プロローグ バージョン3.00
轟音が響き渡り、木造の聖堂が軋みを上げる。
「イリスティーナ姫、もう扉が持ちません」
エミリエールの悲鳴のような声を、イリスティーナは蒼白な顔で聞いていた。
なぜ、今なのか。なぜ、私のときなのか。思考を巡らせても、答えにはたどり着かない。
聖堂の分厚い木製の扉が、破城槌などの知恵の産物ではなく、魔物の体当たりという暴力によって、今まさに破られようとしている。
いや、扉が破壊されるか、この聖堂自体が破壊されるか、どちらが先かは分からない。
数人の女官が扉を押さえているが、これから起こるであろう破壊に対し、人間の力がどれだけ効果を発するかは甚だ疑問である。
王とその護衛軍が隣国からの救援要請による遠征で不在のこの時を狙ったかのように、数千匹の魔物がこの封魔国シクスィードに攻め寄せてきたのは、まだ空も白けぬ未明のことであった。
外壁の門は破られ、城下町は蹂躙され、一日を待たずして人口一万二千人のこの封魔国の命運は尽きようとしていた。
イリスティーナは意を決した。
「この国を滅ぼさせるわけにはいきません。最後の手段を用います」
エミリエールの体がびくりと震える。
「しかし、あれは」
エミリエールが何かを言いかけるが、もはやそれ以外の手段が残されていないことは明白であった。
イリスティーナは首飾りにしていた古びた鍵を懐から取り出し、聖堂の奥にある禁呪の部屋の扉を解錠する。
扉を押し開けると、淀んだ空気が禍々しい気配とともに流れ出てきた。
『できることなら、これは使いたくないものだな。これは諸刃の剣だ』
王の言葉が思い出される。しかし、その王はここにいない。なんて使えない王なのか。
そもそもこの古びた鍵を持たせた時点で、王はこの禁呪に関する責任を完全にイリスティーナに丸投げしてしまっているということだ。
王への恨みの言葉を飲み込んで、イリスティーナは禁呪の部屋へと踏み入れた。
禁呪の部屋の床には魔法陣が描かれている。直径数メートルもある、高度な魔法陣である。
イリスティーナの知識に照らし合わせても、ただの召喚魔法がこれほど複雑な魔法陣を必要とするとは思えなかった。
果たしてこの魔法陣は、この国の救いとなるのか、それとも――
イリスティーナは不吉な予感を振り払うように、左右に首を振った。悩んでいる時間はもはや残されていない。
「出でよ、召喚門」
イリスティーナが両手を掲げて魔力を込めると、魔法陣がぼんやりと光を発し、唐突にそれが現れた。
その門は、魔法陣から1メートルほど上に、何の支えもなく浮かんでいた。
門というよりは、アーチ型の門扉だけが空中に浮いている。門扉は閉ざされており、材質は石のようにも鉄のようにも見える。表面には何の装飾もない、ただの一枚板だ。把手もなく、門扉なのかどうかも疑わしい。
門扉の最上部に女性の胸像が設えられており、その女性がアーチに沿って両腕を広げている。腕は門扉と一体化しており、手首から先は判然としない。
門扉には継ぎ目はなく、女性の胸像も一体化しているため、これが本当に門扉だったとして、開くときにどうなるのか想像もつかない。
ただ、召喚門と呼ばれるものだから、門なのだろう。
いや、そんなことを考えている場合ではない。イリスティーナは我に返った。
「召喚の門に告ぐ、強き勇者をここへ召喚したまえ」
魔法陣がまばゆい光を放ち、イリスティーナが、召喚門が、禁呪の部屋が、そして聖堂が、白い光に包まれた。
「汝の依頼、しかと了解した」
やがて白い光が徐々に収まっていく。
眩しさに目を閉じていたイリスティーナが恐る恐る目を開けると、そこには先程と同じように魔法陣と召喚門があるだけだった。
イリスティーナの求めた強き勇者は、そこにはいなかった。
「えっ、どういうことなの」
どこかから声が聞こえる。
「召喚魔法は成功した。ただし召喚は成功しておらぬ」
イリスティーナが「なんじゃそりゃ」と叫ぶよりも前に、聖堂の扉が破壊される轟音が鳴り響いた。
こうして、イリスティーナは死に、この国は滅びたのだった――