No.3 後悔と
白い天蓋つきのベッド。木製の本棚。桃色のレースカーテン。ガラスの机。柔らかいソファ。
さすがお嬢様の友達。部屋はこれでもかというほどの豪華さがある。
私はその中心のソファに腰掛け、散乱した本を片したわずかな疲労感を癒していた。
「...何で...あいつに...魔力はないはず...どうして...転移魔法も...」
...癒していたいのだが、こいつがさっきからぶつくさと何かを呟き続けているせいで、意識がそちらに向かう。
「はあ...そんなに私に負けるのが悔しいのか」
「負けてない、断じて」
今まで一切反応しなかったくせに、これだけははっきり答える。全くわけがわからん。まあ、私が人のことを言えたクチではないが。
「私はお前が話さないからわざわざ家まで来てやったってのに...。そろそろ帰りたいんだが?」
「...とっとと帰ってろ。私に、関わんないで、いい」
背を一人用のソファに預け、暗い声で追い払おうとする愛華。
「そういうわけにもいかないだろう。お前からちゃんと聞かないと困る」
ふいとそっぽを向いて、意地でも話さないという態度をとった。どうしてそこまでふてぶてしくできるのか。
「勝手に、困ってろ。私には、関係ない」
「いや、困るのはお前だ、愛華」
それを聞いて、少しは興味を示してくれたのか、目がこちらを向いた。
「どういう、意味だ」
「お前の中にある『種』は、花を咲かせてからもお前を蝕み続ける。そのまま放置すると自分だけでは耐えきれなくなるぞ」
だが、こいつの『種』の性質上、話したくないのはわからんでもない。
「そうやって自分の中に押し込み続けても、いずれパンクする」
袖で隠れた手がフードをより深くかぶせる。
「その前に手を打たないといけない。吐き出さなきゃ、何も解決しない」
前歯が下唇を噛んでいるのが見える。フードが両手で引っ張られる。
「過去から逃げるな。そのままではお前は...」
「わかってる!!!!」
耳に響く怒鳴り声。
フードの隙間からだったのに、はっきりと聞こえた。
「私は、逃げてる。こんなこと、しても、意味ないって、私が、一番、知ってる」
袖越しのフードの皺が深くなる。私は静かにそれを聞くことだけに徹した。
「だけど...思い出したく、ない...。私にとって、逃げることは、自己防衛、だから...」
苦しそうに嗚咽を漏らす愛華の目尻から、小さな雫が落ちたように見えた。
「そうでも、してなきゃ...耐えられないの...」
「...ああ。なにも、逃げることが悪いことだとは言っていない」
しばらくしゃくりあげる愛華を見かね、口を開いた。
「どんな生き物も、思い出したくない過去の一つや二つあるものだ。そんな過去から自分を守ることが悪いわけじゃない。...私の持論だがな」
「どんな、生き物にも...じゃあ、エルにも、あるの」
「......私は、生き物ではないがな...」
愛華の問いに、一応頷いておく。
生き物の定義は、生と死があることだ。私に死はないから、生き物とは言い難い。
少しどうでもいいが、初めて名前を呼ばれた気がする。
「私がお前に過去のことを聞いているのは、お前を苦しめたいわけじゃない。さっきも言った通り、お前を蝕む『種』を取り除きたいだけなんだ」
「...さっきの、優羽香の、話に、そんなこと、なかった」
「まだ話してないからな」
力を入れすぎて疲れたのか、愛華がようやくフードから手を離した。少し伸びてシワシワになっているが、ここの使用人は優秀であることを信じて触れないでおくことにした。
「『種』の性質の話はされただろ。あれは継続的に『種』持ちのやつに影響を及ぼす。光なら【他人から興味を持たれる】、優羽香なら【他人から嫌われる】性質がある。お前の場合は【過去から逃げる】...かな」
「...なんか、他と違う」
「仕方ないだろ。性質に統一性なんてないんだから」
こいつの『種』の性質は、【他人からの目線を気にしない】という点も性質の一つであるが、私がわかる範囲だともう一つも同じ性質を持っているだろう。
それ聞いたあと、愛華は柔らかそうな空色の四角いクッションを抱え、顔を埋めて目だけを覗かせた。
その目はおそらく、「性質なら仕方なくないか」と訴えている。
「性質なら、別に、逃げたって、仕方なくない...?」
まさに予想通り。
「だからこそだ。性質に抵抗しないと、『種』の回収も大変なんだ」
「そうまでして、『悲劇の種』を回収する、理由ってなに」
とくん、と胸が脈を打つ。
聞かれたくなかった質問。答えてはならない。私は、まだ真意を知られるわけにはいかない。こいつらは、あの人のための......
