大狼王子と蛇鷲神話 7
ニールと父上と帰国後、僕はシャルル王子とルタ皇子を連れて岩窟龍国へ向かう事になった。表向きはシャルル王子とルタ皇子の亡命幇助。それらしく誘導した。真実はシャルル王子とルタ皇子に絆を作るため、らしい。僕やセレーネが不在の間、シャルル王子の看病や激励をし続けてくれたのはルタ皇子である。エリニスを岩窟龍国へ呼び寄せる意味も持つのだとか。全てエリニースことティダの指示。エリニースではなくティダと呼べとか、あれをしろこれをしろ、理由は語らないなど、彼は割と自分勝手。僕にも「オルゴー」というあだ名を付けた。誇りとは畏れ多い。
飛行船で東へ向かい、数日後、岩窟龍国へ到着した。ルタ皇子は僕とシャルル王子を、自分の父親——皇帝——に任せると直ぐに何処かへ消えた。僕は皇帝陛下とシャルル王子を帯同してきたニールに任せ、ルタ皇子を追った。エリニースから彼を見張るように指示されている。皇居と呼ばれる朱色の建造物は、そんなに複雑な造りではないので、ルタ皇子を見失ったりしなかった。
ルタ皇子と白い法衣の者が廊下ですれ違う。するとルタ皇子は振り返り、叫んだ。
「お待ちください!」
白い頭巾から覗く顔はティア。僕は目を丸めた。ティアの美しい顔半分が灰色になっている。それに滑らかで綺麗な肌だったのに、灰色の部分はボコボコして見える。
「その顔、どうしました? 痛いです? 辛くは無いですか? 何があったのです? 何故そのような格好を?」
ルタ皇子がまくし立てた。
「まあルタ様。恥ずかしいので見ないで下さい。久々過ぎて、それに数々の情熱的な文もいただき、ティアはルタ様を直視出来ません。今も逃げようとしていました」
のんびりとしていて、照れた様子のティアの声。顔が悲惨な事になっている悲しみや、辛さというのはまるで感じられない。情熱的な文? 待て、ルタ皇子はティアを毛嫌いしているのでは無かったか? ルタ皇子と父と何やら話し込んでいたのはその事?
「いや、見たいので見ます。帰国が遅くなってすみません」
「いいえ。寂しかったですけど、素敵な文を残していただきました。真心たっぷりで、毎日楽しく過ごせました。ありがとうございます」
熱視線で見つめ合う二人。つまり、そういう事だ。彼は悪い男ではないし、ティアの初恋の相手。しかし、無性に腹立たしい。
「何だかよく分からない病気です。うつりませんので安心して下さい。少し痛い日もありますが、元気一杯です。髪が抜けてしまったので、この服をいただきました。白い袖頭巾、可愛いので気に入っています」
髪が抜けてしまった⁈ 僕は柱の影で固まった。ルタ皇子もは大口開けて呆然としている。ティアの髪が抜けたことより、あのあっけらかんとした態度が不思議でならない。
「ルタ様? どうされました?」
「い、いや、いや……。どうした? は貴女の方ですティア様。そんな、何でもないという態度を取り繕って……」
キョトン、と目を丸めるとティアは首を傾げた。それから、モジモジし出した。可愛い。妹ながら実に愛くるしい仕草。はにかみ笑いも加わっているので、破壊的に可愛い。顔の悲惨さも吹き飛ぶ可憐さ。ルタ皇子がぼーっとティアに見惚れている。
「エリニス、オルゴー、あの胞病を治す毒消しが彼女の部屋に大量にある。譲り受けて来い。全部だ」
頭上からティダの声。見上げると屋根の上に黒い法衣が二つ並んでいた。ティダとエリニスだろう。
「全て? ティダさん、我が妹はどうなる?」
「罪には罰。罰は理不尽でならないと教訓にならん。ドメキア王族が巣を荒らした報いだ。まあ、他にも理由はある」
片方の黒法衣の者が立ち上がろうとして、もう一方に押さえつけられた。
「オルゴー、君は反発しないのだな」
