大狼王子、血塗れ王子と対立する 9
「止めろ! 私を殺すのか! 化物男!」
腰を抜かして後退りするジョン王子。鞘から剣を抜き、一歩、一歩と近寄る。いつの間にか、ティダが居ない。大蛇の間の上でジョンと二人きり。足元では、新たな王の誕生に対する大歓声が上がっている。
「いや、何か申し開くことはあるか? 禁足地と伝えられている土地に部下を侵入させ、荒らさせ、捕えさせた子を笑いながら殺した。貴方はそう責められている」
「禁足地? 捕らえた子? 化物の巣で化物退治をさせた事か? ち、近寄るな……」
訳が分からないというように、ジョン王子はかぶりを振った。彼等がジョン王子に即座に報復しなかった理由は何だ?
「いや、化物ではない。彼等はこの国を守護してきた。なのに貴方は国の代表として恩に仇を返した。悔い改めるなら、贖罪の道を共に考える。ジョン・ドメキア、己を省みろ。何故、シャルル王子やルイのように王に望まれなかったのか。即殺されなかったのだから、まだ間に合う」
「これ以上朕に近寄るな化物! そんな目で朕を見るな! 裏切り者が高飛車な発言をするな!」
震えるジョン王子の目線が僕ではなく、後方に注がれた。振り返ると、音もしなかったのに、フェンリスが居た。風に靡く純白の毛は少し濡れているようで、太陽の光を反射して煌めく。僕と目が合うと、フェンリスは唸り、視線をジョン王子へと移行させた。
「晴れの日に友の体を血染めにする訳にはいかない。化物は牢獄に投獄である」
悲しげな声はセレーネ。炎のように荒々しく揺れるフェンリスの尾の向こうから、セレーネが現れた。いや、フェンリスに意識が向かっていただけで、同時に現れたのだろう。それか、フェンリスが彼女を連れてきた。セレーネの腕の中には緑色の産毛のアピスの子。母親が子供をあやすように、撫でている。彼女の目は真っ赤だ。セレーネの腕の中のアシタバアピスの子の三つ目も同じ色。
「アシタバアピスの子は、助けようとしてくれた人の王の冠になった。人の王はとっても優しい。きっと誓いを続けてくれる。酷い匂いのする化物はもう家族じゃない。悪魔の国で暮らせば良い」
セレーネの深紅の瞳に溜まった涙が、強風で吹き飛ぶ。まるで流れ星のように空へ散っていった。憎々しげな表情で、まるで汚物を見るような目でジョン王子を見下ろしている。助けようとしてくれた……シャルル王子が選ばれた理由はそれか? 先程の冠は殺された子が材料?
「冠? 牢獄? 悪魔の国?」
「共に生きようという王が……レクスが……酷い事、辛い事をするなんて嫌だから皆許すの……」
何の話だ? そう思った時に背後から気配。振り返ると、ジョン王子が飛び掛かってきていた。こんな緩慢な動き、捕まえられたり、ましてや殴られる筈がない。軽く避けて、彼の足を引っ掛ける。瞬間、フェンリスが豪快な吠えを放った。牙を剥き出しにしてジョンを威嚇する。
「止めろフェンリス。恐怖を与えると益々考えなくなる」
「ひっ! 化物!」
また化物。ジョンは本当に何にも耳を貸さない。どうするべきなんだ? よろめいたジョンは、後ろに下がり過ぎて、踏み外して体制を崩した。ジョン王子が塔から落下しそうになり、思わず手が伸びる。罰するにしても、まだ何も彼から話を聞けていない。剣を手にしていない左手をジョンに伸ばした。落下寸前で手首を掴めた。剣を床の石と石の隙間に突き刺し支え代わりにする。すぐに引き上げようとしたが、思ったよりも左腕に力が入らない。怪我が治りきっていないせいだ。
「触るな化物男!」
喚きながら、ジョン王子が身をよじった。
「暴れるなジョン! 落ちて死ぬぞ!」
「汚い手で触るな! 離せ! 触るな!」
離せってこの状況で死にたいのか? 尚もジョン王子は暴れた。
「同じ死ぬでも悔い改めて謝罪してからだ! 禁足地の話もしてもらう! 落ちて死にたくなければ暴れるな!」
チラリ、と下を見たジョンの顔がみるみる青くなった。
「朕を離すなレクス! 離したら殺すぞ!」
「滅茶苦茶な男だな! 離して無いだろう⁈ だから暴れるな! 引き上げるから大人しくしていろ!」
「離したらお前の胸糞父や朕をバカにして袖にするティアごと何もかも滅する!」
ジョンの反対側の手が僕の腕を掴んだ。爪が食い込みそうな程の強さ。この状況で、助けようとしてくれている相手の家族を罵倒とは頭が痛い。
「っ痛!」
急に左腕に痺れが走った。そのせいで手の力が緩む。この痺れ、嵐の夜にアシタバアピスの子を助けた時の怪我のせいだろう。毒消しをもらって良くはなったけれど、元通りではない。だからこんなに力も入らない。見ているはずのセレーネやフェンリスからの反応は無い。多分、このままジョン王子が落下することをインセクトゥム達が望んでいるのだろう。いや、そうか? さっきセレーネは許すと言っていなかったか?
