大狼王子、血塗れ王子と対立する8
【ドメキア王国】
迫り上がる大地に鎮座する、地味な灰色の建造物。あの岩山を半分に切ったような台のような土地。そこには、蛇神が住まう地だと言われている。雲がかかるとまるで浮いて見える。
故に天空城。
アシタバ半島大蛇連合国、ドメキア王国城の別名。
母の出身地。生まれつきの風土病が激しく、醜く生まれ落ちた母は天上人に相応しくないと、追い出された。母を見捨てた父、僕達の祖父は流行病で生死の境を彷徨っているらしい。父親が父親だから、子も子……いや、シャルル王子がいる。
飛行船の窓から、天空城を見下ろす。薄い紫色。高いところから人を見下ろして過ごすから、慈愛ではなく尊大さが育つのだ。そう思ったが、流星国城も丘の上にある。僕は小さな溜め息を吐いた。
「レクス王子、お召し替えは……」
躊躇いがちなニールの声。僕は振り返り、首を横に振った。
「このままで構わない。その方があのクソ野郎……口が滑った。彼は喜ぶだろう」
顔と髪は洗った。しかし、服は返り血糊とフェンリスか豚を食べた後に血をつけてきたので、暗褐色に汚れている。血生臭い腐敗臭に鼻が曲がりそう。だが、我慢。
「レクス王子は怒ると口が悪くなるから、気をつけて下さい」
「ああ、あの男はきちんと掌で転がすさ」
ジョン王子の名前を口にするのも腹が立つ。同盟国、おまけに従兄弟の僕達への酷い命令。妹の想い人を殺せ。人質は父親と国民。
ドメキア王国の飛行船が天空城前へと降り立つ。瞬間、屋根と壁が吹き飛んだ。激しい音に身が竦みそうになったが耐える。ニールが悲鳴を上げた。猛風が吹き付けてくる。視界の先に、フェンリスが純白の毛を靡かせていた。フェンリスも体の半分は血染めのまま。
「中々人気者の僕に、獰猛な猛獣が手下になるのは浮かれるだろう。フェンリス、奴を噛み砕きたいだろうが、それは僕やエリニスの役目だ」
フェンリスは鼻を鳴らし、頭部を横に揺らした。まさか、いきなりジョン王子を襲撃したりしないよな? 彼の隣に並ぼうとすると、乗れというように尻尾で示された。対等な関係だと言われたようで嬉しい。豚の屍肉が入った袋を掴み、遠慮なく飛び乗った。
フェンリスがニールも見たので、ニールを手招き。拒否されたので、睨んで従わせた。嫌そうに、渋々だが近寄ってきたニールを自分の前に座らせる。
「あの……俺は留守番……」
「目的は媚びへつらって、父上を取り返すことだ。踏み外しそうになったら止めてくれ。ニール、君は僕の一番の理解者だ。いや、フェンリスと悩むな。まあ頼む」
ニールの肩を軽く三回叩いた。フェンリスが駆け出す。背中にドメキア王国兵と流星国兵の声がぶつかったが無視。本気のフェンリスは風のように速い。みるみる、天空城が大きくなっていく。フェンリスは蛇神大地の裾野に広がる第二城下街大通りを駆け抜け、ドメキア王国の本砦へと突っ込んでいった。
堅牢な鉄柵の前で、ドメキア王国兵が剣と槍を構える。フェンリスは彼らを無視して、砦の壁を蹴り、壁の凹凸を上手く利用して砦上と登った。その次は大咆哮。全身の毛が逆立っている。これは、大激怒だ。
「フェンリス、僕は戦争に来たのではない。騙しに来た」
唸り上げるフェンリスに、僕の声は届いていなさそう。フェンリスの体から激昂の震えが伝わってくる。僕はフェンリスの背の上に立ち上がった。抜剣して、フェンリスの首元に当てる。
「フェンリス、ここで暴れて父上を連れ帰るのは簡単だ。君と僕ならな。しかし、その後はどうする? 何十という飛行船に乗って押し寄せる騎士や、浴びせられる砲撃からどう国を守る?」
フェンリスは再度巨大な吠えをした。空気が震える。
「悪いがここは人の世界だ。手出し無用」
僕はそっとフェンリスの頭を撫でた。僕達の為に、怒りを制御してくれるようだ。動かないのが返事だと察する。