「……。アピスの子はティアを好いてくれています。毒消しが無くて死ぬようなら貴方を批判するでしょう。そして貴方という人はそれを無下にしない。セレーネがさせない。ティアはあの姿でも幸福になる娘です」
ルタ皇子はどう見ても、今のティアでも良いという態度。ティアもあっけらかんとしている。
「だ、そうだエリニス。良いぞオルゴー。そういう考え方が大切だ。王は時に非情な裁断をせねばならん。但し、可能な限りどちらにも幸福を与える形でだ」
エリニスが大人しくなった。フードで顔は見えないけれど、きっと悔しそうな表情だろう。僕を持ち上げ、エリニスをこんな風にペチャンコにする者はいなかった。
「勘違いするなよオルゴー。私は贔屓はしない。わざとではなく正当な評価だ。エリニス、信じることは難しい。しかし、先に信じなさい。全てを許せ。そして全てを愛せ。エリニス、君に足りないのはそれだ」
諭すような話し方なのに嫌味がまるでない。ティダは不思議な人だ。父よりも指導者らしい雰囲気。
「見よ、妹が手本だ。自身への愛をまるで疑っていない。中身に惚れてもらったと、そう信じているのだろう。女性が最も美しく輝くのは愛くるしい笑顔だ。見た目の美など、歳を取れば失われる」
ティダだろう黒法衣の者が、ティアを腕で示した。ティアはニコニコ笑いながら、ルタ皇子を見つめている。対するルタ皇子、骨抜きという様子。男が人前でだらしのない顔をするな。ムカつく奴だな。
「恥ずかしいのと、嬉しいので、今にも倒れそうです……」
「そ、そうですか……。ティア様……いやティア……それなら休むか? その、あの、2人で……」
「ふらあへっ?」
「そんな声、どこから出るんですか?」
ルタ皇子がティアの両手を取って握った。苛立ちが増す。あの野郎、嫁入り前の妹に何をする気だ。キスでもしたらぶっ飛ばす。
「オルゴー、おいオルゴー落ち着け。まあ、溺愛する妹のロマンスなど見たくないだろうが……。おい、エリニス。君もか」
ティダが何か言った気がするけれど、あとで聞き直せばよい。今はルタ皇子だ。あの破廉恥男。先に信じろというなら、寸前まで見定める。
「そ、そ、そんな声とは間抜けな声です?」
「いいえ、……かわゆい……声……です……」
「ひ、人が通るとアレですので……とりあえず部屋に……」
部屋⁈ あんな締まりのない顔で、いかにも欲情しましたという顔で部屋⁈ これはもう決定的。ルタ皇子のような自制心のない男に大事なティアを嫁にやるか!
「貴様! 婚姻前のティアに手を出そうなど首を刎ねてやる! 破廉恥野郎! 許さん!」
思わず飛び出して、ルタ皇子に殴りかかっていた。彼はティアを抱き上げて庭へ出た。
「頭を撫でたりしようと思っただけです!」
どう見てもそういう顔では無かった。逃げるので余計に腹が立つ。ティアがルタ皇子の首に手を回し、彼に頬ずりした。
「レクスお兄様。遠路遥々見張りに来たようですが、ルタ様とティアは夫婦です。何でもします」
瞬間、ルタ皇子は真っ赤になった。あっ、エリニス。ルタ皇子の背後からエリニスが現れ、彼に飛び蹴りを食らわせようとした。
「よう、龍の皇子。前は据え膳食わなかった事に苛々したが、今度は逆だ。やはり、本人の希望でも腹が立つ」
ルタ皇子にエリニスが蹴りかかる。これ幸いにと、僕も追撃を仕掛けた。ルタ皇子の左頬目掛けて拳を突き出す。
「そもそも俺が女に苦労しているのに、イチャイチャと見せつけるんじゃねえ! 恋人とか夫婦とか滅びろ!」
「はあああ⁈ 言ってる事が無茶苦茶だ!」
叫びながら、ルタ皇子は僕の拳もエリニスの蹴りもヒラヒラと避ける。ムキになったエリニスの蹴りが危うくティアの腕を掠めそうになった。おまけにエリニスは僕にまで蹴りを向けてきた。多分、セレーネと僕が婚約したからだろう。エリニスはセレーネの義姉のアフロディテに袖にされ続けているらしい。完全に八つ当たりだ。
