二月四日(火)2: アバランチ
教室に戻ると、宮田はすでに焼きそばパンとコーヒー牛乳を確保済みで、俺の前の席の椅子に後ろ向きに座って待っていた。
「遅せえよ、何してたんだ」
「いや、ちょっとな」
期せずして、俺の体内時計リセット能力と時間を巻き戻す能力が俺のものであるということが確認できた。
宮田にも伝えておくべきかと思ったが、考えてみたら別に伝えても伝えなくても宮田には関係ないような気がする。
俺は保温弁当箱を取り出す。おかずとご飯の蓋を開けると、湯気が立った。今日のおかずは、鶏の唐揚げ、鮭のフライ、ほうれん草の入った卵焼き、ブロッコリーとコーンのサラダ、ミニトマトだ。
「光夫の弁当って、便利なんだろうけど、おっさんっぽいよな」
「おっさん言うな」
とりあえず宮田と俺は、いつもの台詞を繰り返す。
ちらりと日向さんを見る。女子グループで楽しく食事をしているようだ。「弁当が温かければいいのに」と思うと弁当が温まるという能力を自覚して気をつけてさえいれば、無意識に能力を使ってしまうこともないようだ。
よかった。ああ、よかった。なんて平和な展開なんだ。これで俺が何をしたのか自分の胸に聞いてみなくて済む。
「光夫は何で、何ごとも平穏に済ませようとするんだ?」
突然、宮田に聞かれた。いや、何でって、わざわざ揉め事にしたり大騒ぎにすることはないだろ。
「普通は誰だってそうだろ」と言いかけて、気づいた。違う。俺達は普通じゃない。普通の人生を生きていない。
「宮田はもっといろいろあったほうがいいと思ってるのか」
「当然だろ。同じことをやってきてこの繰り返しから抜け出せねーんだ。光夫を巻き込んだのも、光夫が引っ掻き回していろいろ起こしてくれると期待してってのが大きいからな」
なるほど一理ある。
しかし、あまりいっぺんにいろいろなことを変えていろいろなことが起こりすぎると、成功や失敗したときに、何を変えたことが原因だったのかわからなくなってしまうんじゃないか。
そう考えると、どうしてもできるだけ前の周と同じように、あるいは穏便に済ませようとしたくなってしまう。
「引っ掻き回したい割には、台詞はなるべく変えないようにしてるよな」
「そこんとこ、説明が難しいっつーか、バランス調整が難しいんだよな。長年の経験で掴んだ感覚だから、説明しにくいな」
なんかゲーム開発者のインタビュー記事みたいなことを言い始めたぞ。
「焼きそばパンの話が長くなるってのも、それ絡みの話か?」
「ああ、俺が焼きそばパンを食べないと、手がつけられないくらいいろいろなことが起こる」
なんだそれ。話を盛り上げようとして、思わせぶりなことを言っているのか。
俺が疑いの目を向けると、宮田は否定した。
「盛ってるわけじゃねーよ。たとえば、俺がこの焼きそばパンの代わりにサンドイッチを買ったとするだろ」
おお、ついに焼きそばパンの物語の幕開けである。
ブラジルで1匹の蝶が羽ばたいたらテキサスで竜巻が起こるという話があるが、果たして焼きそばパンはどれほどの影響を及ぼすというのか。
おい、ハードル上げまくるんじゃねーよと宮田に怒られそうなので、何も言わずに話を聞くことにする。
「俺が焼きそばパンの代わりにサンドイッチを買うと、サンドイッチを買いそびれるヤツが出てくる。サンドイッチを買いそびれたヤツが焼きそばパンを買えばこの話はここで終わりだ。だけど、そいつは焼きそばパン以外のものを買ったりする。逆に、俺が買わなかった焼きそばパンを買うヤツもいて、そのせいで別の何かが売れなくなったりする。さらにその違いが次の違いも生んで、前の周とは全然違うことが起き始める。食べ物に関しては、なるべく同じことを繰り返すようにしないと、命に関わる」
