大狼王子、血塗れ王子と対立する 7
本国で恐怖政治を始めたジョン王子。彼は忠臣だと信じているエリニス王子にこう命じました。一刻も早く、ティア姫を自分に捧げよ。彼女を返さない岩窟龍国のルタ皇子を殺して、死体を持ってこい。
ジョン王子は、妃に望んだティア姫を、フィズ国王が岩窟龍国へ亡命させたことを恨んでいます。流星祭りで、ティア姫の婚約者と紹介されたルタ皇子も逆恨み。煌国に気に入られているというルタ皇子を流星国の王子に殺害させると、煌国との関係は悪化。数十年ぶりの大戦争へ発展する可能性が出てきます。
ジョン王子は「戦争を見たい」と、大笑いをして酒を飲むような心根を有しています。
命令に従わないのならば、流星国を大蛇連合国の裏切り国として滅ぼす。
そんな風に、大蛇連合国の歴史は、ジョン王子の我儘身勝手で、大きく動こうとしています。
シャルル王子の病は全然治らず、時間ばかりが過ぎていく。昼か夜かも分からない地下牢で、光苔の灯りは優しくシャルル王子を照らす。エリニスは少し現れてはすぐ消える。大蛇連合国中を駆けずり回っている。
「すまないなレクス……セレーネさん……」
「すまない? 辛い時は支え合うものだ。シャルル王子、今度は左足」
右足を揉み終わると、僕はシャルル王子の左足を手にした。セレーネが擦った「ラタタ」という謎の植物の根は、シャルル王子の浮腫みに良く効く。
「そうよ、シャルル王子。すまないよりも、ありがとう。私はお父さんやお母さんにそう教わっています。ありがとうって言われたら、また張り切れますよ」
鼻歌混じりで、セレーネはシャルル王子に笑いかけながら乳棒を動かす手を止めた。
「ナールの蜜もあれば良いのだけど、皆……怒ってて……。でも、優しいわ。私が巣に行って、庭からラタタの根を採るのを許してくれるもの」
微笑んだセレーネが、シャルル王子から乳鉢へと顔を向けた。ゴリゴリという根を擦る音にコツコツ、コンコンコツコツと足音が混じった。
「エリニスだ」
「レクス、ルタ皇子が間も無く到着する。もう、かなり近い」
鍵の閉まっていない牢の中を、エリニスが覗き込んできた。
「おい、なんだこの部屋。隣もか」
「レクスが飾り付けてくれたのよ。格好良いし、可愛いでしょう?」
ピョンッと立ち上がったセレーネが、エリニスの前に立つ。僕よりも素早かった。そんなにエリニスに会いたかったのか。
「そのままだと牢に幽閉されているみたいだから、飾った」
家具を運び、ラグを敷き、セレーネが栽培方法を教えてくれた光苔のランプもいくつか用意した。シャルル王子の部屋には海、セレーネの部屋には花の絵。
「お前らしいな。任せて良かった。シャルル、頼み込んでいるが……毒消しは手に入らん。すまないな……」
心底辛そうな笑顔を浮かべると、エリニスは背筋を伸ばしてから、軽く会釈をした。
「いや、気にしないでくれエリニス。そんなに痩せて、大丈夫かい?」
「痩せた? まさか。俺は良く食べて良く寝ている」
そう言うが、エリニスの目の下には隈。
「そうか、エリニス。それなら安心した」
嘘だと分かっているけれど、指摘しない。シャルル王子はそういう風に、エリニスに優しく笑いかけた。エリニスがやる気満々、というように歯を見せて笑った。
「シャルル、一度ルイを押し上げる。お前は治ってからルイの前に降臨。ルタ皇子をこれから見定めて、問題無ければ東へ亡命させる」
「ルイか、君とルイなら大丈夫さ。僕が降臨する必要なんてない。この国を頼む。兄上は根っからだから……多分変わらない……ずっと注意はしてきたけれど……」
「そう、お前という目の上のたんこぶが居なくなり、大暴れしている。あの阿呆で残忍な男は最悪だ」
行くぞ、とエリニスに目配せされた。
「ああ行こうエリニス。必要なのは仕込み剣と血糊だよな?」
僕の問いかけに、エリニスが頷く。僕はセレーネとエリニスの脇をすり抜け、牢を出た。
「ああ。しかし、早いな。遣いを送った日から逆算して、早過ぎる。岩窟龍国は飛行船を持っているのか?」
「さあ? ルタ皇子に聞けば分かるさ」
気配がして振り返る。セレーネが僕の上着の裾を摘んだ。
「レクス……」
「シャルル王子を頼むセレーネ。君の知識でシャルル王子は随分と良い。ありがとう」
「……。ええ! 任されたわ!」
