二月四日(火)1: すみません、もういいです
二月四日(火)――
昇降口の下駄箱の前で日向茜さんに話しかけられ、昼休みに屋上に呼び出される日である。
いや、第一回と第二回ではそうだったが、第三回の今回はどうなるか分からない。
昨日は第一回や第二回とは大きく違う展開になってしまった。時間の修正力とかいうものは、この世界では仕事をしていないようだ。
今回は日向さんの行動が読めない。昇降口で話しかけられるのかも、屋上に呼び出されるのかも分からない。
☆
そんなわけで、俺は今、学校の屋上に来ている。
今朝、昇降口の下駄箱前で日向さんに話しかけられ、昼休みに学校の屋上に来るように言われたのだ。その時の日向さんの表情は硬く、どういう心境なのかは推し量れなかった。
本日は快晴で、二月にしては暖かいが、風は冷たい。時刻は12時45分。12時40分から昼休みが始まり、昼休みが終わる13時15分までは、あと30分といったところだ。
「見たよね?」
日向さんが問いかけてくる。きつく問い詰めてくるわけではなく、淡々と問いかけてくる感じだ。今回の日向さんはどんな答えを期待しているのだろうか。
正直言って、分からない。
日向さんが「見たよね」と言っているのが、弁当箱のパンダの絵柄でもなく、スカートの中でもないとすれば、日向さんは俺が何を見たと思っているのだろうか。
昨日の様子からすると、日向さんは自分が不思議な力を持っていることは自覚していない。だから「私が不思議な力を使うのを見たよね」と言っているのではないだろう。
そもそも俺は、日向さんが弁当箱の蓋を開けて湯気が立たないところまでは様子を伺っていたが、そのあとは自分の保温弁当箱を開けていたから、日向さんのほうは見ていない。つまり、日向さんの弁当が盛大に湯気を立てる事件が起きるまで、俺は何も見ていないはずだ。
そのあと狼狽する日向さんと目を合わせてしまったわけだから、それよりあとに日向さんの何かを俺が見たと思われているということか。
いや、違う。日向さんの立場で考えてみよう。狼狽した日向さんは、俺と目を合わせた。日向さんは、俺がその瞬間から日向さんを見始めたと思うだろうか。そうではないはずだ。日向さんからすれば、目を合わせる前から俺が日向さんを見ていたと思うかも知れない。
駄目だ、頭が混乱してきた。結局のところ、日向さんからしてみれば、俺が実際に日向さんを見ていたかどうかなんて関係なく、何かを「見たよね」と言っているわけだ。
ああもう。前回、日向さんを泣かせてしまってクラスの女子に囲まれて正義執行されたときもだけど、どうして女子ってのは他人を問い詰めるときに、何を問い詰めているのか言ってくれないんだ。「自分の胸に聞いてみなさい」とか言われても、身に覚えがないことを胸が教えてくれるわけないだろ。
というわけで、何を「見たよね」と言っているのか、素直に聞いてしまうことにする。「何を?」だけだと「お前は何を言ってるの?」という意味に受け取られてしまう危険があるので、明確に質問する必要がある。質問が曖昧だと回答も曖昧になる。
「日向さんは、俺が何を見たって言ってるの?」
ふむ。我ながら悪くない質問だと思う。主語も省略しなかったし。質問に対して質問で答えるのはよくないという意見もあるが、質問の意図が明確でないときは質問の意図を確認しなくてはならない。認識がずれたまま質疑応答を繰り返しても意味がない。
日向さんは、言葉を詰まらせてる。目線は泳ぎ、何かを話したいと思っているようだが、言葉が出てこない感じだ。
この感じ、どこかで見たことがある気がする。この数日間のどこかで見たような気がする。
「あの、何から話していいのか分からないけど、昨日、小林くんが言っていたことを考えてて」
日向さんの言葉に、はたと気づいた。そうだ、俺は見たことがあるんじゃない。俺だ。俺がやっていたんだ。「この学校に不思議な力を持った生徒がいる」と宮田に告げる時、どんな反応が返ってくるのか怖くて、俺もこんな挙動を示していたと思う。
そりゃそうだよな。普通なら「バカじゃねーの」という反応が返ってくるだろうから。そして、それだけで済めばいいが、高校生にもなって中二病をこじらせているという噂が立ち、今後の高校生活が非常に居心地の悪いものになってしまう可能性もある。
怖い。怖いよね。その気持は俺も分かる。よく分かる。なんだか日向さんに親近感が湧いてきた。
ここは、肯定的な相槌を入れつつ、相手の話を引き出すことにする。
「昨日のお弁当のこと、先生は何かの事故だろうって言ったけど、あとになって考えると、とてもそうだとは思えなくて」
ですよね。やっぱりそう思いますよね。