すまん。どうせ大したことない話だろうと思ってたが、そう考えるとねずみ算式に影響が広がっていくのか。
っていうか、話を盛っているんじゃないとすると怖すぎるぞ。何が起きるっていうんだ。
「命に関わるってなんだよ」
「光夫は弁当だから知らないけど、購買は戦場だからな。そんな戦場に、昔の俺みたいに焼きそばパンじゃなきゃ嫌だってヤツを筆頭に、飢えたヤツらが集まるわけだ。そいつらの何人かは目当てのものが品切れだってんで別のものを探すんだけど、鈍くさくて何も買えないうちに購買が全部品切れになることもある。逆に、いつも品切れのものが今日はまだ残ってるっつって、いつもより多めに買うヤツもいる。するともう戦争だ。それが生徒ホールの食堂にも広がっていく」
なんて世紀末なんだ。それに宮田はどこの歴戦の兵士なんだよ。どこの戦場を渡り歩いてきたんだよ。
って、そうか、宮田は月曜日から水曜日まで三回購買に行き、それを千回も繰り返しているんだったな。八年も戦場を生き抜けば、新兵も一人前になっているということか。
というか、やはり宮田の話は少し盛ってるだろう。宮田が前の周回のことを記憶しているから前の周回との違いがものすごいことになると感じるだけで、前の周回のことを知らない生徒にしてみれば、常に今こそがいつもの日常のはずだ。まさか購買が全て品切れになったからって、飢えた民衆が暴動を起こすような展開にはならないだろう。
「俺が焼きそばパンの代わりをどうするか悩んでる時間の長さでもそのあとの展開が雪崩のように変わるからな。誰が原因でこの繰り返しが起こってんのか一人ずつ確認しようってなったとき、影響ありすぎだから俺は焼きそばパン固定にした」
「なるほど納得した」
宮田がいつになく真剣な表情をしている。何か気づいたことがあったようだ。
「雪崩か。雪崩って、英語でアバランチだったよな」
おお、野村先生がお気に入りで、英語の授業だけは真面目に聞いている宮田だけのことはある。しかし、それがこの話の中でそんなに重要なことなのだろうか。
「ランチがアバランチ」
「バカじゃねーの」
☆
午後の授業とホームルーム、教室の清掃が終わり、放課となった。
そして、清掃が終わると同時に、宮田は姿を消していた。どうやら弓道場に向かったようだ。
俺としては、弓道場に向かうのは気が重い。雲川さんは俺が能力を持っているのを知っていて、それどころか、悪用していると思われているからだ。宮田の言葉を思い出す。
『で、雲川が昼飯を食べに生徒ホールに向かってて、うちのクラスの前を通りかかって光夫が能力を使ってるところを見てる』
そして、一周目の今日、宮田と二人で弓道部の練習を見ていたところ、練習をわざわざ抜け出してくださった雲川さんに、不思議な力を使って他人をコントロールするのは卑怯だとか恥ずかしくないのかとご指摘をいただいた。
二周目では、俺が女子に正義執行されていて遅れたためにタイミングがずれて、期せずして雲川さんのご指摘を回避することができた。白蕗さんと廊下でぶつかりそうになったイベントもタイミングがずれれば発生しなかったわけで、タイミングは重要らしい。
いや、待て、二周目の最初の昼休み、俺は一周目の修学旅行で起こったことを宮田に問い詰めたはずだ。
『光夫、おはよう』
『おい、どういうことなんだよ』
いつもこのタイミングで雲川さんは教室の前を通りかかり、俺が能力を使っているところを目撃するはずだが、俺は「おはよう」と言っていない。この時点では能力を使ってない。つまり、雲川さんは俺が能力を使っているのを目撃せず、しかし一人でいた宮田には話しかけた、ということだろうか。何のために?
