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プロローグ バージョン3.10

お久しぶりです。

 エミリエールの(あさ)(はや)い。

 ()()(まえ)、まだ()(へい)(せん)(あか)るくならぬうちから、エミリエールは(ふう)()(こく)シクスィードのメインストリートを(ある)いている。

 この(ふう)()(こく)シクスィードは、(ろっ)(ぽん)(きょ)(ぼく)(じょう)(へき)(むす)んだ(せい)(ろっ)(かっ)(けい)(りょう)()()(くに)である。(ふう)()(こく)(にん)じられた()(らい)や、(なに)(ふう)じているのかは(いっ)(ぱん)(こく)(みん)には()らされていない。

 (ふう)()殿(でん)()()として(はたら)くエミリエールも(くわ)しくは()らないし、()()()きていくだけのお(かね)(かせ)ぐためには()(ひつ)(よう)もなかった。

 つまり、(けっ)(こう)(てき)(とう)だった。


 (ふう)()殿(でん)は、(ふう)()(こく)シクスィードの(ちゅう)(おう)(おか)(うえ)(おう)(じょう)(となり)()てられている。エミリエールは(ふう)()殿(でん)(つづ)(さか)(みち)()()(のぼ)っているところだ。メインストリート沿()いに()(なら)(こう)(きゅう)(じゅう)(きょ)も、まだ()()ます()(はい)はない。()()げれば(まん)(てん)(ほし)(ぼし)が、()()(まえ)(かがや)(おさ)めとばかりに(またた)いている。

 なんて(へい)()で、いつもと()わらない()なんだろう。この(くに)(おう)()(えい)(ぐん)(りん)(ごく)(きゅう)(じょ)(よう)(せい)()けて()(はら)っているが、()(ぜに)(かせ)いで()きられればいいエミリエールには(とく)(かん)(けい)のないことだった。

 つまり、(けっ)(こう)(てき)(とう)だった。


 ふと、エミリエールは(とお)くからかすかな()()りが()こえたような()がして(あし)()めた。

 (じょう)(へき)(うち)(がわ)()(わた)してみたものの、(ほし)()かりと(がい)(とう)()らされた(まち)(うす)(やみ)(つつ)まれており、いつもと()わらぬ(ふう)(けい)(ひろ)がるばかりだ。

 この(くに)(かこ)(じょう)(へき)(たか)さは(いま)いる(おか)とほぼ(おな)(たか)さであり、(じょう)(へき)(そと)(がわ)()(わた)すことはできない。(じょう)(へき)(そと)(がわ)を、(ぼう)(りょく)(たずさ)えた(すう)(せん)(びき)()(もの)(いき)(ひそ)めて(せま)ってきていることなど、エミリエールには()(よし)もなかった。

 そして、(こん)()また()(こく)したら(きゅう)(りょう)()げると()われていたことを(おも)()して、エミリエールは(みち)(いそ)いだ。


 (ふう)()殿(でん)()き、()()姿(すがた)()()えたエミリエールは、いつもの(かい)(てん)()(ぎょう)(はじ)めた。

 ほかの()()(にょ)(かん)(しゅっ)(きん)してきて、(かく)()がそれぞれの(かい)(てん)()(ぎょう)(すす)めていく。(ゆか)(そう)()よし、テーブル(せい)(そう)よし、(かみ)ナプキンの()(じゅう)よし。

 (ふう)()(こく)(よう)(しょう)であるこの(ふう)()殿(でん)は、どういった()(ゆう)なのかは()からないが、(へい)(じょう)()にはレストランを(いとな)んでいる。()(もん)()は「(ほん)(もの)()()()える(みせ)」であり、コアな(きゃく)(そう)()()れられている。

 イリスティーナ(ひめ)(しゅっ)(きん)してきて、いよいよ(かい)(てん)()つばかりとなったころ、(めい)(はく)()(ひび)きが(つた)わってきた。

 バックヤードのモニタールームから(ころ)がるように()てきた(にょ)(かん)(けっ)(そう)()えて(ほう)(こく)する。

(たい)(へん)です、()(もの)、たくさんの()(もの)が、(がい)(へき)(もん)をぶち(やぶ)ってこっちに()かってます」

 エミリエールは「(にょ)(かん)ともあろう(もの)が、ぶち(やぶ)ってという(こと)()(づか)いは(なに)(ごと)ですか」と()(どう)すべき(たち)()であったが、その(くち)をついて()(こと)()は「(うそ)でしょ、まずいじゃん」だった。

