コウボウセン1
「間違いありませんよ。血だらけの男を担いだ女の子なんて忘れたくても忘れられないです」
ジークとシオンが戦闘した翌日、バイツェルはホテルの部屋で町の男から話を聞いていた。どうやらシオンという忌々しい男は生きていたらしい。ジークのいうギフト持ちの少女とともに宿屋に向かうところを多くの人に見られていた。
しかし何人もの証言を聞いたが獣人の少女の話は出てこなかった。首輪の反応が消えているところを見ると結論は出ているのだが。
(殺されたか?惜しいな…せめて俺に抱かれてから死んでも良かったものを…だがコレは使えるな)
あの日の出来事を知るものが一人居なくなり、奴隷の敵討ちという大義名分も得ることができる。一石二鳥とはまさにこのこと。
これであれば堂々とヤツを裁くことができる。
(貴族たるもの民衆の支持を得なければならないからな)
自己愛の塊である彼には実際はそのような小細工を弄しても覆しようのないほど民心が低いという考えなどなかった。
彼のなすことは大衆に受け入れられていると本気で思い込んでいたのだ。だからこそシオンが自分を殴ったことを理解できないでいた。
民から慕われる自分を殴る男は問答無用で罪に問われるべきなのだ。
現にこの男もペラペラと情報を喋ってくれている。これこそ慕われている証拠。そう彼は思っているが、証言人たちは金と権力に引き寄せられたに過ぎないのだ。
「うむ。この前の情報といい、ご苦労だった。これは褒美だ。とっておけ」
「あ…ありがとうございます」
バイツェルがぱっとベッドのそばに立っていたジークに目配せをするとジークは金貨の入った袋を男に手渡した。
男は袋の重さだけを確かめるともう用はないとすぐに帰っていった。
「ふん…この俺ともっと話したいと思わないのか?あの男」
一度も振り返らずに去っていく背中を見てバイツェルが文句をたれた。
「バイツェル様。恐れ多くも申し上げると、あの男恥ずかしかったのではないのですか?」
「恥ずかしい?」
「えぇ。立派なバイツェルを前にして自身の存在の矮小さに気づいたのだと」
「なるほど…そうであれば仕方ないな」
おだてられすっかり気分の良くなったバイツェルは表情を緩めた。
「して、どうする?場所は割れたぞ」
「ヤツの意識は話を聞くところなさそうですから、今が好機でしょうね」
「なら今すぐか」
バイツェルの問いにジークは黙った。
確かにシオンが弱っている今は好機かもしれない。だがあの少女が近くにいるとなると話は違ってくる。先程の戦闘で消耗している自分が真正面から戦って勝てるビジョンが見えてこない。さらには襲撃を警戒していることだろう。
「どうなんだ」
「本当は今にでも行きたいところなのですが念には念を入れましょう。ネックなのはあの少女です。今行っても返り討ちに合いそうですから、ここは魔力の回復に努めて明日の早朝に襲撃をかけようかと」
「何?一日待つというのか。そんなことをしていたらヤツが目覚めるだろう?」
「あの傷ではそうそう目は覚めませんよ。万が一目覚めても自分が犯した罪を目の当たりにして正直戦闘どころではないでしょう。ヤツはそういう男です」
ジークはそう言うがバイツェルは納得していないようだった。
「ちっ!腰抜けめ。貴族の風上にもおけんな貴様は。臆病者はさっさと失せろ」
そう言うとバイツェルは太った体を揺らしてベッドから立ち上がる。困惑した面持ちでジークはバイツェルを見た。
「……何をするおつもりで」
「決まっている。今からこの俺を殴った愚か者に自分の罪を悔いさせるのさ」