「おいレクス! ティアに当たったらどうしてくれる!」
エリニスの蹴りの標的はもうルタ皇子ではなく僕。ティダにペチャンコにされたのも気に食わないのだろう。
「それはこっちの台詞だエリニス! 八つ当たりとは情けない男だな!」
蹴りを避けて、エリニスに殴りかかる。
「お前の嫉妬心の方が余程情けないだろう!」
「何だと!」
的を得た中傷に思わず声が荒くなる。しばらくエリニスと言い合いをしながら、組手のような喧嘩をしてしまった。もう止めようと思った時、エリニスは標的を変えた。
「何、逃げようとしてるんだポンコツ皇子!」
エリニスが投げた小石がルタ皇子の脛に当たった。流石エリニス、目敏い。僕は彼の逃亡に気がつかなかった。
「っ痛!」
「まあ、エリニス! ティアのルタ様に何てことを! バシレウス! ココトリス! これはさすがに叱る案件よ!」
ティアが叫ぶと、エリニスに巻きついているバシレウスがエリニスの頬をつつき始めた。エリニスの頭上にいるココトリスも同様。これは珍しい光景。それで冷静になった。ルタ皇子の破廉恥さに苛立ったり、エリニスと痴話喧嘩している場合ではない。僕は改めてティアの顔の変化に慄いた。
「というかティア! その顔はどうした?」
知っているけれど、知らないという演技が必要。屋根の上でティダが仁王立ちしている。早く計画を進めろという意味だろう。怖い。顔も見えないのに、立っているだけなのに怖すぎる。場が一気に静まり返った。
「謎の病気ですお兄様。お医者様にもサッパリ分かりません。うつりませんので安心してください。あと、少し痛いこともありますが元気一杯です」
ルタ皇子の腕の中で、ティアは呑気そうな無邪気な笑顔を見せた。実に幸せそう。
「胞病だティア。部屋にある毒消しで治る。しかし、あの毒消しが他にも必要な奴がいる。シャルルだ。種類と重症度は違えど、原因は同じ病。お前を慕うアピス達がくれた毒消し、全部シャルルに譲ってくれねえか? 俺はその為にティアに会いにきた」
ティアは顔にハテナを浮かべた。一方、真剣な眼差しのエリニス。先程、ティアはどうなる? とティダに食ってかかったのに、エリニスは方向転換したらしい。エリニスが上着の内側から、麻袋を出した。何かが入っている。もうティアの部屋から毒消しを入手済みだったらしい。
「毒消し? あの白い金平糖みたいなものです? エリニスお兄様、アピス達とは誰です?」
ブーン、という羽音が聞こえて空を見上げた。アピスの子がザッと見て、100匹はいる。産毛の色がまちまち。赤、黄、緑、青。かなり煩い羽音と、威嚇するような「ギギギギギ」という鳴き声。三つ目は一様に真っ赤。
「まあ、プチラがいっぱい……」
「アピスの子だティア。まあプチラの名を気に入っているからプチラで良い。1匹ずつ名前をつけたりするんじゃねえぞ。まあ、お前ってアピスの子がどんどん入れ替わってもちっとも気がつかないのな。産毛の色が変わったのを、反抗期! 我が妹ながら変な女」
いや、変な女よりも変な男はエリニスだろうと言いそうになった。しかし、黙って二人のやり取りを見守る。
「入れ替わって? まあ、ティアにはこんなに沢山の親友がいたのね……。エリニスお兄様。プチラは何でこんなに怒っているの?」
「毒消しも作れない未熟な末っ子虫に一生懸命用意した毒消しを奪いに来た。って怒っている。違うと言ってくれ。海蛇一族と違って、コイツらは俺のことをそんなに好きじゃねえんだ。贔屓? 贔屓などしていない。遊べ? そんなの後だ後。本当にアピスの子は喧しいな」
うんざり、という表情のエリニス。正直羨ましい。僕もエリニスのように彼等と語り合いたい。しかし、僕にはセレーネがいる。彼女が僕と彼等を繋いでくれる。