雲川さんの行動パターンがよく分からない。
いや、俺が能力を使っているところを雲川さんに見られるのが、月曜日の昼休みに限定されたわけでもないか。実は何度か見られていて、そのうちの一回が昼休みだっただけという可能性もある。何しろ俺は火曜日や水曜日の朝にも宮田に「おはよう」って言ってるしな。雲川さんには何度か見られている前提で考えておいたほうがいいか。
雲川さんにはどこかのタイミングで何度か見られている。そして、俺か宮田のどちらか、あるいは両方が弓道場に見学に行けば、雲川さんに問い詰められるイベントが発生する。そういう前提で考えよう。
今回は俺しかいないわけだから、「あなたたち、いつも練習を見ている二人よね?」という台詞は絶対に出てこないはずだ。これはさすがに大丈夫だろう。
宮田しかいないときは「あなた、いつも練習を見ているわよね?」だった。宮田は誘われる前にすでに弓道場に入部しているから、この台詞を宮田は聞くことができない。少なくとも今周は。
そして、俺しかいない場合だ。今周の昨日、俺は昼休みになったときに宮田に釣られて「おはよう」と言ってしまった。能力を使っているところを雲川さんに見られてしまったはずだ。
『光夫、おはよう』
『おはよう』
雲川さんは、俺のことを不思議な力を使って他人をコントロールする卑怯者だと思い込んでいる。そんな俺が一人でいるときに話しかけるだろうか。俺のことを悪人と思い込んでいるなら、逆ギレして襲われる可能性を考慮して慎重になるはずだ。宮田という第三者がいたからこそ話しかけてきたのかも知れない。雲川さんから見れば宮田は被害者だから、悪人の俺を問い詰めれば宮田も味方につくだろうと考えたのかも知れない。いや、かも知れないばかりだな。
万が一、雲川さんが問答無用で襲いかかってきたらどうしよう。さすがに弓矢は絶対に使わないと思うが、ではお互いに素手だったら雲川さんに勝てるだろうか。俺は身長168センチメートルで高校二年の男子としては平均くらいだが、雲川さんはモデル並みの高身長だ。ただ、体型もモデル並みだから、体重は60.5キログラムの俺のほうが重いはず。
いやいや、何で雲川さんと取っ組み合いの喧嘩をしなきゃらならないんだ。
いろいろ悩みつつも、弓道場に向かった。
俺しかいないときに、雲川さんがどういう行動を取るのか、データとして持っておきたいと思ったからだ。面白い展開が待ってるかも知れないという期待感なんてないよ。
校舎を出て、グラウンド横の道を通って弓道場に向かう。
今日の弓道部は通常練習だ。一年生は射法八節とゴム弓を引く練習で、二年生は巻藁稽古だ。弓道場から少し離れたところで見学する。
宮田の姿を探すと、一年生に混じって射法八節の練習をしていた。こいつ、本気で弓道をやるつもりみたいだな。
射法八節は、行射をするときの動作を8つに分類したもので、実際にはひとつひとつ動作を止めるのではなく、一連の動作として流れるように行う。
1. 足踏み
2. 胴造り
3. 弓構え
4. 打起し
5. 引分け
6. 会
7. 離れ
8. 残心
雲川さんが明鏡止水で心を落ち着けるのは、弓構えのときだ。俺からすれば、最初の足踏みの前に心を落ち着けてから一連の動作を始めればいいように思うのだが、弓構えで的を見るときに集中するとか、本人なりの意味があるのかも知れない。
一年生の射法八節を見ると、さすが一年近く練習してきただけあって、動作の流れもなかなかスムーズだ。
では宮田はというと、やはり初心者だからそれぞれの動作で止まってしまってバラバラになっている、だろうと思ったのに、なぜかその動きは滑らかで、見たところ一年生と変わらないくらいには上手い。そもそも宮田が8つの動作を全て覚えている時点で驚愕だ。