「!?無理です。あの少女はこの僕でさえ深手を負わされたんです。それを…」
「うるさい!!Aランクであっても所詮個の力、俺が一声かければこの町中の男たちが動くだろう。それをもって叩く」
「町を戦場にするおつもりですか!」
「聞いた話によると宿は貧民街に面しているというではないか。ついでにそこの掃除でもしてもらおうか」
バイツェルの言葉にジークはこぶしを見えないように握りしめた。
この男がどれだけゲスであろうとも復讐を果たすまでは従っていなければならない。ここでバイツェルと揉め、シオンを取り逃すことが彼にとって最悪のシナリオ。
「何か言いたいことでもあるのか」
「い…いえ、ありません」
「ではギルドに依頼を出してこい。報酬は金貨二枚。捕らえたものには更に褒美をとらす。逆らうものは誰であろうと排除しろ。ただし例の少女は無傷で確保しろ」
「それは」
「馬鹿か。ギフト持ちなど貴重ではないか。それを奴隷に出来たらさぞいいだろう」
「……」
「わかったらさっさといけ」
もう話は終わりだとバイツェルはジークから目をそらし、呼び鈴をならす。すかさずホテルの従業員が現れ、いそいそとバイツェルの服を用意し始める。
ジークはうつむき目をまたたかせると、意を決したように顔を上げた。
「失礼します」
「ああ」
バイツェルに一礼するとジークは部屋の外へ通じる扉へ向かう。退出する直前ジークは振り返る。
「くれぐれも油断しないでください」
その忠告の言葉はバイツェルに届いていないようだった。ジークは冷たい目で彼を見つめると出ていった。
◇
その日ギルドはある話題で持ちきりだった。
「おい。聞いたかよ」
「ああ、ご貴族様に喧嘩を売った馬鹿がいるらしいな」
「面白ぇやつだが、同情はしねえ」
「だろうな。なんたって俺らはソイツを捕らえるクエストを受けようとしてんだからな」
「やっぱりお前もか」
「参加するだけで金貨一枚。働きに応じて追加報酬。聞いたところ敵さんの数は片手で数えられるほどしかいねぇとか。対してこちらは二十人の募集人員。安心安全、こんな美味しい話はないぜ」
「ちげぇねぇ」
二人の男は笑いあった。
こうした話をする者たちがギルドホールの至るところで見受けられた。受付には長蛇の列が出来ており、二十人の募集に対して応募はその五倍、結果その列はギルドの門からはみ出してギルドホールに通じる道にまで続いていた。
市民が何事だとざわめきだしている。
「募集はここまでで〜す」
ギルドの受付嬢がプラカードをもって呼びかけていた。
依頼の開始時刻はもう間もなく、また危険度としてはギルドは低いと判断している。よって厳密な審査を行うよりも先着順で決めるのが合理的ではあるのだが、そんな事情で納得するようなおとなしい奴らではない。
「おいおい、それはないんじゃないのかい」
「で…ですが募集は二十人ですし…」
「あぁ゛?」
「ひぅっ」
新人の受付嬢は冒険者の男の睨みにすっかり萎縮してしまった。ちらちらとカウンターにいる先輩受付嬢にアイコンタクトを送るがことごとく無視されてしまう。
涙目になった受付嬢を見かねて、文句を言っている男の前に並んでいた冒険者が割って入る。彼は運良く枠内に入り込めた側である。
「まあまあ、今回は運がなかったてことで」
余裕の笑みで肩を叩いてきた冒険者の手を男は苛ついた様子で振り払う。
「ふざけんな。姉ェちゃん、俺のほうがコイツよりよっぽど強いぜ。こんな雑魚より俺のほうを選べよ」
