二月四日(火)5: デウス・エクス・マキナ
本人も理解していない能力を正確に知ることができる白蕗さんの能力、何なんだよ、どういうことだよ。
俺が口を開くよりも先に、白蕗さんが話を続けた。
「小林さんと宮田さんは、お二人だけで同じ日々を繰り返してしまう不具合に対処しようとしていたのですが、今から1203回前のときに、今までになかった事件に見舞われました。小林さん、あなたが金槌を持って行ったときです」
えっ、何をおっしゃってるんですかね。白蕗さんの能力、いったいどこまで分かっちゃうんですかね。
白蕗さん、万能すぎじゃありませんかね。
「今から1203回前のときから今回まで、宮田さん、あなたは能力を使って小林さんの記憶を固定するのをやめています」
「おいやめろ」
「そしてあなたは今回も小林さんの記憶を固定するつもりはなく、小林さんは今回の記憶も綺麗さっぱり忘れて同じ日々を繰り返すのでしょう」
「やめろ」
宮田は今にも白蕗さんに掴みかかりそうだ。しかしその表情は怒りではなく、悲壮感に似たものを感じる。
宮田は千回くらい一人で同じ時間を繰り返していたと言っていたが、それは弓道の練習のためではなかったということか。弓道のことを悪く言うつもりはないが、そのためだけに同じ日々を何年も繰り返すほど宮田が弓道が好きだったとも思えない。
しばらく黙っていた白蕗さんだったが、やがてまた口を開いた。
「宮田さんの能力ですが、記憶や認識の操作には『回復』と『改変』の二種類があります。『回復』の能力は、前の周回で体験したことを思い出させたり、記憶を固定したりといった、あるべきものをあるようにする操作で、これは無効化されることはありません。『回復』は宮田さんが関連ワードを口にすることで対象者の記憶が呼び起こされます。簡単に言えば、宮田さんが相手に話を振れば思い出すということです。一方、『改変』ですが、こちらの能力は脆弱なもので、条件を満たせば無効化することが可能です。対象者が記憶や認識を改変されていることを認識することが無効化の条件のひとつですが、宮田さんが関連ワードを口にすることで対象者の表層意識にその記憶を浮かび上がらせる必要もあります。先程は宮田さんが『女子を巻き込むわけにはいかない』とおっしゃったことで条件を満たしました。つまり、『回復』も『改変』の無効化も、宮田さんが関連ワードを口にする必要があります。ですから、宮田さんがたった一人で1203回も周回している理由は、宮田さんがおっしゃらない限り、小林さんには分かりません。簡単に言えば、宮田さんが言いたくないことをおっしゃらなければ、小林さんはそのことを実体験として思い出すことはありません」
宮田は何か安心したように見える。宮田が何を安心したのか俺には分からないが、むしろ俺には不安と焦燥感しかない。目の前で隠し事をされて心穏やかでいられる人はいるだろうか。いやいまい。
「でもいいのですか、宮田さん。あなたはもう限界です」
「分かってる、分かってるけど、俺は、あんな思いを、俺は」
宮田はやや取り乱しつつ、俺の方を見てくる。もしかして俺が何かやっちゃったのだろうか。
宮田の妙に真剣な眼差しに耐えられなくなった俺は、つい視線をそらしてしまった。
視線をそらした先には日向さんがいて、さっき実験に使ったご飯をおにぎりにして美味しそうに食べていた。
「あっ、ごめんなさい、お腹が空いちゃって」
「時間があれば実際のご飯を使った実験もしようと思って、余裕を見て五合のご飯を炊いていたはずですが」
白蕗さんの言葉に、日向さんがぎくりとなった。
ごんごうって、ああ、五合のことか。えっ?
