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インモータル/セクステット  作者: はいろく
4/11

エリクサー

 シオンはポコッと殴られた痛みに理不尽さを感じる。イタタタと抗議の意味を込めて頭をおさえてみせるとむっとした表情の少女と目が合った。


「なによ」

「別に…」


 先ほどまでの赤みをどこか遠くに置き忘れてシオンはボソッと答えた。それも癪に障ったのか少女はシオンの髪の毛をつかむと引っ張った。


「痛いわ!」

「わかってやってんのよ」


 なんて奴だ。こんな奴にドギマギしていた自分が情けない。


「お前、名前なんて言うんだ」


 むぎーっと引っ張ったままの少女に尋ねる。少女は急にたたずまいを直すと胸を張って言った。


「リリナよ」

「リリナか…俺はシオン。そんでニーナだ」


 シオンはさっきからずっと黙ってばっかりの貫頭衣の少女を示す。呼ばれた少女は一瞬シオンを見るが、その背に乗るリリナをみるとさっと目をそらした。


「嫌われているのかしら」


 リリナの問いに「そりゃ暴力ふるうからなぁ」と答えたシオンはまたしても毛髪引っ張りの刑に処せられた。こんなに頭皮に刺激がいっては将来が不安になる。

 しかしリリナというこの少女、さっきまで死の淵にいたというのにいやに元気な奴だ。いや、むしろその反動でこんなに元気なのだろうか。だがはた迷惑なのには変わりはなかった。


「ねぇあんたたち何者なの?」


 足をバタバタさせながらリリナが尋ねる。彼女はホットパンツのような短い丈の物を履いていたので否が応でもすべすべとした生足の感触がシオンの腕に伝わる。

 その感触に少し赤面しかけたが、彼女の性格と質問の内容がそれを留めた。


「俺はしがない旅人だ。ニーナは道中拾った」

「えっ?拾った?あーどおりで首輪がないわけだ」


 リリナはニーナをシオンの奴隷と疑っていたらしい。


「良かったわ」

「何が?」

「あんたがそういう趣味のクソ野郎じゃないことが分かって」


 クソのところがやけに気合入っていた。その敵意はどうやらほかのものに向いているようだ。


「まぁニーナを見ればまず疑うよな。そういう事情を」


 シオンの言葉にリリナはコクコクと頷いて見せた。


「あんたの奴隷じゃないみたいだし、ちょっとしゃべってみてもいいかしら?」

「奴隷じゃないんだから俺に聞くなよ」


 それもそうねとリリナはさっそくニーナに話しかける。


「ねぇニーナちゃん」

「……」


 ニーナは黙ったままである。それから何度かリリナは呼びかけるがまともな反応はかえってこなかった。口をへの字に曲げてリリナがすねる。


「本当に嫌われているのかしら…」


 思いのほかショックだったようでうっすらと形のいい目元に涙を浮かべている。そりゃ初対面でガン無視されたらつらいわと思ったシオンは、ニーナが過酷な状況に置かれていたようだということをそれとなくリリナに伝える。

 すると今度はそちらの話に感化されて泣きだした。


「ぐすっ…そうだったのね。こんなに幼いのにね…」

「そういうことだから、人見知りなんだ」

「わかったわ。私めげない。ニーナちゃんの笑顔をみるため話しかけるわよ!」


 なぜそこまでやる気に満ち溢れるのか分からない。立ち止まってはなんだとシオンが歩き始めるといつものようにニーナはついてきた。

 

「…どうしてあんたには懐いてるのかしら?出会って一週間でしょ?それでそんなもう信頼してますって感じ……」

「なんだお前こそ出会ってすぐなのにそんなことわかるのかよ?」


 抵抗するような口調でシオンが言うと、リリナは微笑を浮かべる。


「それは女の勘よ」

 

 勘か。しかしそれが恐るべき精度で当たることは長い歴史で証明されている。シオンはそんなのあてにならないと反論するが、心の片隅では女の勘の前ではあらゆる理論など塵芥に等しいのではないかと思う自分がいた。


「なんかしたの?」

「飯をやった」


 彼女が恩義を感じ懐くとすればそれぐらいだろう。シオンのその言葉を聞いてリリナはハァ~っとため息をついた。生暖かい息がシオンの首筋にかかった。

 

「んなぐらいで懐くかボケ!」


 ポカっとまた叩かれた。暴力女だ。暴言も吐いて暴言暴力女だ。まったくひどい恩返しがあったもんだ。


「いや、犬とかだったらそうじゃねぇか」

 

 返事は頭へ垂直落下する拳だった。そこはこの前すっころんで打ったところだった。鈍い痛みと鋭い痛みがごちゃ混ぜになって涙が滲んできた。なぜこうも理不尽なのか。背負っているので両手で防ぐこともできない。

 さらに加えられる二打目。参った、連撃だったとは。シオンは彼女の尽きぬ攻撃性に戦慄した。


「こんな幼気な少女を犬!?やっぱあんたそういう趣味が…」

「違うわ!」


 まぁ確かに犬とは違うか。失礼だったかもしれない。自分の不用意な発言でニーナが傷ついていないか後ろを振り返る。背に乗せたリリナが「おわぁっ」と慌ててしがみ付いてきた。

 

「……」


 どうしてかニーナはシオンが振り向くと同時に目をそらした。


「?」


 シオンは一瞬俺も嫌われたか?と思った。


「それはないわ」


 しかしリリナがはっきりとした口調で言う。シオンがそれも女の勘かと問うともちろんと答えられた。

 口にしていないというのに読み取られるなんて勘とは恐ろしいものだ。近所のおばさんが「あれ」「これ」「例の」で会話がトントン拍子に進んでいくのもそれゆえなのか。

 リリナがつかんでいるニーナの気持ちを少しでもわからないものかと思うが、呪うべきなのは男にその機能を付けなかった神だろう。

 待っていても分かるはずはないのでじゃあ聞けばいいじゃないかということになった。


「じゃあ何だよ」

「知らないわ」

「は?」

「いや、そこまではわからないの」


 おい女の勘、仕事しろ。


「女の勘はね気分屋なの。あと自分に関係する場合には精度ががた落ちするのよ」


 欠陥品じゃないか。


「ま、心配しなくてもいいわ。これは彼女の問題なの」

「さっき内容はわからないって言ったじゃないか」

「質はわかるの」


 シオンにはリリナが言っていることの一パーセントも理解できない。

 こいつは何を言っているんだ?という顔をしていたら見えないはずなのにまた頭を叩かれた。古傷をピンポイントで。それも女の勘か。つくづく恐ろしいものだ。

 シオンはため息をついた。



 べらべらと聞いてもいないのに喋るリリナと適当に相槌を打つと何故かぶたれるシオンと恐ろしく無言なニーナの一行は黙々と歩みを進める。進めば進むほど木々の茂りは薄くなり、特に本道に出るとその傾向は強くなった。左右の木々は次第に人の手が加えられ、雑然とした景色から整然とし始めた。