総じて冒険者は沸点が低い。男の言葉にさっきまでの落ち着きを忘れ、冒険者が掴みかかる。
「なんだと!?もう一辺言ってみろ!」
「何度でも言ってやるさ!この雑魚が!!」
こうして喧嘩が始まった。周りの冒険者もなれたもので静観するものもいれば囃し立てるものもいる。中にはどちらが勝つか賭けに興じる輩もいた。
男が殴られ、後ろで騒いでいた冒険者にぶつかる。その弾みで冒険者の肘が別の冒険者にあたる。
「おい、痛いじゃねぇか」
「あーすまんすまん」
「てめッ!!」
別のところでも乱闘が始まる。その騒ぎが更に乱闘をよび、ギルドホールはもう滅茶苦茶になったいた。それを二階からバイツェルが眺めていた。
「所詮、下賤な奴らということか」
バイツェルの横に立っていた初老の男が反応する。彼の身長はバイツェルよりも高く、細身ながらも鍛え上げられていた。
「バイツェル殿、本来ギルドは貴族の私兵ではありません。今回は突然貴方を襲ったという事実、またリリナ殺害の容疑で特例で動いているのです。彼らを侮辱するというのなら今回の依頼取り消すことも可能ですが?」
バイツェルは男を睨みつけたが、その深海のように深い目を見ていると気まずくなってバイツェルの方から目をそらしてしまう。
「ちっ」
彼にかろうじてできるのは舌打ちぐらいだった。
「とにかくさっさと騒ぎを収めろ。お前もリリナをかわいがっていただろ?憎くないのか?」
「えぇ憎いですよ。ただしそれが事実なら、ですが」
「何が言いたい」
「いいえ、何も。それにギルド長たるもの私情で動いてはいけないのです」
背筋を伸ばして男が答えた。バイツェルは男が動かないことを知ると用はないと背を向ける。
「おや、お帰りで」
「これ以上ここに居られるか。俺は先に準備をしておく」
「先ほど奴隷商人と話し合われていたようですが……なにか関係が?」
「余計な詮索はするな。互いのなすことには干渉しないんじゃないのか」
話を断ち切るように吐き捨てると、バイツェルは去っていった。しかし男は彼の言動の端々から何かを感じ取っていた。戦士としての勘がこの件の違和感を訴えている。
「やはり今回の依頼は裏がありそうだな…しかしリリナが居なくなったのも事実。フッ、結局私情に流されているあたり俺もまだまだだな…」
男は独り言をつぶやくと騒ぎを止めるために歩き出した。
◇
昼を少し過ぎた頃。フォレストパンサーによって閑古鳥が鳴いていた大通りには異様な静けさと熱気が漂っていた。
その原因は総勢二十数名の冒険者たちと町の衛兵数十人。町中で獲物を持った者たちがぞろぞろと歩いていればコレほどのプレッシャーになろう。
市民は何事かと窓から覗き見る。
「あれ、ほとんどBかCランクじゃないか?この町の殆どの戦力がなんだってこんな」
「知らないの?弔い合戦だってさ」
市民の一人が驚き口を開くと、隣の窓で眺めていた女が物知り顔で言う。
「冒険者の一人が無残にも殺されたんだって。でもそれだけじゃこんな大事にはならないわよ〜。その犯人あのお貴族様に喧嘩売ったんだってさ」
「はえーそうなのか」
市民の男は女の話を聞くと視線を再び一団へと戻す。彼らの獲物がぶつかる音だけが聞こえてくる。その矛先がすべて自分に向いたときのことを考えてブルリと男は震えた。
「でもまあ、これだけの戦力だ、ソイツもすぐお陀仏だな」
「あったりまえよ。ギルドと貴族のメンツを賭けてるんだから、本気度が違うわ」
「酒のツマミに見学しようか」
「あら、肝が座っているのね。ご一緒しようかしら」
