻った。
「やっぱり近道は反復練習かな。剣道だったらまずは素振りだと思うけど。私は剣道でどうやったら成長するか悩んだときは、疲れて何も考えられなくなるまで素振りをしてるよ」
何だかとんでもないことを、さらっと言ってるなぁ。しかし、なるほど、反復練習か。そういえば、俺は体内時計をリセットする能力を、どれくらい使っただろうか。宮田の体内時計をリセットして、それから、登校時に安藤先生の体内時計をリセットして、それから、えっと。
「そういえば俺、自分の能力をぜんぜん使っていない気がする」
白蕗さんの言葉を思い出す。
『ご自分の能力については、もう少し真摯に研究していただけると助かります。せっかく身近に宮田さんという被験体がいらっしゃるのですから、いろいろな言葉を試すなどできたはずです』
そうだ、宮田を実験台にするかどうかはさておき、俺の能力も反復練習によって何か進化するかも知れない。
「ありがとう日向さん、俺、やってみるよ」
何だか学園青春モノみたいなこと言ってるなぁ。ちょっぴり宮田のスポーツマンシップが伝染ってしまったかも知れない。