 

「だいぶ道が変わったな」


 道も凹凸が減り足の負担が少なくなった。感覚がなくなってきた足でもそれぐらいはわかる。


「町までもうすぐよ」

「しかしだな、みえないぞ」


 シオンの目の前には何故かまた森が広がっていた。しかし森の様子が今までの森とは違う。高さのそろった木が列になっており、列はそれぞれ一個ずつずれて前の列の木々の間を埋めるようになっている。


「この森の先にあるの」

「そういえば聞いたことがあったな、防衛用に周りを囲んでるって」


 この先の町はモンスターがいる森に囲まれていることに加え、隣国の国境に近い。大群、大軍どちらの進行も阻めるよう自然の城壁として人工的な森を作っているのだ。計画的に作られた森には遠隔操作で起動する罠が仕掛けられているらしい。

 誤作動を起こさないことを願うばかりである。


「ふぅやっと一息付けそうだ」

「町についたら服を買ってあげなさいよ」


 リリナが言っているのはニーナの事だ。さすがにシオンもそのことを考えていたが、すかさずリリナがくぎを刺す。


「適当にしちゃだめよ」


 ん…参ったな。シオンは先回りされて固まってしまった。


「だがな…世にはなんでも着こなせる奴がいてだな」

「確かにニーナちゃんはカワイイけど、ちゃんと選んであげたほうがいいに決まってるわ」

「じゃあリリナが選んでくれよ」


 無責任に付託するような言葉にリリナはてっきり怒るかと思ってシオンは覚悟していたが「もちろんよ」と楽し気に返事を返された。


「高いのはやめろよ」


 女性の服は男物より圧倒的に高い。特殊効果もないというのに時には防具よりもはるかに高価な値札が付いていることがある。財布の中身が軽くなっている一方で金を稼ぐ手段がまだないため無駄な出費は控えたい。というか食費で圧迫されると思うので服に回せる金はほとんどない。


「わかってるわよ。限られた中で最高のものを見つけ出すのも買い物の醍醐味だから」

「ならいいよ」

「ただ、アンタも一緒にくんのよ?」

「助けにはなんないぞ?」

「それでもいいの」

 

 それじゃあ店内の人口密度をあげるだけじゃないか。


「アンタはひたすら『カワイイよ』『似合うんじゃないかな』っていう役目」

「……」


 それが重大な役目だとは思えなかったが、シオンは黙った。


「ただねー。アイツがねー」


 リリナが唐突にぼやいた。


「あぁ、さっき話していたお前の主人てやつか」


 リリナは実は奴隷である。その証拠に首に黒いチョーカーが顔をのぞかせていた。無骨な鉄製の首輪ではないので一見するとファッションに見えるがれっきとした拘束具である。


「そうそう。一旦町に帰ったらしばらく拘束されるかも…。服を買うのはしばらくしてからになりそう」


 道中さんざんシオンはその「ご主人様」とやらの愚痴を聞いていたため偏った見方かもしれないが、リリナの言うその人物像は相当面倒なようだった。

 彼女は諸事情から奴隷の中でも三番目に重い三級奴隷となっている。三級奴隷は命令違反をすると首輪に仕込まれた雷魔法が作動する。死には至らないが激痛のため泣く泣く奴隷は従わざるを得ないという。 

 リリナの主人はそれを乱用して無理難題を押し付けているようだ。


「そうか、大変だな」

「ま、それももうしばらくで終わりそうだけどね」

「解放されるのか?三級奴隷は期限がないと聞いているけどな」


 チッチッチと背中から聞こえる得意げな舌打ちがシオンの耳に入った。


「奴隷の解放条件は確かに期限が一般的だけど、別の方法もあるの」

「へぇ」

「奴隷になった原因が金銭で解決できるようなら、その分を払うことで解放されるのよ」


 するとリリナは解放される分だけの金をためていることになる。三級奴隷からの解放に生半可な金では足りないだろう。奴隷の身でありながら相当の財産があるに違いない。


「ほんとはもっと先になるはずだったけどちょうどよかったわ」

「ちょうどって?」

「フォレストパンサーよ。あれのせいでこの道が通行止めくらってたんだから、討伐の暁には報酬もたんまりもらえるってわけ。ついでにフォレストパンサー自体の素材も高値で売れるの」


 人が通らないのはそういうわけか。あいにくそういった情報を手に入れるツテがないので知らなかった。

 しかし……。


「それ、言ってよかったのか?」


 後ろでハッ!!と息をのむのが聞こえた。シオンはやれやれとため息をつく。


「不用心すぎる…」

「忘れなさいぃ~!!」


 リリナが脳に衝撃を与えるように的確に重い連撃を加えてくる。たまらずシオンは呻いた。


「だぁ!分かったよ!だがなぁ、俺にも取り分はあると思うぞ!」

「だ、ダメよ!」


 リリナは自由への道が遠ざかると思い、必死に叫ぶ。しかしシオンも何も全部取ろというわけではなかった。


「こうしよう。奴隷から解放されるために不足している分はお前がとっていいさ。だがそれ以外はこっちのもんだ」

「ダメよ」

 

 どちらにも良い提案だと思ったが今度は冷静な声で返された。少しムスッとしてシオンは問うた。


「なにがダメなんだよ。十割じゃないとだめってか?業突く張りめ」

「違うわ。不足分きっちりだと解放されたあとどうしろっていうの?最低でも一週間生活できるぐらいのお金は欲しいわ」


 シオンは呆れた。この状況でここまで考量できるとは、つくづく油断ならない女だな。


「…わかったよ。それでいいよ」




 一行は人口の森を抜け、町の入り口近くの岩の陰に立っていた。さすが町というだけあってその周囲はぐるりと防壁によって囲まれている。材質は近くの山で切り出された岩石でできており、その白亜が沈み始めた夕日を照り返し赤い光を投射してくる。そのすべてを染め上げる光が体内時計を否が応でも整える。それの意味するところは。


ぐぅ~……。


 腹の虫が鳴く音。その主はもちろんニーナだった。その顔は赤くなっていたが、それは夕日によるもので照れている様子はない。

 

「町に入ったら、飯にでもするか」


 シオンもニーナにつられて空腹を感じた。


「絵になるわ~」


 リリナはぽけーっとニーナを見ながらしみじみという風に言った。確かに夕日に染められたニーナの横顔は幼さを飛び越えて妖艶さを含んでいるようでぞっとするような美しさがあった。

しかし頭の中は食べ物のことでいっぱいなのだろう。

 