俺は立ち上がり、炊飯器の中を確認する。炊飯器の中はほぼ空っぽだった。
日向さんが慌てたように言い訳を始める。
「ごめんなさい、私、家ではけっこうご飯を食べるんだけど、学校のお弁当とかそんなに大きいのを持ってくると他の女子たちがドン引きしちゃうと思って、それで小さなお弁当を持ってきてるんだけど、でも、それじゃぜんぜん足りなくて、小林くんのお弁当、大きくていいな、温かそうでいいなとか思っていて、その、えっと、ごめんなさい」
その小さな体の、おっと、どこに五合ものご飯が入っているのかという疑問なんてどうでもよく思えた。
その時、部室のスピーカーからチャイム音に続いて放送部のアナウンスが流れた。
「完全下校15分前になりました。校内に残っている生徒は完全下校に間に合うように下校しましょう。それではみなさん、さようなら、さようなら、さようなら」
もう19時前になっていた。俺達は帰宅準備をし、科学部の部室を出た。
そういえば、日向さんのお父さんはめちゃめちゃ厳しい人なんじゃなかったっけ。
「日向さんは門限とか大丈夫なの?」
「いつも剣道部の部活が終わった後、一人でこれくらいの時間まで稽古してるから大丈夫」
「部活のあとに稽古って、どんな体力してるの」
「家に帰ってお父さんに稽古をつけてもらうよりはぜんぜん楽だから」
日向さんの瞳の色が漆黒に変わった気がする。触れてはいけないところに触れてしまったようだ。
話を逸らすために、白蕗さんに聞く。
「白蕗さんは門限は大丈夫?」
「はい。私は科学部の部室に泊まり込みで研究することもしばしばありますから問題ありません」
いや、完全下校を無視するのはだいぶ問題だと思うのですけど。
そんなことを話しながら、俺達は校門まで移動していた。宮田は終始無言のままだ。
白蕗さんが実に丁寧にお辞儀をする。その所作を見るとどこかの令嬢のようでもあるが、そんな令嬢が科学部の部室に泊まり込んで研究をしているとか、わけが分からない。
「それでは、ごきげんよう。明日は弓道部の雲川潤さんにも能力のことをお話しいたしましょう」
そう言って白蕗さんは去っていった。なんてマイペースなんだ。というか、すっかり仕切られている気がする。
なあ、宮田もそう思うだろ、と宮田の立っていたほうを見ると、無言のまま去っていく宮田の背中が小さくなっていくところだった。
☆
家に帰ってベッドに寝転がってから気づいたのだが、今日もまた肝心なことを宮田から聞けなかった。いや、今日はそれどころではなかったわけだが。
あのドアについて分かったこと、分からなかったことを宮田に聞こうと思っていたが、どうやらあの時に何か大変なことがあって、宮田はそのあたりのことを話すつもりはないらしい。知らないほうがいいという警告が胸の奥底で鳴り響いているが、かといって知らないわけにもいかないだろう。
結局、日向さんをがっつり巻き込んでしまったが、巻き込むという言葉を考えると起こっていた偏頭痛がなくなっている。宮田の能力の副作用だったのだろうか。
宮田の能力って恐ろしいよな。悪用しようと思えば何でもできそうな気がする。宮田が考える悪用はそんなにひどい悪用ではないと思いたいが、なんだか落ち着かない気持ちになる。
『光夫、ちょっと落ち着け』
あっ。そうか、冷静さを失ってパニック状態になった俺は、宮田の能力で冷静になっていたんだな。
今俺はそのことに気づいたわけだが、改変を無効化する条件を満たしているのだろうか。満たしていたとして、今の俺がパニック状態になるということはないようだが。
昨日、俺は宮田に「こんにちは」と声をかけて、体内時計を昼にセットできることを確認して得意になっていたわけだが、宮田の能力のすごさを知ってしまうと、そんなことで得意になったのが恥ずかしい気持ちになってくる。
そうだ、俺の能力といえば、白蕗さんは俺の能力は体内時計を調整する能力だと言っていた。もうひとつ、時間を巻き戻す能力もあるはずだが、白蕗さんはそのことに触れすらしなかった。同じ日々を繰り返すことを不具合だとも呼んでいた。
俺がアイスのハズレを引いたときに時間を巻き戻しているのも、白蕗さんが言うところの不具合なのだろうか。門限のこととか聞いてないで、俺の能力のことを聞くべきだった。
それにしても、宮田の能力もとんでもないが、白蕗さんの能力はそれを遥かに上回る気がする。ああいう存在を、何て呼ぶんだっけか。俺はスマートフォンで検索して、『機械仕掛けの神』という言葉を見つけたのだった。