 イリスティーナがモニタールームに(はい)りメインスクリーンを(かく)(にん)すると、(しん)(ちょう)6メートルを()える()(とう)(きょ)(じん)(がい)(へき)(もん)をぶち(やぶ)り、その(あし)(もと)から()(がた)(じゅう)(じん)がわらわらと(へき)(ない)(はい)ってくるところだった。

 ()(とう)(きょ)(じん)が10(たい)()(がた)(じゅう)(じん)は100(ぴき)や200(ぴき)どころではない(かず)のようだ。()(そく)(じゅう)(なん)(とう)かいる。コンピューターによる(すい)(てい)(そう)(すう)()ると、(せん)(びき)()えると(ひょう)()され、しかもその(すう)()はどんどん()えていく。

 この(くに)(がい)(へき)には(でん)()バリアや退(たい)()レーザー(ほう)(とう)などの(おそ)ろしげな(そう)()()(すう)(せっ)()されていたはずだが、すでに(がい)(へき)(もん)(やぶ)られているということは、おそらく(なん)(やく)にも()たなかったと(おも)われる。(きょう)()セラミック(せい)(じょう)(へき)(せっ)()されたチタニウム(せい)(じょう)(もん)(でん)()バリアで(まも)られており、()れるものは()(もの)であれ(にん)(げん)であれ(しゅん)()()(ずみ)になるはずだが、そんな(じょう)(もん)がなぜこうも(かん)(たん)(やぶ)られたのかを調(ちょう)()する()(かん)はなさそうだ。

 イリスティーナは「ああ、こりゃあかんかな」という(こと)()()()み、()(たた)いて(ちゅう)()(うなが)す。

「はい、みなさん、()()いて(せい)(どう)()(どう)しますよ」

 イリスティーナは()(ぶん)()(しん)(どう)(よう)()(かく)しながらそう()うと、(せい)(どう)()かった。(ゆう)()にはシェルターとしての()(のう)()(せい)(どう)であるが、この(せい)(どう)にこそこの(くに)(ふう)()(こく)である()(ゆう)すなわち「(ふう)(いん)」があり、ここが(そう)(しつ)することはこの(ふう)()(こく)(そん)(ざい)()()(そう)(しつ)することと(どう)()である。

 ()()(にょ)(かん)(ぜん)(いん)(せい)(どう)()(なん)したことを(かく)(にん)し、イリスティーナはドア(よこ)にあるガラスで(おお)われたスイッチに(みぎ)(こぶし)(たた)きつけた。ガラスが(こな)(ごな)になってスイッチが()され、(せい)(どう)(いり)(ぐち)(きょ)(だい)()(とびら)(おと)()てながら()じていく。(ふう)()殿(でん)(まど)という(まど)にシャッターが()り、(けい)(ほう)(おん)()(ひび)く。これでこの(ふう)()殿(でん)(かん)(ぜん)(ぼう)(ぎょ)モードに()(こう)したはずだ。

()ってぇ」

 イリスティーナは(たた)きつけた(みぎ)(こぶし)をさすりつつ、ひとまずは(あん)()した。そしてガラスカバーを()()げてからスイッチを()せば、こんなに(いた)(おも)いをする(ひつ)(よう)はないことに()づいて(げき)()した。(だれ)だよこれ(せっ)(けい)したの。

 ともあれ(ふう)()殿(でん)(かん)(ぜん)(ぼう)(ぎょ)モードに(はい)ったことで、イリスティーナにできることはもうなくなった。あとは(ぼう)(ぎょ)()(こう)がどれだけ()(もの)(こう)(げき)()えてくれるかだ。とはいえ(かん)(ぜん)(ぼう)(ぎょ)モードは「(かん)(ぜん)(ぼう)(ぎょ)(てっ)しますよ」という()()でしかなく、(がい)(へき)(もん)がぶち(やぶ)られている(げん)(じょう)では()(じょう)(こころ)(もと)ないのだが。()(もの)(しゅう)(げき)(いっ)(ぽう)(おう)()(どう)(そう)(しん)されているはずで、(おう)()(えい)(ぐん)()(かん)するまでは()ってくれると(しん)じたい。

 イリスティーナが(せい)(どう)(ない)のモニターを(そう)()して()(もの)(よう)()(かく)(にん)すると、(じょう)(きょう)(かんば)しくないようだった。(ぼう)(ぎょ)()(こう)退(たい)()レーザー(ほう)(とう)()(もの)にダメージを(あた)えているようではあるが、(なん)(びき)かの()(もの)()(ころ)したところで、その(あっ)(とう)(てき)(ぶつ)(りょう)()されて、(つぎ)(つぎ)()(かい)されてしまっている。