「...エル、ねえ、」
「っ!」
愛華の呼びかけで飛んでいた意識が戻る。
ふっと頭を振って思考をリセットする。
「ねえ...」
「なんでもない。ただ、私はみんなの『種』の回収をしなくてはいけない。理由なんてものはない。気にするな」
「...わかった」
物分かりのいい愛華の顔を見て、一安心した。
まだ、話してはいけない。その時になるまで...
話す時なんて、あるのだろうか。
もう一度大きく頭を振る。髪の乱れを手ぐしで直しながら、一旦全て忘れることにした。
「...悪い、ぼーっとしてた。...そろそろ話す気になったか」
「うん。もう、いいよ」
表情は元の通りだが、少し言葉が和らいでいる気がした。
「エルの、言う通り、やっぱり、吐き出しちゃおうと、思う」
「ああ。そうしてくれると助かる」
私に小さく頷くと、クッションを隣に置いて座り直した。
◇◆◇
私は、昔はこんな喋り方じゃなかった。
表情も人並みに豊かだった。
多分、その性質の影響で、思い出を押し込むことに気を使いすぎて、表情や口調に気が回らなかったんだと思う。
ほとんど口癖みたいになってるんだけど、元の通りに話せるようにしてみる。たまに、戻るかも。
えっと、私が生まれたのは山の中の集落で、そこには私と同じ猫族の人がたくさんいた。
とはいえ、日本ではその集落で最後だったんだけど。
猫族は魔導師としては優秀な一族で、ずっと昔は戦争にも加担してたとか。
でも、かなり衰弱しちゃって、猫族の存在自体知ってる人が少なくて、山の中で細々暮らすしかなかった。人里にはあんまり顔出せないし。
でも、その集落での暮らししか知らなかった私にとっては、それで幸せだった。楽しかった。
それに、魔術はちゃんと残ってたから、友達と魔術で遊ぶのは好きだった。
私は少し、いやかなり、同年代の子より技術が秀でていた。
それどころか、大人たちも目を丸くするほど、魔術の素質があった。
攻撃魔法も封印魔法も、転移魔法や回復魔法だって、人一倍だった。
人前で魔術を使う度、みんなが褒めてくれた。
友達が得意な魔法を教えてほしいって言ってくることが、誇らしかった。
自分はすごいんだって、信じて疑わなかった。
ことが起こったのは、私が6歳くらいのとき。
◀◁◀
「おはよう、おとうさん!」
わたしがおとうさんの近くまで行って挨拶すると、黒い耳がピクっと動いて振り返った。
「ああ、おはよう愛華。相変わらず元気だなぁ」
わたしの目線のところまでしゃがんで、大きな手で頭を撫でてくれる。
暖かくて安心する。わたしはおとうさんやおかあさんに撫でられるのが大好きだった。
とても嬉しくて、ずっと撫でていて欲しかったけど、おとうさんの顔は、少し元気がないように見えた。
「おとうさん、おかあさんは?またお寝坊さんなの?」
台所にもいないおかあさんが心配になって、わたしはおとうさんに聞いてみた。
「...そうだよ。おかあさん、ちょっと頭いたいいたいだから、静かにしてあげようね」
一瞬惑ってから、おとうさんは優しく笑った。
わたしはおとうさんが笑う顔も好き。おかあさんの笑う顔も好き。でも、しばらくお部屋に篭ってばっかりで、普通の顔も見ていない。
「ねえおとうさん、わたしおかあさんにご飯持って行くよ?」
「はは、ありがとう。でも、大丈夫だよ。ご飯熱くて危ないから」
簡単にわたしをなだめ、おとうさんはお盆に器をいくつか乗せておかあさんとおとうさんの部屋に持って行った。
こんな風に、おかあさんが部屋から出てこない日が数日続いた。