できれば、ここから「どう考えてもあなたの仕業ね、この学校に巣食う悪の手先め、許さん」という展開になりませんように。
「どうしていいかわからなくなったとき、小林くんが『平常心』って言ってくれたから落ち着けたけど、家に帰ってからなぜ小林くんがそんなこと言ったのかわからなくて、ずっと考えてて、それで、それで」
よかった、俺は悪の手先じゃなかった。それはそうと、日向さんがやや混乱気味だな。
よく見ると、日向さんはよく眠れなかったのか、なんだか疲れた表情をしている。無理もないか。
これはもう、日向さんが自分の能力に気づいたと思って話を進めよう。「バカじゃねーの」という反応で返り討ちになったら、それはそれで諦めよう。
「大丈夫、落ち着いて。日向さんは、自分が不思議な力を持ってるって気づいたんだね?」
いけない。うっかり「あなたも気づいたんだね?」みたいな思わせぶりな台詞を言ってしまうところだった。「あなたも」なんて言ってしまうと、俺にも能力があると自白しているようなものだ。いや、俺がこんなに落ち着いた対応をしている時点で、俺が不思議な力の存在を元々知っていたと自白しているようなものか。とはいえ、普通の高校生の俺には、不思議な力なんて知りませんでした驚きですびっくりです、みたいな演技をできる自信なんてない。
ともあれ、日向さんが何に気づいたのかはっきりと聞いたことで、ここで誤解を生むことはないだろう。
日向さんは、しばらく逡巡したあと、こくりと頷いた。
「今朝、歯を磨いているときに」
日向さんが言いかけて躊躇する。大丈夫、大丈夫ですよ、話が飛んだとか思ってませんから。
「自分でも何をやってるんだろうと思いながら、コップの水に、温かくなれって思ってみたら、お湯になってて」
おお、この子、自分の能力をちゃんと検証してる。
いや、俺ももちろん、自分の能力は検証しましたよ。検証しようとしましたよ。鏡に向かって「おはよう」と言ってみたり。でも、自分では効果は実感できず、しかも自分の体がぼんやり光っているようにも見えなかった。自分には効かないのか、鏡越しでは体がぼんやり光るのは見えないのか、それとも俺がそんな能力を持っていること自体が嘘なのか。
俺のもうひとつの能力、気に入らないことがあると時間を巻き戻すというのも、何しろ俺の記憶まで巻き戻るとあって、自分では検証できない。これも、宮田がそう言っているだけで、そんな能力は持っていない可能性もある。たとえば昨日は、日向さんと目が合ってしまって俺としては大変気に入らない状況だったわけだが、時間は巻き戻らなかった。あの場に宮田がいなかったことも考えると、実は時間を巻き戻す能力を持っているのは宮田で、俺が気に入らないことがあったときに宮田が時間を巻き戻しているだけ、という可能性もある。
要するに、俺が能力を持っていない可能性ばかり頭に浮かんでしまうわけだが、それすらも、普通の高校生でありたいと思う俺の深層心理がそう思いたがっているだけなのかも知れない。
日向さんの場合、コップの水が湯になったということなら、そういう能力があるということは間違いないのだろう。
「私、何かおかしいのかな、普通じゃないのかなって思ったら、どうしていいのかわからなくて」
「大丈夫、落ち着いて」
「うん、昨日の夜も、小林くんが言ってくれた『平常心』って言葉を思い出して。でも、あのときそんなこと言ったのって、やっぱり私がその、不思議な力、を持っているって、見てたんだよね?」
ああ、ようやく日向さんが聞きたかった「見たよね?」に辿り着けた。そして、この話の流れだと、俺も不思議な力を持っている、もしくは持っている人をすでに知っているということを話さざるを得ないような気がする。
日向さんが不思議な力を持っていることに俺は気づいているけど驚くようなことではないってのは無理がある。普通の人間なら少なからず驚くはずだ。つまり、俺が不思議な力を持っていないふりをするためには、昨日「平常心」とか言ってないで、慌てる生徒の一人を演じなければならなかったのだ。
もはや隠し通せる流れでもないし、俺も能力を持っていることを打ち明けてしまったほうがいいか。だとして、どこまで話せばいいんだろう。別に日向さんと敵対しているわけでもないし、どんな能力なのかまで教えてもいいんだけど。あと、この場にいない宮田のことまで教えていいものかどうか。日向さんに話してもそんなにひどい展開にはならないとは思うが、根拠があってそう思うわけでもない。そう思いたいだけなのだろう。
「うん、気づいてた。それと、そういう能力を持っているのは、日向さんだけじゃないから安心して」