こうして暇つぶしに大捕物を見学しにいく市民は彼らだけではなかった。通行規制で退屈だった彼らには格好の見世物だった。あの戦力。絶対に安全だ、という信頼が彼らをその行動に走らせた。
だが、彼らは半時後言葉を失うこととなる。
◇
冒険者と衛兵の一団はある宿屋についていた。それは紛れもなくシオンたちが泊まっていたあの宿屋である。日があまり差し込まずあたりは昼だというのに暗い。漆喰の剥がれた灰色の貧相な壁は彼らの攻撃に耐えられそうになかった。籠城するには圧倒的に不利である。
衛兵の一人が前に進み出てくる。彼は今回の依頼でリーダーを務める男だ。すっと息を吸い込むと叫んだ。
「この宿屋にバイツェル様にお怪我を負わせ、さらにはバイツェル様の大切なパートナーであるリリナを殺害した犯人が逃げ込んでいるとの情報が入った!!」
「……大切なパートナー?」
「おい、やめろよ」
うしろの冒険者が小言を言う。衛兵は赤面してさっと後ろを振り向くが誰が言ったかわかるはずもなかった。気を取り直して咳払いをする。
「えーコホン…であるからして今から十数える!宿にいるものは武器を捨て全員出てこい!一応言っておく。ここは包囲されている。更にここにいるのは皆強者揃いだ。万が一にも勝ち目はなーい!!よし、では数えるぞ。いーち!」
衛兵が数えるが誰も出てこない。
彼は首をひねるが、まぁ一秒だとまだ早いかと思い、続きを数える。しかし八を数えてもまだ出てこない。そこで一旦数えるのをやめ、部下を呼びつける。部下は少女と男が逃げ出さないようここでずっと見張っていた。
「おい、本当にここであっているのか?」
「はい、間違いありません」
「犯人らしきやつはおろか、誰も出てこないではないか」
「私が見逃すはずはありません。宿の主人以外出てはいません」
「宿の主人?ソイツが変装していたのではないか?」
「いえ、確認を何度も取りました。本人です。ただ……」
「ただ?」
「持ち物確認をしたところ内臓の類を持っていまして…」
「は?」
部下の言葉に衛兵は目が点になった。
「本件とは関係はなさそうだったので追求はしませんでしたが」
まあそうだろう。内蔵がどう関わるのか想像もつかない。衛兵は軽く頷く。
「他の客は?」
「通行規制で旅人があまりいませんからゼロだそうです」
「となると、相手は立てこもる気か…」
「そうなりますかね」
衛兵はさっと手を掲げた。後ろにいる者たちの目がそこに集まる。
「予定変更だ。さっさと終わらせよう」
バイツェルから彼は建物破壊の許可をもらっていた。出てこないなら、隠れる場をなくすまで。
「いいか!男は生きてさえいればいい!少女は無傷で確保しろ!よし、まずは一階部分を破壊する。魔法が使えるものは前へでろ!!」
衛兵の言葉に冒険者が数人出てくる。衛兵が見たところ相当な実力者たちだった。彼の給料でも買うことが難しい高価なアイテムを複数身につけている。それらによって増幅された魔法は彼ら自身の才覚も相まって大抵のモンスターは倒せるだろう。
しかし魔法は通常詠唱が必要であったり、炎属性は森林火災の原因となるため、森を縦横無尽に駆け回るフォレストパンサーとは相性が悪かった。またフォレストパンサーは自分よりも強いものの前には姿を現さない。そのため彼らの多くは最近仕事がなく、今回の依頼には不相応なほどの者でも飛びついたのだ。
「二階部分に犯人がいる。そのため二階の倒壊はさけろ」
衛兵がそう指示をだして後ろを振り向く。複数人で行ってしまうと建物の基礎部分まで破壊しかねないため魔法を行使する者を指名するためだった。