おかあさんの顔を忘れることはないけど、ちょっとぼんやりして「忘れてない」とはっきり言う自信が持てなくなってきた。
「どうすれば、おかあさんは元気になってくれるかな」
そう考える時間が増えてきた。
おとうさんだけに看病を任せきりにしたくない。いつも言ってるけど、おとうさんはなんにも手伝わせてくれない。
薬草を取ってくると言っても、足りてるから大丈夫、と言われ
冷たい水を汲んでくると言っても、井戸は深くて危ないから行っちゃダメ、と止められ
何があったの?と聞いても、なんでもないよとはぐらかされる。
おとうさんはわたしを相手にしてくれないし、お部屋にも入れてくれない。
一緒に遊んでくれることもあるけど、やっぱり顔に元気がなさそうだった。
広場にむき出しになった岩に座って考える。
わたしにできることは何もないのかな。おとうさんはわたしをいらないと思ってたりしないかな。おかあさんはもしかして、死んじゃったりしちゃうのかな......
「愛華ちゃん?ど、どうして泣いてるのっ?」
ハッと顔をあげる。前がぼやけて見えない。
「な、泣いてないよっ!えっと、汗と見間違えたんだよ!」
ぐしぐしと強引に顔を拭いて笑った。
でも、わたしの顔を覗き込むみんなの顔は晴れない。
心配そうな顔をするのは、隣の家に住む玉井 葵ちゃん。
腕組みをしてるのは、偉そうに見えてほんとはとっても優しい杉風 未来ちゃん。二人はわたしの魔術の生徒兼、大事な友達だ。
「愛華ちゃん、私たちでよければ、お話聞くよ?力になれるかわかんないけど...」
「最近元気ないから、みんなずっと心配してるんだよ。何か教えて?」
隣に座って相談に乗ろうとしてくれる二人。わたしより人の気持ちを汲むのが上手いから、あまりうまく誤魔化せない。
ずっと悩んでるより、誰かに話した方がいいと本で読んだ。
わたしは二人におかあさんのことを話した。
「そ、それ...大丈夫なの?」
全部聞いたあと、葵が口を手で覆って驚いた仕草をした。このポーズをするとき、葵は心から不安になっている。
「おとうさんは大丈夫って言ってるけど、おとうさんの顔もあんまり大丈夫じゃなさそうだし...ぜんぜんわかんないんだよ...」
俯いて心に湧き上がる不安を押さえ込んでいると、腕組みを解いた未来が口を開く。
「ねえ、『あくま』って知ってる?」
◇◆◇
その日、満月が美しく輝く深夜。
わたしは書庫へ入った。
わたしの何倍もある大きな本棚がいっぱい並んでいた。
その威圧感が苦手で、いつもはおとうさんかおかあさんがいないと入らなかったけど、今はおかあさんの命が危ない。
わたしがやらなくちゃいけないんだ。おかあさんはわたしが守るんだ。おとうさんはわたしが助けるんだ。
本棚に並んだ厚い本の背表紙を見て回る。
ここにある本は、全部魔導書だ。おとうさんはよく魔導書を読んで勉強している。
おかあさんから聞いたことだけど、魔力を持つ人は魔導書に魔力を送ることができるらしい。その魔力は魔導書に溜められて、魔法を使うときに魔導書に溜まった魔力を放つことができる。
しかも、魔力の扱いを上手くやれば、自分の持つ魔力と溜めた魔力でより強い魔法が使えるって。
わたしが今やろうとしてるのはそれ。
ほんとは、わたしの魔力量じゃできないけど、おとうさんはいざというときのために、魔導書に少しずつ魔力を溜め続けてるって言ってた。
わたしが探している本は、ずっと昔からあったものだから、一段と魔力の量が多いはず...