「ねぇ気づいてる?」


 リリナがそっと耳に口を寄せて言った。


「何?」

「ニーナちゃんの顔よ」

「……」

「少し面倒そうな事情があるようね」


 本当はもっとめんどくさそうだぞ。とシオンは内心思った。


「町に入るときは顔を隠していくか」

「いやぁさすがにそれは怪しまれるでしょ」

「ま、普通に考えたらそうだよな…顔を伏せておけばバレないか?」

「そうね…わざわざ覗き込む人もいないでしょ」

「ニーナそれでいいか?」


 こちらには視線を合わせずに彼女は頷いた。


「よっと」


 リリナがぴょんとシオンの背から飛び降りた。とっくに回復していたんだな、と非難の意味を込めたシオンの視線に気づくと、てへっと小さく舌を出した。


「そういえばこの町には身分証が必要なのか?」

「そうね、隣国に近いからスパイを警戒してるの」


 シオンは懐を漁ると金属の枠にはめられた木の札を取り出した。リリナは見覚えがあるらしく意外そうな声を上げた。


「行商用の通行手形?てっきり冒険者かと思ってたわ」

「これで入れるか?」

「え、えぇ」


 リリナは戸惑いながらも頷いた。


「ニーナは不本意だが俺の奴隷として連れていくか…しかし首輪もない奴隷をそのまま通すのか」

「多分そこは問題ないわ」

「なんで?」

「ムカつくけど私の主人、ちょっと偉いのよね。だから私の主人の知り合いってことにすれば大丈夫よ」


 そういうことか。門番も下手にちょっかいをかけて貴族の逆鱗に下手に触れたくはないだろう。


「しかしお前は大丈夫なのかそんなことして」


 リリナは手をヒラヒラさせて大丈夫だという。


「私の主人、馬鹿なの。典型的なぼんくら息子ってやつね。都合のいいことしか聞かない、自分で考えない、太ってる、息が臭い、体臭もすごい」


 後半は完全に関係ない悪口だった。


「助かる」

「これでチャラね」


 リリナが意地の悪い笑みをまた浮かべた。付き合っても無駄だとシオンはわかったよと返事をした。

 話している間に日はどんどんと沈んでいき、もうすでに暗闇の比率が大きくなっていた。


「さていくか」 


 三人が入り口に近づくと、二人の門番が反応して近寄ってきた。若い少年と大柄な男性だ。


「あ、リリナさん!」


 まだあどけなさが残る若い少年が手を振って駆け寄ってくる。リリナは軽く手を振り返す。


「心配したんすよ、フォレストパンサーの討伐なんかに行ったかと思うとバイツェル様だけしか帰ってこなかったんですから!」


 誰かのお古のようで、サイズの合わない薄汚れた鎧は少年が動くたびにガシャガシャとやかましい音を立てる。それを見かねたのか後ろからゆっくりと歩いてきた男が少年の肩に手を置いた。

 少年と同じように鎧は薄汚れていたが、少年のように鎧に着られているのではなく鎧をしっかりと着ていた。

 

「おいおい。そうあまり詰め寄るんじゃない。まずは無事を喜ぼうじゃないか」

「あ、オジさん。やっほー」


 リリナは当然というかこの二人と知り合いなようで軽いノリでしゃべりかける。


「この距離でやっほーか。若いやつはやっぱりわからんな」


 男は苦々し気につぶやくと、リリナの後ろにいた二人に気付く。見慣れない服装の青年と下を向いた少女。


「そこの二人は?」

「助けてくれた命の恩人よ」


 そのことばを聞いて少年がシオンの手を取った。急に近づいてきた少年にニーナは怖がって後ろに下がってしまった。


「あ、ありがとうございます!」

「いや、まぁ……」


 少年のまっすぐな感謝の気持ちにシオンは照れる。少年は手を離すと今度は深々とお辞儀をした。


「俺からも礼を言うよ、若いの。リリナは良い奴なんでな。本当に生きていてよかった」


 壮年の男からも握手を求められる。シオンは逡巡すると、その手を取った。


「たまたま通りがかったってだけだよ。そんな感謝されるほどじゃ…」

「いや、そう謙遜すんな」


 いかつい顔に似合わず、人懐っこい笑みを男は浮かべた。


「町に入りたいんだけど、これで大丈夫か?」


 シオンは例の通行手形を見せる。


「おっとすまんすまん」

 

 男は笑顔と握っていた手を引っ込めると、仕事の顔つきになった。シオンから通行手形を受け取るとじっくりと眺める。だがなんの問題もなかったようで男は大きく頷いた。


「返すぞ。問題ない。通れるぞ」

「…すまんがコイツは商品でな、コイツもいいか?」


 シオンは顎をしゃくり親指で後ろのニーナを示す。それまで友好的だった男の目に微かに非難するような色が混じった。しかし何かを含むようなシオンの声色に何かを察した。


「…いいぞ」

「ケトさん!それはさすがに」


 少年が声を荒げる。


「いいんだ」


 男はそういうがそれでもまだ少年は納得していないようだった。そこでリリナが割って入ってきた。


「ちょっと込み入った事情があるの、ここは私の主人に免じて、ね」


 片手でごめんねのポーズをリリナがする。ケトと少年から呼ばれた男はふんと鼻を鳴らした。


「バイツェル様に免じてじゃない。リリナに免じてだ」


 そこだけは譲れないらしく力強く言い放った。ともすればバイツェルとやらを蔑視するような発言に少年はオロオロする。


「ちょ、ちょっとケトさん。さっきから不味いですよ!奴隷でも証明証が無ければ…それにこの子首輪がないっすよ。なんかヤバいっすよ。バイツェル様についての発言も誰かにきかれてたら…」


 シオンとリリナは顔を見合わせた。シオンは話が違うといった目で、リリナはあれれおかしいな…という戸惑いの目でお互いを覗き込んでいた。

 もっとも首輪がない奴隷、怪しさだけなら百点満点。正しく職務を遂行するならまず町に入れないだろう。

 

「この時間は誰もかれもが飲みに行ってるさ。心配ない。もし聞かれていたら俺が罰せられるだけだ。お前は知らないふりをすればいい」

「ケトさん!どうしてそこまでするんですか?」

「退職前のちょっとしたイタズラだ」


 男は少年のように無邪気に笑った。そんな理由で納得するはずがない少年は憮然としていたが先輩である男が頑として引かないことが分かり渋々折れた。 


「わかりましたよ。でも知りませんからね」

「はは、すまんな。さ、話は終わりだ。通りな」


 男は道を空ける。少年も渋々それに従った。シオンも確かにどうしてそこまで男がしてくれるのか分からなかった。しかしこちらに有利な状況に文句を言う必要もなかった。


「ありがとオジさん。ヨークもごめんね」


 リリナが謝りながら二人の間を通り抜ける。シオンもあとからついていこうとする。すると。


「約束は果たしたぞ」


 男がぼそっと呟いた。言葉の意味が分からずシオンはきき返そうとした。しかしリリナが早く行こうと腕を引っ張るせいで何も言うことができなかった。次第に聞き違いかと思い、わざわざきくこともなかった。

 

 門をくぐりぬけると早速大通りがあった。馬車が四台は通れるような道だ。石畳によって整備されている。道に沿うように店が立ち並んでいるが、夜も近いので開いている店は少なかった。逆に食事処からは明かりと喧騒が漏れていた。