が。
「あ?なんでこんなところに女の子が…」
衛兵とほかの者たちの間にいつの間にか少女が立っていた。
衛兵の視線はまずその端正な顔に引き寄せられた。儚さを感じさせるが、将来確実に美人になることを伺わせる顔だ。次に、その服。黒い服。しかしそれが間違いだと彼の鼻が気づく。
乾いているがうっすらと漂う血の匂い。彼女の服はその殆どが血に染まっていたのだ。そのせいで黒く見えていた。
コイツだ。
衛兵は瞬時に理解し、確保のため手を伸ばす。彼はバイツェルから何も聞かされていなかった。だが冷静に考えていればわかったことだった。年端も行かない女の子が成人男性を運んだという事実をあまりにも軽んじていた。
向かってくる衛兵の手を踊るようにターンをして躱すと彼の顎に掌底でアッパーを食らわせる。衛兵の上体が立ち上がり、体がのけぞった。少女は一歩前へ滑ると、前に出した右足を衛兵の右足に絡ませる。そしてそのまま彼の腕を両手で掴み、足を引くと、重心のずれた衛兵の体は宙に浮かんでいた。
「は?」
アッパーの衝撃から立ち直るとなぜか自分が宙に浮いている。空が見えた。それもすぐさま現れた影によって見えなくなる。それは彼女の拳。
受け身を取れない状態で顔面に拳がめり込む。その勢いで地面に叩きつけられる。ここで彼の意識は途切れた。
この間、一秒にも満たない。
一瞬で衛兵をのした少女にぽかんと冒険者は口を開けていたが、すぐさま集中を取り戻すとそれぞれの得物を構えた。一方衛兵たちはどよめき立つ。それは彼らが冒険者ほど実戦を経験していないことが最大の原因だった。だがそうであれば彼我の実力差を理解せず突っ込んでいたはずだが、そうはならなかった。
なぜなら一瞬で倒されたあの衛兵は彼らの指導官でもあったからだ。彼らの多くはあの衛兵にしごきを受けた。その男があんなにもあっさり。
その事実がわかりやすいバロメーターとなったのだ。
冒険者もそれを理解していないわけではない。ただそれは個の話で、これだけの人数がいればなんとかなると考えた。
「おらぁ!」
冒険者の一人が飛びかかる。巨大なハンマーが彼の武器である。無論直接当てるわけではない。目的は陽動。彼の攻撃を避けた少女を彼の後ろにいる魔法使いが拘束の魔法で捕らえる作戦だ。喋らなくても意思疎通ができるほど彼らはこのパターンを繰り返してきた。言わば必殺である。
その巨体に似合わず素早いスピードで距離を詰めるとハンマーを振り下ろす。彼は少女がうしろか横に避けると思っていた。だが少女は前に出てきた。
「!!」
彼のハンマーは柄の部分が長くなっている。そのためハンマーを振り下ろすと彼の前には若干の空間ができる。丁度少女がすっぽりと収まるほどだ。しかしそれはあるとわかっていても普通そんなもの狙わない。タイミングが合わなければ最悪の場合、攻撃に自ら突っ込むだけになってしまう。
だが彼女はそれをやってみせた。
「どいて!」
後ろの魔法使いの女が叫んだ。
「おう!」
ハンマーの男は虚を突かれたが、彼も実力者。頭を切り替えるとすぐさまハンマーを握っていた手を離すと横に飛ぶ。
少女と魔法使いの間に射線が通る。
「地の力を借りて、拘束する手!『アースバインド』!」
簡易的な詠唱で魔法が発動する。すると少女の足元が光りだす。タイミングは完璧。そのはずだった。
少女は避けることはしなかった。代わりに横に飛んでいる男の足を掴む。
「お、おぉ!?」
ぐいっと引っ張られる感覚に男は戸惑う。この俺が女の子に片手で引っ張られている!!