歯を見せて笑うと、セレーネは大きく首を縦に振った。なんだか、エリニスの笑い方に似ている。今のところ、二人が惹かれ合う様子はないけれど——会っていないからだろう——そのうち意気投合しそう。
エリニスが歩き出したので、セレーネに手を振り後を追った。地下牢から直接外へ出る廊下を進む。
外へ出て、騎士宿舎へ行き、用意してある剣を帯刀。それから血糊の入った袋を上着の内ポケットに入れた。
「この間決めたように、お前がやれレクス。で、そのまま本国に行って、ルタ皇子殺害の褒賞を手にしてこい」
騎士宿舎から城下街へ続く坂へと向かう。
「ああ、父上の返還要求は任せろ」
「父上が戻ってきたら、お前はシャルルを連れて亡命。ルタ皇子を懐に入れられれば、岩窟龍国。そうでなければ……」
「煌国以外だな。煌国でシャルル王子が見つかると面倒な事になる」
軽い打ち合わせをしながら、僕達は坂まで歩き続けた。音も無く現れたフェンリスが僕の隣に寄り添ってくれた。
「さあてレクス、ティアの星の王子様の登場だ。ある意味、戦争の引き金」
「ティアの手紙によると、全くティアに興味無いらしい。あのティアで落とせないなら、どんな女性でも無理じゃ無いか?」
エリニスと並んで、坂の下を見据える。黒い大狼と並ぶ、黒に金刺繍が入った束帯姿。褐色の肌と衣服は、一目で異国の者だと分かる。黒大狼がエリニスに向かって猛々しく吠えた。
「へえ……」
エリニスが何か呟いたが、聞き取れなかった。バサリ、とエリニスは外套を翻し、仁王立ち。妖艶な笑みを浮かべてルタ皇子を見据えた。
「よーう。龍の皇子。壁に耳あり丘に目あり、俺の有り難い進言をもう忘れるとは阿呆か? 猛獣連れて何しに来やがった。戦争か?」
「やあ、ルタ皇子。遠路遥々ようこそ流星国へ」
僕に任せると言ったのに、エリニスが飛び出した。ほぼ同時に、黒大狼が駆け出す。エリニスはルタ皇子に向かって抜剣した剣を投げつけ、襲いかかってくる黒大狼をバシレウスで殴りつけた。
ルタ皇子はエリニスの奇襲を苦もなく避けている。それも、背後にいる人だかりにエリニスの剣がいかないように、地面に剣を叩き落とすという方法。これは好感度が上がる。
黒大狼は地面に叩き落とされ、地がひび割れ、黒大狼の体を飲み込んだ。
「レージングの息子ヴィトニル! 頂点は俺。その男も俺が囲っている。よって直下になれ。代わりに誉れ高い世界を見せよう!」
エリニスは純白外套を強風に揺らしながら叫んだ。堂々たる姿。黒大狼ヴィトニルがゆっくりと立ち上がり、大咆哮した。それも3回。僕は激昂の吠えに身を縮めた。しかし、エリニスは白い歯を見せた屈託無い笑顔。さあ、というように両腕を広げている。
再びエリニスに飛びかかったヴィトニルが、エリニスに嚙みつこうとした。いや、噛み砕こうとした。鋭い牙に、成人1人の上半身を易々と飲み込みそうな大きな口。エリニスは素早く体を屈めて、黒狼ヴィトニルに体当たり。黒狼を地面に押し倒した。
「ふははははは! 俺は強いだろうヴィトニル! こいつはバシレウス。で、こいつはココトリス。これで3匹。俺を飾り、俺を守り、俺を殴れ! 義弟よ、良い土産を連れてきたな!」
心底嬉しいというような、無邪気な笑顔でエリニスはヴィトニルに抱きついた。体を起こしたヴィトニルはエリニス王子の体を囲う。それから尻尾でベシベシベシとエリニス王子の背中を殴った。痛そうな強さなのに、エリニスは痒いと大笑い。
エリニスは滅茶苦茶な男だ。そして、民衆にここまで本気の力を見せるとは、本当にもう人として生きるつもりがないと伝わってくる。僕とエリニスは、このままどんどん離れていく。しかし、だからといって遠巻きにすると、溝は巨大なクレバスになってしまう。
「レージングの息子? レージング? レージングとは父上の親友だ。袂を分かったという……おいエリニス! 父上の親友の息子に何たる仕打ち! その粗暴さを治せと何度言えば分かる!」
畏怖の念を抑え、僕はエリニスに近寄った。
「耳元で喧しいレクス。堅い脳みそが伝染するから近寄るな。早く、あの龍皇子を捕まえてこい」
嫌そうな表情で、指で耳を塞ぐエリニス。しかし、どことなく嬉しそう。僕は、エリニスがどれだけ離れようとしても、遠巻きにしたくない。死ぬまで親しい兄弟として、接していく。