 道はずっとまっすぐに伸びており、その先は広場につながっていた。どうやらこの通りのような大きな道がほかに三本あり、広場を中心として道が東西南北四方向に延びているらしい。

 唐突にあたりが明るくなった。街灯がついたのだ。店の軒先や道の途中にいくつかある四角いガラスばりのものがそれである。

 松明とは違い自動式のようでそれ一つが高価で魔石も消費するため普通の町ではまず見られない。ここが比較的大きな町である証拠だ。

 こんなへき地でもこれほど栄えているのは隣国との貿易があるからだろう。すぐ近くにある山を越えればもう別の国という立地は、距離的には近くだが山があるために大軍が侵攻できないという交流には絶好の立地だった。

 そういうわけでここは本来夜でも行商の馬車が行き来するのであるが、フォレストパンサーによる通行止めで人通りは少ない。


 しかしこんな時間に入ってきた見慣れぬ旅人は人の視線を集めるようで無数の視線がシオン達に注がれた。


「…まず宿でも探すか」


 視線から逃れたくてシオンは俯いた。


「そうね。私も探したいところだけど、おそらくアイツの範囲内に入ってるわ」

「なるほどな」


 奴隷の逃亡を防ぐために主人は奴隷の位置を一定距離ならば把握することができる。リリナがこの町に入った時点でおそらく主人にそのことは伝わっているはず。するとシオン達に付き合ってしまうと主人の不興を買い、罰を受ける可能性がある。

 シオンもそれはわかっているため引き留めることはなかった。

 

「ここでお別れね。服の件はまた今度。私冒険者だからギルドで言伝を頼めば連絡が取れるわ」

「ああ。じゃあな」


 リリナはバイバイと手を振ると駆け出して行った。だいぶ速い。見る限りだいぶ回復しているようだった。

 リリナの姿がぼやけるまでシオンは見送るとあたりを見渡す。

 この世界は識字率はそれほどそれほど高くないため、看板にはどれも絵が描かれていた。早速宿屋を表すベッドの絵が描かれた店があったが表通りに店を構えるだけあって豪華な作りをしていた。

 一目で宿代が高そうだとわかるためそれはパス。結局金なしが使うような宿は表にはなさそうなので奥のほうへ入っていくことにした。

 表から一歩入るだけで急に生活感が増す。店だけでなく住居が立ち並び、建物から建物に渡されたロープが吹き始めた夜風に揺られていた。

 窓から漏れる明かりと親子らしき二人の言い争いが確かに人の営みを感じさせた。旅に慣れたシオンであったが毎度こうして町に入るたびに安心感というものをどうしても覚えてしまうのであった。


「えーっと宿はっと」


 こうした居住区に宿は案外あるものだ。宿と言っても三食全て付いてくるような豪勢なものではない。本当にただ雨風をしのぐ場所を提供するだけのものだ。そのため食事は自分で用意しなければならない。なので周りに高級店が並ぶような場所ではなく、市場であるとかそういった日常に溶け込んだ店に近い立地が必要となる。するとこういった居住区がベストということになるのだ。


 存外早く見つけられた。雨風にさらされ薄くなってしまっているが、ベッドの絵が描いてある看板があった。


「ニーナ、もう顔はあげていいぞ」


 やはり改めて彼女の顔を見ると面倒な事情があるらしいことが分かってしまう。確信に変わったのはリリナに言われてだが、汚れを落とした後の姿を初めて見た時も違和感があった。


 宿屋はオレンジがかった淡い光に満たされていた。質素な木製のテーブルにやる気のなさそうな小太りの男が一人頬杖を立てていた。


「二人でひとまず二泊」

「あいよ。大人一人大銅貨6枚。奴隷は一枚だよ」


 けだるそうな声で男が告げた。しかしシオンは大銅貨十一枚と銅貨五枚をテーブルに置いた。


「大人二人だ。部屋は空いているか?一部屋でいい」


 突如として奇怪な行動をした青年を男は胡散臭げなまなざしで見たが、結局は儲けになるために追及はしてこなかった。


「202号室だ。壁が薄いからなるべく騒がずにな」

「わかった」


 それだけ聞くと部屋の札をもってシオンはさっさと上がっていった。ニーナはしばらくそのまま突っ立っていたがシオンが呼ぶと慌ててついてきた。

 階段を上がり202号室前に立ったシオンはもらった札をドアノブのすぐ近くにある箱に差し入れる。ガチャっと何かが外れる音がした。

 ドアノブをひねって引くと手入れがされていないのか僅かな引っかかりを感じる。

 部屋はきわめて質素だった。一人用のベッド。塗装の禿げた椅子とその椅子にあっていない低いテーブル。窓は最悪なことに小さなものがぽつんと申し訳程度に一つあるだけだった。照明は壁にかかったランタンしかなく、ガラスがすすで汚れていた。火はついていない。


「あの安さも納得の部屋だな」


 シオンはそういうとベッドにドカリと座り込んだ。スプリングも何もないベッドのためその衝撃を和らげてくれることはなかった。あまりの固さにシオンは口をとがらせる。

 

「荷物を置いてさっさと飯にでも行くか」


 この言葉にニーナが反応するだろうと思っていた彼の予想は外れた。ニーナは、ニーナの腹は何も主張することなく暗闇に溶け込むように静かだった。


「どうしたんだよ?」

「……どうして?」


 質問に質問で返された。そしてその内容はか細くて聞き取れない。シオンは立ち上がるとニーナの前でしゃがみこんだ。


「…どうして、大人?」


 大人?どうやったら大人になれるということだろうか?それはそうだな定義がいっぱいあるな…。


「奴隷でいいのに…」


 続く二言目にシオンは苦笑いした。自分が全くの見当違いの受け取り方をしていたことと、彼女の質問の馬鹿馬鹿しさに気が付いて。


「奴隷?うそを言って料金ちょろまかしたら犯罪なんだぜ」

「でも、私は奴隷。だから救ってくれた」

「へぇ。救った恩をかさに着てニーナをこき使うことが俺の目的だと」


 ニーナはここで初めてシオンの目を見た。


「…違うの?」

「あぁ違うね」

「何故?」

「理由を言うのはめんどくさい。というか腹が減った」


 シオンは話は終わりだという風にニーナの横をすり抜け部屋の外に出た。


「ほら行くぞ」


 今度はニーナは素直についてきた。

 二人が下に降りると宿屋の男がジロリとみてくる。シオンは飯を食いに行くと告げると札を預けた。

 宿にいる間に日が完全に暮れてしまったようだ。しかしこの居住区まで表の明かりが届いているおかげで足元が見えなくなる心配もない。


 宿屋を探すついでに目星をつけていた料亭へシオンは迷うことなくたどり着いた。

 看板はフォークとナイフが交差するものだ。繁盛店ではないのか騒ぎ声は聞こえない。もっともそういう店は不味いわけではなく、トラブルを避けて酒を置かない店であることが多い。店主が女性や高齢であればその傾向が強い。