少女はそのまま足元に引き寄せる。引き寄せられた男は空中でバランスを崩し、地面に頭を強かに叩きつけてしまう。ぐらんぐらんと視界が揺れる。
「あっ」
魔法使いがなにかに気がついたときには遅かった、彼女の魔法は対象を指定するのではなく座標を指定するもの。今、指定した座標にいるのはハンマー使いの男である。
男の周囲の地面がぐわっと盛り上がると、男の手足を砂で固めてしまう。拘束の強さに男はうめき声をあげた。
しくじった。
軽く舌打ちをして、魔法使いは魔法を解除しつつ次の手を考えるために少女の姿を探す。居た。魔法発動の瞬間後ろに飛んだようだ。
少女も彼女を認識し走り出す。
魔法は厄介だとして近接戦に持ち込むつもりか。
そうはさせじと別の冒険者が魔法使いたちより前に出る。だがまたも少女は予想外の行動を見せた。
地面にめり込んでいるハンマーを片手で持ち上げると、あろうことか投擲する。
「そんな!嘘でしょ!」
大きな鉄の塊が回転しながら迫ってくる。これに当たればただでは済まない。前に出てきた冒険者たちの腰が引ける。
しかし一人の男がさらに前に出ると大剣を上段に構える。撃ち落とす気なのだろうか。
そのためには重心をとらえることが必要であるが、ハンマーは遠心力により重心が常に動いている状態だ。加えて高速で飛来している。そんな状況下で撃ち落とすなど並の剣使いでは不可能である。
男の剣にはいくつもの傷が刻まれていた。それが彼の経験を物語っていた。
ハンマーが射程圏内にはいったというのに男は剣を振らない。
タイミングを見計らっているのだ。ついにはハンマーの風圧が髪をなびかせるほど近づいても彼は動かなかった。
「大したもんだ…だがッ!!」
そうつぶやくとようやく男は動く。美しい弧を描いて剣が振り落とされる。傍から見るとひどく振りが遅いように見えた。しかしその緩慢な剣筋はしっかりと芯を捉えた。
鉄と鉄がぶつかったにしては小気味よい音がなる。
完璧に力の方向を下へと向けられたハンマーはゆっくりと地面へと落ちていく。恐ろしいほどの技量。これだけの実力者がこの場には何人もいる。周りで見ていた衛兵といつの間にか集まっていた市民は自分たちとは隔絶した世界を見た。
落ちていくハンマー。それを目で追っていた男は次の瞬間、顔をこわばらせた。
「ハンマーと一緒に接近してきたってのか!?」
彼の懐にはすでに少女が居た。
ハンマーの影に隠れて?いくら彼女が小さいとはいえそれは不可能だ。つまり、彼女はあの距離から彼が剣を振り下ろした瞬間に一気に距離を詰めたというのか。
コイツはただのガキじゃない。
男は久々の興奮に包まれていた。
「おもしれぇ!」
男は地面へと迫る剣先に急制動をかける。前腕が負担で悲鳴を上げた。間違いなく筋の二、三本が逝ってしまっただろう。それを無視して男は今度は横方向に剣を動かすことで剣の腹で少女を叩こうとする。
少女は横目でちらりと自分に迫る大剣を見た。そして身をのけぞらせると剣と地面の間に滑り込むようにして躱す。
「マジかよ!」
少女はそのままスライディングで男の股をくぐり抜けると無防備な魔法使いの一人へと迷わず向かった。
しかし大剣使いが逃すはずはない。横回転を活かし、そのまま反転する。ぴっと剣先が少女へと向かうと突きの体勢で男は走り出す。彼の本能が依頼を忘れて少女を確実に仕留めようとする。
「うおおぉぉぉ!!」
少女との距離は少しだが、間に合うかわからない。なんたってあの少女はあの距離を一瞬で詰めるほどのスピードが…。
彼の思考がなにかに引っかかった。
おかしい。
前を行く少女が急に止まる。距離が一気に縮まった。
「しまっ…」
ブレーキをかけようとするが遅かった。少女は振り向くと拳を突き出して迫る。剣と少女が交差する。彼の渾身の突きはかすりもしなかった。クロスカウンターの要領で数倍に威力が引き上げられた右フックが男の顎に決まり、彼の意識を体ごと彼方へと飛ばす。
宿とは別の建物の壁に男の体は叩きつけられると、壁を突き抜け瓦礫の向こうへ見えなくなってしまった。
「あれ……なんだよ…」
市民の一人がそうつぶやいたが、その意見はこの場にいる全員のものだった。