 (じょう)(ほう)()(めん)()ると、(おう)()(かん)()(そう)()(こく)(いま)から4()(かん)(はん)()(ひょう)()されている。イリスティーナはいったん()をそらしてから(ふたた)(じょう)(ほう)()(めん)()たが、(ひょう)()()わらなかった。


 イリスティーナの(はい)()から、エミリエールが(そう)(はく)(かお)(こえ)をかける。

「イリスティーナ(ひめ)(わたし)(いえ)の、(りょう)(しん)()()でしょうか」

 イリスティーナはモニターの(ひょう)()(ちゅう)(きゅう)(じゅう)(きょ)(がい)()()えた。エミリエールの(じゅう)(きょ)(みなみ)()()だったっけ。

 モニターには()(がい)()とそこに()(ひと)(びと)()(もの)()によって()(かい)されていく(よう)()(うつ)()された。あっ。イリスティーナはすぐに(べつ)カメラに()()えたが、どのカメラも(せい)(さん)()(めん)(とら)えるばかりだった。

 イリスティーナは()るに()えかねてモニターの(ひょう)()()(あい)のない(ふう)(けい)(えい)(ぞう)()()えた。()(かえ)ってエミリエールを()ると、()(たい)(さっ)したようだった。


 (ふう)()(こく)は、(ふう)()(もく)(てき)として(つく)られた(くに)である。()(もの)(ふう)(いん)し、その(ふう)(いん)(まも)ることが(さい)(ゆう)(せん)である。

 (ふう)(いん)()(かい)(もく)()()(もの)(こう)(げき)によって(じん)(めい)(うしな)われることも、もともと(そう)(てい)されている。(いや)なら()むな。

 この200(ねん)ほどは()(もの)(しゅう)(げき)もなかったとはいえ、(なん)でこんな()()()んでしまったかなぁ。ここに(ひっ)()してきたご(せん)()(さま)は、そのあたりの(せつ)(めい)をちゃんと()いたのかなぁ。

 イリスティーナがそんなことを(かんが)えていると、(せい)(どう)(とびら)(なに)かとてつもなく(おも)いものがぶつかるような(しょう)(げき)(つた)わってきた。

「えっ、もう()たの?」

 イリスティーナがモニターを(せい)(どう)(がい)(かん)(えい)(ぞう)()()えると、(しん)(ちょう)8メートルほどの()(とう)(きょ)(じん)が、(いま)まさに(じょ)(そう)をつけて(みずか)らの身体(からだ)(せい)(どう)(とびら)(たた)きつけようとしているところだった。

 (ちょく)()()ざされた(とびら)から(ごう)(おん)(ひび)き、(せい)(どう)(ぜん)(たい)(しん)(どう)(つた)わって、(てん)(じょう)から(こま)かな(ほこり)()ちてきた。

 (ふう)()(かなめ)であるこの(せい)(どう)がなぜ(もく)(ぞう)なのか()からないが、これはもうあと(なん)(ぷん)()たないかも()れない。

 さらに(ごう)(おん)(ひび)(わた)り、(せい)(どう)(きし)みを()げる。(こわ)い。マジ(こわ)い。

「イリスティーナ(ひめ)、もう(とびら)()ちません」

 エミリエールの()(めい)のような(こえ)を、イリスティーナは(そう)(はく)(かお)()いていた。

 なぜ、(いま)なのか。なぜ、(わたし)のシフトのときなのか。()(こう)(めぐ)らせても、(こた)えにはたどり()かない。

 いや、()(ぶん)のシフトのときじゃなかったとしても、()(ぶん)(じょう)()(まち)()(もの)にすり(つぶ)されただけの(はなし)なので、どちらにしても(ぜつ)(ぼう)しかないのだが。


 (せい)(どう)()(あつ)(もく)(せい)(とびら)が、()(じょう)(つい)などの()()(さん)(ぶつ)ではなく、()(もの)(たい)()たりという(ぼう)(りょく)によって、(いま)まさに(やぶ)られようとしている。(にん)(げん)(あい)()なら(ぜっ)(たい)(やぶ)られっこなさそうな(がん)(じょう)(とびら)ではあるが、(しん)(ちょう)8メートルの(きょ)(じん)(たい)()たりを(ふせ)げるほどの(せい)(のう)(ゆう)していないようだった。

 いや、(とびら)()(かい)されるか、この(せい)(どう)()(たい)()(かい)されるか、どちらが(さき)かは()からない。いっそ(せい)(どう)ごと()しつぶされてしまったほうが、(こわ)(おも)いをしなくてもすむだろうか。(いた)かったり(くる)しかったりしないだろうか。