 シオンはじろじろ見られながらの食事なんて嫌だったし酒も飲まないのでむしろうってつけだった。

 

 縦幅が腰から胸までの小さな扉を押して店内に入る。


「いらっしゃーい」


 女性の声が聞こえてきた。比較的若い。シオンが声のしたほうへ顔を向けると、そばかすが特徴的な少女と目が合った。特別な華はないけれど、こちらを見てくる小動物のようにクリっとした眼とサービススマイルが心地よい少女だった。

 お盆を胸の前に抱えて少女は尋ねる。


「えぇっと…お一人ですか?」

「いや、二人だ」


 シオンはニーナが少女に見えるよう立ち位置を変えた。

 少女は「し、失礼しました」と謝るとすぐにサービススマイルを浮かべて見せた。


「ではこちらへ」


 客層も思った通り血気盛んな若者とは真逆の、老人と生真面目そうな労働者で占められていた。

とはいっても客は数人しかいなかったが。そんな客たちは新たな客に一瞬興味を示したがすぐさま自分の料理へと戻っていった。

 シオンが案内されたのはすぐ近くのテーブルだった。真四角ではない、手作りのものと思われる少々歪なテーブル。表面はきれいだった。儲けている酒場のテーブルなんかは真四角だが、表面に無数の傷があり、時折赤黒いシミなんかが付いているのだ。

 手作り感も相まって落ち着いて食えそうな良い店だとシオンは思った。

 シオンが席に着くが、ニーナは座らなかった。


「どうした座れよ」

「……」


 戸惑っていたニーナだったが、しばらくして椅子を引くといつでも立ち上がれるように体中を緊張させながら席に着いた。

 ここでタイミングよく店員の少女が話しかけてきた。


「メニューはあちらから選んでください」


 はきはきとした明るい声で厨房の上にかかっている板を指さす。確かにそこには料理の名前と絵が描かれていた。


「わからない場合はきいてくださいね」


 少女は二人の先ほどのやり取りを気にしていないようだった。もしくはそう見せているだけかもしれない。しかしどちらにしろ少女特有の旺盛な好奇心が顔を出していないようなので、シオンは安心してメニューを眺める。

 品数は絵を入れる関係で少ないと思いきやメニュー数と絵の数があっていない。どういうことかとよくみてみると絵が描かれているのはどれも労働者向けの高たんぱく高エネルギーのものばかりだった。

 おそらく夜はこのように閑散としているが昼は労働者もある程度くるようだ。字の読めない労働者のために店主が粋な計らいをしているのを感じる。

 当たりだな。


「ニーナ一応聞くが何がいい?――好きなだけいいぞ」


 最後のは余計だったなと思った。だが誰かにおごるときのいわば常套句として骨身に染みこんでいたため思わず言ってしまった。


「なんでも…いい」


 一番嫌な答えだったが、メニューが読めないなら仕方ないとシオンは納得した。例の少女を手を挙げて呼ぶ。


「はい」

「このチキンの丸焼きとささみのサラダ、あとは…チーズグラタン、この山もりパスタってのもいいなぁ」

「結構な量になりますけど」

「まぁ大食いなんだ」


 ニーナがな。

 リリナとの契約でいくらになるかわからないが金のめどはついた。……下手すればゼロの可能性が存在しているが、そんな最悪の結果を考えてもしょうがない。久々の町にシオンの財布のひもも緩むというものだ。

 料理を待つ間二人は無言だった。二人の耳には周りの客の咀嚼音や食器のなる音しか聞こえなかった。料理が近いはずなのにニーナのお腹は一向に怒鳴り散らさなかった。

 

 シオンも何か話すきっかけを作ろうとしたが、言い出してはやめ言い出してはやめていた。仕方がないので左右の指を合わせて親指から順に回していくことでどうにか状況を切り抜けようと画策した。


「…どうして?」

「ん?」


 意外にもニーナから言葉が発せられた。それに慌てて指を解いてシオンが応える。


「どうして、やさしくする?」


 ぽつりと発せられたニーナのその言葉には笑って受け流せるようなちっぽけな意思は詰まっていなかった。


「優しく、か」


 シオンは天井を見た。梁にクモの巣がかかっているのが見えた。そこには黒と黄色のまだら模様をしたクモと哀れにも捕まった羽虫がいた。

 

「優しくされるのにニーナは理由が必要なのかよ」

「…怖い」

「何が?」

「りゆう、ない」


 ニーナははっきりとわかる因果が存在しない人間関係に困惑しているのだとシオンは気づいた。奴隷だから、役に立つ奴だから。ニーナはその「だから」を見つけ出そうとしている。が見つからない。

 だってそれはないものだから。シオン自身も誰かになぜ助けたかと問われれば「倫理上そうすべきであると感じたから」とあいまいな答えを返すつもりだ。

 しかしそんな理由でニーナが納得するとは思えない。もう一度上を見上げるといつの間にかクモは羽虫の上にのしかかっていて、その大きな咢をこれでもかと開いていた。


「実はだな」


 シオンはうそをつく。


「ある人の依頼でな、お前を助けなければいけないんだ」


 そう言っていたシオンは終始上を見上げていた。彼女の瞳を見つめればすぐにばれてしまいそうだったからだ。

 天井ではクモが羽虫にとどめを刺したところだった。


「それは、だれ?」

「そいつは教えられねぇよ…それも依頼内容に含まれてんだ」

「……そう」


 そういったっきりニーナは黙ってしまった。また二人の間に沈黙がおりる。


「お待たせしました~。まずはサラダです」


 少女がその気まずい中を割って入ってきた。シオンは正直助かったと思って視線をテーブルに戻した。

 緑の菜っ葉の上に蒸したささみがほぐされて散らばっている。その上には具も何もないシンプルなドレッシングがかかっていた。なんの面白みもない料理だったが干し肉スープと魚生活を続けてきたシオンにとってはごちそうに見えた。

 少女が取り皿を置く。ただしニーナの方にだけだ。


「すまんがこっちなんだ」


 シオンはそう言って自分の方に皿を持ってくると、代わりにサラダの入った大皿をニーナの方へずいっと押し出す。

 店員の少女は思わず目を丸くした。


「え?」

「というわけだ。次の料理も同じようにしてくれよ」

「は、はあ……」


 いくら接客に慣れているとはいえこのケースは初めてだったようで目をぱちくりさせながらまた厨房へ引っ込んでいった。


「それじゃあ頂こうぜ」


シオンが食べ始めたのを見ておずおずと食べ始めたニーナだったが食物を口に運んだ途端いつもの調子が戻ったらしく、あれよあれよという間に皿の中身は空になっていった。

 それからもそのペースはとどまることを知らず、苦笑いした店員がすべての料理を出し終えてから数分でそこには顔中をソースなどで汚したニーナと空の皿があった。


「ご馳走様」


 シオンが手を合わせた。彼は食事の始まりと終わりに必ず手を合わせるのである。ニーナもこの数日で動物が親の行動をまねするように自然と手を合わせていた。


「ほんとに食べちゃった…」


 店員は口に手を当てて驚いていた。


「ナプキンかなにかもらえないか?」

「あ、はい!ただいま~!」


 いそいそと戻ってきた店員から濡れた布を受け取る。顔を拭くと察して濡らしてきた配慮に、ここに滞在する間はこの料亭で食事をしようと決めた。

  