いや、そうか、宮田は弓道部の練習を何年も見てきているのだった。見るのも練習。見取り稽古というやつである。あるいは、見様見真似で練習したこともあったのかも知れない。
ただ、見様見真似では素人の俺の目はごまかせても顧問の先生の目はごまかせないようで、個人ごとに異なる足幅や、爪先の向き、重心の置きかたなどなど、至るところを直されていた。
しばらくして一年生は射法八節の練習を終え、ゴム弓を引く練習を始めた。宮田は一人だけそのまま射法八節の練習を続けるようだ。
そろそろ雲川さんが声をかけてくる頃合いだろうか。しかし、背後を見回しても、雲川さんの姿はない。
別に雲川さんに罵られたい願望があるわけでもないが、来ないなら来ないで連絡くらいほしい。などと考えていたが、弓道場のほうをよく見ると、理由が分かった。
宮田が何かにつけ雲川さんを捕まえて質問攻めにしている。あれじゃ抜け出せないな。
☆
弓道部の練習が終わった。宮田とともに帰路につく。
「なあ宮田、本気で弓道やるつもりなのか?」
返事はない。宮田の顔を見ると、なんだかだらしなく緩んでいる。今回も駄目だこいつ。
そういえば前の周、第12話で宮田は「あと千周くらいしてもいいかな」と言ってたっけ。
俺は千周も付き合う気はないからな。
ところで、宮田はなぜか鼻にティッシュを詰め込んでいる。興奮して鼻血でも出したのだろうか。いや、鼻全体が赤くなっているから、どこかにぶつけたのかも知れない。
「その鼻はどうしたんだよ、鼻血か?」
「これか」
宮田は鼻をさすり、なぜか嬉しそうにしている。ちょっと気持ち悪い。
「射法八節の練習をしてて、雲川に手本を見せてくださいって頼んだんだよ」
「何でそれで鼻血が出るんだよ」
「いや、雲川を近くで見るチャンスだと思って真後ろで見てたら、裏拳もらった」
「バカじゃねーの」
矢を射るときは、大雑把に言うと、左手で弓を持ち、右手で弦を引く。そして最後に右手を離すと、弦の張力で矢が飛んでいく。そのとき右手は後方に伸ばされるので、真後ろに立っていてはいけない。行射する人は当然ながら的に全神経を集中しているので、背後に誰かがいても気づけない。
矢を射る人の真後ろに立ってはいけない。
結局、宮田とはろくに会話が成立せず、やたら歯ごたえのある当たり付きアイスを食べて帰った。
☆
家に帰り、自室のベッドに寝転がって、本日の反省会を開催する。
日向さんに問い詰められるイベントは、なぜか日向さんと能力について話し合いをし、少し仲良くなってしまった。まあ、お互いに秘密を共有しているというだけのことで、これ以上どうにかなることはないだろうけど。ただ、やはり女子を巻き込むわけにはいかないから、同じ時間を繰り返しているということは話さずにおこう。
白蕗さんは、風の力で体力を回復させるほか、俺や宮田の能力が視て分かるらしい。話がわけわからなすぎて聞けなかったが、もしかするとほかにも能力を持った生徒がいることを知っているのかも知れない。明日の放課後にばったり会うはずだから、そのときにでも聞いてみよう。
雲川さんは、今日は宮田に捕まっていたから、俺のところには来なかった。いや、むしろ、宮田は雲川さんを俺のところに来させたくなかったのか。万が一、雲川さんが俺を弓道部に誘いでもしたら、宮田はどれほど怒り狂うだろうか。俺は別に雲川さんのことは好きでも嫌いでもないし、むしろ苦手なんだけど。
ともあれ、火曜日が終わった。あとは明日の水曜日が終われば、本番の修学旅行である。
修学旅行の日にいろいろ試したいことはあるが、月曜日から水曜日もちゃんと過ごさなければならないのが、思ったよりしんどい。
ゲームみたいにスキップできればいいのに。




