【サブエピローグ】
各地の神話を調べる。アシタバ半島だけではなく、大陸中央も、それより東も全部。レクスはそう言いだした。それから、アシタバ半島の王の一人になったらしく、揉め事の際は仲介するらしい。
知らない丘の上でフェンリス様とニールしかいない結婚式をして、そのまま岩窟龍国。はっきり言って、訳が分からない。あと、信じられない。王子様が王子を辞めて、チンチクリンな私と結婚。先の事より、まずはそれ。どうしてこうなった? その話が先だ。
アピスの背の上で、私はずっと自分の左手の薬指に嵌められた指輪をぼんやりと眺めている。お父さんの故郷で使うらしい、神聖な印に青と緑の美しい宝石。眺め続けていてもちっとも飽きない。レクスはニールとずっと話し込んでいる。
〈セレーネ、早くロトワに帰ってきて。お祝いする〉
ロトワアピスの子が「早く、早く」の大合唱。煩すぎて少し頭が痛くなってくる。私とレクスは、岩窟龍国の次にお父さんが作った村へ行くだろう。多分、そう。昔、お父さんが助けた難民達が暮らす、ロトワの巣に近い村。もう何年も前から暮らしているけれど、変な子扱いされているから、あまり帰りたくない。それより、親切で温かい流星国の方が良い。
いや、何処にも住まないのか。各地の神話を調べたいってことはそういうこと。嫌ではない。レクスと居たら、私は絶対に幸せになれる。レクスと知り合って友達が出来たし、そもそも好きな人の隣というのが幸せだ。
「セレーネ? 難しい顔をしてどうした?」
レクスに問いかけられて、私は言葉に詰まった。
「えっと……あの……。その……流星国……」
「そうですよレクス王子。じゃなかったオルゴー。とりあえず、フィズ様やセレーネと、きちんと今後の事を話し合うように。色々調べたい、新しい薬も開発したいなんて、何処にも定住しないってことだろう?」
ベシリ、とニールがレクスの背中を叩いた。
「レクスはいつも思い込んだら猪突猛進だからな。セレーネ、言いたい放題しないと、振り回されるから気をつけろよ」
「進言ありがとうニール。すまないセレーネ。そうだ、あれをしたい、これをしたいって自分の事ばかり。夫婦で話し合うのは至極当然。どんな意見にも耳を傾けるから、きちんと話をしよう」
穏やかで爽やかな笑顔。かあっと体が熱くなる。夜で良かった。赤くなったのがバレない。夫婦……この人と夫婦……。
「セレーネ?」
顔を見るだけで恥ずかしい。思わず俯いてしまった。
「あり、ありがとう。うん……話し合いはきちんとしたい……です……」
視線を落としたら、つい指輪を見てしまった。
「さっき素晴らしい荘厳な結婚式を挙げられたけど、セレーネの為に普通の挙式もしたい。でも、表向き行方をくらますから流星国では挙げられないよな……」
エリニスが消えるから、流星国に居続けると王にされる。だから流星国から離れる。もっと良い人生、更には国にも還元出来る道を見つけた。それは聞いた。レクスのように頭の回転が早くないので、まだ飲み込めてないけど、何となくは理解している。レクスはお父さんみたいになりたいらしい。あちこちで人助け。
「それなら煌国のご隠居様に頼んでは? 駆け落ちしたとか言って」
「それだ、ニール。煌国ではなく岩窟龍国。ルタ皇子に頼もう。助けたし、義兄弟になる……なるのか……腹が立つな……」
話し合おうと言ったばかりなのに、何か勝手に話が進んでいる。
「あのー……結婚式だなんて……そんな大変そうな事……」
結婚式は一度だけ見たことがある。つい最近だ。流星国へ行く途中、アルなんとかって国のどこかの街で見た。とても綺麗な可愛い感じの女の人と、無表情の男の人が丁度挙式をしていて、結婚式というものを知った。お父さんとお母さんもあんな風に着飾って、愛を誓い合ったと惚気られた。確かに、あれはしてみたい気がする。でもルタ皇子に頼もうとか、何か大変そうで気が引ける。
「大変そう? それならその大変な事は僕が手配する。君の負担が無いように。君の御両親や姉、それに友人に宣誓したい。美しく着飾った君も見たい。絶対に綺麗で可愛い」
急に褒められて、変な汗が出てきた。レクスはいつもやたらと褒めてくれる。
「惚気るなら夜にしろ」
「惚気? 夜? 今ももう夜だろう?」
ヒソヒソ、ニールが何かをレクスに耳打ちした。するとレクスは俯いてしまった。
「いやあ、それにしてもアピスって凄いな。飛行船よりもずっと速い。おまけにそんなに羽音がしないから割と快適。何日もかかる岩窟龍国までひとっ飛びって世界は広い。でも寒いな」
なっ、と笑いながらニールがレクスの背中を押した。レクスの体が私に向かって倒れてくる。レクスは上手くバランスを取った。
「危ないなニール! セレーネが転落したらどうする」
よろめいた私を支えてくれてレクスの腕。カチカチッと体が固まる。引き寄せられて余計に酷くなった。近い、近い、近い!