「ほれこれで拭けよ」

「ん」


 ごちそうさまをした後もペロペロと指を舐めるニーナは差し出されたものを素直に受け取り、顔を拭いた。しかし布に顔を当てて「顔を振る」という方法では汚れが取れるはずもなく、ため息をついてシオンは拭いてあげた。彼は満腹になってすぐのニーナは少し無防備になるのを知っていた。


「奇麗になったな」

「ん」


 両手でコップをつかんで一気に水を飲みながらニーナが頷く。こくりこくりと喉がなると小さく「ぷはぁっ」と息を吐いてコップを置く。


「おいしかったか?」

「ん」

「なら良かった…あー、まだ食うか?」

「ん」


 あー言わなきゃよかった。


「ぎ、銀貨四枚と銅貨六枚になります…」


 何故か真っ青になった店員に怯えた口調で告げられたシオンはフォレストパンサーの皮算用をしながら巾着を開いて金貨と銅貨六枚を取り出す。


「金貨っ!?」


 あまりに珍しかったのか息を一気に吐きだすように少女が呟いた。そしてその視線をシオンではなくニーナに移す。

 その意味を知っていたシオンはさっとその射線をさえぎる様に立った。


「それで、本当に申し訳ないがおつりは全部銀貨以外でたのめるか?…その、ゲン担ぎでな…」

「えっあっ、はい。わかりました…」


 戸惑うことばかりでさすがに少女の素が出てきた。手元にそんなに大量の銅貨がなかったために少女は奥へ向かった。

 ジャラジャラ…と大量の金属がぶつかる音がする。少しすると麻袋をもった少女がやってきた。その袋はパンパンに膨れていて、少女の腕が重さでフルフルと震えていた。

 彼女が袋をテーブルに置いたと同時にシオンはその袋をむんずとつかんで持ち上げた。


「ごちそうさま。おいしかったよ」


 そう言うと少女の返答も聞かずにシオンは逃げるようにその店を出た。


宿屋の男は相変わらず不愛想だった。酒のせいか震えている手から札を受け取る。軋む階段を上って部屋へと戻った。

 そしてまた弾まないベッドに身を投げる。その衝撃は床から壁を伝い、天井の埃を降らせるに至った。


「あー食った食った。久しぶりのちゃんとした飯はやっぱうめーや」


 シオンはそう言ってぽんぽんとシャツの間から見えている腹を軽くたたく。通常なら「そうだな」と相槌が入るのだろうがあいにくそこにはニーナしかいなかったので無意味な独り言に一見なってしまった。

 仕方がないので天井を注視する。何の変哲もない天井。そこでシオンは明かりがついていないことに気が付いた。


「おっとすまん」


 がばっと起き上がると、暗闇の中迷うことなく例のランタンを見つけ出す。中身を確認すると意外にも燃料は残っていた。ランタンの横のつまみをひねると明かりがつく。

 室内を弱弱しいが温かい光が照らし出す。ニーナはドアの前に立っていた。


「明日はギルドに行かないといけないから少し早いぞ。ニーナはもう寝たほうがいい」


 シオンは立ち上がってベッドを示した。


「いいの?」

 

 ニーナがきく。


「なにが?」

「ベッドに寝て」

「いいに決まっている。というか寝てくれ。明日あいつに会うんだから、俺がニーナを床で寝させていたなんてバレたら面倒なことになる」


 ニーナは目を伏せ、しばらくしてゆっくりと歩き出した。シオンの横を通り、ベッドにたどり着くとそっとシーツを撫でる。

 そしてゆっくりとその身を横たわらせた。シオンの時とは違い、ベッドや床は何の悲鳴もあげなかった。

 

「……どうして」

 

 シオンに背を向けて胎児のように体を丸めていたニーナからまたも戸惑いの声が聞こえてきた。しかしシオンはそれにこたえることはせず、ランタンの火が揺らめく様をただ眺めていた。

 ニーナも彼の答えを求めるようなことはせず、やがて小さな寝息を立て始めた。



  痛む体を無理やり起こしてシオンは目覚めた。固い木の板に体を横たえるというのは結構な負担になる。それでも朝日が昇るころまで眠っていたのは疲労がたまっていたのだろう。どれだけ快適な寝床が外にあっても心が休まることはない。その点この宿は寝具こそ最悪だが安心感は外の比ではなかった

 ぐいっと体を伸ばすと体中からパキパキと音がする。肩を回してすっかり固くなってしまった筋肉をほぐす。


「ニーナは…っと」


 立ち上がりベッドを見るとニーナの姿が見えた。寝入った時とは異なり体はこちら側を向いている。細く絹のような髪が数本頬から唇に垂れ下がっていた。

 まだ寝ているようだ。

 彼女と初めて会ったときは全然眠らなかった。眠ったとしても彼が何か音を立てるとすぐに起きた。だが、それも一緒にいる期間が増えれば増えるほど少なくなっていった。

 小鳥の口のように狭い窓から光がさしていたが、そこから見えるのは青空ではなく誰かの洗濯物が風に揺られている情景だけであった。

面白みも何もない景色だったが、彼女が起きるまでシオンは黙ってそれらを見続けていた。

 やがてニーナが起きた。「起きだした」ではない。いきなりガバッと目を開いてむくりと体を起こしたのである。

 彼女のその起床方法も今となっては慣れたものでシオンは動じることなく、さっそく外へ出る準備をさせる。とはいっても靴を履かせ、残っていたなけなしの干し肉を全部口につめただけである。

 咀嚼したままのニーナを連れシオンは宿を出た。


 リリナに言われたとおりに冒険者ギルドを探す。すぐに見つかった。なぜならこの町で一番立派で大きな建物がそれであったからである。城のように石を積み上げて作られた建物がそれであった。看板ではなく旗がそのてっぺんに掲げられており、風に揺れていた。

 闘争心を表す赤地の布に金糸で調和を表す逆三角形が縫われているその旗は遠くからでもよく見えた。

 近くに行くほどその大きさに驚かされる。貴族や王族の屋敷よりも高い建物を建ててはならない不文律がこの世界にはあるが、教会や学校、そして冒険者ギルドだけはそのルールの埒外にいた。

 特にこの町のものは政治的思惑が絡んでいるのかシオンが今まで見てきたものの中で五本の指に入るほどの絢爛さだった。

 建物には様々な意匠の彫刻が各所に施されている。よく見てみるとそれらがすべて冒険者ギルドでよく語られる伝説をモチーフにしていることがわかる。

 しかしシオンにとってそういった派手な建物は天敵だった。気圧されて行くのをためらってしまうのである。だが、フォレストパンサーの処理があるので仕方なく来ているのであった。

