二月三日(月)8: おはじき
部室の奥から、炊飯器が仕事を終えたことを知らせる電子音が聞こえた。
そう言えば、前周では雲川さんは弓道部の練習に行っていて、四射を五回とも中心に中てて、それを報告しにこの科学部の部室に来たんだっけ。それで雲川さんのドヤ顔で宮田が卒倒して、そのタイミングでご飯が炊けたんだ。
前回は宮田のちょっといい話で締めくくる感じだったのに、この物語はどうしてこうなるかなぁ。
さておき、どうやら雲川さんは能力の新しい使い方をどうしても披露するつもりのようだ。是が非でも披露するつもりのようだ。
白蕗さんが止めないのは、止めようとするだけ無駄だからだろうか。
前周の修学旅行の朝、雲川さんも能力の新しい使い方を見つけたという話を聞いていたものの、俺は召喚の門に対して自分の能力を使うのが忙しくて、雲川さんを見ている暇がなかった。
いや、違うな。前々周の俺は他の人が能力を試しているのを見ているだけで何もしなかったんだった。俺は俺で自分のやるべきことをやらなきゃいけなかったんだ。
そんなことを考えているうちに、雲川さんの準備が整ったようだ。準備というのは、制服のポケットから小さな袋を取り出すということだ。袋には「おはじき」と書かれている。百均で買ったのだろうか。ガラス製のおはじきが詰まっているようだ。
えっと、おはじきをどうするのだろうか。雲川さんの能力なら、空中にばらまいたおはじきを全て射抜くなんてこともできそうな気がするが、しかしそれは雲川さんの能力の新しい使い方ということになるだろうか。
「このおはじきを」
雲川さんはそう言いながら、おはじきを一個手に取った。雲川さんの手はしなやかで、爪は短く切り揃えられていて美しい。
「こうやって」
雲川さんはおはじきを持った腕を水平に伸ばした。身長が高いだけでなく、腕もすらりと長く、美しい。
「手を離すと」
雲川さんの手から、おはじきが床に落ちた。
うん、何の工夫もなく、おはじきが床に落ちたねぇ。
高いところにある物は、低いところへ落ちる。何も不思議なことのない結果だ。
あっ。
俺は腰を抜かすほど驚いた。いや、嘘でしょ。
白蕗さんを見る。白蕗さんは元々雲川さんの能力の新しい使い方を知っていたようだから、特に驚いてはいないな。
日向さんも特に驚いてはいないようだ。日本電波塔の多目的トイレですでに見せてもらったか、あるいは召喚の門に対して能力を使ってみたときに見たのかも知れない。
宮田は眉を寄せて神妙な表情で床に落ちたおはじきを見ている。えっと、雲川さんはまだ能力を使っていないから、おはじきをそんなに睨んでもしょうがないと思うぞ。つまり、宮田もこれから見せられることになるであろう雲川さんの能力の新しい使い方には気づいてないのだろう。
「それじゃ、次は能力を使うわよ」
雲川さんはそう言って、床からおはじきを拾い上げた。そして先程と同じように腕を水平に伸ばす。雲川さんの体がぼんやりと光った。射法八節をしなくても能力が使えるのか。いや、頭の中で射法八節を実行しているのか。どれだけのイメージトレーニングを重ねてきたんだよ。
いや、見逃してはいけない。雲川さんの手を離れたおはじきは、床に落ちる前に姿を消した。
「痛てっ」
俺は不意に、誰かに額をデコピンされたような軽い痛みを感じていた。デコピンというのは額を中指で強く弾く技のことだから、デコピンという時点で額ではあるのだが。
反射的に額に手をやると、俺の額にはおはじきが貼り付いていた。
うわっ、やっぱりか。
おはじきから手を離せば、おはじきは落ちる。それが当たり前の『結果』だ。
俺は、前々周に弓道場で雲川さんの能力を確認したときの、白蕗さんとの会話を思い出す。
『雲川さんの能力は、簡単に申し上げますと、矢を必ず的中させるというものです』
『それ、とんでもない能力なのでは』
『はい。物理法則や因果関係を無視するわけですから、これはもうすばらしいとしか言いようがありませんね』
そうだ。雲川さんの能力は、原因と結果の関係を無視するものだ。つまり、手を離すという『原因』に対して、当たり前に起こるはずの落ちるという『結果』を無視したのだ。
「それ、とんでもない能力なのでは」
俺はそれだけの言葉を発するのがやっとだった。
「雲川さんの能力って、矢を必ず中てられる能力だよね。おはじきを必ず当てれらるのと、どう違うのかな」
日向さんが疑問を口にする。確かに、能力の使い方としては、今までと同じ使い方をしているようではある。しかし、この使い方は、的を狙っていようがいまいが関係なく、任意の『結果』を強制するものだ。
「雲川さん、今のはおはじきが床に落ちるという『結果』を、おはじきが俺の額に貼り付くという『結果』に変えたみたいだけど、たとえばその、ものすごい速度でどこかにぶつかるという『結果』にすることもできるの?」
「ええ。さっきはおはじきが落ちる速度はそのまま、落ちる先をあなたの額にしたけど、イメージすれば音速でぶつかる『結果』にもできるわ」
えっと、それは、銃で撃たれるよりは痛くないだろうか。できれば俺の額以外にお願いしたいのだけれども。
「でも、そんなに激しく『結果』を変えると、意識が飛ぶくらい疲れるのよ。たぶん、宮田くんやあなたの能力の多重使用と同じような危険性があるということね」
そっか。少し安心した。雲川さんは怒らせないようにしよう。
それにしても、雲川さんのとんでもない能力を目の当たりにしたのに、宮田が大人しいな。「すごいです、とてもすごいです」とか大騒ぎしそうなものだが。
俺は立ち尽くしている宮田の顔を覗き込んだ。
こっ、こいつ、立ったまま気絶してやがる!