「流星国フィズ王の息子レクス! 命令を遂行したので白銀大蛇王から褒賞を貰いに来た!」
凛然と感じて貰えるように、腹の底から声を出して、眼下を見つめる。城下街の住民や、砦を警護する騎士達が集まっている。
数十メートルの高さの砦から、フェンリスが飛び降りた。屋根伝いに街を進み、内側にある別の砦へと移動。最外層の砦の上での行動と同じ事をした。更に内。ドメキア城は三重砦に守護される要塞でもある。
一番内側の砦より中へ、城門前へと降り立つ。フェンリスは音も立てずに着地した。未だに毛は逆立ち、嵐でうねる波の飛沫のように揺れている。
白銀に輝く巨大な城門。光を放つような扉。双頭蛇のあしらわれた見事な彫刻の数々。相変わらず入り口からして絢爛な城。剣を構えるか悩み、戸惑っているような護衛騎士達を一瞥。
「図が高い。神の血を引く王の縁者に、敬意を払わないのか? 王へ献上品を持ってきた。開けよ」
睨んで威圧よりも、微笑んで圧力を与える方が効果がある。自分の雰囲気は、自分が良く知っている。騎士の誰からも返事がない。青ざめた表情で固まっているだけ。まあ、フェンリスのことをろくに知らないと、恐ろしいだろう。フェンリスがおもむろに歩き出した。前足で城門を開く。
真紅のカーテンに乳白色の大理石の長い廊下。磨かれた大理石に、窓から差し込む光が乱反射して煌めいている。いつ見ても派手。広い廊下なので、フェンリスでも通れる。
王座の間への道は覚えている。それに、そのうち迎え……来たか。しばらく進んでいると、向かい側から見覚えのある大臣や護衛騎士達の姿。足早に近寄ってくる。
「レク、レクス様。遠路……遠路遥々ようこそ……いらっしゃいました……」
「父の汚名返上と、濡れ衣という誤解を解きにきた。親が子に苦言を呈するのと同じような感覚だっただけ。何度か手紙を認めているので、ジョン王子は理解してくれるだろう。彼と謁見したい」
笑顔を心掛ける。フェンリスが威嚇するように唸った。
「フィ、フィズ陛下なら……我等で丁重に匿い……」
ミネルバ大臣がふるえ声を出した。ドメキア王の忠臣。ジョン王子を止めたくても止められないのかもしれない。唇まで青紫色をしている。
「何も心配いらない。大蛇の住まう大地では、生き様こそが全て也。何もかもが、己に返ってくる。それを忘れるな。信じるものは己で見定めよ」
笑顔が大切。自分にそう言い聞かせる。フェンリスが歩き出すと、全員が去っと廊下の端に寄った。マナフ達がついてくる気配がする。玉座の間まで来ると、僕はフェンリスの背から降りた。ニールも下ろす。この先は目がチカチカするし、ジョンも何をしているか分かったものではない。ゆっくりと深呼吸をしてから、マナフ達に扉を開けさせる。
玉座の間は無駄に煌びやか。装飾豪華な柱が並び、床は乳白色の大理石。中央には道のように真紅の絨毯が敷かれている。吹き抜ける高い天井には色彩豊かな絵画。白銀の蛇がうねり、その周りを天使が囲む。絨毯の上には多彩なガラスが背中を預け合う、双頭蛇の絵を作っている。七色の光が絨毯に柱のように降り注ぐ。王座は遠く、光の柱のせいもあひ見え辛い。一先ず、血の匂いがしなくてホッとした。
「ドメキア王の娘コーディアルの次男レクス。王への忠誠の証に、約束の品をお持ち致しました」
凛然、と見えるように背筋を伸ばして、表情筋に力を入れて足を進める。突然、護衛騎士達が切りかかってきたのでヒラリ、ヒラリと避ける。騙しに来たことがバレている? フェンリスが尻尾で騎士達を次々と薙ぎ払った。高笑いと嬌声が部屋中に響き渡る。ジョン王子と女の声。
「あはははは! 聞いたぞレクス! 化物にクソ皇子を食わせたと! で、首はどこだ?」