 シオンは人が少なさそうな朝方を狙ったのだが、開け放たれた大きな扉の向こうにはかなりの大人数が見えていた。

 

 シオンは萎えそうになる心に喝を入れて、建物内に入る。一階は大きなホールになっており、この建物の中で一番天井が高い。オーガだとかトロールだとか人間の何倍もの大きさをほこるモンスターでも軽々と入れるほどであった。

 時折刺さる視線を無視してシオンはずんずんと進んでいく。目的地はホールにいくつか置かれている大きな掲示板である。幸いなことに最初の一つ目に目当てのものがあった。


『シオンへ 二番通りの宿屋”タンカード”303にて リリナ』


 ずいぶんと達筆な字で書かれていた。内容から彼女本人が昨日のうちに書き残したのだと思われるが、どうもしっくりこなかった。もっとこう雑なほうが彼女に似合っている。というか文字書けたのかと驚いた。

 列に並んでギルドの受付嬢から伝言をきくのが面倒だったのでまず最初に掲示板を見に来たのだが思わぬ当たりだった。もう用は済んだとさっさと踵を返しシオンはニーナの手を引いてその場を立ち去る。

 タンカードという宿屋もすぐにわかった。標識に従い二番通りへと向かうと看板にベッドと大樽が描かれた宿屋があったからである。周辺にはめぼしい宿屋もなくおそらくここであろうと思い、宿屋の従業員にきくと確かにここがタンカードだと答えられた。

 自分が泊まっているところに比べ全てにおいてはるかに洗練されている。受付にはさわやかなスマイルを浮かべる従業員がおり、服もピシッとしている。明かりが隅々までいきわたり、塵一つない清潔さ。何よりじろじろと見てこない。教育が行き届いている。

 何様かわからない評価を下したシオンは敷かれた真っ赤なじゅうたんにボロボロの足を包まれながら、リリナの主人とやらは相当な身分のモノなんだなとぼんやりと考えていた。

 三階へと上がる。廊下の両端に規格化された白いドアがいくつも並んでいた。その中に303号室があった。

 ドアノックや呼び鈴の類は無く、どうやってリリナを呼ぼうかと迷った。まず間違いなくご主人とやらがいるだろうし…。リリナの話だとシオンの嫌いなタイプだから接触は避けたい。


「あーリリナいるか?俺だ、シオンだ。例の件なんだが…」


 二、三分ほど迷ったが、結局はためらいがちにノックする。返事はない。何度か小さくノックしていたが何の反応も返ってこないので、しまいには拳をたたきつけるほどにまでなっていた。

 向かいの部屋の客が何事かと飛び出してきたが、キッと睨んでやるとすぐに引っ込んだ。

 

「チッ居ねぇのか」


 シオンが帰ろうとすると、ドアの奥から声が聞こえてくる。女性の悲鳴と陶器が割れる音、男の怒鳴り声。本来この宿は魔術的防音処理が各部屋になされており、内部の音だけを通さないようになっている。しかし彼の耳はもめごとの音を確かに聞き取っていた。


「おいおいおい…」


 ドンドンドンとノックを繰り返すが、中からは黒板を引っ掻いたような裂帛の声。


「…くそ」


 決断したシオンは素早かった。カギを例の長方形の道具で打ち壊すとドアを蹴飛ばす。勢いよく部屋へと入ると、微かに肉の焼け焦げた匂いが鼻を突いた。声はベッドルームからだ。


「ニーナはここにいろ…おい!リリナ!」


 シオンは叫びながら部屋へと急ぐ。ベッドルームへのドアを開けるとそこにはベッド組み伏せられた女性とその上に乗る半裸の男。男は醜く肥え太った体に大粒の汗をかいている。シオンの侵入に気が付いて振り向く。その時丁度拘束が緩んだため女はここぞとばかりに男を両足で蹴り上げると、シーツで体を隠しながらシオンの方へと逃げてきた。


「助けて!!」


 やはり女はリリナであった。彼女が近づくと先ほどから漂っていた焦げた匂いが強くなる。


「…!」


 シオンは息をのむ。彼女の首が首輪を中心にしてひどく焼けただれていたのだ。においの原因はそれだった。

 リリナはシオンの顔を見ると安堵と同時に悲しみの表情を見せた。シオンの視線に気づいたのだ。

 唇を噛みしめた彼女にシオンは問う。


「どうしたんだ」

「あいつが…首輪を最大出力で…」


 口を動かすと激痛が走るためにつっかえつっかえだった。声はか細くしわがれていた。昨日のような快活な姿がうそのようで、ひどく弱弱しかった。


「て、てめぇはな、なんなんだ!!」

 

 我に返った男が蹴られた腹をさすりながらベッドの上で叫ぶ。下には何も履いていなかった。それだけでシオンはリリナに何が起こったのかを理解した。わかってしまった。リリナを背にシオンは拳を握りしめた。

 彼から漏れだす殺気に男もさすがに気が付いた。しかし怯えることはせず、人を見下した態度で下卑た笑みを浮かべた。


「いいか?俺は貴族だ、しかも伯爵家の人間だ。下民の貴様がこの俺に敵意を向けたらどうなるかわかってんのか!」

 

 言葉の端々を脅すように区切るたびに唾が飛んだ。シオンが何も言わずにいるとますます声のトーンは高くなっていった。


「死だ!死が待っている!だがなぁ今の俺は忙しいんだ。わかるか?忙しいんだ!お前のようなものにかまっている暇なんてないんだ。だからなチャンスをやろう。お前の後ろにいる汚らしい獣人を渡せ。そしたら今の無礼を許してやる」 

「…許す?」


 シオンは目をつぶって答えた。


「あぁそうだ」


 笑いながら男は手招きする。男は確信していた。この風変わりな男は必ず首を縦に振る。邪魔が入り少し冷めてしまったが、リリナが戻ってきたらそれでいい。あいつは衰弱している。首輪がなくとも抑え込める。そしたらあの生意気な耳をちょん切って、だれが主人か教えてやる。

 男は……許してやるといったがあれは嘘だ。適当な刑でも作り上げて法の下に正当な拷問を加えてやる。俺じきじきにな…。まぁ何はともあれまずはリリナだ。


「さぁ渡せ」


シオンは動かない。男はいらいらしてきた。


「どうした?死にたくないだろ、ん?」


これが最後だと語気を強めて言う。それでもシオンは固くこぶしを握り締めたままだった。あと一押しか。男はそう思った。


「そうだ。金をやろう。お前は命を救われ、金も手に入れるんだ。悪い話じゃないだろう」


 金なんかやるわけない。だが、この言葉はきいたようでシオンはようやく口を開いた。


「わかった」


 リリナが後ろで息をのむのが分かった。


「もう、止めてくれ」

「?」


 シオンは嘆息する。深く、長く、本当に馬鹿馬鹿しいといった風だった。彼は男を睨みつける。


「その臭い口を開くんじゃねぇといっているんだ」

「きさっ!」


 シオンの言葉に男が激昂しかける。

 その瞬間リリナには何が起こったのか分からなかった。もちろん殴られた本人も分からなかったはずだ。

 殴られたと、男が理解するのにしばらくの時間を有した。倒れ伏した自分の体、波のように痛みを訴える頬、目の前に落ちている折れてぶっ飛んだいくつかの歯。それらが頭の中でうまく結びつかない。

 わかっているのはどうやらそういう状況にあるという結果だけ。


「な゛、なに゛ぉしだ」


 男は口の中に有刺鉄線を入れられてしまったんじゃないかと思うほどの激痛を感じていた。口を開くと唾によって薄められた血がゴポッと溢れ出す。

 視界が揺れている。さらに右目はもやがかかっているようによく見えない。

 あいつは、シオンは、彼の足元に立っていた。

 先ほどまで奴と俺はどのくらいの距離で話していた?こんな近かったか?