 (すう)(にん)(にょ)(かん)(とびら)()さえているが、これから()こるであろう()(かい)(たい)し、(にん)(げん)(ささ)えることがどれだけ(こう)()(はっ)するかは(はなは)()(もん)である。


 それにしても、よりによって(おう)とその()(えい)(ぐん)(りん)(ごく)からの(きゅう)(えん)(よう)(せい)による(えん)(せい)()(ざい)のこの(とき)(ねら)ったかのように()(もの)(おそ)ってくるとは。

 そもそも、(ふう)()(こく)(ふう)()(さい)(ゆう)(せん)としているのに、(なん)(りん)(ごく)からの(きゅう)(えん)(よう)(せい)でのこのこ()かけちゃうかな。(りん)(ごく)なんて(ほろ)びさせておけばいいじゃん。()(ぶん)(くに)(ほろ)びちゃったら(なん)にもならないじゃん。

 いや、この(じん)(こう)1(まん)2(せん)(にん)のこの(ふう)()(こく)(ほろ)びようとも、(ふう)(いん)だけは(まも)らなければならない。(ふう)(いん)(うしな)われることは、この(くに)だけでなく、(じん)(るい)(ぜん)(たい)(めつ)(ぼう)につながるおそれがあるからだ。

 でもなあ、()(ぶん)()んじゃったら、そのあと(じん)(るい)がどうなろうと、たぶん()にしないと(おも)うのよね。というかむしろ、みんな(ほろ)びちゃったほうがすっきりしないかな。

 そこまで(かんが)えたところで、さすがのイリスティーナも()(おん)(かんが)えを()(はら)った。


 イリスティーナは()(けっ)した。ここはヒロインらしいところを()せておかねばならぬ。

「この(くに)(ほろ)ぼさせるわけにはいきません。(さい)()(しゅ)(だん)(もち)います」

 エミリエールの(からだ)がびくりと(ふる)える。

「しかし、あれは」

 エミリエールが(なに)かを()いかけるが、もはやそれ()(がい)(しゅ)(だん)(のこ)されていないことは(めい)(はく)であった。

 というか、(さい)()(しゅ)(だん)使(つか)うなら、もっと(はや)使(つか)ってくれてれば、(わたし)(りょう)(しん)()なずに()んだのではないかという(かんが)えが(のう)()をよぎった。いや、まだ(りょう)(しん)()んだとは(かぎ)らない。きっと()きてる。でも、(さい)()(しゅ)(だん)使(つか)ったところでこの()(たい)()()できるかどうかも()からない。エミリエールの(こころ)(なか)()(ぼう)(ぜつ)(ぼう)(たたか)いは、(ぜつ)(ぼう)(ゆう)(せい)(すす)みつつあった。


 イリスティーナは(くび)(かざ)りにしていた(ふる)びた(かぎ)(ふところ)から()()し、(せい)(どう)(おく)にある(きん)(じゅ)()()(とびら)(かい)(じょう)する。

 (とびら)()()けると、(よど)んだ(くう)()(まが)(まが)しい()(はい)とともに(なが)()てきた。

 (くう)()(なが)()てくるということは、(きん)(じゅ)()()(くう)()(あつ)のほうが(たか)かったということであろうか。だとすると(とびら)()()けるのにもけっこうな(ちから)(ひつ)(よう)なわけだが、これは(まが)(まが)しい(えん)(しゅつ)のひとつということで()(なが)していただきたい。

『できることなら、これは使(つか)いたくないものだな。これは(もろ)()(つるぎ)だ』

 (おう)(こと)()(おも)()される。しかし、その(おう)はここから4()(かん)(はん)(きょ)()にいる。なんて使(つか)えない(おう)なのか。

 そもそもこの(ふる)びた(かぎ)()たせた()(てん)で、(おう)はこの(きん)(じゅ)(かん)する(せき)(にん)(かん)(ぜん)にイリスティーナに(まる)()げしてしまっているということだ。こんなものは(おう)(みずか)(かん)()し、(おう)はどこにも()かけないでずっと()きこもっていればいいんだ。

 (おう)への(うら)みの(こと)()()()んで、イリスティーナは(きん)(じゅ)()()へと()()れた。


 (きん)(じゅ)()()(ゆか)には()(ほう)(じん)(えが)かれている。(ちょっ)(けい)(すう)メートルもある、(こう)()()(ほう)(じん)である。()(ほう)(じん)というものは「()(かい)(ことわり)」へのアクセス(しゅ)(だん)であり、イリスティーナの()(しき)()らし()わせても、ただの(しょう)(かん)()(ほう)がこれほど(ふく)(ざつ)()(ほう)(じん)(ひつ)(よう)とするとは(おも)えなかった。