「エリニスお兄様、シャルル様はティアと同じ病気なんです?」
「まあな。あいつは今後、ずっと人前に出ないとならん。仕事も膨大。ティア、これを貰って良いか?」
手に持つ袋を軽く揺らすエリニス王子。
「良いですよ。エリニスお兄様がティアからその毒消し? を貰っていくってことは、この病は死んだりしないのでしょう。シャルル様の方が悪いということですよね? 早く治してあげて下さい。ララ姫も心配しているでしょう。ティアはこの通り元気一杯です」
コツン、と僕の頭上に何か当たった。足元に落ちたのはドングリ。ティダだろうと彼を見ると、フードを外していた。爽やかな笑顔。手信号で「兄と同じ答えだな。そのような娘には幸福が訪れる」と言われた。チラリ、とエリニスも見ている。
泣き笑いしてから、エリニスは恭しいというように片膝をついて首を垂れた。
「すまないティア。お前ならそう言うと思った。ありがとう」
体の向きが少しティダ寄り。完敗、という意味なのかもしれない。
アピスの子達の鳴き声がピタリと止んだ。空に道を作るように、左右に分かれる。その間に黒狼ヴィトニルが現れ、庭に着地した。尻尾に丸くて土色の肌をした、ぐったりしたシャルル王子を掴んでいる。エリニスが黒狼ヴィトニルへ飛び乗った。
「龍の皇子、半月この国でティアを守ってろ! ティア、レクス、命は短しされど尊い。自由に好きに生きよ! 俺は大蛇の国を照らす太陽となる! 18年間楽しかったぜ! あばよ!」
風のように去っていったエリニスと黒狼ヴィトニル。それにシャルル王子。プチラの群れが彼等についていくのか、一列になって飛んでいく。虹とも違う、なんとも不思議な七色の線が青空を横切っていく。
「今生の別れに、あばよ。ふんっ、そのうち見つけ出してまたチェスでけちょんけちょんにしてくれる。ルタ皇子。僕はこの地を拠点に薬学の研究をします。世話になりますね。エリニスが失敗したら東へ亡命しますよ」
別れは国、家族とだ。僕の目に自然と涙が浮かび、頬に流れていった。僕もエリニスも、今後は裏の世界で生きていく。そしてエリニスと僕の道も違う。今生ではないけれど、僕達三つ子はこれでバラバラ。見知らぬ中庭を進み、建築物の角を曲がった。ティダが僕を拾い、ドメキア王国へ戻る予定になっている。しかし、居たのはセレーネだった。セレーネがアピスの子を抱えて頬ずりしている。
「ねえアピスの子、聞いていた? ティア姫はとっても幸せね。アピスの子達から伝わってくるから私まで幸せ。あんなに立派で優しい皇子様が、大好きですって」
つまり、それは……。ストン、と黒い影が降りてきた。体が浮く。襟を掴まれたらしい。
「セレーネ、足るを知れ。大陸中探しても君を化物娘ではなく、即座に女神と呼ぶ男はいない。自分の幸運にこそ酔いしれなさい」
え? とセレーネが目を丸めた。僕と視線がぶつかる。セレーネは火がついたように真っ赤になった。
「娘は自尊心が低い。褒め称えて愛を囁け。一生だ。よそ見をしたり、不幸にしたら頭蓋骨粉砕だから覚えておけよ」
ティダが僕にそう耳打ちした。あまりの殺気に全身に鳥肌が立つ。脅されなくてもそのつもりなのに。
「父上、汝、先に信じよ。ですよね? セレーネ、王子ではなくなるけれど優しくて立派を目指す。君の夫に相応しくなりたい」
僕も君が大好きで愛してる、と付け加える前にセレーネは倒れてしまった。アピスの子がセレーネの体を支えてくれてホッとする。ティダはケラケラ笑って僕の髪をぐしゃぐしゃに撫で回した。
「さて、エリニスの神話を監視しに行くぞ。ヒントはうんと与えた。問題なければ彩る。エリニスの上は私。あんな青二才、まだ一人では何も成せん」
そう言うとティダは僕を離し、フードを被った。




