二月五日(水)1: 『明鏡止水』
二月五日(水)の朝が来た。
一周目の今日、といっても俺が認識している一周目ではあるが、不思議な力を持った生徒たちには関わらないでおこうと思っていた俺は、放課後に校門で白蕗空さんとばったり出くわした。
あのときは白蕗さんのことを不思議ちゃんの類だと思っていた。いや、不思議ちゃんであることに今も疑いの余地もないのだが、思っていた不思議ちゃんとはぜんぜん違う不思議ちゃんだったなぁ。
白蕗さんの能力は本人が言うには『風の息づかい』とかいうもので、俺達の能力を詳細に知ることができるようだ。しかし、あれは『風の息づかい』などという生易しいものではなくて、個人的には『機械仕掛けの神』と呼びたい。舞台劇で、どうにも局面が打破できなくなったときに、クレーンで吊るされた神様役が登場して、全てを解決してくれるというアレだ。
もしかすると雲川潤さんの『明鏡止水』についても、本人すら気づいていないことを知っているのかも知れない。
☆
いつものように普通に朝食をとり、いつものように普通に電車で学校に向かう。
8時20分に校門に行くと、体育の安藤先生が立っていて、生徒が登校する様子を見守っていた。相変わらず、筋肉もりもりの肉体を半袖シャツと短パンで覆っているだけの、見ているこっちが寒くなる出で立ちだ。
「おはようございます」
「声が小さい、もっと、大きな声で、あいさつ!」
安藤先生は、生徒の挨拶の声が小さいと、ダメ出しをしてやり直しを要求してくる。俺もできるだけ大きな声で挨拶をして校門を通り過ぎた。
俺が「おはようございます」と挨拶したことで、きっと安藤先生の体内時計もリセットされただろう。
教室に入り、一限目の準備をしていると、宮田も登校してきた。宮田は暗い顔をして無言で俺の後ろの席に着いた。何だか調子が狂うが、とりあえず挨拶だけしておく。
「おはよう」
これで宮田の体内時計もリセットされただろう。
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午前の授業が終わり、昼休みとなった。
今日の俺の弁当のおかずは、ミニハンバーグ、白身魚、オムレツ、ほうれん草とベーコンの炒めもの、ポテトサラダ、ミニトマトだ。見なくても知ってる。
宮田は焼きそばパンをもそもそと食べ、コーヒー牛乳をちびちび飲んでいた。
日向茜さんは女子四人で楽しそうに弁当を食べている。
宮田を除けば、概ねいつもどおり。なんて素晴らしいんだ、いつもどおり。ビバいつもどおり。
☆
午後の授業が終わり、ホームルームと教室の清掃が終わり、放課となった。
ホームルームで担任の野村先生が言っていたように、二年生の俺達は明日の修学旅行に備えなければならない。今日はクラブ活動も基本的に休みだ。特に用事がない生徒は速やかに下校するようにという、いつもの話だった。
そんなわけで今、俺達は、弓道場に集まっている。なぜなら用事がある生徒だからだ。
俺達というのは、白蕗空さん、日向茜さん、宮田、俺、そして、今回のスペシャルゲスト、雲川潤さんだ。
白蕗さんに声をかけられて、俺達はここ弓道場に集まっている。
弓道場には自主練習のために一年生が集まって来ており、俺達のことを怪訝そうに見ているが、まあ気にしないでおこう。宮田に「気にするな」と声をかけてもらえば気にされることもなくなるかも知れないが、こんな恐ろしい能力はあまり濫用してほしくない。
そんなことをしなくても、俺達に気を利かせてだろうか、一年生たちは弓道場ではなく外に出て射法八節の練習をしてくれるようだ。ごめんね助かる。
さて、雲川さんだが、快く俺達を迎えてくれるわけもなかった。
「部活が休みの日に呼び出すというのは、どういった理由かしら。できれば修学旅行に備えたいのだけど」
そりゃそうですよね。
「それに、宮田くん、月曜日に入部して、翌日サボるのはどうかと思うわ。腕前は認めるけど、通常練習をおろそかにする態度はよくないわ」
昨日の放課後、宮田は俺達と一緒に日向さんの能力を検証していたわけだが、宮田は部活を休む連絡をしていなかったらしい。雲川さんの口調は厳しいが、宮田を見る目には優しさが感じられる。
どんな言い訳をするのかと思ったが、宮田は予想外のことを話し始めた。
「雲川さん、俺は初心者ですし、月曜日は体験入部して一年生と一緒に矢取りをしただけですよ」
「あら、そう、そうだったわね」
「行射のお手本を見せていただいたとき、真後ろで見ていたら裏拳をもらったりもしましたけど」
「あれはちゃんと注意しなかった私も申し訳ないわ」
うぐっ、思わず変な声が出そうになった。宮田の『回復』の能力、やはりとんでもない。宮田が話を振るたびに、雲川さんは過去の周回の出来事を思い出していく。しかし、その記憶が矛盾していることにはまだ気づかないようだ。
ところで、宮田が能力を使うたびに宮田の体がぼんやりと光るわけだが、雲川さんは気づかなかったのだろうか。いや、気づかなかったのではなく、認識が阻害されているのだろうか。そうか、そりゃそうだよな。宮田が他人の記憶や認識を改変するときに対象者に気づかれるようなら、俺が改変されたときに気づいていたはずだもんな。
「それはそうと、宮田くん、あなたは友達を選んだほうがいいと思うわ」
うっ、雲川さんが俺を見る視線が痛い。「被害者」の宮田には優しそうなのに。やはり雲川さんは、俺が宮田に体内時計を調整する能力を使っているのを見て、宮田を怪しげな力で操っている「加害者」だと思い込んでいるようだ。とはいえ友達を選んだほうがいいとか、ちょっとひどすぎませんかね。怖いから俺は何も言い返せませんけど。
白蕗先生、ここはビシッと言ってやってくだせえ。
白蕗さんは、俺を睨みつける雲川さんの視線を遮るように前に進み出た。先生、助かります。
「本日は、雲川さんの行射をぜひお見せいただきたく、こうして参りました」
「何で私がそんなことをしなくちゃならないの?」
うん、雲川さんの反論ももっともだと思う。「ちょっと弓を射てください」「はいわかりました」とはいかないよね。
「いえ、雲川さんの行射におかしなところがあると気づいたのですが、別にお気になさらないということでしたら私どもは引き下がりますが」
「監督からも何も言われていないのに、素人のあなたが何か気づいたって言うの?」
「はい」
「どうおかしいのか、言ってみなさいよ」
「それは実際に目の前で行射をお見せいただかないことには」
ということで、雲川さんに行射をしていただく運びとなりました。
雲川さん、ちょろくね?
ともあれ、次回はいよいよ雲川さんの『明鏡止水』のとんでもない性能が明かされることになる。いや知らんけど。