「僕に命令するな。全く、兄の癖してどうして見本になってくれないんだ」
エリニスがルタ皇子に目配せ。「神」エリニスのパフォーマンスは一旦終わり。そういう意味。僕は小さく頷いて抜剣した。坂を駆け下り、地を蹴り、跳ね、ルタ皇子へ突きを見舞う。
剣先が引っ込む仕込み剣で突き刺すから、殺された振りをしろと手紙を送ってある。なのにルタ皇子はヒラリと身を翻し、僕の突きを避けた。
「おい、打ち合わせ通りにやられろ」
「打ち合わせ?」
ん? 話が伝わっていない? また避けられた。なら、本気を出すか。僕は突きの速度を上げた。なのに、ヒラヒラ、ヒラヒラと蝶のように避けられた。
「おい、だから避けるな。聞いてはいたが、手練れなんだな。僕の太刀筋を易々と!」
この国で、僕が敵わないのはエリニスと騎士団隊長のゼロースくらい。なのに、ルタ皇子は華麗に僕の突きを避ける。3度、4度と更に速度を上げて突いた。衣服に掠ったが、避けられる。ルタ皇子は必死の形相。仕込み剣の話を知らないなら、本気で殺されると思っているか。それならそれで好都合。本国ドメキア王国騎士も群衆に混じっているので、僕達がジョン王子の下僕だと見せつけられる。ルタ皇子は殺した振りをして匿う。ティアの想い人をジョンなんかに差し出すか!
「何だ、アクイラとオルゴから聞いてないのか? それなら何しに……」
もらった! と思ったら、ルタ皇子の背後からフェンリスが大口を開けて現れた。フェンリスと目が合う。僕は血糊袋をフェンリスの口に素早く投げ入れた。
ルタ皇子が振り返る。恐怖と絶望に染まった表情。今気がついたが、ルタ皇子の側近と岩窟龍国兵も群衆に混じっている。
フェンリスがルタ皇子の上半身を噛み砕く。真っ赤な血糊が返り血のように僕に降り注いだ。正確には、フェンリスの歯は引っ込むので、ルタ皇子は痣くらいしか出来ない。しかし、それを知るのは、僕とフェンリスとエリニスくらいだ。
群衆から悲鳴が上がる。ドメキア兵は安堵や嘲笑、岩窟龍国兵は絶望を顔に浮かべ?。
「恨みはないが、我らの王ジョンに捧げる。流星国には賢王フィズが必要だ。骨は残せフェンリス」
フェンリスが城の方へと去っていく。剣を空高く掲げ、岩窟龍国兵を睨みつけた。この場にいる誰にも、芝居だと気取られてはいけない。
「大狼の餌になりたくなければ、祖国に戻り我等の宝石姫をドメキア王国へ連れて来い。留学終了となっても、ティアを返さない報いである!」
「のこのこと罠にかかる阿呆な皇子に、その親が統治する国など、双頭蛇が滅ぼしてくれる!」
エリニスと並び、二人で交互に叫んだ。エリニスはクルリと背を向けて、バシレウスとヴィトニルを従えるように城へと向かっていく。流星国騎士達が彼らを捕らえ、引きずっていく。事前にエリニスが手配していたのだろう。
程なくして、フェンリスが僕の隣へと戻ってきた。口周りは真っ赤なまま。ルタ皇子を咥えた時とは違い、本物の血の匂いがする。それに、バキバキという何かを噛み砕く音。フェンリスはドメキア兵に向かって、口の中の物を吐き出した。屍肉のついた骨が地面に散らばる。フェンリスの機転は有り難いが、何を食った?
「拾え! これにてジョン様の命令遂行である。我等を本国へ連れていけ!」
フェンリスと共に、僕はドメキア王国兵へと近寄った。胸を張り、ゆっくりと、エリニスのような威圧感が出るように心掛ける。狡猾に見えるような笑みも作った。
フェンリスが唸り声を上げるので、ドメキア王国兵はみるみる青ざめていく。
「民よ! 戦争となれば、この大狼王子レクスが先頭に立つ! 必ずや守ろう! 賢王フィズは裏切り者などではない! 息子の私がこのように証明した!」
フェンリスが爆発音のような咆哮をすると、ドメキア王国兵が跪いた。群衆から僕とエリニス、それからフェンリスの名前の大歓声。
「ジョン様の元へ連れていけ。忠誠に対する褒賞を要求する。だが、交渉決裂時は裏切りとみなして反目。フェンリスと共に天空城を攻め落とすからな。誰か先に帰国し、大臣に伝えろ」
脅迫は好まないが、今の流屋国の状況では仕方がない。ルタ皇子を殺害した褒美に、必ずや捕縛された父上を返還させる。ドメキア王国兵の半分を先に行かせ、残りには僕を誘導させた。