げっ、ジョン王子は上半身裸だった。骨と皮のような、貧相な体が剥き出し。食べても肥えないのは可哀想だが、鍛えてないからこんな体なんだ。下は黒いズボンに豪奢なバックル。膝の上には全裸に近いような、胸が露わな踊り子の服を着た妖艶な美女。周りに何人もいる。ジョン王子の隣に、無表情に近いエリニスが立っていた。先回りしたのか。他に、貴族や貴族騎士も控えている。
「それが、喰らい過ぎてこのような有り様です」
僕は持ってきた、フェンリスの食べ残しの豚——多分——の屍肉の入った袋を足元に置いた。袋を開く。腐敗臭で鼻が曲がりそう。ジョン王子は恍惚、というような瞳をした。おまけに美女の胸を揉みだしたので、僕は会釈を装い、視線を下げた。貴族や貴族騎士達もジョン王子に良く似た下品な笑い声を出し始めた。
「愉快也! 朕に逆らう者は全てその化物獣に喰わせろレクス」
化物、化物、喧しい。顔が歪みそうになるが耐える。
「仰せのままに。戦場指揮官になりたくて、示談に参りました。留守の間、国を統治する者が必要です」
「戦場を駆ける化物大狼兵士。殺戮兵器のようで楽しそうだ。ああ、煌国の地形や戦術などを聞いたから、そろそろ叔父上は帰そうとしていた。説教された時は刺し殺そうと思ったがな」
愉快そうな声色。見定められて、試されている。こいつを蹴落とすのは、もう少し先。流星国が怒ると、化物大狼が喉に噛み付くと従者達にみせつけられた。だから、時が来るまでは従順な振りが必要。顔色が悪い従者や貴族、騎士はエリニスが声を掛けて味方にするだろう。逆はジョン王子共々背中を刺す。僕は頭を下げ続けた。むしろ、膝をついて腰を下ろした。
「裏切り者は刺しても構いません。むしろ殺してくれた方が、王になれます。では、僕はこれにて。ドメキア王の見舞いをしたら帰国し、戦争に備えておきます」
ジョン王子に背を向けて歩き出す。フェンリスは芝居に付き合ってくれているので、ルタ皇子の代わりに差し出した屍肉と骨を足で遊び出した。骨を折り、貴族や騎士へ投げつけて、唸り、吠える。
「レクス、爽やか笑顔の裏で権力を欲していたのか」
興味深そうな声。僕は気怠そうに見えるように、緩慢な動きで振り返った。
「金と権力が欲しくない男なんているんでしょうか? 容姿と笑顔で騙される愚かな者達が足元にいるのは、大変愉快です」
部屋中に笑顔を振りまく。
「へえ、なら叔父上が帰ったらどうするんだ?」
「まあ、頃合いを見て……あの辺りにでも声を掛けます」
メルダエルダ公爵一族、ハフルパフ公爵一族を探して流し目。それから、首を搔き切る仕草を披露。ドメキア王族傍流の血を有する二大公爵一族は、本家の監視役でもあるのに何をしている。苛々するが、その本音も隠して笑顔を心がけた。
「ふーん。その時は見たいので朕を呼べ。次こそ首を……いや、無理ならここで化物が噛み砕くのを見せろ」
「仰せのままに。我が王。行くぞフェンリス。腹が減っていたら、そこらのは食って良い。私を小馬鹿にしていたからな。反目には反目。それがドメキア一族だ」
部屋内が静まり返る。フェンリスに目配せして、一番信頼出来る反ジョン王子だろう貴族を襲ってもらう。彼の保護だが、ジョン王子の目の上のたんこぶを排除するように見える筈。ルタ皇子の時と同様、噛みつかれても、彼は死なない。フェンリスの歯は引っ込む。劈くような悲鳴、喧騒。それを無視して、玉座の間を出た。
「おいマナフ、フィズを呼べ!」
楽しげなジョン王子の声が背中にぶつかり、釣れたと感じた。
歴史から学ばぬ者は歴史を繰り返す
全ての命は愛に燃える
彼は言いました。愛するならば、憎悪で燃え盛り灰になれ。自愛は時に身を滅ぼす。
彼女は言いました。燃えるならば美しい炎に焼かれよ。慈愛は時に救いをもたらす。
——蛇鷲神話より




