二月三日(月)2: 弓を射ずして骨を射る
ホームルームが終わり、教室の清掃が終わった。前回と同じく、宮田の姿が見当たらない。
おそらく宮田はまた弓道部に入部しに行ったんだろう。
『宮田、言っておくけど、今回はお前、まだ雲川さんに弓道部に誘われてないぞ。誘われるのは明日火曜日だぞ』
前回そう教えてやったのに、宮田は覚えてないのだろうか。自主的に入部した弓道部より、明日火曜日に雲川さんに誘われて入部する弓道部のほうが心ときめくような感じになりそうな気がするけど、宮田にとってはそうでもないのだろうか。
荷物を持って、校舎を出る。グラウンドでは、運動部が活動を始めている。弓道部の女子の先頭を走るのは雲川潤さんで、剣道部の先頭を走るのは日向茜さんだ。
雲川さんは相変わらずクールビューティーだな。
弓道場に来た。いつもの見学窓にも、宮田の姿はない。
走り込みを終えた弓道部員が練習を始める。今日の弓道部は、試合を想定して遠的の的前稽古だ。前回は一年生が矢取りをしていて、宮田もそこに混ざって矢取りをしていたっけ。
的前稽古が始まるのを待っていると、ほかの見学窓にいる女子生徒の会話が聞こえてきた。
「二年生だって」
「級も段も持ってないけど、的前稽古に参加したいって言ってきたみたいよ」
「射法八節はできてたから、見るだけ見てみるとか監督さん言ってた」
なんだか気になる会話だが、的前稽古が始まったので私語禁止だ。
射場に四人の二年生が出てきて、順に行射していく。それが終わると、ブザーが鳴り、赤色灯が光って、一年生が矢取りに向かう。矢取りというのは、野球部で言うところの球拾いみたいなものだ。矢取りをしている一年生を見ていたが、宮田は出てこなかった。
何組かが行射を終えて、次の組が出てきた。そのうちの一人を見て、俺はのけぞった。
おい宮田、こんなところでなにをしてるんだ、おい宮田。
宮田は弓道着を着ている。新品ではなく、むしろ年季の入った弓道着だ。そして他の生徒と同じく矢を二本持っている。所定の位置につき、前後に足を開き、床を踏みしめるように立つ。流れるような動作で、迷いは一切感じさせない。宮田の射た矢が60メートル先にある的の右下隅に中った。
えっ。
なんだかとてもいやな予感がする。
宮田の二射目も的に中った。今度は的の左端ギリギリで、中心からは程遠いわけだが、そもそも遠的というものは、弓道を始めて数日で的まで矢が届くものだっただろうか。
数日じゃ、ない?
なんだかとてもいやな予感がする。
弓道部の練習が終わった。
見学者の間では、体験入部でいきなり遠的に皆中させた宮田の話で持ちきりだった。皆中というのは四射全てを的に中てるというもので、簡単なことでは決してないはずだ。宮田の性格なら四射目に中てに行ってスケベをやらかすかと思ったが、そんなことはなかった。
しばらくして、弓道場から制服に着替えた宮田が出てきた。
宮田はいかにもいい汗をかいたスポーツマンのような爽やかな表情で言う。
「いやあ、スポーツっていいな」
何で急に元気になってるんだよ。何で爽やかスポーツマンになってるんだよ。っていうか、そんなことは問題じゃない。
「おい宮田、お前なにやってんだよ」
「えっ、いや、だから、スポーツを」
そうじゃなくて。
宮田の両肩を掴み、できうる限りの力を込めて前後に揺さぶる。
「そうじゃないだろ、お前なにやってんだよ」
「えっ、いや、だから、弓道を」
あっ、こいつ、分かっててすっとぼけてる。
おっと、俺は日向さんに「見たよね?」と問い詰められて何を見たのかはっきり聞いてほしいと考えてたくせに、頭に血が上って同じようなことをやっているな。自分がやられて嫌なことを他人にやってはいけません。
「おい宮田、弓道がそこまで上達するまでに、何年かかった?」
「えっ」
宮田が急に真顔になり、目を逸らした。
俺は宮田の両肩に爪を食い込ませる。
「俺の知らないうちに、何周したんだ?」
宮田は、何か言いにくそうに口の中でもごもごしていたが、しばらくして言った。
「千周くらい?」
俺は膝から崩れ落ちた。
ああ、お前はやる、お前はやる奴だと思ってたよ。
バカだバカだとは思っていたけど、心の底からこの言葉を言いたい。
「バカじゃねーの」
宮田はこの三日間を繰り返し、そのうち二日を弓道の練習に費やして、千周で二千日、つまり五年半近い練習を積み重ねたらしい。
雲川さんに誘われて火曜日に入部するのではなく、月曜日に入部しているのも、練習日数を多くするためらしい。
バカじゃねーの。ほんと、バカじゃねーの。一周回って、バカじゃねーの。
俺はそのことを記憶していないからいいんだけどね。いや、よくはないけどね。三千日って八年以上だぞ。宮田は八年以上も高校生活を続けていたのか。
いやいや違う違う。宮田はその前にも千周くらいしてたんだ。高校生活を16年も続けているだと?
俺は立ち上がり、宮田の顔を見つめる。こいつはバカだが、ある意味尊敬できる。バカだけど。
「それはそうと、どこで弓道着を手に入れたんだよ」
「弓道部の倉庫に、卒業生が置いてった古い弓道着があるからな。俺に合うサイズの弓道着はみつけてあるから、そいつを借りてる」
なるほどな。同じ時間を繰り返しているから、どこに何があるのか知ってしまえば、いつでも使えるというわけか。宮田はドヤ顔でふんぞり返っているが、それって泥棒じゃないのだろうか。倉庫にも鍵が掛かっているはずだが、泥棒に鍵をどうしたのかを聞くのは愚問だろう。
いや、それより、同じ時間を繰り返す中で、肉体の鍛錬は持ち越せるのだろうか。宮田の能力で記憶は持ち越せるが、肉体の鍛錬が持ち越せてしまうとなると、同じ時間の繰り返しと思っていたのに肉体が老いていってしまうというホラー展開になるのではないか。
「筋力とかどうなってんだ?」
「筋トレしても筋力は持ち越せないから、元に戻ってしまう」
「それでよく弓が引けるようになったな」
「射法は、弓を射ずして骨を射ることっつってな、筋力で力任せに引くんじゃなくて、骨や関節をバランスよく使って引くっていうか」
「よくわからん」
「俺もたぶん四年か五年くらいかかってようやく感覚が掴めてきたからな。光夫も弓道やってみれば分かるよ」
「やだよ」
☆
家に帰ってベッドに寝転がってから気づいたのだが、高校生活16年に衝撃を受けすぎて、肝心なことを宮田からぜんぜん聞けてなかった。
あのドアについて分かったこと、分からなかったことを、明日宮田に聞かなければ。
それにしても、五年も弓道をやっていれば、宮田でもずいぶん上達するんだな。同じ時間の繰り返しでも、能力は伸ばせるということか。って、もしかして日向さんがほかの女子たちの弁当まで温めてしまったのも、そのせいなんじゃないのか?
おいおい宮田め、何てことをするんだ。やはりこの同じ日々の繰り返しからは、早く抜け出さないと駄目だ。
日向さんといえば、日向さんを巻き込まないようにと思っても、何だかんだで巻き込んでしまうな。うっ、巻き込むという言葉を考えると偏頭痛がする。
そういえば、日向さんを巻き込まないようにって、そもそも、何で巻き込まないようにしているんだっけ?




