「小林くん、右手をどうかしたの?」
おにぎりを食べる日向さんにそう聞かれ、俺は無意識のうちに右手を開いたり閉じたりしていたことに気づいた。
もしこの右手の骨が粉々に砕けたら、さぞかし痛いことだろう。しかし、今この右手には何も異常はない。
「いや、右手は特に、何もないけど」
本当に?
本当に何もない?
そう思いつつも、俺は右手の開閉を止められない。
「その手は粉々に砕かれます」
「えっ」
白蕗さんの言葉に、俺は動きを止める。
「宮田さんが話を振らなければ体験した記憶として思い出すことはないので何があったか説明してしまいますが、その右腕だけでなく、全身を粉々に砕かれて、小林さんは死亡します。いえ、小林さんに限らず、この学校の二年生全員を確認しましたが、召喚の門に吸い込まれた人々は皆全身を粉々に砕かれて死亡してしまいます」
死――。
日向さんが震える声で尋ねる。
「それって、私も死んじゃうってこと?」
「はい。修学旅行に参加した私達を含め、あの展望フロアにいた人達は全員もしくは大半が死亡します」
「助かる人もいるってこと?」
「はい。助かる人もいます。小林さんが吸い込まれた時点で時間の巻き戻りが起こるため、その時点でまだ吸い込まれていない人達は助かります。逆に言えば、小林さんが召喚の門に吸い込まれるのを回避すれば、展望フロアにいた人達は全員が死亡します」
視界が歪む。
あのドアに吸い込まれた人々は、どこか別の場所にでも転送されるのかと思っていた。思おうとしていた。
どこにでも行ける、便利な道具の類だと思っていた。思おうとしていた。
違うのかよ。死んでしまうのかよ。
召喚の門というくらいなら、せめてどこかに召喚してくれよ。何で死んじゃうんだよ。
「つまり、俺は、俺達は、何百回どころか、何千回も死んでいるってことなのか」
「はい。この時間の繰り返しが始まってから2560回、小林さんは全ての周回で死亡しています」
そう言われても、俺にはその記憶がないから、全く実感が湧かない。何千回も死んでいると言われても、全国の交通事故死くらいの遠い話に感じる。親や友人など身近な人が交通事故死したらひどい悲しみだろうということは理解できるのだが、遠い土地の見知らぬ誰かが交通事故死したことを知って気の毒だなと思うくらいにしか感じない。
ちょっと待った、一人だけ、召喚の門に吸い込まれたときの記憶を持っているやつがいる。
「宮田は、その時のことを覚えているってことか」
「はい。宮田さんは元々、小林さんが召喚の門に先に吸い込まれることで、一度も召喚の門に吸い込まれることなく周回していたようです。小林さんを召喚の門に突き飛ばして、小林さんがきっかけで周回するという確証を得たりもしたようです」
あいつ、何てことしやがる。
「そうか、あの金槌作戦のときは、たまたま宮田が先に召喚の門に吸い込まれたのか」
全身を粉々に砕かれた記憶を持っている人は、全人類の中にもそれほど多くはいないだろう。そんな体験をしつつ生存することは、極めて困難だと思われるからだ。しかし、宮田は違う。全身を粉々に砕かれて死んだ記憶を持って生きている。
もしかして、宮田はその苦痛から逃れるために、この千周くらいを一人で周回して、弓道に打ち込んでいたのか?
だとしても宮田を責める気にはなれない。俺には全身を粉々に砕かれて死んだ記憶などなく、想像すら及ばないからだ。
宮田もきっと、いろいろと悩んだのだろう。
俺は自分の右手を見つめて、そう思ったのだった。