「あ、あった...」
その本は、ある程度歩き回ってたら、すぐに場所がわかった。
本から感じる魔力量が道しるべとなり、入り口から一番遠い本棚まで導いた。
少し高いところにあったから、本が乗ってるところに足をかけてうんと背伸びする。
わずかに届かない。グッと腕を伸ばして背表紙を触った。もう少しで届く。
「っやった...!」
やっと掴めたと喜び、足場を蹴って飛び降りた。
その時、大きな本棚がぐらりと揺れ、私の頭上へ倒れてきた。
一瞬反応が遅れたが、反射的に本棚へ魔力を込めた。
バンっと大きな音がして、本棚は元の位置どころか、後ろの本棚を倒してしまっていた。下敷きになっている本棚から大量の魔導書が散らばってしまった。
多分、たくさんの魔導書がわたしの魔力に反応して、強い衝撃を起こしたんだと思う。
「うぅん...どうしよ...」
散乱した魔導書たちを見下ろして、わたしは惑った。
おとうさんが散らかしたら片付けなさいっていつも言っていた。
片付けなかったら怒られるかもしれない。
でもこれを片付けていたら、おかあさんが危ないかもしれない。
...やっぱり、迷っちゃいけないな。
おかあさんが作ってくれた茶色いローブを翻し、月の見える場所へ行こうとした。
その時、ガチャッと音がして、書庫の黒い木の扉が開いた。
ドアノブを持っているのは...
「おとうさん!?」
「愛華っ!」
少し焦ったようにわたしの元へ近づいて、辺りを見回した。
「愛華、なんか大きい音がしたんだけど...大丈夫だったか?」
さっきわたしが倒してしまった本棚の音のことを言っているのだろう。
「えっと...わたしが倒しちゃった...」
ここは正直に言おう。怒られちゃうかもしれないけど...
「...そっか...怪我はない?潰されなくてよかった」
おとうさんは安堵したように胸をなでおろした。怒られると思ったのは『きゆう』だったようだ。
けど、おとうさんはわたしの持つ魔導書を見て、少し顔を険しくさせた。
「その本、使うの?」
「?うん、これからわたし、【あくまばらい】するの」
質問の意図がわからなかったが、とりあえずほんとのことを言っておく。そうすると、おとうさんは首を傾げた。
これは未来ちゃんから聞いた話。
「『あくま』っていうのは、人に取り憑いて悪さするんだって。しかも『あくま』は人の魂を食べ物にしてるから、いらなくなったら取り憑いてた人を食べちゃうんだって。『あくま』は人を病気にしたりするから、おかあさんに憑いてるかもしれないの」
おとうさんに一生懸命説明する。けど、あんまりいい顔をしてないように見える。
「魂を食べられると、死んじゃうんだよ。だから、わたしがおかあさんに憑いてる『あくま』を払わなくちゃいけないんだよ」
ここまで話したところで、おとうさんは大きなため息をついた。
「...愛華、確かに悪魔はいるよ。かつての魔導師たちは、悪魔を払うこともしていた。けど、お母さんに悪魔は憑いていないよ」