 いや間違いなくコイツはベッドの向こうでリリナを庇っていた。それが何故。


「な、なにが…」


 シオンの奥にいるリリナも首の痛みを忘れて驚いていた。

 

「…いいか、もう二度と俺とリリナの前に現れるんじゃねぇ」


 静かな怒りを湛えた低い声。殺気を向けられていないリリナでさえ震えるようだった。シオンがとてつもなく巨大な姿に見えた。

 シオンの怒気に男は頭を抱えて怯えた。体を精一杯丸め、急所を隠す。水銀の風呂に沈められたようなプレッシャーにもはや返事をすることもできなかった。

 シオンはそんな男の姿を見ると静かに背を向けてベッドを降りる。あの宿屋とは違ってスプリングが入ったそのベッドは彼が下りた途端、反発で男の体を持ち上げた。それにすら恐怖を感じる男は情けない悲鳴を漏らした。


「いくぞ」


 そう一言リリナに告げると歩き出す。戸惑っていたリリナだったが、突然くるりと後ろを向いて男に唾を吐きかけるとその背中を追った。



 シオンはそれからは宿屋に着くまでずっと無口だった。道中の人々、そして受付の男はシオン達を見てぎょっとしていた。そして腫物を扱うようにそっと道を譲ったのである。札を受け取り部屋へと入ると、ようやくシオンは口を開いた。


「座ってくれ」


 リリナは言われたとおりにベッドに腰かけた。いまだ激痛と先ほどの出来事で頭がぼんやりとする。


「ちょっと試したいことがある。ニーナ」

「?」


 それまでドアの前にいたニーナはなぜ自分が呼ばれたか彼女にはわからなかったが、シオンが呼んでいるのでベッドに近づいた。


「リリナの首輪に触れてくれないか」


 これにはリリナ、ニーナの二人とも疑問符を浮かべた。しかし命令には従うもの。雑念を捨てニーナは言われたとおりに首輪に触れる。当然何も起きない。離そうとした指をシオンが止めた。


「そのまま」


 リリナは彼らが何を意図しているのか測りかねた。だが彼の真剣なまなざしを見てしばらく状況を見守ることにした。

 すると。

 パキン。

 彼女が待ち望んでいた音が鳴った。


「え?」


 自分の腿の間に落ちたそれを見てリリナは一瞬痛みも忘れた。


「首輪が…」


 リリナの目じりに涙がたまっていく。


「…とれた」


 首輪を取り上げると恐る恐る眼前へと持ち上げる。


「とれた!とれた!ははは!」


 リリナははしゃいだ。しかしそこで忘れた痛みがやってきた。


「っ…!」


 思わず顔をしかめて首輪を落としてしまう。首輪の最大出力は想像以上に酷かった。首周りの筋組織は焼けただれており、こうなると回復薬では傷は治らない。回復薬は自然治癒力を限界まで高めるものであり、ひどい火傷などは痕が残ってしまう。

 女としては致命的ともいえる傷が残ってしまった。


「治したいか、その首」

「えぇ当たり前よ…これじゃお嫁にいけないでしょ?」


 わざとおどけて言うが内心はショックだった。


「なら、フォレストパンサーの分け前を全部よこせ」

「治せるならなんだってくれてやるわ…でももう無理なの」

「その言葉、忘れないぞ」

「言質を取ったって無駄よ」

「そうか?」


 シオンは懐からあの夜に使った小瓶を出した。


「飲め」


 ポイっと投げられた小瓶をリリナは慌てて受け取る。一見すると空の瓶だった。


「これは?」

「いいから飲め。形が確定する前に」


 形が…。その言葉にリリナはまさかという表情をする。まじまじと小瓶を眺めると紫のガラスの底に雫があることが分かった。たった一滴。

 これが?

 栓を開けて口に持っていくとつぅーっとその一滴がリリナの中に取り込まれる。


「あっ」


 リリナはまず熱さを感じた。首が熱い。火酒を飲んだ時のようなカッカッとしたほてりが首に渦巻いている。続いて体中に血液がいきわたるような感覚。体の末端があまりの血流にむずがゆさを覚える。

 明らかに回復薬とは違うこの感覚。


 まさか、本当に。


「…成功だな。じゃ約束通り全部頂くぞ」


 しばらくして丁度感覚が収まった時に聞こえたシオンの声にリリナは自分の首を触った。痛みが消えている。それに指から伝わってくるのは滑らかな肌の感触。 


「エリクサー…」

「細かい名前は忘れちまった」


 シオンは何気なく言った。リリナはクスリと笑う。


「本物だったら飲まずに売ればよかった」

「おまっ…だぁーどうしようもねぇ奴だな」


 シオンは呆れてしまった。リリナはもう一度首を触って確かめる。


「治ったのね…本当に」

「あぁ」

「感謝してもしきれないわ」

「あぁ」

「本当に感謝したいところだけど、ここはあなたの厚意に免じて分け前を全部やるだけにするわ」

「あ…ん?」

「それでこの件は終わりね」

「???」


 シオンは遅ればせながら気づいた。もしかして交渉に失敗したのでは?そうだ、確かにあの薬を売ったらもっとお金になったかもしれない。それにかこつけて法外な値段を請求しても良かったのでは…。


「ち、畜生」

「まぁまぁお姉さんがフォレストパンサーの手続きはやってあげるから」


 ぽんぽんと慰める腕を払いのけてシオンは食い下がる。


「あ、そうだ!首輪の分は?奴隷解放のための金あったろ!?」

「それはしてくれなんて頼んでないわ。しかもよくよく考えればニーナちゃんの手柄じゃない?」

「ぐぬぬぬぬ」

「途中までカッコよかったのに今はみっともないわよ」 


 すっかりリリナのペースであった。先ほどまでのしおらしさが嘘のようだ。


「ニーナちゃんの服代は私が出すからそれで勘弁してよね」

「くそっ一番高い奴にしてやる!」

「コーディネートは私よ。約束したでしょ」

「なんて奴だよ全く……」

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