「そんなに押していません。寒いから温めてあげるように」
クスクス笑いながら、ニールはそっぽを向いた。
「余計な真似はしなくて良い。彼女と触れ合うのは君が居ないところ、二人きりでだ」
「ふっふれっ⁈」
変な声が出た。レクスはニールの背中を睨んでいる。
「セレーネ、心配しなくて良い。僕がいる限り、君を落下させたりしない」
耳元で囁かれて、益々体が熱くなった。まるで燃え盛る焚き火に飛び込んだみたい。いや、飛び込んだ事なんて無いけど……。
「寒く無いか?」
そう言いながら、レクスは私に上着をかけて、肩を抱き、腕をさすってくれた。何これ……夫婦ってとんでもない……。放心していたら、あれよあれよという間に岩窟龍国の皇居の部屋にいた。ここ何処? 状態。で、あれよあれよという間にティア姫とお風呂に入っていて、気がついたら浴衣という寝巻きを着せてもらっていた。
それで、貸して貰った部屋で、ティア姫と皇居で働くという女の人達に取り囲まれている。ティア姫の隣にはアンリエッタとカールもいる。アンリエッタは少し元気が無い。でも、カールと何か言い合っている。私はというとティア姫や、若い女の子達に質問責め。ティア姫は聞き出し上手なのか、私はついついレクスに告げられた、夢みたいな台詞の数々を話してしまっている。
「あんな素敵な王子様に素敵……」
「羨ましいですセレーネ様。はあ……私も殿方にそんな事を言われてみたいです」
「この国の殿方は寡黙です。私、流星国へ奉公に行きたいって父上に頼んでみようかしら」
逆の立場なら、私も似たような事を言いそう。ただ、未だに夢みたいだし恥ずかし過ぎる。
「あら、ティアはルタ様から素敵な龍歌を頂きました。この国にはこの国の素晴らしい文化があるではないですか」
両手を頬に当てて、照れ照れし出したティア姫。破壊的に可愛い。髪は無いし、顔に謎の斑点。多分、ブブクの胞子のせい。あれは厄介。アピスの毒消しでも完治しない。流星国にブブクの肌侵食に対抗する薬になる植物を育ててもらわないと大変。割と悲惨な見た目になっているのに、ティア姫は神々しい程の可憐さ。こんな人が世の中にいるとは驚きしかない。
部屋にいる女性達が次々とティア姫の惚気を聞き出す。ルタ皇子の話をし出す。何でも生真面目で堅苦しく、女嫌いな皇子らしい。特に美人。佳人は驕り高ぶり性悪と常日頃そう言って、女を毛嫌いしていた。でも、ティア姫のことは好きになり、婚約したとか。世界は広い。小さな村で、いじけているな。人を分かった気になるな。もっと人付き合いをしなさい。お父さんにそう言われてきたけれど、その通りだった。世界は広い。
「失礼します」
この声、レクス。襖とかいう変わった扉の向こうからレクスの声。少しして、襖が開いた。レクスが正座というこの国の座り方をしている。私とお揃いの白い浴衣。胸元に小さな青い花で、帯とかいう紐は朱色。全部お揃い。
「そろそろ休もうかと、妻を迎えに来ました」
また妻! 全然慣れない。ぼけっとしていたら、隣にいるティア姫に背中を軽く叩かれた。
「お姉様、お休みなさい。また明日話しましょうね」
「おね、お姉さ……お姉様? お姉様……あっ、は、はい! はいティア姫! お休みなさいませ!」
立とうとしたら、裾を踏んづけて転びかけた。流星国のドレスも裾が長くて大変だったけど、浴衣はもっと大変。大股で歩けないし、立ち座りする時のバランス感覚が難しい。サッと立ち上がったレクスが、スススッと近寄ってきて抱きとめてくれた。
「慣れない衣服だから大変だろう。でも、怪我をしたら悲しいし、辛い君を見たくないので気をつけてくれ」
ぽそっと耳打ちされて、血が逆流したかと思った。いつも、ずっと優しいレクスがもっと優しくなっている。だからか、お菓子を食べた時よりも甘い気分。サッと私の手を引くと、レクスは華麗な会釈をした。
「では皆さん、お休みなさい」
「あっ、あの、お休みなさい」
レクスに倣い、私も会釈。レクスがそっと襖を閉めた。私の手を握り、廊下を歩き出す。はて、そう言えば何故レクスは私を迎えに来たのだろう? 今いたところが、私の部屋と言われた場所だ。