いや、安心してっていうのはちょっと違うか。自分以外にも能力を持った人がいるということと安心できるということには相関はない。たとえば俺が人類を滅ぼすような能力を持ってしまって恐怖に震えているとして、「ほかにも人類を滅ぼす能力を持った人はいるから安心して」と言われて安心できるだろうか。さすがに極論すぎる気もするが。
俺の思考が空回りしている。こういうときに宮田がいてくれれば、宮田が何か妙なことを言っている間に考えをまとめられるのに。
そうだ、この場には宮田がいないんだ。ならば、試したいことがある。
「この高校には不思議な力を持った生徒がいて、実は俺もそうなんだ」
回りくどい説明はやめて、ド直球で告白した。ただし、自分以外のことは「言えない」とも「言わない」とも言わず、触れないことにした。
とはいえ、まずは危険がないことを伝えておかないと、不安に思ってしまうだろう。
「俺の知る限り、危険そうな能力を持った人はいないよ。俺の能力も危険なものじゃなくて、え〜と」
俺が人畜無害だと説明するには、どうすればいいだろう。
人畜無害な人が「私は人畜無害です」と言ったところで信用してもらえるだろうか。そもそも、本当に人畜無害な人がいるのか怪しいことはさておき、自分で人畜無害と言っている人が本当に人畜無害だとは思えない。
言葉で危険がないと説明するのは難しい。論より証拠、やって見せたほうが早いだろう。
「そうだ、日向さん、昨日あんまり眠れてないでしょ?」
突然の質問に戸惑いつつ、日向さんが頷く。我ながら話の持って行きかたが下手だな。
「日向さん、ちょっと俺のことよく見てて。おはよう」
女子に「俺のことよく見てて」なんて台詞を言うことなんて一生ないと思っていたんだけどな。いや、それはいいとして、会話をしていたと思ったらいきなり挨拶するという、こんな不思議な台詞を言う羽目になるとは。もしそばで誰かが聞いていたら、まず間違いなくこいつは何を言ってんだって思うだろうな。
日向さんは、ちょっと驚いたような顔をしている。真ん丸な目をして、まるで小動物のようだ。
「小林くんの体が、光った。それに、なんか眠気がなくなったような」
実験成功だ。どうやら俺にはちゃんと能力があるし、俺の体も能力を使うと光るらしい。
宮田が離れたところにいて能力を使い、俺が能力を使っているように見せかけているという可能性はさすがにもう除外してもいいだろう。宮田は12時43分20秒から購買に行って焼きそばパンを買っているはずだ。
「体内時計をリセットする能力なんだけどね。アニメで徹夜して寝不足の宮田には便利に使われてる」
「じゃあ、宮田くんは、小林くんの能力を知ってるのね」
しまった、余計なことまで言った。語るに落ちるとはこのことか。宮田のことは言う必要はなかったのに。
「うん、まあ、知ってるけど、それでどうこうしようとは思ってないよ。そろそろ宮田も戻ってる頃だから、教室に戻らなきゃ」
このまましゃべっていると、宮田が能力を持っていることまでしゃべってしまいそうだ。俺は話を切り上げることにした。
「あと、日向さんのことは誰にも言わないよ。それより、あまり長く屋上にいると、そのほうが怪しまれちゃう」
「それは困っちゃう」
えっ。ちょっとショック。
「あはは。なんてね。小林くん、ありがとう」
あっ、笑った日向さん、ちょっと可愛い。いや、ごめん、だいぶ可愛い。
でもまあ、この先ハーレム展開になったりすることはないだろう。日向さんと話をするのには慣れてきたが、俺は基本的に女子と会話するのが苦手なのだ。
日向さんが先に校舎に戻ったのを見届けてから、俺も校舎に戻った。
☆
校舎に戻り、階段を降りて教室に向かう。階段を降りてすぐの廊下の曲がり角で、女子とぶつかりそうになった。
「おっと、ごめんなさい」
反射的に謝ったあと、相手の顔を見て心臓が口から飛び出しそうになる。白蕗さんだ。
改めてお互いに謝り、俺は頭を下げて顔を見せないようにしつつ、教室に向かおうとする。
「あら、ちょっと待って」
なぜ呼び止めるんですかね。いや、ちょっと待て、このシーンは前にもなかったか。
そうだ、一周目だ。日向さんに「あなたは何も見ていない。誰にも何も話さない」というスパイ映画みたいな台詞を言われて教室に戻る途中だ。二周目は日向さんを泣かせてしまって時間がかかったから、タイミングがずれて白蕗さんとぶつかりそうにならなかったんだろう。そして今回は一周目と同じタイミングで俺が階段を降りてきたために、白蕗さんとぶつかりそうになったと思われる。
俺の顔を、白蕗さんはじっと見つめてくる。そして、俺が降りてきた階段と、自分の歩いてきた廊下を見て、何かを納得したように言った。
「ありがとうございました」