「え?じゃあどうして病気なの?」
「最近同じような病気が流行っているんだよ。愛華にうつしたら嫌だから、部屋に入れないでってお母さんから言われてるんだ」
おとうさんはそう言うと、わたしの前にしゃがみこんだ。
「何も説明しなかったから、不安にさせちゃったんだよね。ごめん。それ、おとうさんに渡して?魔力がたくさん溜まってて危ないから。愛華にはまだ早いよ」
わたしに手を伸ばして本を欲しがった。
「...おとうさんは、おかあさんがどうなってもいいの?」
わたしの質問に、おとうさんは不思議そうな顔をした。
「...どういうこと?」
「その病気も、『あくま』のせいだって、未来ちゃん言ってたよ。おとうさんはおかあさんを見捨てちゃうの?」
おとうさんは困った顔で首を傾げた。言ってる意味がわからないと言いたげだった。
「わたしはおとうさんもおかあさんも助けたいから、【あくまばらい】するんだよ!未来ちゃんと葵ちゃんが、わたしならできるよって言ってくれたんだよ!ずっと前に明日、おかあさんと一緒に出かける約束もしてたんだよ!」
「あ、愛華...」
「それを『あくま』には邪魔させないもん!」
わたしはおとうさんの横を駆け抜けて書庫の外に出た。
「愛華!どこに...!」
「おとうさんはおかあさんを見てて!絶対に成功して『あくま』を追い払ってやるから!」
後ろに向かって声をあげる。
そのすぐ横を、おかあさんの部屋の扉が過ぎ去った。絶対に助けるんだという決意を胸に、魔術を扱うのに最も最適な森へ向けて足を回すスピードをあげた。
長い木の棒で地面に無理やり魔法陣を掘る。
少し歪な形をしているが、まあそれはわたしの技術でなんとかすればいい。
「あとは詠唱するだけ...!」
魔法陣が細かくて大変だったから、簡単なものがいいなと思ったけど、規模が大きい魔術だからそれはないか。
「えっと、月の角度は...うん、ここならいいね」
森の中にも、草木がなく、頭上に広がった枝の少ない場所がある。
ここは月が見えやすいから、魔術の威力も上がるのだ。
ずっしりと重い魔導書を開いて、呪文に一通り目を通してから、詠唱を開始する。
詠唱すると同時に、魔力を込める。
けれど、ふと思う。
この魔術には、どれくらいの魔力が最適なんだろう。
当然ながら【あくまばらい】なんてしたことがないし、村全体へかけるほどの魔術はどれほどの力が必要かも聞いたことがない。
(詠唱を途中で止めることはできないし...勘でやってみるしかないか...)
わたしは魔術においては優秀な方だ。込める魔力を感覚で捉えることもできるだろう。
自分の力を信じて、魔力を込め続ける。
やがて、あたりに風が巻き起こり始めた。
魔法陣が輝く。木々がざわめき、ローブがはためく。
飛ばされないように足を踏ん張り、風にかき消されても詠唱し続けた。
わたしならできる。みんなを守るんだ。みんなを助けるんだ。
わたしはこの村で一番魔術が上手なんだから!