 ()たしてこの()(ほう)(じん)は、この(くに)(すく)いとなるのか、それとも――

『できることなら、これは使(つか)いたくないものだな。これは(もろ)()(つるぎ)だ』

 (おう)(こと)()(ふたた)(のう)()(よみがえ)る。(おう)はほかに(なん)()っていただろうか。

『100(ねん)(まえ)、これのせいで(じん)(こう)の9(わり)(うしな)われる(さい)()()こった――しかし、いざとなれば使(つか)わねばならぬときが――』

 (おう)(なに)かいろいろと(はな)していたと(おも)うが、(しょう)(じき)()ってよく()いてなかった。とにかく()(きつ)(かん)じのことを()っていたような()がする。

 イリスティーナは()(きつ)()(かん)()(はら)うように、()(ゆう)(くび)()った。(なや)んでいる()(かん)はもはや(のこ)されていない。たぶん、いざとなったら使(つか)えというようなことを()っていたような()がするから、(いま)こそ使(つか)ってもいいはずだ。

()でよ、(しょう)(かん)(もん)

 イリスティーナが(りょう)()(かか)げて()(りょく)()めると、()(ほう)(じん)がぼんやりと(ひかり)(はっ)し、(とう)(とつ)にそれが(あらわ)れた。

 その(もん)は、()(ほう)(じん)から1メートルほど(うえ)に、(なん)(ささ)えもなく()かんでいた。

 (もん)というよりは、アーチ(がた)(もん)()だけが(くう)(ちゅう)()いている。(もん)()()ざされており、(ざい)(しつ)(いし)のようにも(てつ)のようにも()える。(ひょう)(めん)には(なん)(そう)(しょく)もない、ただの(いち)(まい)(いた)だ。(とっ)()もなく、(もん)()なのかどうかも(うたが)わしい。

 (もん)()(さい)(じょう)()(じょ)(せい)(きょう)(ぞう)(しつら)えられており、その(じょ)(せい)がアーチに沿()って(りょう)(うで)(ひろ)げている。(うで)(もん)()(いっ)(たい)()しており、()(くび)から(さき)(はん)(ぜん)としない。

 (もん)()には()()はなく、(じょ)(せい)(きょう)(ぞう)(いっ)(たい)()しているため、これが(ほん)(とう)(もん)()だったとして、(ひら)くときにどうなるのか(そう)(ぞう)もつかない。

 ただ、(しょう)(かん)(もん)()ばれるものだから、(もん)なのだろう。

 イリスティーナは(きょう)(れつ)()()(かん)(おそ)われた。この(こう)(けい)(まえ)にも()たことがある()がする。そして、()()(きゅう)(おちい)りそうなほど(つら)()()ちになる。()(りょう)していない(おや)不知(しらず)まで(いた)(はじ)めた。

 いや、そんなことを(かんが)えている()(あい)ではない。この(じょう)(きょう)()()できる(そん)(ざい)、そう、たとえば、ものすごく(つよ)(ゆう)(しゃ)とか(しょう)(かん)してくれると(たす)かる。マジ(たす)かる。

(しょう)(かん)(もん)()ぐ、(つよ)(ゆう)(しゃ)をここへ(しょう)(かん)したまえ」

 ()(ほう)(じん)がまばゆい(ひかり)(はな)ち、イリスティーナが、(しょう)(かん)(もん)が、(きん)(じゅ)()()が、そして(せい)(どう)が、(しろ)(ひかり)(つつ)まれた。

(なんじ)()(らい)、しかと(りょう)(かい)した」

 やがて(しろ)(ひかり)(じょ)(じょ)(おさ)まっていく。

 (まぶ)しさに()()じていたイリスティーナが(おそ)(おそ)()()けると、そこには(さき)(ほど)(おな)じように()(ほう)(じん)(しょう)(かん)(もん)があるだけだった。

 イリスティーナの(もと)めた(つよ)(ゆう)(しゃ)は、そこにはいなかった。

「えっ、どういうことなの」

 どこかから(こえ)()こえる。

(しょう)(かん)()(ほう)(せい)(こう)した。ただし(しょう)(かん)(せい)(こう)しておらぬ」

 イリスティーナが「なんじゃそりゃ」と(さけ)ぶよりも(まえ)に、(せい)(どう)(とびら)()(かい)される(ごう)(おん)()(ひび)いた。

 こうして、イリスティーナは()に、この(くに)(ほろ)びたのだった――


プロローグのバージョンアップはこれで最後になる予定です。

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