意味が分からない。前回もそうだったけど、やっぱりなぜお礼を言われているのか、理解できない。ぶつかりそうになったのはお互い様で、俺が何かお礼を言われるようなことをしたとは思えない。これで白蕗さんが食パンでもくわえて走っていて、出合い頭にぶつかって「痛いわね、どこ見て歩いてるのよ」とでも言われれば、あまりのベタな展開にその先を期待してしまったりもするわけだけど、そもそもぶつかっていないし。
いや、ぶつかってない、わけじゃないのか。
軽く頭を下げて去っていこうとする白蕗さんを呼び止める。
「もしかして、ぶつかっちゃった?」
俺はなんて間抜けな質問をしているんだろう。
この一部始終を見ている人がいたとしたら、俺のこの質問を聞いて「バカじゃねーの」と思うことだろう。なにしろ、ぶつかりそうになっただけで実際にはぶつかっていないのは、当の本人である俺達が知らないわけがないからだ。
白蕗さんが俺の顔を見ながら何か考えている。ああ、そうだ、この人は、きっと頭の中でフルスピードで何かを考えて、最後の結論だけを言うんだ。それで俺にはその答えが理解できないんだ。
「はい。いいえ。ぶつかっていませんわ。あなたが避けてくださったもの」
俺にも理解できる答えだった。ちょっと腰が砕けそうになる。いや、俺は避けたっけ。それに、「はい」なのか「いいえ」なのか。
一応、ぶつかる直前に気付いて、運動音痴の俺にしてはうまく避けたほうだとは思うけど。
いや、もしかして、本当はぶつかったのだろうか。
白蕗さんにぶつかったあと、俺は時間を巻き戻した?
もしかして、白蕗さんも、宮田と同じように時間が巻き戻っても記憶を持ち続けることができるのだろうか。
「私はあの方のように記憶を持ち越したりはできませんよ」
白蕗さんの言葉に俺は愕然とする。あの方ってのが宮田のことなのは明白だ。しかも宮田の能力も把握されている。っていうか、心を読まないでいただけませんでしょうか。
「じゃあ、白蕗さんは、俺が時間を巻き戻せるってことを、どうやって知ったんですか?」
もういい。心を読む能力なのかも知れないが、日向さんのときと同じく、素直に聞いてしまおう。
人間、素直が一番だよ。素直バンザイ。想いを言葉にしよう。言葉で伝えよう。
あっ、しまった、同じことを前にも聞いて、スピリチュアルな回答をいただいたんだった。
『風の息づかいを感じた、ということですね』
あれは二周目の水曜日だったか。記憶が混乱する。
「私は風の息づかいを感じたり視ることができまして、あなたやあの方の周りの風を視ることで、どのような能力を持っているのか分かるのです」
何ですと。風の精霊使いでしたか。いや、精霊とは一言も言ってないのだけれども。
「じゃあ、体育のときも?」
「あれは風の力を借りて、体力を少々回復させていただいたのです。内緒ですよ」
白蕗さんは、少しいたずらっぽく微笑む。癒しの風ですか。すごい、本当に風の精霊使いだ。
いやいや落ち着け俺。風系の能力かも知れないが、勝手に精霊使いにしてはいけない。
「先ほど、あなたとぶつかりそうになりましたが、風の流れを視ましたところ、あなたと私の移動速度と方向から、衝突危機の認識から回避までを1秒で行わなければならず、本来は衝突は不可避だったことが分かりました」
「でも、ぶつかってないよね」
「はい。衝突したあと、あなたは十秒ほど時間を巻き戻して、曲がり角に差し掛かる前から回避行動に入られたようです」
あ、俺、やっぱり時間を巻き戻す能力を使ってたんだ。自覚できないって、ある意味恐ろしいな。
ともあれ、それで「ありがとうございました」ってわけか。
「この1秒の根拠ですが、あなたと私の歩行速度を秒速1メートル、壁から50センチメートルの距離を歩いていたとし、互いのベクトルが直角に交わる際に」
「すみません、日本語でお願いします」
「簡単に申しますと、お互いを視認できるのが衝突予想点から最大でも1メートル手前で、衝突までの時間が1秒ということです。そこから衝突危機を認識して回避する必要があるわけですが、たとえば自動車の危機回避のためのブレーキングでは、空走時間が0.7秒から1秒とされることが多く、これは反射時間が約0.4秒から0.5秒、ペダルの踏み替えが0.2秒、ブレーキペダルを踏み込む時間が0.1秒から0.3秒という見積もりによります。反射時間はこの0.5秒を採るとしまして、運動の得意でない私が残り0.5秒で回避行動を取ることは難しく、必然的にあなたの回避能力に全ての回避行動を委ねなければならないわけですが、失礼ながらあなたも運動はさほど得意ではないと風の息づかいが申しておりまして」
「すみません、もういいです」
本日はお忙しい中貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。