全ての詠唱が終わったとき、魔法陣が強く白い光を放ち、轟音が響いた。
「っあ!」
その瞬間、強い衝撃に吹き飛ばされ、木の幹に叩きつけられた。
脳が揺さぶられ、意識が飛ぶ。
目を瞑る直前、黒い髪の誰かが魔法陣の近くに立っている気がした。
◇◆◇
体が暑いと感じて、目を開ける。
打ち付けられたところがじんじんと痛んで、動かすのも億劫に感じた。
何があったのかわからないけど、とりあえず起き上がって村の状況を確かめてみることにした。
少し顔をあげると、目の前に小さな白い花が、一輪だけ咲いていることに気が付いた。
綺麗だなと思いつつも、なんでこんなところに咲いてあるのかを疑問に思った。
この状況が信じられない。
目を丸くしたまま、その場に立ち尽くした。
森から出たわたしが見たのは、美しい満月。
崩れている家屋。
焼け焦げた木々。
青い炎。
天まで昇る火の粉。
やけどを負った仲間の姿。
皮膚が粟立ち、息が浅く弾む。
体をよじって泣き叫ぶ人々は皆、炎に身を焼かれていた。
どこもかしこも、火で焼かれていた。
あの火からは途方もない魔力を感じた。
その魔力がわたしのものだと感じるのに、時間はいらなかった。
膝から崩れ落ちる。みんなが死んでいっている。わたしの魔術のせいで。
信じて疑わなかった、わたしの魔術で。
「うっ...」
吐き気を感じ、口に手を当てて必死に抑え込む。
鼻の頭がつんと痛む。
どうしてこうなってしまった。
わたしは何を間違えた。
おとうさんを助けようとした。おかあさんを『あくま』から守ろうとした。
けれどわたしは、誰一人として助けていない。
むしろ殺してしまった。一人も残さず。守りたい人も、そうでない人も。
甘かった。過信していた。
自分にできないことはないと思っていた。
今ではただの馬鹿だ。自分を信じすぎて、全て無くした馬鹿だ。
「お、とうさん......おかあ、さ......」
震えた声で呼んでも、頭を撫でてくれる手はない。
大丈夫、となだめてくれる声は聞こえない。
すっかり力の抜けた足で、原型がわからないほどに崩壊した家に向かった。
多分、まだ期待していたんだと思う。
おかあさんが、おとうさんが生きていることを。
見に行っても絶望するだけだとわかっていたけど。
それでも、二人の顔を見ておきたかった。
予想通りで、現実に叩き落とされた。
白いベッドは黒く焦げたあとで、そこに横たわるおかあさんは、おかあさんだとわからないくらいにボロボロだった。
唯一の救いは、寝ていたからか苦しそうな顔をしていなかったことだ。
おかあさんの隣でうずくまっているのは多分おとうさんだ。
おかあさんの手を掴んだまま動いていない。
「おかあさん...」
煤で汚くなったシーツに放り出されたおかあさんの手を握る。
まだ少し残った温かさに、懐かしさを感じた。
途端に溜めていた涙が溢れた。
もう二度と温かい手に触れられない。
もう二度と大好きな笑顔を見れない。
もう二度とおとうさんとおかあさんが喋ってくれない。
もう二度と二人を守ることも助けることもできない。
「ごめん...ごめんなさい...おとうさん......おかあさん......帰ってきて...」
冷たくなっていく手を握りしめ、ただ謝ることしかできなかった。
後悔、罪悪感、絶望、懺悔
数えきれない感情が渦巻き、わたしの心を蝕んでいく。
全てが壊れたとき、わたしの手の中のそれは完全に冷え切った。
幼い喉から溢れた嗚咽は絶叫へと変わって、月夜に響いた。
◇◆◇
行く当てもなく歩き続けて、もうどのくらい経っただろう。
涼しい木陰で目を開ける。昨日の雨で、ローブがびしょ濡れだ。
袖を持ち上げて自分の腕を掴んだ。
おかあさんの茶色いローブ。どうしても忘れることができなくて、着てきてしまった。
まだぶかぶかで、袖から手が出ないし、本来膝くらいまでしかないスカートの裾も、地面についてしまいそうなくらいだった。
それでも、これを着ていくことを選んだ。おかあさんみたいに、優しくて強い人になりたかった。
「クシュンッ」
毛布もかけずに木陰で寝ていたからか、鼻水が垂れてしまった。風邪なんてひいてないといいけど。
ずる、と少し啜って鞄から紙を取り出そうと探った。
そういえば、どうして私はあの場で死ぬことを選ばなかったのだろう。
自分で死ぬのはだめだと教わったからかな。死ぬのが怖いからかな。意気地なしだからかな。
まだ次の幸せを期待してるからかな。
(そんなの、あるわけないよな)
詰まった鼻を鳴らして自嘲する。
くだらない自己愛で家族を殺した最低な人間に、神様が幸せなんてくれるわけがない。
村の焼け跡で一晩中泣きはらしてから、もう何週間と経ってしまった。あの日の馬鹿な私が蘇───────
───────オモイダシタクナイ。
ハッと飛びかかっていた意識を戻す。
鼓動の音が妙に大きく鳴り、頭にノイズがかかったようにぐちゃぐちゃとかき乱される。
呼吸はいつの間にか弾み、自然と手に力が入ってしまう。
今のはなんだろう?