「レクス? あの……迎えって……」
「ん? まだ早かったかい? もう少し歓談したかったなら戻ると良い。でも、そろそろ皆寝る時間だが……月があんなに高いし……僕もそんなに我慢したくは無い……」
足を止めると、レクスは自分の前髪を弄り出した。それで、少し不貞腐れたように唇を尖らせている。
「我慢? ああ、そうだったわね。レクスと話し合いをするって言っていたものね。こんなに遅くからなんて寝る時間を削ってしまうから、明日にしない? あー、その顔だと明日は嫌なのね?」
「話し合い? 話し合いではなく……あー……セレーネ……。もしや……」
レクスは口を軽く開いたまま、しばらくぼんやりしていた。その後、髪をくしゃりと掻いて、私に背を向けた。そのまま私の手を引いて歩き出す。
「うん。話し合いは明日にしよう。セレーネ、嫌な時は嫌だと……まあ、君の力なら僕を止めるなんて朝飯前だから大丈夫か。いや、僕はきちんと理性を総動員して君の嫌に耳を傾ける。嫌な時は言ってくれ」
「嫌? 嫌って何? レクス?」
返事は無い。廊下を進み、何度か曲がり、何処かの部屋についた。皇居という変わったお城は迷路みたい。部屋には大きな天蓋つきの脚のない寝台があった。それに本棚がズラリと並んでいる。それから脚の低い机。珍しくてキョロキョロしていたら、レクスに抱きしめられた。手を繋いでいるだけで嬉し恥ずかしだったのに、また抱きしめられた! 確かに両親もこんな感じな気がする。
「大好きで……妻なので……色々触れ合いたい……例えばキスとか……」
そう言うと、レクスは私の頬にそっと唇を付けた。これは、挨拶のキスとはまるで違う。エリニスが私をからかったのとも違う。レクスと目が合う。私を焼け焦がしそうな熱い眼差し。そうだ、恋人や夫婦はキスをする。キ……キス……レクスと? 王子様と⁈ しかもキスってどうやってするの⁈
「あー……セレーネ? 返答が無いのは困る。その……キスも嫌ってことだと……」
レクスは私を離して、頭を抱えて蹲ってしまった。
「それだとあれか? まさか愛を誓い合った事が既に勘違いなのか? そういえば、僕は高らかに愛を告げたけど、君からの返事は貰っていない。いや、聞いた。それに指輪も……」
「まあレクス。私、キスが嫌だなんて言ってないわ。それに……その……ちゃんと……私も……言ったと思うのだけど……」
恥ずかしいけれど、黙っていたら伝わらない。レクスはアピスじゃないから、心と心では通じ合えない。それは学んだ。しゃがんで、レクスの顔を覗き込む。愛しているは敷居が高過ぎる。
「す、す、好き……好きよ……。あの……キスが嫌だなんて……というかそんなことした事無いから……」
……。
……。
……ん?
レクスはもしかしてした事がある? そうかもしれない。抱きしめたり、色々言ってくれたりする時に、そんなに緊張していなさそうだし、そうだろう。優しくて、面白くて、うんと格好良いキラキラした王子様なのだから当たり前だ。仕方ないけれど、自然と眉間に皺が寄る。
「嫌では無い? なら良かった。あー……我慢か。そんな顔をして……」
「違うわ。レクスが誰かとキスした事があるって気がついて、何だかんだモヤモヤ苛々して……」
「気がついて? そんな事実は無い。僕は君だけだ。君以外は居ない。初めて恋に落ちたのだから至極当然だ。ああ、それを知らなかったのか。言ってなかったもんな。ヤキモチとは嬉しい。それだと拗ね顔がとても可愛く感じる……」
頭を撫でられて、頬にまたキスされて、その後に本物のキスをされた。教わってなくても、目を瞑って、任せれば良いのだと分かった。多分、本能。きっとそれ。
甘ったるくてふわふわする。
胸一杯に幸せ。
こうして、恋に気がつかなかった大狼王子の初恋は実りました。初恋はひと段落ですが、今後も相手や周囲をぶんぶん振り回し続けるでしょう。
【後書き】
拙い作品ですが一生懸命書きました。最後まで読んで頂いた方、ありがとうございます。




