二月五日(水)3: 『炎の精霊』
「どうやら私に不思議な力があるということは、認めないといけないようね」
雲川さんは少し肩で息をしながら吐き出すように言った。二時間もぶっ通しで行射を続けた結果である。
雲川さんが行射をし、宮田が矢取りをしたわけだが、何度も何度も矢取道を往復する宮田を白蕗さんがその都度回復していたので、宮田は疲れ知らずだ。宮田はときどき雲川さんに何か話していたが、内容は分からない。
白蕗さんは雲川さんの前に立ち、背筋を伸ばして、祈りを捧げるように胸の前で手を合わせた。宮田が回復するところを見ていた雲川さんも、自身で体験して目を丸くしている。
「私の能力については、これでお分かりいただけたかと存じます」
白蕗さんがそう言うと、日向さんが少し離れたところに置いてあった風呂敷包みを持ってきた。
そんなもの、いつから置いてあっただろうか?
日向さんが楽しそうに風呂敷包みの結び目を解いていく。
「白蕗さんから、今日も時間がかかるかも知れないって話を聞いてたから、ちょっと抜け出して、科学部の部室でこれを作ってきたの」
風呂敷包みの中身は、大量のおにぎりだった。ひとつひとつ透明のラップで包まれている。
すかさず手を伸ばそうとする宮田を俺は制した。
「日向さん、これ、どれだけご飯を炊いたの?」
「えっと、白蕗さんに言われたとおり、八合炊いてきたよ?」
どんだけ炊いてるんすか。いや、八合には意味がある。
「はい。八合のご飯には2リットルほどの水分があると見込まれるので、安全だと言っていいでしょう」
「白蕗さん、心を読まないでください」
「いえ、心を読んでいるわけではないのですよ。小林さんの周りの風が、おにぎりを見たときの驚愕から、疑問に変わり、そのあと納得に変わったので、八合という量に意味があることを察したのだと判断しただけです」
「めっちゃ十分心を読まれている気が」
このおにぎりは、日向さんの能力の追加検証をおこなうという意味もあって八合なのだろう。白蕗さんの話では四合のご飯に含まれる水分は1リットルくらいらしい。1リットルの水を80℃、2リットルの水を40℃加熱できるのだから、八合のご飯も40℃くらい加熱されて、ほかほかの食べごろのおにぎりになるはずだ。
日向さんがおにぎりの山に向かって両手をかざす。
「炎の精霊よ、我が望みに応えておにぎりを温めよ、えいっ」
日向さんの体がぼんやりとした光に包まれた。どうやらおにぎりは温められたらしい。透明のラップで包まれているので湯気は立たないが、透明のラップの内側が蒸気で曇ったりしているところからすると、電子レンジで温めたご飯みたいになっているようだ。
ただ、どうしても確認しておかないといけないことがひとつある。俺は日向さんに尋ねた。
「その呪文みたいなのは何?」
「えっ、やっぱりこういうのは呪文とかあったほうがいいと思って」
「何も言わなくても温められるんだよね」
「そうなんだけど、呪文を言うほうが、これから温めますよ〜って感じでいいと思って」
えっと、本人がそれでいいと思っているなら、俺がとやかく言う筋合いはないのだけれども。
「それは事故防止という意味では効果があるかも知れませんね」
白蕗先生、それはどういった理由でしょうか?
「日向さんが能力を使うときに呪文を唱えることを習慣づけておけば、お弁当加熱事故のようなことを無意識に起こさずに済むかも知れません」
「なるほど」
何かを納得したらしい日向さんは、再びおにぎりの山に手をかざすと、何度か呪文を唱えた。日向さんの能力は同じ対象を再加熱することはないので練習をするぶんには問題ない。
「炎の精霊よ、我が望みに応えておにぎりを温めよ、えいっ。炎の精霊よ、ちょっと長いかな。炎の精霊よ温めよ、えいっ。精霊えいっ。精霊えいっ」
なんか呪文が雑になってませんかね。あんまり雑な呪文にすると、うっかり言えてしまって意味がないのでは。
そのとき不意に、おにぎりの山の上に掌が差し出された。呪文を連発していた日向さんは、勢いでその掌を温めてしまったようだ。
「きゃあっ」
日向さんが青ざめる。白蕗さん、なんということを。
「念のために確認したいとは思っていましたが、なるほど、問題ないようですね」
白蕗さんは日向さんに温められた右手を開いたり閉じたりしながら平然としている。ただ、額に汗が浮かんでいるようだ。
「人間の身体は、年齢によっても異なりますが、50パーセントは水分です。つまり私の場合、25……20リットルが水分ということになるわけです。日向さんの能力によって20リットルの水は4℃加熱することができるわけですから、体温が急に4℃上がるだけで、ふう、全く影響がないわけではないですね。ともあれ、相手が高校生くらいであれば日向さんの能力によって誰かをちょっと熱っぽくさせることはできるようですが、大きな危害を与えることはなさそうです。ただし、小さなお子さんや小動物が相手ですと高熱になる恐れがあるので、そこだけはぜひ気をつけていただきたいところです」
「なんて無茶を」
白蕗さんの科学者としての探究心はちょっと行き過ぎなところがあるのではないかと思っていたが、自分を実験台にしてしまうとか、行き過ぎにもほどがあるんじゃないですかね。
白蕗さんは胸の前で掌を合わせた。白蕗さんの体がぼんやりとした光に包まれ、白蕗さんの汗がみるみるうちに引いていく。
「風の力を借りて、汗を乾かしました」
そんな機能もあるんだ。