私の中に、誰か別の人がいるような......
「いや、それこそ、ありえない...でしょ...多分...」
これも魔術の副作用だったりするのかもしれないな、と首を捻る。
そんな原因不明の症状に悩んでいると、ちょうどお腹が音を鳴らした。
鞄の中から紙に包んだパンを一つ取り出して、キラキラ光る雨水を眺めながら食べ始めた。
「...おかあさんのご飯が食べたい...」
やはり未練というのは残り続けるもので、ふとそんなことを呟いてみた。
───────ワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロ
ズキっと頭が痛む。また鼓動が速くなり、記憶が曖昧になっていく。
胸にナイフで刺されたような鋭い痛みを感じた。
それが辛くて、抑えるのも大変で、
それから、思い出すのを、止めたんだ。
カサカサと草むらが揺れる音がする。
耳がそれを受け取って場所を割り出す。
近くない。けどそこまで遠くない。
多分一人。子供...かな。なんでこんな山の中にいるんだろう。
(もしかして...猫族に生き残りがいたの...?)
そう思ったらいても経ってもいられなくなって、片手にパンを持ったまま鞄を抱えてその方向へ小走りで向かった。
雨で湿った地面に足を取られたが、気にせずに走った。
草の擦れる音が聞こえ続けたので、探すのに苦戦はしなかった。
「は...はっ...はっ...」
ただ、私の体力的な問題で、追うのに苦戦してしまったが。
「ちょっと...!そこの人、止まって...!」
切れ気味の息で呼びかける。もうちょっと外で遊んでおけばよかった。
しかし、その声が聞こえてか否か、その草を踏む音は止まりも緩みもしなかった。
「〜〜〜〜〜っ!!罠魔術!束縛の棘っ!!」
ついに耐え切れず、前の人に当たらないように先を意識しながら魔術を発動する。前方に棘の壁ができ、進行方向を塞ぐ。
「うわわっ」
やっと前の人の声が聞こえた。と同時に足音が消えたので、立ち止まったとわかった。
「はあ...はあ...やっと、追いついた...」
すでにかなりヘトヘトだった。できればこの疲労に見合う見返りが欲しいところだが。
「ううう...今日はしっかり逃げられたと思ったのにぃ...」
荒れる呼吸を整えながら悔しそうな声を出す女の子。ちょうど私と同じか、少し下くらいの年齢に見える。地面にしゃがんでいるが、ワンピースの裾がつかないようにしている。
だが残念なことに、その頭に猫族の証は見当たらなかった。
私の労力を返せと言いたいところだが、この子に言っても仕方ないだろうなと考え直す。それより底を尽きた体力を回復させるのが大事だ。
「あーあ...ねえ、このことパパに言わないよね?」
長いサイドテールの髪。エメラルドの瞳。白いレースのカーディガンから覗く色白の肌。どことなく全てに高級感を感じる子供だった。
それはそうとして、パパってなんのことだろう?