「止め……離す……なっ……」
僕の法衣の袖が破れた。おまけに左手からも強い痺れのせいで更に力も抜ける。ジョン王子の体は地表へと勢い良く吸い込まれていった。咄嗟に飛び降りようとすると、後ろに引っ張られた。フェンリスの前足が僕の肩を抑え、踏みつける。更に僕の体の上に、のしかかってきたのはティダだった。今までどこにいた?
「世は因縁因果。命を守る左手が、守るべきではない命だと決めただけだ。なのに娘とあの子達は君の誇りを背負うらしい。フェンリスは止めたのに、君の代わりにあの男を助けようとしたしな」
引きずられ、端まで連れて行かれる。セレーネがジョン王子を助けようとした? 僕に手を貸してくれないのはアピス達に同調したのかと思っていた。
「僕の誇り? あれ……」
緑と鉛色の塊が空に浮かんでいる。
「化物のような命さえ尊ぶ。良い心構えだオルゴー。南には彼等に悪魔の国と呼ばれるところがある。そこに捨てて終わりだそうだ。セレーネが君が手を離してしまった事で傷つくと、血塗れ野郎を助けに飛び降りた。一度近くまで戻ってくるぞ」
ティダの言う通り、緑と鉛色の塊はこちらへと戻ってくる。上にセレーネが立っていて、片腕でジョン王子を抱えているように見える。
「しかし、私とレークスはそれでは不足とする。民に示しがつかない。二度と嗜虐を楽しめないように視力を奪い、二度と非道な命令を出来ないように声を奪い、武器を持てないように手を奪う。その上で我が故郷前に捨てる。安易な死、謝罪のないままの死を是としないのは良いが、共に考えよう? まあ、まだ間に合うは正しい解釈だった」
低く唸るような声に少し震えた。甘っちょろい、そういうような目付き。
「故郷? 南って大陸覇王と呼ばれる……」
無言で僕を離すと、ティダが大蛇の間の上から飛び降りた。ティダが乗ったのは羽の生えたセルペンス……ではなく、アピスがセルペンスを掴んで飛んでいる。一瞬、巨大な鷲かと思った。この地に伝わる蛇神は海蛇達だと思ったが、鷲神とはこれか。ティダはセレーネとすれ違い、ジョン王子を奪って行ったように見えた。セレーネ達が戻ってきた時、案の定、ジョン王子は居なかった。セレーネはアピスの子達の群れの上から、大蛇の間の上に着地するなり、僕に抱きついた。思わずよろめく。
「安心してレクス! 私が代わりに助けたわ! さっきのは仕方なかっただけ! だってレクスの腕はまだ完治していないもの!」
強く抱きしめられ、全身が熱くなる。次々とアピスの子達が僕とセレーネに突撃してくる。どの子も皆、目が緑色。芽吹いたばかりの若草のような綺麗な色だ。ティダが言い残した通りの発言に、僕は思わずセレーネを抱きしめ返した。
「そう聞いた。ありがとうセレーネ……。でも良いんだ。僕は……彼が己を省みないのならば……罰が死でも仕方がないと思っていた……」
そうだろうか? 思い出しても手が震える。単にジョン王子を手にかけたくなくて、それらしい言い訳を並べただけな気もしてきた。
地上からシャルル王万歳という歓声が聞こえてきた。王、か。シャルル王は飾りの王で僕が王らしい。こんなんで大丈夫なのか? しかし、自分で決めたのだから前に進む。不可侵の掟や助け合おうという誓いを、この時代で終わらせてはならない。
「でもレクスはそんな事しなかったわ。皆が見ていて、聞いていたもの。私もそうよ。悪魔は死ぬべきだけど、レクスが庇うなら反省するかもって皆が……違うったら! っもう!」
「ん? どうしたセレーネ?」
突然セレーネが僕の胸を押した。怒り顔である。
「繁殖期って言わないで! 遊べ、遊べって私は今レクスと大切な話をしているのよ! バピス!」
セレーネが突撃してくるアピスの子を掴もうとして、逃げられた。
「繁殖期? すまなかったセレーネ。僕が思わず感極まって君を抱きしめたせいだ」
「違うわ! 私がつい……」
セレーネは僕を見て赤くなり、俯いた。両手を握り、指を弄っている。
「繁殖期とは僕の下心のせいか? 今回の件もそうだが、考え方が違くてよく分からない。セレーネ、僕はこの地の王らしい。一人では何も出来ない。彼等に歩み寄るのを手伝って欲しい」
僕はそっとセレーネの両手を取った。