「ねえ...何か...ゲホッ...私を...勘違い、して...ゴホゴホッ...」
「え?何?もっかい言って?」
やっぱダメだ。切れた息じゃ全く伝わらない。
「...ちょっと待って...」
湿った地面に手をつけ、そっと目を瞑った。
「...回復魔術、救命の空音...」
手に魔力を集中させ、体に魔法を溶かすようにかける。
切れかかった息も速かった脈も落ち着き、すっかり疲れも取れた。
「えっと...私、あなたのこと、追いかけちゃって、ごめん。勘違いだった、かも...」
「ねえ、今のそれ、魔法!?」
「えっ?」
星が宿ったように目を輝かせて、女の子が私の顔を見た。この目は知ってる。好奇心に溢れた目だ。
「君、魔法が使えるの!?私も使えるっ!?そんな特技があるなら早く教えてよ!あ、いやそれ以前に、君の顔見たこと無いなぁ...?服装がいつもと違うし...」
一人でペラペラとまくし立てる女の子。私は何がなんだかわからず、声を出せないでいた。
何をどう言おうか迷っている間に、その子の目はより一層輝いた。
「はあっ...!そ、それ...猫耳っ!?」
「あ、えっと...」
「そうだよねっ!猫好きなの!?私も好きだよ!あ、それカチューシャ?でもフードの下から?あそっか、フードに穴開けてるのか!可愛いねっ!あのねあのね、実は私猫飼いたいって思ってて、でもパパにね、相談できなくて、でもでももうすぐパパ帰ってくるから、猫飼えるかもしれなくてねっ!」
私の言葉を全く待たず、饒舌に喋りまくる。私は完全に置いてけぼりだ。
こうも隙なく喋り続けられるのは苦手だ。会話として成り立たない。
その後も猫がどうとか、魔法がどうとかを話していたが、私は完全について行けなくなってあっけに取られるばかりだった。
けれどその声は、なんというか、耳触りが良くて、ずっと聞いていられるかもしれないと思っていた。
が、喋りすぎて疲れたのか、ぱたりと透き通った声が途絶え、肩で息をし始めた。
「はあ...はあ...ごめん、喋りすぎちゃった...」
「えへへ」と苦笑いを浮かべて、頭の後ろをかいた。
その仕草が誰か、知ってる人にそっくりだったが、思い出さないように記憶の奥底に押し込めた。
「えっと...別に、気にしてない。...勘違いして、追いかけちゃって、ごめんなさい。それじゃ...」
正直、この子が何から逃げていたとか色々気になったことがあったが、同年代の子と話してると、また頭が痛くなったりしてしまいそうだったからすぐに去ろうとした。
「え!?あ、ちょっと、待って待ってっ!」
踵を返してその場から離れようとしたが、女の子は私の前に立ち塞がった。
「...何か」
普通に何か用かと聞こうと思ったのに、少し声が低くなってしまったうえ、少しの苛立ちで眉間に力が入ってしまった。
怖がられちゃうかな、と後悔。
案の定、女の子は笑ってはいるが、口角が引きつってしまっている。額に薄く汗が浮いている気がする。
悪いことをした、と心の中で謝って軽く会釈し、固まった女の子の横を通り抜けようとした。
「あ、わわ、ちょちょっ、ちょっと待ってってば!」
私が後ろまで歩いたあたりで、その子のフリーズが解除され、腕を掴まれた。
悪いけど、正直うざったい。別に行くところがあるわけじゃないけど、早くご飯が食べたい。そろそろお腹がパンを求めて限界なのだ。
「なんなの...私、もう行きたいんだけど」
今度ははっきりと不満が言葉に滲む声を発した。さすがに察してくれると思うのだけど。
「ごめんごめん。まだちゃんと挨拶してなかったなって思って」
察してくれなかった。まあ、子供だもんな。私もそうだけど。無理言っても仕方ない。私もちゃんと察せるかわかんないし。
女の子は私に右手を差し出して、花のような笑顔を顔いっぱいに浮かべた。
「私、鈴鳴光っていうの。よろしくね、魔法使いさん!」
暖かい笑みが伝染して、こわばっていた表情が緩む。
新しい友達も、悪くないかもしれない。
私は差し出された手を掴んだ。
「...私は、愛華。猫代愛華」
その時、私の顔は笑っていなかったことに、私自身気がつかなかった。
最近筆の乗りがいい。嬉しい。以上。